ニュース写真

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

北京五輪:菊地さんの曲「我愛北京」、思い乗せ閉会式で

北京に移り住んで五輪のテーマソングを作曲した菊地圭介さん=北京市朝陽区の自宅で、藤野智成撮影
北京に移り住んで五輪のテーマソングを作曲した菊地圭介さん=北京市朝陽区の自宅で、藤野智成撮影

 【北京・藤野智成】24日閉幕する北京五輪。テーマソングの一曲に選ばれたのは、北京市を拠点に活動する音楽プロデューサー、菊地圭介さん(45)=エイベックス・チャイナ=が作曲した「北京(ベイジン)、北京、我愛(ウォーアイ)北京」だった。日本では浜崎あゆみさんらのヒット曲を手掛け、新天地に選んだ中国では事業失敗で負債を抱える憂き目も見た。曲折の末に生まれた旋律は、24日の国家体育場(愛称・鳥の巣)での閉会式で流れる。

 全世界から北京五輪組織委員会に寄せられた4000超の曲からテーマソング30曲が選ばれた。日本人の作品は菊地さんの1曲だけだ。

 菊地さんは84年、TOM★CATのメンバーとしてデビュー、THE ALFEEなどのサポートメンバーとしても活躍した。96年に編曲家に転向、ヒットメーカーになった。

 01年に仕事で上海市を訪れたことが転機になった。「人民服と自転車の国と思っていたら、行く度に新しい道路ができ、高層ビルができていた」。その活力と躍動感にひかれた。02年に上海で音楽制作会社を設立。仕事も私生活も中国にどっぷりつかった。片言の中国語を口ずさみ曲を作ると、続々とヒット曲が生まれた。北京での仕事が増え転居した。

 香港にも事業を拡大した。だが昨年1月、取引先のレコード会社が倒産したあおりで自らの会社も倒産、2000万円の借金を抱えた。マンションを手放し「コーヒーだけで2週間をしのいだ。ギターを弾くとつめが裂け血がにじんだ」。助けてくれたのは中国人の仲間たちだった。「もっと早く言ってよ」と手料理を運んでくれた。

 五輪ソングはそんな逆境下で生まれた。ALFEE時代に10万人を集めたコンサートを思い起こし、9万1000人を収容する国家体育場でも一体感の出るビートに。誰もが口ずさめるように「ベイジン」「ラララ」を繰り返した。4年後のロンドン五輪につなげようと、終盤にバグパイプの音を入れた。

 負債も半分は返済した。いずれ欧州に拠点を移すつもりだ。「学んできたことが開花した。お世話になった人への恩返しになった」。ベイジン、ベイジン……。開催期間中に各競技場で競技の合間に流れた曲は、フィナーレを飾り、北京の空に響く。

毎日新聞 2008年8月23日 13時08分(最終更新 8月23日 13時24分)

ここに広告

関連記事

ニュース写真 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報