2008年08月20日 (水)時論公論 「産科事故裁判からの問いかけ」

飯野奈津子解説委員

<イントロ>
こんばんは。ニュース解説時論公論です。今夜は、医療現場に大きな波紋を広げた、産科事故をめぐる裁判についてです。帝王切開の手術で無理な処置をして女性を死亡させたとして、刑事責任に問われた医師に、無罪判決が言い渡されました。この判決の意味と、裁判を通して見えてきた課題を考えます。

 

<事件の内容>
まず、この事故の内容です。
事故が起きたのは、福島県の県立大野病院です。2004年の12月、当時29歳だった女性が、帝王切開の手術を受け、赤ちゃんは無事生まれましたが、その後女性は大量に出血して、死亡しました。翌年の3月、県の委員会から、医療ミスがあったとする報告書が公表され、それをきっかけに警察の捜査が始まりました。そして、その翌年の2月、執刀した医師が、女性の胎盤を無理にはがし、大量の出血を引き起こして死亡させたなどとして業務上過失致死と医師法違反の疑いで逮捕・起訴されたものです。

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<注目された事件>
この事件が医療界に衝撃を与えたのは、治療における医師の判断そのものが過失に問われたからです。このため「明らかな過失がないのに、医師を逮捕するのは不当」だという抗議が全国の医療関係者から相次ぎました。そして、この事件以降、お産を扱う医療機関が減り、救急などの現場でも難しい医療を敬遠する動きに拍車がかかったといわれています。懸命に治療に当たっても、予想外で重大な結果になったら、犯罪者にされてしまうとうけとめられたからです。

<裁判の争点と判決>
果たして司法の場でこの事件が判断されるか、注目された裁判の内容です。
亡くなった女性は癒着胎盤という危険な状態でした。通常は、出産の際へその緒を引っ張ると胎盤が子宮から剥がれ落ちますが、この女性は、胎盤が子宮にくっついた状態だったということです。裁判の争点は大きく二つ。

▲ひとつは、癒着胎盤という危険な状態だと、手術の前に予測できたかどうかという点です。検察側は「事前の検査で予測できたはずだ」と主張。被告の医師側は、「きわめてまれな症例で予測できなかった。」と反論していました。

▲もうひとつが、手術を始めて癒着胎盤と分かってから、そのまま胎盤をはがす処置を続けたことが適切だったどうかです。検察側は「大量出血は予測できたはずで不適切。すぐに中止して子宮ごと摘出すべきだった」と主張しました。これに対して医師側は「最後まで胎盤をはがした方が、出血が止まりやすくなる。日本の医療水準に則した適切な処置だった」と反論しました。
判決では医師側の主張通り、手術前に予測するのは難しかったとした上で、処置を続けたことについても、大量出血の可能性は予測できたものの、当時としては医療水準に即したものだったとして、無罪判決を言い渡しました。

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<判決の評価>
今回の裁判は、投薬の量を間違えたり、カルテを改ざんするといったこれまでの医療事件と違って、どういった治療を選択するのかという、医師の裁量について、過失の有無を判断する珍しいケースです。その中で医師に刑事罰を科すのは、「ほとんどのの医師が行う、一般的な診療を怠った場合に限られる」という基準を示したのが、特徴です。

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つまり、臨床経験の多い複数の医師が、「自分であっても同じ処置をしたと思う」と証言したことが、無罪判決につながったといえるわけです。こうした基準が示されたことで、医療現場は結果が重大であっても、一般的な診療を行っていれば、刑事責任に問われることはないと受け止めています。これから検察が控訴するかどうか、わかりませんが、「無罪判決が出てほっとした」という声が聞こえてきます。

<事故の課題>
しかし、裁判で無罪判決が出たからといって、今回の事故に問題がなかったわけではありません。刑事責任を問うほどの過失がなかったとしても、遺族にとっては見過ごせない問題がありますし、医療界の反応にも納得できない部分があるからです。
その医療界からの反応。大きく二つあります。

▲ひとつは、「警察や検察の介入は、医療崩壊に拍車をかけるだけで、何の意味もない」というもの。

▲もうひとつが、「医師不足こそ問題で、個人の責任を問うべきでない」というものです。大野病院の産婦人科は、当時被告の医師1人だけで、地域のお産をすべて担わざるを得なかったからです。
しかし、今回亡くなった女性の遺族のには、そうした一般論だけでは片づけられない思いがあります。

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▲ まず、警察や検察の問題です。捜査によって明らかになった事実もあって、遺族は警察や検察に感謝したいと話しています。手術が始まってから女性が亡くなるまでの間、病院からの説明は一切なく、その後も納得のいく説明がなかったからです。お産の場合、とりわけ家族の期待が大きく、いくら説明しても納得してもらえないという話を産科医からききます。その難しさもあるでしょうが、医療は不確実で専門性が高い分野だからこそ、医師の側が真摯に説明して、理解を得る努力が、必要ではないでしょうか。その努力を怠ったまま、警察の捜査を批判しても、納得は得られないと思います。

▲医師不足の問題についても、だから死を避けられなかったというのでなく、だからこそ、慎重に手術に臨んでほしかったというのが、遺族の思いです。
今回、執刀した医師は、手術の前に輸血や子宮摘出の可能性を遺族に説明しており、難しい手術であることは認識していたとみられます。それなのに、輸血血液も十分供給されず、一人しか医師がいない体制で、なぜ、手術に臨んだのか。手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を、関係者から助言されたのに断っていたことも、裁判の過程で明らかになりました。医師不足の中でも、医療機関が連携するなど、安全を確保する努力を重ねることが、医療側に求められているのだと思います。

<新たな仕組みの必要性と課題>
その上で、今回の事件を取材して改めて感じるのは、医師個人の責任を追及する刑事裁判には限界があるということです。事故の全容を解明して,再発防止につなげることはできませんし、遺族と医療者の間の溝がさらに深まったと感じるからです。双方が納得できる仕組みをどう作るのか。期待されるのが、政府内で検討されている第三者の立場で事故の原因を究明する新しい組織です。
具体的には、診療中の患者が死亡する事故が起きた場合、医療機関や遺族からの届出を受けて、医療の専門家を中心とする医療安全調査委員会がその原因を調べます。そして、問題があった場合は、調査結果を公表して、再発防止策を提言し、悪質なケースに限定して警察に通知します。警察も、委員会での専門的な判断を尊重するとしているので、独自の判断での捜査も減るとされています。
ところが、この仕組の鍵を握る調査委員会がしっかり機能するかまだわかりません。もしここで公正に原因究明をできなければ遺族はやはり警察に頼り、警察も動かざるをえないでしょう。この仕組みが機能するかどうかは、委員会の中心となる医療の専門家たちの対応にかかっているということです。

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<まとめ>
今週初め、今回の事故で亡くなった女性の父親に会うことができました。帝王切開手術で生まれたお孫さんは今年3歳。上のお孫さんは7歳です。2人の孫のためにも、娘の死を無駄にせずに、二度と同じような事故が起きないよう、取り組みを進めてほしいと、静かに語っておられました。無罪判決は、刑事責任を問うほどの過失がなかったと判断したにすぎません。遺族の思いを受け止めて、今回の事件を教訓に、安心して医療を受けられる態勢を整えていくことが、何より必要なのだと思います。

投稿者:飯野 奈津子 | 投稿時間:23:53

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