日本人男性がインドで依頼した代理出産をめぐり、トラブルが表面化した。代理出産で7月に誕生した赤ちゃんが、無国籍状態となり、インドを出国できなくなっている。
体外受精には第三者の卵子が使われ、インド人の代理母の子宮に移植された。インドの貧しい女性を産む道具にした、とみられても仕方ない。
生まれた子どもの「親子関係」は複雑だ。将来、この事実をどう受け止めるのか、心配になる。
今回の事例は、代理出産が想定を超えた形で広がっている一端を示している。
妊娠と出産には、命の危険が伴う。そのリスクを第三者に負わせる代理出産は、問題が多い。
代理母となる女性の心身の負担は相当なものだ。危険を承知で引き受けたとしても、それが自発的な意思とは言いきれないケースも想定される。
経済的な理由や、親族が家族関係の中で断れないでいる可能性も排除できない。
日本では、学会の指針で代理出産を禁止している。実際は、海外で日本人夫婦の代理出産が広がっている。国内でも、下諏訪町の根津八紘医師らの手で実施している現実がある。
新しい法律を定めて、禁止するほかない。その上で、限定的に道を開くかどうかを検討すべきだ。
日本学術会議の検討委員会も今春、法律による代理出産の原則禁止を求める報告書をまとめた。
政府と国会の動きは鈍い。代理出産の是非は与党内でも意見が分かれる。
その間にも代理出産の“実績”は積み重ねられていく。論議を急ぐ必要がある。
代理出産をどう考えるかは、個人の生命倫理観や、家族観とも深くかかわる。法制化の作業と並行して、この問題をめぐり、社会の中で幅広い議論がされていくことが重要だ。その際、子どもの福祉を最優先に考えることを忘れてはならない。
生殖補助医療の進歩は著しい。ビジネスとして行われている面もある。経済的な余裕があれば、今や独身者でも子どもを持てる。娘に代わって50代や60代の母親が、「孫」を代理出産した事例も国内で公表されている。
子どもにとって、親とは何か。どんな家族のかたちが望ましいのか。子どもを持ちたいという願いのために、第三者に犠牲を強いることは許されるのか−。立ち止まり、問い返す時に来ている。