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Kakinokiの日記

2008-07-15

深く「共感」した言葉

 よそ様のブログから拾い集めてきた名言集です。

 (※ここにあった本文は削除しました。)



Gazing at the Celestial Blue 』さんの

RE;謎の独り言コメント欄より

仕事で何かを作る時により良いものを作るためには批判しあうだろう、けど、仕事を離れた場では批判しにくいのかなとも思ったのですが…。仕事じゃなくても、作ろうとしているものが民主的な社会という人達の集団なのですよね。空気を読んで批判を控える民主主義って、怖すぎます。 たとえ政治的に対立する立場からであっても、批判をより歓迎すべき立場であるはずではなかったのかと。

([ 2008/01/15 17:16 ] by 碧猫さん)


nagonaguの日記 』さんの

贖罪のヤギ 』より

「批判」は批難とも誹謗とも違う。異なった声が交差し火花を散らし、新たな地平を切り拓く。「批判」は、その対象を世界に向かって展開していく。私は「批判的想像力」を大切にしたい。


模型とキャラ弁の日記 』さんの

価値否定論法 』(4/12) から

基本的に人間は「正しさ」や「一貫性」に対する欲求を持っています。しかし、自らが「正しさ」を得ることが出来ないときや、相手に「正しさ」があり、その「正しさ」を否定できないときや、「正しさ」自体が自らの願望に沿わないとき、手に入らないブドウを酸っぱいと思いたがる有象無象の人間が、不協和を解消するために「正しさ」自体ではなく「正しさ」の価値を否定する論法に飛びつくのです。





HERIKUTSUなる日々(by jabberwock) 』さんの

思考のきっかけは、どこからでもいい(しかし、言っていいことと悪いことがある)』のコメント欄より

わたしは「誰かと感情を共有することは時として不可能だが知を共有することは誰とでも可能なんだ。」ということを信じています。

「感情」と「知性」を対立させて考え「知性」を「暖かい情を阻む冷たいもの」と捉えてしまうことは、たとえば”愛国心”を強要する人々が靖国神社を取り巻く「情」を利用していることの裏表であるはずなのです。

(58〜60 Posted by SIVAさん 2008年04月14日 01:45)



大人を大人として扱って批判されるのは、全くおかしな話です。

 共感とか知性とか言う以前の問題です。

 (76. Posted by ひでさん 2008年04月16日 22:37)




過ぎ去ろうとしない過去 』さんの

非難されると気分が悪くなるのでやめてください 』より

問題は、「激しく非難することは多くの人の反発を生んでしまうので、それをすることは賢明では無い」という論法であり、それを言っている人だ。

 もっと酷いのになると、「バカをバカにするとバカはより閉じこもるのでバカをバカにしてはいけない」と言ったりする。あなたそれ完全にバカをバカにした言い方ですよね!?

社会に対して異議申し立てするということは、その社会が規定している人々の(何らかの)観念をも結局は異議申し立てるということに他ならない。今までの議論で言えばね。それはどうしても人々を不快にさせるのを避けられないのでは無いだろうか。人々を不快にさせることが賢明では無いとすれば、社会への非難も賢明では無いということになり、結局は空気読んで流されているのがいいのだ、ということになる。

つまり、不快にさせるのを恐れて非難をしないのは本末転倒じゃないの、ということなのだけれど。



かめ? 』の

継承されない歴史 』のコメント欄より

私は、誰々が好き、とか、誰々が嫌いという話で、議論がうやむやになることを好みません。

「この人は私のことが嫌いだから、私の言葉を批判するんだ」と思ってしまったら、自分の言葉自体を省みるチャンスを失ってしまいますから。

「この人は私のことが嫌いだから、私の言葉を批判するんだ」と思うことは、自分の言葉の是非を考えることから逃げている、とすら思う。

(32. Posted by gegengaさん 2008年04月17日 22:06)



何らかの事件があって、それを『私はこう見えた』ということは自由である。それは単なる自身の感覚に依拠するものだから、何の根拠も必要ない。だが同時に、自身の感覚以外に何の根拠も持たないため、正しい認識ではない。この場合の正しいとは、『一般性をもって正しい』という意味である。

だから、それを根拠として何らかの言説を述べることは、正しくない。

正しくない言説の披露は、議論にはなりえない。

議論とは正しさを希求する言論活動であるために。

(73. Posted by sutehunさん 2008年04月19日 09:33)



議論するブログであれ、仲良しサロンと揶揄される日記的なものであれ、私たちはそこで有意義で楽しい時間を過ごす事もあれば、苦しく悲しい思いをすることもあります。リアルと同じように。誰かのせいには出来ない。

だから誰かがブログを閉じたことを誰かのせいにするのはいかがなものかとも思います。

それでは水葉さんの判断を尊重されないのではないでしょうか。

(78.79. Posted by ゆうやけぐもさん 2008年04月19日 15:02)



政治だろうがお笑いだろうが、自分の意見を表明すれば、賛意や批判や無関心に晒される。「すばらしい」とか「間違ってる」とか「センスがない」とかね。もちろん、再反論の自由もある。当たり前じゃないか。但し、ルールがある。事実に基づくこと。事実を捩じ曲げた批判は批判じゃない。誹謗中傷であり、それは、ファッショの一里塚。

(117. Posted by BLOG BLUESさん 2008年04月21日 19:02)


玄倉川の岸辺』さん

幻の謝罪要求(2)コメント欄より

大事なのは「自他の区別」「事実と心情の区別」をあいまいにするか、それとも厳密さを求めるかという違いです。自他の区別をあいまいにすれば馴れ合いになり、事実と心情をごたまぜにすれば魔術的思考に陥ります。どちらも見すごせない危険です。

(by 玄倉川さん 2008-05-04 19:55:41)



東海林さだおがいいなぁ』さんより

kojitakenさんへの返信コメント』より

私は、「真の敵」にバカにされちゃうことを恐れます。



東海林さだおがいいなぁ』さんの

ハラスメント(追記1、2あり)コメント欄より

善悪の判断は、酌量すべき事柄も含めて公正になされるべきことです。情状により罰が減ぜられることはあっても、罪が無くなるわけではありません。そうしなければ社会の秩序を保つことができません。


相手を弱者と認めた時点で、自分に高みに立って相手を見下す気持ちがないかどうか、常に自省しなければなりません。また、弱者の側に立つときには、相手を自分の良心を満足させるための道具にしていないかよく考えてみるべきです。


己の不明のために心が傷付くのと、どのような理由があろうとも明らかな悪意により傷付けられるのを混同してはなりません。


悪意に基づく行為とそうでない行為は全く質の違うものだからです。当然、「対話しようとする姿勢」がみえないのがどちらであるかは自明です。

 (2008-07-14 シンシンさん


 次のシンシンさんのコメントからも。

言論が言葉の暴力で実際に封殺される様を目の当たりにして、それを美談だともてはやす奇怪な連中に対して心の中で毒突く


良心の名の下に行われる暴力ほど恐ろしいものはありません。罪悪感を感じずに済むからです。




技術系サラリーマンの交差点 』さん 

「ニセ科学」関連・最終記事 』のコメント欄

批判すれば、反応はあります。意味のある批判に対して理不尽な反応が返ってくることは、いくらでもあります。批判と反応の「内容」をきちんと見ていただかないと、理不尽な反応があることを理由として意味のある批判を否定する、という本末転倒なことになります。

(Posted by: きくちさん  2007.08.29 at 01:12 PM)



模型とキャラ弁の日記 』さんの

正直、内ゲバとは思っていない 』から

感情屋は感情を利用した操作が効き難い人やそういう操作自体を嫌う人がいることを無視して、感情を煽ることで人を操作しようとするから鬱陶しい。


PledgeCrewの日記 』さんの

人は言葉ではなく態度によって評価される 』(7/17)より

差別的言辞を振りまいている人といちゃついている人が、私は差別に反対ですといくら口で言っても、信用されないのは当たり前。


東海林さだおがいいなぁ』さんより

「ハラスメント」後記コメント欄より

批判に対して攻撃的になる、すなわち誹謗中傷するのは、自分に非があるのが分かっていても認められない(指摘されたくない)からです。

2008-07-21 シンシンさん


相手を批判すれば、たとえそれが良心に恥じないものであったとしても、自分の心も傷付くことを覚悟しなければなりません。(中略) 議論に参加した以上、自分が感じた以上の心の痛みを相手にも与えた可能性について、よくお考えになるべきです。

2008-07-21 シンシンさん


「正しい」言説には、論理的に正しい言説と、倫理的もしくは社会通念上に正しい言説があるわけです。太っている人にデブというのは論理的に正しいが、社会通念上は正しくない。

 あえて、谷亮子の容姿や安倍晋三の知性のことには「触れないこと」が「正しい」と思う人と、「正確に評価をすること」が「正しい」と思う人の差でしょう。

2008-07-21 南郷力丸さん


実際に罪を犯した人間よりも、その罪をなあなあで許し、更なる罪をそそのかす人間の方が私は許せません。罪を犯した人間は罰することができますが、そそのかしただけの人間は反省することもなく、またどこかで同じことを繰り返すでしょう。(中略) 結局は被害者だけでなく加害者さえもより不幸にするだけではありませんか。

2008-07-23 by シンシンさん


強者にならなければ弱者は救えません。弱者が真に求めているのは、足を引っ張り合い共に沈む者ではなく、力強く引き上げてくれるものです。強者とは、そういう心の有り様を指すのではありませんか。現状はどうであれ、少なくともそうありたいと願い続けることが、強者と呼ばれる者になるための最低条件だと思います。

2008-07-27 by シンシンさん



不定期更新 思索日記(時々戯れ)』さん

陰謀論批判考外論 炭疽菌事件(試論)コメント欄より

公権力を監視することと、敵視することは全く意味が異なります。私達は、公権力の庇護の下で生きています。それをより良い方向に導くために、常に監視し、正当な批判をする必要があります。これに対して、公権力を敵視し、陰謀論を理由に理不尽な非難をする行為は、自分自身の首を絞める行為です。相応の覚悟が求められる行為です。

2008-08-10 by シンシンさん



陸の上より海がいい』さん

騎士団関係者のみなさまへ 3コメント欄より

・権力は常に卑劣なことをやる、だから我々も同じことをやっていいんだと考えるのでは、抗議の言葉を空しくするだけです。ましてや、「平和と共生を求める」運動の担い手がそれをやっていては、自らの首を絞めることになる

・いかに「悪法」であっても多数派が支持する限り成立してしまうでしょう。多数派工作のために国民へ向けては、「世の中にはこんなひどいことがまかり通っているから法で取り締まらなければならない」といった宣伝がなされるのが常です。

だから我々はそうした宣伝に説得力を持たせるような行為(=権力に付け入る隙を与えるような行為)を、自らに厳しく律しなければならないと思うのです。

2008/08/11 00:54 by さつきさん

hide_kakuregahide_kakurega 2008/07/15 20:43 いいコメントって、リアクションしにくいんですよね。
だから、なるたけはその言葉を自分に活かした形でお返ししたいと思っている。
「うん!その通り!」ってつまんないですからね。

この騒動のおかげで、私に好かれた人は多いです。

taraxacum_offtaraxacum_off 2008/07/15 23:57 >ちょっとだけ、何もかもがいやになった。

>少し気を取り直して、もう一度トライ。

がんばるのよ。

north-polenorth-pole 2008/07/17 11:11 出た!必殺「「がんばるのよ」攻撃!(笑)

KakinokiKakinoki 2008/07/17 12:05 ■hide_kakurega さま
 実は ひでさんの 『大人を大人として扱って批判されるのはおかしい』という内容のコメントも、いたく共感したのですが、いつ・どこに書かれたものか覚えてなくて・・・『業務連絡』しようかと(笑)


■たんぽぽさま
>がんばるのよ。

はい! がんばります! たんぽぽ姫!!







(わくわく・・・ もうええって!?)


■north-pole さま
 「たんぽぽさん」といえば「がんばるのよ」
 「がんばるのよ」といえば「たんぽぽさん」
 ってくらい定着しましたね(?)

HANAHANA 2008/07/18 00:02 あの...たんぽぽさんのブログですが私Sなんで言ってもいいですか?
もう言いたくて仕方ないんですけど
もう思いっきり心ゆくまで書きたいのですけど...
皆さんに嫌われるのとたんぽぽさんに迷惑がかかるのが怖いので我慢します...

KakinokiKakinoki 2008/07/18 00:49 ■HANAさま
 ここのコメント欄はお好きに使ってくださいね♪ 
 というのは以前にも書いた通りです。

 書かれたものを読んで、批判すべきと思ったら批判しますし、削除すべきだと思ったら削除します。書いた人のことを嫌いだと思ったら、素直に嫌いにもなります。「そうならないから書いて」とは言いません。が、「そうはならないような気がする」とは言います。
 たんぽぽさんへの迷惑は・・・私にはなんとも言えませんが、かの方が今たんぽぽさんにかけている以上のものですか?

taraxacum_offtaraxacum_off 2008/07/18 00:58 HANAさま、こんにちは。

さきほどは、わたしのところへコメント、ありがとうございます♪
(すごいでしょ、あれ。(笑))

ほかのみなさまは、どう思うかわからないけれど、
(たぶん、だいじょうぶなのとちがう...?)
わたしは、ぜんぜんかまわないですよ。
言いたいことがありましたら、どしどしコメントくださいね。

taraxacum_offtaraxacum_off 2008/07/18 01:00 ああ、柿の木さまも、コメントありがとうです。
言いたいことが、まだあったら、どんどんコメントくださいね。

HANAHANA 2008/07/18 02:49 あ〜柿の木さん ゴメンナサイ!スイマセン!

愚痴を言ってしまって 私甘えてました。
あやうく魔性のブラックHANAになるところでした...

ムズムズするほど書きたいけどそれをやっちゃっちゃあ〜
「ご0さん」と同じ所に堕ちてしまいますね...
(この間もちょちょんまげさんのところで反省したばかりなのに)

たんぽぽさんもコメントありがとうございます。
怒りに流され徹底的に悪態を書きたい衝動に駆られてましたが冷静になりました。
私のコメントで怒りをあおったら更に粘着する可能性がありそうなので止めておきます。

柿の木さんとたんぽぽさんにちょっと気持ちを聞いていただけたので楽になりました。
未熟者で申し訳ありません。
ありがとうございました。

hide_kakuregahide_kakurega 2008/07/18 22:43 私のコメントは、どうでもいいです(笑)
でも、一応ありかを書きますと、あれはjabberさんのところ
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51263334.html
に書きました。

書を守るもの書を守るもの 2008/07/19 13:05 >柿の木さん
他薦はありでしょうか。hokusyuさんの名言があるのですが。

”だからこそ、非難は賢明では無いと言われるなのだろう。確信犯的に行われているシステムに対していくら声をあらげても、それは人々を不快にするだけである。人々を味方につけたければこのシステムを利用するしか無い、と。”
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080129/p1より。

KakinokiKakinoki 2008/07/19 23:13 ■HANAさま
 いえいえ、こちらこそ、なんだか素っ気ない返事になってゴメンナサイ。
 書こうかどうしようかと迷われる時点で、すでに慎重 & 冷静な判断をされてるわけですから、内容についてはなにも心配していませんでした。「どうぞどうぞ、書いてください」と言っちゃっても良かったです。
 ただ、こんな過疎地のちっちゃなブログでも、世界に公開された場である以上「何でもアリ」ってわけにもいかないので、そのことを自戒の意味もこめて確認しておきたくて。
 HANAさんの、激しくもコントロールのきいた表現が大好きです。


■hide_kakuregaさま
 おおっ、ありがとうございます!

>大人を大人として扱って批判されるのは、全くおかしな話です。
>共感とか知性とか言う以前の問題です。

 そうそう、これこれ!
 これを読んだとき、1月の『騒動』からずーっと心の中でモヤモヤし続けていたものの正体が分かって (変な言い方ですが) とてもスッキリしたのを覚えてます。
 「弱いもの」をいじめて「弱いものいじめだ」と非難されるのは仕方がないけど、弱くなんかない大人を、それも人格ではなく「論」を批判して、まるで「弱いものイジメ」をしたかのように言われるのは絶対におかしいですよね。
 ということで、当記事に引用させていただきますね。
 ありがとうございました。

KakinokiKakinoki 2008/07/20 00:57 ■書を守るものさま
こんにちは、コメントありがとうございます。
(私が「共感」を覚えた言葉という)記事の趣旨から言って、
他薦というのはちょっぴり違うような気がしますが、
ご推薦の記事には大いに「共感」を覚えましたので、
ありがたく追加させていただきました。

felis_azurifelis_azuri 2008/07/22 22:56 ぜひ m(__)m
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-15.html#comment325

north-polenorth-pole 2008/07/23 16:36 さんせー↑

あと同じところのシンシンさんのコメントも。

KakinokiKakinoki 2008/07/24 10:53 ■felis_azuriさま
 南郷さんのコメントは、さすが!! ですよね。
 
 ・・・ただ、たこ焼きの話から引用すべきか、最後の3行「だけ」引用すべきか、『概念を共有するためではなく、立場を示すだけ自分の妄想に浸るためだけのコミュニケーションというのが存在する』という、あんまり面白くないところ(!)を引用すべきかで悩んでしまってます。



■north-poleさま
 シンシンさんのコメントは引用しやすいので助かりますね♪
 (ってそーゆー問題じゃ・・)

 他人を「病気」扱いすることは「見下し」であり、「差別」でもあり、とんだ「思い上がり」だという north-poleさんのご意見にも激しく同意、でございました。

>もう少し「ことばの意味や使いかた」について敏感であっていただきたいです。

 に至っては、首を振りすぎで鞭打ち状態です。(謝罪を要求したい気分・・)

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