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【土・日曜日に書く】政治部・阿比留瑠比 戦没者への礼知らぬ河野議長
≪唐突な加害強調≫
今年も8月15日、天皇、皇后両陛下ご臨席のもと日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、全国から約7000人の戦没者遺族や関係者が出席した。正午の黙祷(もくとう)後、天皇陛下が「全国民とともに、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し…」と軍人・軍属や一般市民の犠牲者を悼む言葉を述べられ、式は厳粛なムードで進行した。
だが、河野洋平衆院議長が追悼の辞を読み始めると、会場の空気は微妙にざらつき出した。参列した国会議員の一人は「会場の戦没者遺族らのことを思うと、聞くに堪えなかった」と振り返る。河野氏はこう日本の「加害」を強調したのだった。
「(日本軍による)非人道的な行為で人権を侵害され心身に深い傷を負い今もなお苦しんでいる方々に、改めて心からのお見舞いの気持ちを申し上げたい」
先の大戦では、多くの国と地域の民が大きな損害を被った。日本も関与したそうした犠牲者に思いをはせ、反省することも大切だろう。だが、なぜ日本の戦没者を追悼するための式典で、遺族の気持ちを逆なでしてまで日本の加害を言い募らなければならないのか。
河野氏は、昨年の追悼式でも次のようにあいさつし、日本側の被害を相対化してみせていた。
「わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国将兵にとっても同じ悲しみである」
≪「戦犯」も追悼対象≫
また、河野氏は今年の追悼式では、「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いをひとつにして追悼できる追悼施設の設置に真剣に検討を進めることが求められる」とも述べ、政府に国立・無宗教の追悼施設設置を促した。
河野氏は平成18年の追悼式では、「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」とも指摘している。これと合わせると、今回の発言はいわゆる「A級戦犯」14人を含む戦犯も合祀(ごうし)されている靖国神社とは異なる、新たな追悼施設が不可欠だと考えているのだろう。
しかし、河野氏のこうした言動には矛盾がある。全国戦没者追悼式では、正面に「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が立てられるが、「霊」という言葉自体、宗教観から切り離せない。
さらに、平成14年2月に開かれた福田康夫官房長官(当時)の私的懇談会の議事録で、政府は「全国戦没者之霊」について、「そういう方々(A・B・C級戦犯)を包括的に全部引っくるめて全国戦没者の霊という全体的な概念でとらえている」と答弁している。
つまり、全国戦没者追悼式は河野氏が忌避する「A級戦犯」の霊も対象としているのだ。実際、追悼式には、「戦犯」の遺族も招かれ、毎年つつがなく開催されてきた。河野氏の論理では、現在の追悼式もまた、「すべての人が思いをひとつにして追悼」することができないということになる。
≪目立つ個人的感情≫
それでなくても、河野氏のあいさつは、三権の長の一人としての自分の立場の重みや、時と場所をわきまえないような個人的な感情の発露ばかりが目立つ。
昨年の追悼式では、「(日本国民は)『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」とも述べた。この発言は、憲法を頂点とした行政、教育、外交・安全保障などの基本的枠組みを見直す「戦後レジームからの脱却」を掲げていた当時の安倍晋三首相への皮肉・反論だとみられる。
河野氏がどんな思想・信条を持とうと自由だが、天皇、皇后両陛下が臨席され、大勢の戦没者遺族らが見守る年に一度の追悼式で、ときの首相をあてこするような発言はいかがなものだろうか。
昨年3月には、河野氏は扇千景参院議長(当時)が世界各国の駐日大使を招いて催した「桜を愛でる会」でこうあいさつした。
「春になると日本中埋め尽くす桜の花ですけれども、色も違いますし、咲き方も違います。しかしそれはすべて桜であることは間違いありません、全部桜です。それはあたかも日本の国の議論のようですね。これが本日の『河野談話』でございます」
河野談話とは一般に、慰安婦募集における日本軍関与の強制性を認めた平成5年の河野官房長官談話のことを指す。そして河野氏は桜の話に例え、慰安婦の強制連行(狭義の強制性)を否定した安倍首相を批判し、外国大使に国家中枢部の意見対立を喧伝(けんでん)した形だ。
河野氏は素直に自分の考えを伝えようとしているだけかもしれないが、議長として少しはしゃぎすぎではないか。(あびる るい)