« 水は低いところに流れる | 表現型は輸入できない »

2008.08.21

文化は誰のものか

医師がまだ「プロ」として認知されてた大昔、自分たちは病院内で自由に振る舞って、 患者さんは慎み深く、トラブルなんてなかった。

技術だとか、知識だとか、彼我の差は圧倒的で、だから病院は聖域であり得たし、 トラブルが起きたところで、もしかしたらたぶん、患者さんには、それがトラブルであると認識出来なかった。

時代は進んで、いろんなことがやりにくくなった。

患者さんの突っ込みは厳しいし、「自由に振る舞う」なんてとんでもないし、 どんなトラブルも、それが起きたその時点で、そこにいる全ての人が、 「トラブルである」と認知するようになった。

時計の針を逆に回すやりかた。

知識は追いつかれる

「知」というのは、それが知であるためには記述可能で、再現可能でないといけない。

知識は広まって、模倣されて、広まるが故に、いつかありきたりになって、追いつかれる。

進歩のスピードは、維持できない。

自分が医師になって10年ちょっと、当時流通していた薬は、今でも全て現役で、 この10年間、「新薬」として発売された多くの薬は、明日からなくなっても、あんまり困らない。

要素技術のほとんどは、自分たちの手を離れてしまった。「画期的な新薬」は、 それを開発するのも、販売するのも、検証するのも、基本的には全部薬屋さんの仕事。 人工呼吸器の設定だとか、追加機能だとか、自分たちが「こうしてほしい」なんて要望上げても、 それを取捨選択して、実装するのはメーカーの人達。

医師自身が試験管振るって新薬作ったり、人工呼吸器試作したのは、もう何十年も昔。 医師はたしかに「えらい」けれど、権威は拡散して、要素技術は他人のものになった。

医師は薬に詳しいけれど、薬学の人とか、生化学の人とか、もちろん医師よりももっと詳しい。 医師は安全を重んじるけれど、工場のラインを設計している人が病院をみると、 あまりのずさんさに卒倒しそうになるらしい。

権威を知識量に求める今までのやりかたでは、もはや現場を守っていけない。

先駆者の優位は「逸脱」できること

マーケットを支配していた先駆者は、知識それ自体に頼っているだけでは市場を牽引できない。 先駆者はそのうち追いつかれて、価格競争や品質競争に巻き込まれて、 競合者に打ち倒されてしまう。

技術を伸ばすには限界がある。マーケットを支配することが出来た人は、だから今度は、 自ら築いてきたマーケットそれ自体を攻撃することで、自らルールを逸脱して、 競合者との距離をとる。

例えば自動車の技術は模倣可能で、競合者を生む。地上で初めて自動車を走らせた会社は、 たしかにすごい技術を持っているけれど、商品は、発売されたその時点で解析されて、 新規性を失ってしまう。

デザインやスピードの競争、価格の競争は不毛で、どこかで競合者に追いつかれる。 「我が社には技術があるから」なんて思考停止するのは悪手であって、時には先行メーカーが敗北して、 マーケットを競合者に奪われる。「我が社」の本当の強みというのは、道に車を走らせたことそれ自体なのに

先行メーカーは、自らのマーケットを攻撃することで、こうした不毛な競争を避けることが出来る。

「自動車は資源の無駄遣い」だとか、「自動車こそは環境破壊の元凶」だとか。

こんな広告は、競合者にも、もちろん先駆者自身にも不利に働くけれど、「攻撃」のタイミングも、 その攻撃対象も、先行メーカーは全て自分たちで決められる。攻撃者は、自分自身なのだから。 「攻撃」を行うその前に、先行メーカーは燃費のいい車だとか、環境に優しい材料で作った車だとか、 十分な備えを行うことが出来る。競合者は攻撃を読めないから、優位はいつまでも揺らがない。

録音するといいと思う

医師にはもはや、「技術的な優位」なんて残っていない。

あらゆる要素技術がメーカー開発になっている現在、医師が提供しているものは、 要素を集めたパッケージであって、パッケージを作るためには、複雑な知識は必要ない。 免許があるから「競合」は発生しないけれど、権威はもはやそこにない。

病院の中に入ったら紳士的に、医師を気遣うよき患者でいましょう」なんて貼り紙を貼ったところで、 もちろん何も変わらない。

もともと紳士的だった人は、貼り紙読んで「馬鹿にするな」と怒るだろうし、 紳士から遠い人もまた、貼り紙読んで大笑いして、やっぱり何も変わらない。 「自由な医師と、紳士的な患者」なんて、良かった昔を再現しようと思ったならば、 それを目標にするのではなくて、ルールを変えればいい。

ただ一言「この施設内での会話は全て録音されています」とアナウンスするだけで、 「よかった昔」は、たぶんすぐに再現できる。安全性向上のためだとか、お互いの正確な意思疎通のためだとか、 「録音」を行う理由はいくらでもある。今の時点でも、病院にはあらゆるベッド、あらゆる外来にマイクがあるから、 設備はすでに整っていたりする。

今も昔も紳士的であった人は、録音の有無で振る舞いを変える必要はないはずだし、 酔っぱらって絡む人とか、理不尽なクレームつけてくる人だとか、「録音してます」なんて 貼り紙読んだら、たぶん不自然な気遣いを始めてみたり、墓穴掘って翌日後悔したり、 いずれにしても、状況は望ましい方向に変化する。

録音は公平。一部の患者さんは、もちろん録音ルールで不利益を受けるけれど、 それは我々だって一緒。病院内の全ての場所で録音が始まれば、もちろん患者さんの悪口だとか、 陰口だとか、それらも全て録音されて、請求があれば公開される。

ルールというのは、公平でシンプルであればあるほど、お互いの能力差が、決定的な差として露呈する。

医師だってだから、録音ルールに耐えられない人は淘汰されてしまうけれど、我々はルールを作る側。 「録音されている環境」は、練習して適応することが出来る。医療従事者は、 録音環境におかれてもなお、自由に振る舞うやりかたを身につけることができるはず。

とりあえず裁判は一段落したけれど、それでもなお、「だから全ての医療行為について免責せよ」は、 やっぱり通らない。むしろ「新しい環境で、お互いを健全に縛りましょうよ」のほうが正しい。

文化は誰のものか

医療の業界には、「安全」だとか「丁寧さ」なんかが求められるようになった。

安全性高めるために、航空会社の偉い人が大学に天下ったり、「接客マナーを向上しましょう」なんて、 ホテルの接遇コンサルタントが講習会開いてみたり。

「安全」も、「丁寧」も、本来は医療のものなのに、病院には、医療以外の「専門家」が 大挙して、自分たちの文化を病院に持ち込もうとする。航空業界も、ホテル業界も、 たしかに「安全」「丁寧」のプロかもしれないけれど、背負ってる文化はやっぱり違う。 うち業界だって、そんなもの突っぱねればいいのに、偉い人達は、 どうしてだかそんな異文化を、ありがたく、無批判に受け入れる。

「録音環境」が出来たとして、そんな場所での振る舞いかたには、航空業界とか、ホテル業界の ノウハウは役に立たない。文化的な接点求めるなら、そんな空間は、むしろネット世間に似ている。

無難なことばっかりしゃべってもアクセス増えないし、いいかげんなこと口走ったり、 事実と判断との切り分けをきちんと出来ないと、そこを突っ込まれて炎上する。

ある程度の面白さ、わかりやすさを維持しつつ、ひどい「炎上」を回避しながら、 なおも病院に立ち続けるやりかた。そんなノウハウを蓄積することは可能だし、 その方向に舵切ることで、この業界の文化はまた、医療従事者の手に戻ってくる。

業界が奉じる価値観、文化のコンセプトそのものを変えることは、 最大手か最古参だけに許された特権。

文化というのは、他の業界が立ち入る場所ではないはず。

病院が、自ら文化を背負う存在であり続けるために、自らに攻撃を仕掛けるやりかた、 医師自身が、今いる場所をより厳しく、より厳密な振るまいが求められるようなルールを作っていかないと、 文化の担い手としての医師の居場所は、病院から無くなってしまう気がする。

Trackback URL

Comment & Trackback

すべてが記述可能になってそれが流布すること=情報化、というのは、そもそも文化云々ではないように思いますが。

ソース思念しましたが、あるノーベル賞の受賞者が言った言葉「私がしたことはアナロジーにすぎない」。つまり、表象は異なったように見えても、問題構造はさして変わらないものだ、という話です。

異業種からの表象的なノウハウに嫌悪感がおありのようですが、それは文化的なものへの侵略というより、単に、問題構造を理解した上での、現場適用がきちんとされていないだけに見えます。それを、文化侵略と表現するのは、いささか過剰反応に感じます。

ただ、お話として、業界が業界を責める構造というのは腑に落ちる話でした。ただ、これは多くの場合、イノベーションを妨げる方向に左右することが多いように思います。

[録音するといいと思う]
まさに私がぼんやりと考えていた発想と同じで同感いたしました。

救急外来の録音大賛成。

[…] 文化は誰のものか - レジデント初期研修用資料 (tags: medical knowledge culture society) […]

ありがとうございます。。

Comment feed

Comment





XHTML: You can use these tags:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>