ホーム > きょうの時鐘


2008年8月24日

 水害多発のこの夏に、遠く京都の宇治川から加賀藩の治水と防災の遺産が掘り起こされた。「太閤堤」と呼ばれる前田利家・利長父子らが築いた堤から石組の庭園跡までが出てきたのである

秀吉が伏見城を築く時に宇治川の大改修をした。410年以上も昔、金沢城の高石垣が登場したころの話である。一口に石垣といっても3種類ある。農業用。治水用。そして城の石垣である。3つは互いに影響し合って技術が進歩した

石垣研究の第一人者である金沢城調査研究所の北垣聰一郎所長の研究によると宇治の「太閤堤」は、城郭石垣の技を治水土木に応用した壮大な遺跡だそうである。江戸時代に何度も宇治川のはんらんで埋まったが、基礎構造はしっかり残っていた

今日の河川管理や堤の構築工法は戦国時代とは比べようもないほどに発達した。が、先の金沢の浅野川はんらんを思えば、先人がこの地に残した治水技術の伝統を学び、その精神を生かす余地はあろう

金沢城は多彩な石垣で知られる。城郭技術が農業土木や治水工事に転用された歴史を語る「生きた石垣博物館」として見直してみたい。


ホームへ