邪馬台国論争の出発点は、中国の文献『三国志』のなかの、『魏志倭人伝』の記述である。
ところが、最近の邪馬台国論争は『魏志倭人伝』ばなれが、いちじるしい。『魏志倭人伝』に書かれていることと、まったく無関係に、邪馬台国を論じているのである。
『魏志倭人伝』に書かれている事物で、考古学的に検証できるものは、ほとんどすべて、北九州を中心とする地域から出土している。
それでも、かなりな考古学者たちが、考古学的な事実をまったく無視して「邪馬台国=畿内説」をとなえたりしているのである。
『魏志倭人伝』は3度にわたり「女王国」は「伊都国」の南にあった、と記している。「伊都国」は現在の福岡県糸島郡の地である。また、邪馬台国の戸数は、七万余戸であった。
糸島郡の南の、人口の多いところといえば筑後川の流域しかない!!
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