仕事のやりがいと母の責任のはざまで
救急医療の最前線で活躍するフライトドクター
- 2008年8月21日(木)
そのヘリコプターは、想像していたよりもずっとコンパクトだった。
病院の敷地内に造られた芝生のヘリポート。低い柵で何気なく囲まれたそのスペースで、白いヘリが静かに出番を待っていた。救急専用の「ドクターヘリ」。全国でもまだ14機しかないうちの1機が、ここ、岡山県倉敷市の川崎医科大学附属病院に正式配備されたのは、2001年4月のことだ。
ドクターヘリは、いわば“空飛ぶ救急車”。特徴はなんといってもそのスピードで、巡航速度は時速約200km。事故現場から病院まで車で1時間はかかるような場合でも、ヘリなら10〜15分で着く。
しかも、ドクターヘリは医師と看護師を乗せていくので、事故現場に到着後、すぐその場で治療を開始できる。このため、時間との闘いになる救急医療において、患者の生存率が向上し、後遺症が残る可能性も大幅に減らせる。ドクターヘリを使ったおかげで、救急車に比べて死者数が27%、重度後遺症は45%減った、とする研究結果もある。
認定NPO法人の救急ヘリ病院ネットワークの働きかけもあって、こうした導入メリットがようやく認められ、2007年、ドクターヘリの全国配備を目指す特別措置法が成立。各都道府県において、その導入が本格的に検討されることになった。
そんな救急医療の最前線で活躍しているのが、奥村澄枝さんだ。川崎医大附属病院の高度救命救急センターに所属する医師で、ドクターヘリに乗り込む「フライトドクター」として既に5年目。300回以上の出動実績を持っている。
偶然から始まったキャリア
奥村さんがフライトドクターになったのは「偶然」なのだそうだ。
学生のころは、終末期医療にかかわりたいと思っていた。病から回復する見込みがない患者が、自らの死を受け入れていかなければならない終末期。苦痛の緩和や精神的安定だけでなく、残された人生の質を高めることも大切だ。そんな状況に置かれた患者に対して、医師としてできることをしてあげたい。そう思っていた。
一方、救急医療も生死の境にある仕事という意味で、終末期医療と近いものがある。ただし、こちらはきつい。「若いうちしかできないな」と思い、奥村さんは大学卒業後、救急の道を選んだ。
そして結婚、出産。産休から復帰し、東京・聖路加国際病院の救急で働き始めた1年後、突然、静岡に移ることになった。順天堂大学医学部附属静岡病院でドクターヘリを導入したものの専従医師がいない、ということで奥村さんに白羽の矢が立ったのだ。実は、これが「偶然」。
「本当は、静岡には夫が行きたいと思っていたんです。ところが、人事の関係で急に行けなくなってしまって…。それで急に『代わりに君が行くことになったから』って。『え? なぜ私が?』と思いつつ、子どもを連れて急いで静岡に引越しました」
静岡病院でドクターヘリの導入・立ち上げに参加し、2007年夏から現在の川崎医大附属病院へ。ここで再びドクターヘリに携わることになった。偶然から始まったキャリアだが、いつの間にかフライトドクターとしてベテランといっていい存在になっている。
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