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チボリ最終章:/上 迷走の着地点 名称消え、公園に暗雲 /岡山

 倉敷チボリ公園を運営するチボリ・ジャパン社(チ社)の取締役会が6日、開かれる。本家デンマークのチボリ・インターナショナル社(TI)との本契約解消から1年。暫定使用しているチボリの名称も年内で消滅する。事業廃止、チ社清算への流れが加速する中、将来の公園像は、県、市、チ社……それぞれの思惑をはらんだまま、いまだに定まらない。迷走するチボリの着地点を探った。【山崎明子】

 「(チボリの名称返上で)事業展開の自由度を得た」。開園10周年(07年7月18日)を目前にした同9日、チ社の坂口正行社長は会見で胸を張った。入園者減と累積赤字の拡大を背景に、チ社は同年春、TIとの契約を更新しない方針を決め、本契約終了に伴い、チボリ名称の暫定使用などを含む移行期間契約をTIと結ぶ。「ポスト・チボリ」を巡る議論が本格化した。

 そもそもの出発点は、06年3月末に県が打ち出した県民・市民公園化と指定管理者制度の導入。チ社はこの方針を前提にTIと交渉に入るが、大型遊具を中心に5カ年で36億円の設備投資とチボリ事業の継続を求めるTIと議論がかみ合わず、交渉は決裂する。

 加えて誤算だったのはチボリの名称。坂口社長は「チ社が運営を続ける限り、名称使用は可能」ととらえていたが、TIは本契約終了後、名称などの返還を求める。移行契約により、名称は08年末で消えることになった。冒頭の発言は、提携にあたり厳格な規定を設けたTIの“くびき”から解放される坂口社長の本音と言える。

 ところが、チ社会長の石井正弘知事は、逆の判断をする。チボリブランドが消えれば、県の広域観光拠点としての意義が変わり、県事業としての目的も失われる--。そうした状況下で、知事が公園の主体的な運営を託そうとしたのが公園を抱える倉敷市だった。

 9月5日、古市健三市長(当時)を訪ねた石井知事は市民公園化の検討を要請する。古市氏は“市の顔”でもあるチボリ公園を「まちづくりに必要不可欠」とする一方で、「新たな税金投入はしない」と繰り返してきた経緯がある。知事は市民公園化に伴い、「5年間、2分の1」の地代負担という譲歩策を示すが、市長は申し入れを拒否。知事も12月の取締役会で地代負担打ち切りを公言、公的支援を絶たれたチボリ運営の“押し付け合い”が始まることになる。

 県と市の交渉を見守ってきたチ社の岡荘一郎監査役は、「古市氏は何らかの支援策を探ってはいた。しかし、知事と市長は率直な意思疎通ができていなかった」と振り返る。さらに、こうしたコミュニケーション不足が、チボリ公園問題をめぐる当事者間の確執を深め、問題の混乱に拍車をかけた。

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 ◇倉敷チボリ公園の入園者推移と累積損失

     入場者 数累積損失

    (万人) (百万円)

97年度※298  1068

98年度 294  1448

99年度 238  2601

00年度 181  4542

01年度 134  7202

02年度 116  7378

03年度 109  7586

04年度 110  7881

05年度  91 11352

06年度  81 13795

07年度  75 14362

※97年度は97年7月~98年3月

*単位未満切捨て

*05年度から減損会計導入

毎日新聞 2008年8月5日 地方版

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