共通テーマ:
海外の旅 テーマに参加中!
アウシュビッツアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(独:Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)は、第二次世界大戦中にナチス党率いるドイツ(ナチス・ドイツ)が推進した人種主義的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所。アウシュビッツ第二強制収容所とも言い、ドイツ占領地のポーランド・オシフィエンチム市につくられた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコは二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年「負の世界遺産」に認定した。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。
ドイツ統治下の各地より貨車で運ばれてきた被収容者は、オシフェンチムの貨車駅(1944年5月以降は第二強制収容所ビルケナウに作られた鉄道引込線終着点)で降ろされ、「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられた。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。その多くが「女性、子供、老人」であったとされる。

住環境
gevangenen-auschwitz住環境は非常に劣悪であった。第一収容所はもともとポーランド軍の兵営であったため暖房設備は完備されている。しかし、50人用の部屋を200人で使用した結果、三段ベッドの各段に二人ずつが押し込まれ、その上、掛け布団は汚れて穴だらけの毛布のみであった。
第二収容所ビルケナウは囚人の急激な増加に対応するために急遽建てられたもので、バラックと言うべき非常に粗末なつくりであった。湿地の上に基礎工事なしで建てられたため、多くのバラックには床がなく、また、上下水道が完備されていないため地面は土泥化していた(汚水は収容者が敷地内に溝を掘り、そこへ流した)。暖房は簡素なものがあったが、隙間風がいやおうなく吹き込み、その役目を果たしていなかった。排水がままならない不衛生なトイレを真ん中にはさむ形で8人ずつが寝る三段ベッドが並べられ、マットレスのかわりに腐ったわらを敷いていた。

大量殺害のための施設(ガス室)
Auschwitz gas chamberアウシュビッツでは、日々送られてくる被収容者の効率的な殺害の手段として「ガス室」を研究し、実際に用いたとされる。最初のガス施設(クレマトリウム 1)は1941年頃に第一強制収容所につくられ、実験をかねてまず約800人のソ連兵捕虜・ポーランド人が送られた。後に第二強制収容所に4つのガス施設 (クレマトリウム2〜5)[23]が1943年3月〜6月にかけて、さらに農家を改造した2つのガス施設(赤い家、白い家)[24]の計7施設がつくられたとされる(第一強制収容所のガス室は、後に強制収容所管理のための施設に改造したとされる)。使用されたガスは「チクロンB」であったと言われており、このガスは防疫施設で伝染病を媒介するノミやシラミの退治にも使用された。死体は、ガス施設に備えられた焼却炉や焼却壕などで処分されたと言われている。作業にはゾンダーコマンドがあたった。

人体実験
アウシュビッツナチスの医師たちは、被収容者をさまざまな実験の検体として使った。いわゆる「人体実験」である。エルンスト・グラビッツ、カール・ゲップハルト、ホルスト・シューマンらはスラブ民族撲滅研究のために男女の断種実験、ヨーゼフ・メンゲレは双子や身体障害者、精神障害者を使った遺伝学や人類学の研究を行ったとされる。ほかにも新薬投与実験や有害物質を囚人の皮膚に塗布する実験が行われた。実験で命を落としたものは数百人に及び、生き残った人々にも障害が残った。