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【スポーツ】

悪夢克服うれし泣き 吉田「苦しかった」

2008年8月17日 朝刊

 世界の頂点に立っても泣いたことのない吉田沙保里が涙した。日の丸が一番高く、揚がっていく。「本当に苦しかった」。表彰台では、この7カ月の日々が思い出された。

 「無敵の女王」の敗戦は突然やってきた。今年1月19日、中国・太原で行われた国別対抗戦のワールドカップで無名のバンデュセン(米国)に敗れた。2001年12月から積み重ねてきた国内外の連勝が119で途切れた。外国人相手に限れば、13歳で国際大会に出場して初めての敗戦だった。

 泣き崩れた。外国選手に負けなしが「生きがい」とまで言ってきた吉田。しかも、得意技のタックルを返されての敗戦。目をつぶると、返されたシーンが「グルグル回る」。寝られない日が続いた。

 心の穴を埋めてくれたのは周囲の人たち。母幸代さんは語りかけた。「あなたに負けた119人も悔しい思いをしているんだよ」

 記憶を手繰れば、涙に暮れた太原の試合会場で肩をたたいてくれたのは国内の好敵手、坂本日登美。「北京で金メダルを取ればいいんだから」。吉田に五輪出場の夢を奪われた相手だった。

 当時、五輪出場の可能性が土壇場に追い込まれていた柔道の井上康生からもメールが届いた。「おれが言える立場じゃないけど、頑張ろうな」。短いが、気持ちがこもったメールに心が熱くなった。

 「たかが1回負けただけなんだ。次、頑張ればいい。五輪に出られるだけでも幸せなんだ」。心から思えた。

 津市の実家では、父栄勝さんが教える自宅のレスリング教室で、子どもたちが怒られ、泣きながら、相手にぶつかっていく姿をみつめた。吉田も3歳から、車庫を改造しマットを敷いた教室で厳しい父からタックルを教え込まれた。5歳で初めて出場した小さな大会は負けた。競技人生は負けから始まったことも思い出した。

 負けたからこそ、気づかされたことが多かった。悪夢をふりほどき、タックルの基本を学び直した。

 この日、教えを請う中京女大監督の栄和人コーチがワールドカップの銅メダルを会場に持ち込んだ。愛知から内緒で持ってきた悔しいメダル。試合前に吉田に見せて言った。「この悔しい思いを晴らしてくれ」。吉田は黙ってうなずいた。あの敗戦から210日目。師弟にやっとうれし涙が流れた。 (高橋広史)

 

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