Roma


イタリアといえば、私、98年の早春に一度、訪れたことがあったんですよ。とりたててイタリアが好きってわけじゃなかったんですけど、両親が、とくに母が「イタリアはいいよー」と言っていたのと、その頃なんとなく海外へ出たくなったのと、機会があれば是非見てくるべき国のひとつがイタリアだと常々思っていたので、ふらっと行ってみました。
まだ独身だった私。とあるパックツアーに単独参加。周りの人たちからは、どことなく奇異な目で見られましたよ、やっぱり。ほら、パックツアーって家族や友達同士で参加してる人たちばかりですもん。「なんでまた、女が一人で?」みたいなね。
その視線がうっとうしいので、まだ何も訊かれないうちに、「私、一人参加なんですよー。ええ、友達と二人で申し込んでたんですけど、その子が土壇場になって急にキャンセルしなきゃいけなくなったんで。ちょっと寂しいけど仕方ないかなぁって。旅のあいだ、よろしくお願いしますねー」って、適当な嘘をでっちあげ、愛想よく笑顔を振りまいてました。みなさん、それでまあ納得してましたね。ああ、そう、そういう事情ね、と。何かと親切にしてくださった方もいらっしゃいました。
いっそバックパック背負って、「地球の歩き方」式一人旅でも良かったんですが、短期間で、ラクに、安く、効率よく、安全に、旅を楽しもうと思ったら、多少窮屈でもパックツアーがいいんですよね、結局。

その旅の印象は、とっても良かったです。
飛行機はルフトハンザ、直行便はないのでフランクフルトで乗り換え、まずミラノに入って、ベネツィア、フィレンツェ、ローマへと、バスに乗って北から南下するコースでした。
ひととおりのものは見て回りました。小さな町、ロミオとジュリエットで有名なベローナや、ピサの斜塔も見ました。ただ、曜日の関係で、フィレンツェのウフィッツィ美術館に入れなかったのが残念でしたが。
行った町のなかで一番きれいだと思ったのは、フィレンツェ。
でも、一番圧倒されてしまったのがローマでした。
なんといいますか、「この壮大なる歴史の前にひれ伏せ!」と言われているみたい。古い石畳、何百年も前から建っている石造りの家々、巨大なコロッセオ・・・なんというロマンでしょう!
映画「ローマの休日」で有名なスペイン広場や真実の口、トレビの泉、そんなのもまあ悪くないんですが、どうってことないですね、そういうのは。やっぱりローマの偉大さを体感できるのは、ローマ時代からの建造物や歴史を感じさせるものだと思います。
でも、もしも、ローマで見るべきところをひとつだけあげろ、と言われたら、私は迷わず「バチカンのサン・ピエトロ寺院」を強く勧めますね。バチカン市国は、それだけでひとつの国なので、厳密に言うと「ローマ」じゃないのかもしれませんが、べつにパスポートもなんにも必要としません。地下鉄でもタクシーでも行って帰ってこられます。入るのに特別料金も要りません。ただ、サン・ピエトロ寺院を見学するのには、ノースリーブや短パンなど、肌を露出する服装はいけないということです。(宗教的理由で)

京都や奈良には、お寺や神社が腐るほどあるように、ヨーロッパのどこへいっても教会があります。私も旅行するたび、いろんな教会に入ってみましたが、あのサン・ピエトロ寺院はハッキリ別格。なんといっても、カトリックの総本山ですよ。ブラマンテやサッガロのプランもあったそうですが、多くはルネッサンスの巨匠ミケランジェロの設計と言われています。完成までに約150年、法王の依頼により、その時代の偉大な美術家、装飾家、建築家などが、ここでその才を発揮しています。
寺院広場や、寺院自体の大きさにも感嘆してしまうのですが、寺院の中に入ると、石造りの壁や高い天井に抱かれた空気がひんやりとして、装飾は思いのほか渋い色合い、ベネツィアの金ぴかサン・マルコ寺院などより、ずっと地味というか質素に見えます。ですが、その荘厳さ、重々しさといったら!圧倒されてしまいます。入り口から進んで右手に置かれたミケランジェロの「ピエタ像」を見たときには、胸が苦しくなってしまいました。何でしょう、心にずっしりくるあの異様な悲愴感は。
そして、なおも奥へと進んでいったときでした、ちょうどタイミングよく美しいコーラスが聞こえてきたんですね。ミサの時間だったんです。参拝者と観光客を隔てるロープの向こうには緋の絨毯、頭を垂れる人々の奥には豪奢な祭壇、その背後には巨大なステンドグラス、そこに描かれている金色の光の輪のなかを飛ぶ鳩・・・
ツアーで来ている観光客にもかかわらず、私はなぜか感じ入って泣きそうになるのを堪えていました。キリスト教徒でもないくせに。
他の観光客の存在も忘れて、ぼうっと魂を抜かれたように立っていると、どこかでガイドさんの「もうお時間ですので入り口に集合してください」との声が聞こえますが、それでもなお私をとらえて離さない力、その力に圧されて、知らず知らずに両手を胸の前で合わせ、床にひざまずきたくなる、あれが、「場の力」なのです。あんなに強力な「場の力」を体験したのは初めてでした。後ろ髪ひかれる思いで、私はその場を後にしましたが、次の日が終日フリーだったので、また、見えない磁力に吸い寄せられるように行きましたよ、地下鉄でサン・ピエトロまで。はやく一人になりたい、ツアーの人たちと別れて、一人でこの「場」と対峙してみたい、と、何かに憑かれたように思っていました。

翌日、急かされるように私はまた寺院に入りました。
寺院の中の一室では、信者を椅子に座らせて、何かの説法が行われていました。私は開かれたドアの少し内側に立って、そのときはもう思う存分、泣きました。端から見れば、涙をぬぐっている異邦人の私は、何だか「ワケアリ」な感じに見えたでしょう。でも、とりたてて何の「ワケ」もないんです、ただ、無性に悲しく、そのときの自分というものに、自分で憐れみを覚えただけです。それが、「場の力」というものなんですよ。いや、そのときはわかりませんでしたが、あとでそう思いました。
キリスト教というのは、そもそも贖罪と憐れみの宗教。法王が直にお出ましになられ、信者たちが真剣にお祈りに来るカトリックの総本山で、私はおびただしい人の祈りが染み込んだ「場の力」に捉えられてしまったんです。
神がいた、のではないんです。神はいなかった。少なくとも、私には。
神のかわりに、何百年ものあいだ綿々と流された人々の血と涙と祈りの強さだけが、寺院に澱んで固まり、それが独自の引力をもつまでに、じゅうぶん重く育っている・・・私はそんなふうに感じ、そのことに、そのこと自体に、なんともいえない憐れみを覚えました。人間の、その祈りの強さに。祈らずにはいられない、人間という存在に。たとえそれが純粋でも、そうでなくても。
とにかく、バチカンのサン・ピエトロ寺院、一度は訪れてみても損のないところです。

さて、月日は流れ、私は夫とともに2003年、この夏に再びローマを訪れる機会を得たわけですが、やはり、行きたいところと言えば、サン・ピエトロ寺院をおいて他にはありませんでした。
「あの時感じたようなことを、今の私もまた感じるだろうか?」
「夫は果たしてどう思うだろう?」
サン・ピエトロ寺院に行こうと思っていなければ、ローマからイタリアに入らなかったかもしれません。ローマ直行便ができたアリタリアじゃなく、他の航空会社を選んで、トリエステに直接入ったかもしれない。でも、またあのサン・ピエトロ寺院に行きたい。だから、アリタリアでローマへ。
それほど、私には思い入れの深い場所だったんですね。なので、ゆっくりできるように、ローマで二泊することにしたんです。空港に下り立つのが現地時刻で夕方になりますから、初日はホテルにチェックインして寝るだけです。次の日こそ、執着のバチカンへ再び、と計画していたんです。

ところが。

数年を経て、やってきたローマは、私がかつて抱いていた印象とはまるで違っていました。
もー、暑い、汚い、臭い、の三重苦。
ローマで一番大きな駅、テルミニ駅のそばにホテルの予約をとっていたのですが、そこへ行くまでに不快指数うなぎのぼり。とにかく暑い!!
空港に下り立ったとたん、むーっと押し寄せてくる異常な熱気。なにこれ?って感じですよ。
で、空港からノンストップでテルミニ駅まで三十分走る列車があるんです。これに乗ったわけですが、クーラーきいてないんですよ。車内は旅行客でいっぱい、人いきれと熱気がモワーッとたちこめています。ぐっと我慢して、やっと駅にたどり着き、ホテルを目指して歩く間に気づいたんですが、街が汚い!
道端にはゴミが散乱し、建物の下部にはスプレーで派手な落書き。
もう、そのときは疲れてへろへろになっていたので、声も出ませんでしたが。以前も、あんなゴミや落書きなんか、あったかな?私が気づかなかっただけ?それとも、この界隈だけの現象??
ホテルは、わりといいホテルをとっていたので、きれいで快適、エアコンもフルに効いていました。が、水道の水が臭い!!いや、もちろん、イタリアで水道水をそのまま飲もうとは思いませんが、手を洗おうと蛇口をひねっただけで鼻をそむけたくなるほどクサ〜イ。なんなの、あの薬のような匂い?
結局、その日は私も夫も疲れていたので、飛行機の中でもらった食べ物や、夫がちょっと外に出てそのへんの小さな店で買ってきた飲み物やサンドウィッチを食べて、眠ってしまいました。

翌日の朝。
窓を開けてみると、案外と涼しい。なんだ、これなら大阪の夏のほうが、よっぽどキツイよなぁ、ふふん、しょせんヨーロッパの熱波だなんて、恐るるに足らず。たんに、こっちの人が暑さに弱いだけなんじゃないの?などと、いったんは考えますが、それは甘いということを、八時半も回ると思い知ります。
やっぱり暑い・・・
私は時差ボケのためか疲れのためか、少しめまいがして、体調が悪かったので、その朝は食堂に降りていくこともできませんでした。けっこう遅くまでベッドで休んでいて、もう大丈夫かなと思い、着替えて外に出てみました。最初の予定通り、夫とふたり、地下鉄に乗って観光に行こうとしたんですよ。でも、やっぱりダメでした。
灼けるような暑さと熱気、散乱するゴミから立ち上る臭い、すれ違う人々の体臭と香水の甘ったるい匂いが渾然一体となって、うわーっと押し寄せてくるんですよ。歩いて5分くらいの地下鉄の駅までなんとか行って、もうそこで耐えられなくなりました。ダメ・・・もう歩けない・・・倒れそう・・・
ローマの地下って、空調がまったくなくて、熱気が澱んでるんです。そこに人々の香水の匂い・・・なんであんなに暑いのに、あんな甘ったるい香水を振りかけて歩くんでしょうね、向こうの人は。男も女も。
エレベータに乗っても、誰もいないのに香水がプンプンしてるし、人とすれちがって5メートル離れてもまだ匂う。幸か不幸か、鼻の良い私はマジで気分が悪くなってしまう。
私も香水は好きだし、控えめばかりじゃなくて少し強めに香らせたいと思うときもあるけれど、あんなにムッと暑いときに、あんなに甘ったるい匂いを振りまくのは、まさに香害だと思いますね。
暑いのは異常気象のせいで、仕方ないのですが、あの香水臭さだけは理解に苦しみます。

さっさと歩けばたった5分の距離を、死にそうな顔をしてハアハア這いずりながらホテルまで引き返し、それから昼じゅう、クーラーの効いた部屋でずっと休んでました。
きっと、普段からクーラーのかかった快適な場所にしかいないので、体温調節機能がイカレてるんでしょうね、私。だって、ぜんぜん汗が出ないんですよ、暑くても。子供のころは、あんなに汗をダラダラ流して部活やったりしてたのに。これってほんと辛いですよ、熱が身体にこもって発散できないんです。だから、少し外に出て太陽に灼かれただけで、熱射病みたいになってしまう。冷たい水が飲みたいのに、汗が出ないから胃がつかえて飲めない。
夫は私と違って元気なので、一人で観光に行けばいいのに、と何度も勧めたりお願いしたりしましたが、結局行かなかったですね。こんな調子の私を放って、自分だけ観光しに行けないと。ほんと、夫には悪いことしたと思います。彼は、以前、ローマに来たことはありますが、バチカンには行ってないんですよね。だから、私としては、ぜひあれを見てもらいたかったんですが。
私は部屋で休んでいれば一応安全なんだから、行けばよかったのに・・・
でも、そのときの私は、やっぱりかなり体調が悪くて、食事なんかもぜんぜん食べられなかったですから・・・心配するのも無理ないか。

夕方になって、比較的涼しくなったので、すぐ近くの教会まで歩きました。教会はもう閉まってましたが、その前の広場には、なんか、人がたくさんたむろして座ってるんです。バックパッカーや、普通のおじさんたち、若者たち。なんだろうと思いました。
クーラーのない家もあるし、こうやって涼んでいるの?
しかし、ここだけでなく、全体的に人が多いんですね、ローマは。
そのあたりをいくらも歩かないうちに、またハアハアしんどくなってきました。まるでウルトラマンのカラータイマーがついているみたいです。外を歩くのは十分が限界・・・
夕食は、夫が近くの立ち食い喫茶(これもクーラーなんてなし)みたいなところで、またサンドウィッチを買ってきてくれましたが、食欲はまるでなし。
そうそう、コンビニみたいなお店は見あたらなかったですね。で、小さな食品店でミネラルウォーターとか買っても、キリッと冷えてない。たとえ冷蔵庫に入っていたものでも。ホテルつきの冷蔵庫だって、冷気が弱すぎる。これは、この旅で、どこへ行っても感じたことです。普段の夏が涼しいので、冷蔵庫もそんなに冷えなくていいのでしょうか?

旅の初日じゅう、身体の調子がこんなふうだったので自分でも不安になってきたし、夫のほうはもっと不安になったようで、その夜は、私だけ予定変更して、ナポリやトリエステへは行かず、ずっとローマで連泊して静養するか、それとも、いっそ飛行機のチケットをとって帰国するか、などとマジで話してました。
私としては、ひとり置いていかれるのも嫌だし、いまからまた飛行機に乗るなんてしんどいことはできないしという感じでした。なんとかトリエステまで行けたら、そこでは何もせずに5連泊できるので持ち直すかもしれないと望みをつないで・・・
結論としては、明日になってから様子を見て考えよう、と。
翌日は、ローマからナポリへ二時間、列車での移動日。ユーロスターのチケットも買ってあります。テルミニ駅でチケットを買うのは非常に混雑していて時間がかかるというので、わざわざ旅行社で手配してもらったんです。でも、実際にナポリへ行けるほど体力が回復するかどうか。起きてみて、やっぱり身体がもたなかったら、どうしよう・・・
うち沈んだ気持ちで、私はその夜眠りについたのでした。