議論で大切なのは勝ち負けでなく損得
世の中にはさまざまな議論があります。特に、学生時代、周囲から「あいつは頭がいい」と言われてきた方や、実直なタイプの方は、つい議論になると、反射的に、「自分の言いたいことを相手にしっかり伝え、真摯に議論を重ねることで真理に到達せねばならない!」と考えると思うのですが、損得で考えると、その考え方が必ずしも最適ではない状況が多くあるので、本当に勝つことが自分にとってプラスになるのかを吟味しながら議論を進めることをオススメします。
たとえば大学受験で学ぶ論説文では、理路整然と、自分の主張を明快に述べているものが多いですし、また、大学のレポートでも、自分の言いたいことをうまくまとめて発表するように言いつけられますが、学生時代に学んだそれらの技術を、そのままの形で仕事に使うと問題が発生することが多いです。
実社会で暗に要求されるのは、感情の後始末がきちんとできた上でのコミュニケーション能力であり、正論を伝えることではないからです。残念ながら、これらの技術は学校では習わないのです。
実社会に渦巻く議論のほとんどが感情論であるにも関わらず、タテマエ上では「議論に感情を差し挟むことは絶対にない」ということになっているから、妙なねじれが起こっているのではないかと思います。
あるいは、理論がカバーする領域を拡張して考えることで、スマートな思考が可能になるかもしれません。人間の「好き」「嫌い」という自然の法則をコントロールできてこそ、真の理論派と言えるのではないでしょうか。
そんなわけで、議論を生活の中に位置づけていくと、必ずしも勝ち続ける必要はないという例を紹介させていただきます。
ワンマン上司には、適度に言い負かされて好感度アップ!
たとえば、企画を通すにあたって、上司と議論するとします。上司も完璧な人間ではないので、たまにこちらの認識の方が正しい場合もありますよね。しかし、上司がワンマンだった場合、ここで論破してしまうと、プライドをいたく傷つけてしまう場合があります。精神的に未成熟な上司の場合、論破されたことを根に持つ可能性もあり、以後、企画が通らなくて仕事が円滑に進まなかったりする可能性もあります。
普通のサラリーマンとして暮らしていきたいのであれば、上司のタイプを見極めた上で、「プライドが高い」と判定された場合、あまり本質的でない部分については、反論が可能であったとしても、「なるほど、その発想はなかった」と膝を叩くなどし、あえて言い負かされておくことで、機嫌を損ねないようにするという手も選択肢に入れておくべきでしょう。週に2回くらい言い負かされておくと、上司の支配欲が適度に満たされて、職場が大変健やかになります。