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22日の北京五輪シンクロナイズド・スイミングのテクニカルルーティン(TR)で4位に入った日本チーム。水中で舞う8人の中に、交通事故の後遺症を抱えながら競技に打ち込んできた選手の姿があった。石黒由美子(24)。緊張で音楽が聞こえづらかったというが、力強い演技は仲間と息が合っていた。
豊かな表情で演じ切った石黒は「全力でいくという意気込みを前面に出した」とすがすがしい表情で語った。
事故に遭ったのは名古屋市内の小学2年だった91年10月3日。止まっていた母和美さん(52)の車に、暴走車が突っ込んできた。「由美子は血が流れて気を失った。救急車も受け入れ先をすぐ見つけられず、どうなることかと思った」と和美さん。石黒は手足を骨折し、顔面を540針縫った。
リハビリを兼ねて翌92年にシンクロを始めた。女優宮沢りえさん主演のシンクロのドラマを繰り返し見た。アキレス腱(けん)を切ってバレリーナの夢を断念し、シンクロに懸命に励む主人公の姿に自分を重ねた。
顔面まひ、網膜剥離(はくり)、難聴……。みんなのように体が動かないので、離れたところでぽつんと練習していた。
母にも忘れられない思いがある。娘の小学校に授業参観に訪れた時だ。
「おーい、フランケン」
娘をこう呼んだ同級生に詰め寄ろうと思った瞬間、「なーに」と娘は明るく答えた。「本当に強くて明るくて素直な子。事故の恨み言も一切言わない。元気なのが救いだった」と母は振り返る。石黒は壮行会など人前に出る時は、今も笑みを絶やさない。
競技のシンクロはみるみる成績を伸ばした。小学校高学年の部で全国5位。07年夏、スイスオープンのソロで優勝した。年末になって初めて日本代表に加わった。「誰も私が入るとは思わなかったでしょう」。ここでも会心の笑みを見せた。
後遺症はほとんどなくなったが、今も左目は完全には閉じない。石黒は言う。「こんな私でも五輪に出ることが出来る。これからも障害者や苦しんでいる人に勇気を与えることをしていきたい」
雄姿は、この日誕生日を迎えた母ら家族が見守る日本へ、そして世界へ発信された。(内海亮)