こんにちは。ディレクターの方の谷口です。
前回『顧客対応の超基本「○○はできます、しかし△△日かかります」』では、クライアントに対して、必要な作業日数をちゃんと要求するという話でした。今回は、「こだわり」という視点で注意が必要なポイントを書きたいと思います。
【01】望まれていないこだわりを押し付けない
クライアントによって大きく違うのは、納品物に対して、どこまでのこだわりを求めるか、ということです。というのは、往々にして、クライアントは、あまり細部にはこだわらないから早く納品してほしい、という場合が多いからです。
この場合、制作側は基本モノづくりの人間なので、細部にこだわって時間がかかってしまい、結果としていいモノはできたのに、クライアントの満足度は低い、ということがよく起ります。
モノづくりにこだわりはつきもので、いいモノを作りたいという願いは変わりません。ただ、そのこだわりがクライアントとずれている場合、ひとりよがりの悲劇しか生まれません。また、そこで折り合いが付かない人は、そもそも受託をやらない方がいいでしょう。
【02】夏目漱石の職業感
夏目漱石の講演で「道楽と職業」というのがあります。ここででてくる「職業」は、クライアントあっての制作に携わる人には、必見の心構えだと思います。
【03】こだわりたいなら自分でやれ
反対に、純粋に自分のこだわりを生かしたい、という場合は、自社サービスに向いています。
ディレクターブログで以前「受託開発事業から自社媒体事業へシフトするための意識改革のポイントとは?」という記事もありますが、ライブドアでは、自社サービスを開発する場合と、クライアントあっての制作があり、それぞれの場合の心構えは違います。
自社サービスに携わるには、前述の「道楽と職業」のなかで出てくる、言葉は悪いですが、漱石のいう「道楽」のような、内面的な欲求に基づいてつくる必要もでてきます。
上記はちょっと極端ですが、自社サービスの場合、制作者になんらかの内面的な思い入れがないものは、ユーザーの内面にもヒットしない、という落とし穴があるようです。
【04】おわりに
今回、わかりやすく分けて述べましたが、クライアントありきでも、クリエイティブの高さが要求されるものには、制作者の内面的な欲求に基づかないとヒットしないものもあります。
言いたかったのは、仕事によって、自分の内面的なものが求められる場合と、まったく求められない場合があり、そこを読み違えないほうがいい、ということです。ただ、自分の内面的なものを生かすのは愉快なことで、スキあらばこっそり差し込むのにこしたことはありません。チャンチャン。

前回『顧客対応の超基本「○○はできます、しかし△△日かかります」』では、クライアントに対して、必要な作業日数をちゃんと要求するという話でした。今回は、「こだわり」という視点で注意が必要なポイントを書きたいと思います。
【01】望まれていないこだわりを押し付けない
クライアントによって大きく違うのは、納品物に対して、どこまでのこだわりを求めるか、ということです。というのは、往々にして、クライアントは、あまり細部にはこだわらないから早く納品してほしい、という場合が多いからです。
この場合、制作側は基本モノづくりの人間なので、細部にこだわって時間がかかってしまい、結果としていいモノはできたのに、クライアントの満足度は低い、ということがよく起ります。
モノづくりにこだわりはつきもので、いいモノを作りたいという願いは変わりません。ただ、そのこだわりがクライアントとずれている場合、ひとりよがりの悲劇しか生まれません。また、そこで折り合いが付かない人は、そもそも受託をやらない方がいいでしょう。
【02】夏目漱石の職業感
夏目漱石の講演で「道楽と職業」というのがあります。ここででてくる「職業」は、クライアントあっての制作に携わる人には、必見の心構えだと思います。
「職業について」
職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて他を目安にして働かなければならない。要するに取捨興廃の権威共に自己の手中にはない事になる。したがって自分が最上と思う製作を世間に勧めて世間はいっこうかえりみなかったり、自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日のごとく要求をほしいままにしたりすべて己を曲げて人に従わなくては商売にはならない。
【03】こだわりたいなら自分でやれ
反対に、純粋に自分のこだわりを生かしたい、という場合は、自社サービスに向いています。
ディレクターブログで以前「受託開発事業から自社媒体事業へシフトするための意識改革のポイントとは?」という記事もありますが、ライブドアでは、自社サービスを開発する場合と、クライアントあっての制作があり、それぞれの場合の心構えは違います。
自社サービスに携わるには、前述の「道楽と職業」のなかで出てくる、言葉は悪いですが、漱石のいう「道楽」のような、内面的な欲求に基づいてつくる必要もでてきます。
「道楽について」
ただここにどうしても他人本位では成立たない職業があります。それは科学者哲学者もしくは芸術家のようなもので、これらはまあ特別の一階級とでもみなすよりほかに仕方がないのです。哲学者とか科学者というものは直接世間の実生活に関係の遠い方面をのみ研究しているのだから、世の中に気に入ろうとしたって気に入れる訳でもなし、世の中でもこれらの人の態度いかんでその研究を買ったり買わなかったりする事も極めて少ないには違ないけれども、ああいう種類の人が物好きに実験室へ入って朝から晩まで仕事をしたり、または書斎に閉じこもって深い考に沈んだりして万事を等閑に附している有様を見ると、世の中にあれほど己のためにしているものはないだろうと思わずにはいられないくらいです。
上記はちょっと極端ですが、自社サービスの場合、制作者になんらかの内面的な思い入れがないものは、ユーザーの内面にもヒットしない、という落とし穴があるようです。
【04】おわりに
今回、わかりやすく分けて述べましたが、クライアントありきでも、クリエイティブの高さが要求されるものには、制作者の内面的な欲求に基づかないとヒットしないものもあります。
言いたかったのは、仕事によって、自分の内面的なものが求められる場合と、まったく求められない場合があり、そこを読み違えないほうがいい、ということです。ただ、自分の内面的なものを生かすのは愉快なことで、スキあらばこっそり差し込むのにこしたことはありません。チャンチャン。
コメントする