経済危機のさなかにオリンピック、戦争の反省と、忙しい夏休みだ。だがワンパターンで失敗したストーリーが目につく。
福田内閣は改造すると、景気判断は「踊り場」から一転して後退を認めた。これまでどの内閣も、自分が政権にいる間は好景気が続く、という願望がいつしか自己目的化し、厳しいデータから目をそむけるのが常だった。判断を変えるのは首相や担当大臣が代わってからになり、景気はとっくの昔に後退、というパターンを今回も繰り返した。
サブプライム危機では、アメリカも日本と同じパターンになった。住宅価格は上がり続けるという願望がいつしか常識になり、ローンを証券化し、安全・高収益と称して世界にばらまいた。住宅価格下落のデータから目をそむけ、金融危機をエスカレートさせた。
日本の戦争の失敗のパターンを反省していると、アメリカの対テロ戦争とだぶって見えてくる。日本は聖戦だから必ず勝つという願望が国家目的となり、負け戦に目をそむけ大敗した。アメリカも正義は必ず勝つという願望に目がくらみ、事態を泥沼化させた。
そしてオリンピック。日本選手は金メダルを必ず取るという本人と周囲の願望が強過ぎ、金縛りになる傾向が見られた。ワンパターンで精神的、肉体的に追い詰められたり、自らを追い詰め過ぎたりすると、いいことはない。逆に、伸び盛りだったり、苦境を乗り越えたりする選手は、判断や行動に余裕があり、自分の力以上のものを発揮していた。
何事も自分に都合のよい願望に縛られるとワンパターンな判断や行動になり失敗する。それを克服するには、人間の幅を広げることが第一だ。(曙光)