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永尾カルビ

Author:永尾カルビ
今までの海外での生活、滞在において見たこと、聞いたこと、考えたこと、その他出会った外国人についてとめどなく脈絡なくシャッフルで書き散らします。わけあって具体的な国名、場所、人名は明らかにしないことも多いです。真似されて同じとこ行かれると嫌だし。本当はダイレクトに英語で書きたいんですが僕の英語力ではアウトプットがまったく追いつかず内臓メモリーカードにたまりまくってしまうので(実は日本語でも追いつかないほどたくさん書きたいことがある)やむおえずここで仮排出しておきます。最近てにをはまでおかしくなってきた日本語文章力の低下防止リハビリも兼ねています。低下しても別に困ることはないんですがw
※一切のマスコミ関係者の閲覧お断り。しっしっ。
■このブログにおけるすべての文章および写真の無断転載を禁じます。
© 2008 nagaokarubi- all right reserved



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バリの好青年
西暦2000年前後は事情があってバリ島にしばしば行っていた。
「事情」といういい方も変だけれども他に適当な言葉が思い浮かばないので、あえて事情といっておく。
で、ホテルに泊まることもあればゲストハウスに泊まることもあった。
僕がいつも行くビーチは日本人をあまり見る必要のないビーチで、日本人だけではなく全体的に人が少なかった。
レストランなどこれでどうやって経営が成り立つのか不思議なほど、どこも閑散としていた。
その分、クタの狂乱ぶりとは違う別のバリ島の姿があった。
個人で空港からチケット制のタクシーに乗ると必ず、
「どこに泊まるんだ?ホテルは決まってるのか?」
道中ずっとドライバーに話しかけられる羽目になる。
もちろんドライバーは自分がコミッションを得ることができるアコモデーションに僕を誘導しようとするわけである。
「まだ決まってないけど、自分で探すから」
僕はそういってスーパーマーケットの前で降ろしてもらうのが常であった。
当たり前だが自分で直接交渉した方が安くなる。
表通りから直角に曲がりさらに左に入った裏道に「P」というゲストハウスがあった。
ロンリープラネットによさそうなことが書いてあったので何となくそこに決めた。
地球の歩き方にも載っていたが幸いにもそこで日本人に会ったことはない。
前述のように日本人があまりいないエリアなので。
Pには住み込みの若い男性スタッフが5人いた。

そのうちのひとりニョマンと仲良くなった。
知っている人も多いだろうがバリ島の人々の名前はとてもユニークである。
兄弟の生まれた順番で名前が決まっているのだ。
たとえば女の子であれば上から、「ワヤン」「カデック」「コマン」「ケトゥ」、そして5女から2クール目に入り再び「ワヤン」「カデック」、、、となるわけである。
男の場合も同じく順番で決まっており、確か「ニョマン」は3男か4男の名前だったと思う。
ワヤンは男の名前でもある。
ニョマンは毎晩スーパーカブの後ろに僕を乗せてナイトマーケットに連れて行ってくれた。
僕はナシゴレン(バリ風チャーハン)が好きなので、毎晩ナイトマーケットの屋台でニョマンと並んで座りナシゴレンを食べた。
僕は1日3食1年365日、ナシゴレンとソトアヤム(チキンスープ)ばかり食べ続けても平気である。
特にすることもなかったので、昼間は5人のスタッフに日本人女をナンパするときに役立つ日本語を教えて暇をつぶした。
「これをちゃんと覚えたら、何人でも日本人女を引っ掛けることができるから。あいつら馬鹿だからいくらでも金取れるよ」
天性のアオラー、天性のアオリストである私はどこに行っても、このようにあおっているのである。
「日本人女見かけたらいきなり殴って財布とっていいから」
別の国ではスキンヘッズのロシア人グループにそうアドバイスしたことさえある。
「ダーダー(イエスイエス)」
彼らは力強くうなづいていた。
右翼団体の掲示板で腰抜け右翼連中に差別用語満載で罵倒しながら檄を飛ばしたらアク禁にされてしまったこともあるwww
(長野で中国人2,3人殴ったぐらいでお茶濁されてもねえ。マスコミのカス連中相手に派手なことやってくれないと腰抜け右翼のただのガス抜きと思われてもしょうがないですわ。一番のねらい目は朝日放送のムーブという番組だ。カスどもと同じ穴の狢の分際で何かとてつもなく勘違いなさっているようだから思い知らせてやるのが親切心というものです。)

さてPで働く5人はバリ島の多くの人がそうであるように(何しろ彼らは生まれながらにしてマクドナルドの店員にも勝ると劣らない独自の接客マニュアルを身につけているのである)、なかなかフレンドリーなのだが、夜、部屋に女の子を(もちろん日本人女じゃなくローカルの女の子。僕はアジアではタイ人、インドネシア人、フィリピン人の女の子が容姿性格ともに好きです。アジア最強の美人ぞろいといわれるインド人女性にはまだ接したことがないので)連れ込んでいると覗かれるのには困った。
まあこれもバリ島名物のひとつなのだが、僕の部屋の洗面台と壁を隔てた外側のスタッフしか入れない通路に僕の部屋を覗くための椅子が置いてあったりしてとほほである。
「昨日もまた覗いてたやつがいるよ」
ニョマンに文句をいうと、
「ちょっと誰かわからない」
ニョマンも同僚を売るわけにいかないので言葉を濁すだけなのであった。
5人のうちの3人が犯人だということは僕もわかっていた。
翌日、僕がバリ島を後にして当時アパートを借りていた国へ帰るという夜、いつものようにニョマンとナイトマーケットの屋台で並んで座っていた。
ニョマンが突然いった。
「どうしていつも払うか?」
ニョマンは憤慨するようにいった(ニョマンは日本語を話す)。
スーパーカブで連れて来てもらっているし、ニョマンと一緒だとローカルプレイスで食べられるということもあるし(一人できても僕はローカルプレイスにしてもらうのだが)、僕は年上だし、ガイドの謝礼という意味もあったし、バリ島においては日本人が支払いをするというのは義務みたいなものだし、何より日本人の驕り全開で100円程度のナシゴレンなどたいした金額ではないし、などといくらでも理由はあげることができるので僕はいつも当然のようにニョマンのナシゴレン代も支払っていた。
僕はうかつにも気づかなかったが、ニョマンはずっとそれが気に入らなかったのである。
「今日は最後だから、卵を二つ乗せてもらうように頼んだ」
ニョマンは得意気に僕を見た。
ナシゴレンには通常目玉焼きが、正確には目玉揚げがひとつ乗ってるのだが、それを今日は最後の晩餐だから、屋台のおっさんに二つ乗せてもらうように頼んだというのである。
何というか実に可愛らしいことを考える青年であった。
心が洗われるような経験をさせてもらった。
もちろんその夜は割り勘だった。

日本人の多くは自分たち先進国から見ればインドネシアの人など後進国で、
「民度が低いに違いない」
などと勝手にレッテルを張り、何を思い上がってるのか知らないが低脳にいたっては
「土人」
呼ばわりさえすることもある。
欧米人にはおどおどするくせになwwwwwwwwwww

僕はバリ島やインドネシアの人々をよく知っているし、観光業に従事する人は観光客など財布としか思っていない部分もまったく否定しないが、それだけではないのだよ。
おまえらには見えないことが俺には見える。












去年、久しぶりにバリ島に行った。
30日間滞在して、帰国時のデンパサール空港でのこと。
関空向けの便だから当然搭乗ロビーは日本人だらけである。
搭乗開始が遅れていた。
ガテン系の会社の慰安旅行ふうの一団がいた。
そのうちの一人、腕にタトゥをした30歳前後の男が空港係員に、
「おい、はよせえや」
搭乗ロビー中に響き渡る大声で日本語で怒鳴った。
そして得意げな顔をして、仲間たちの喝采を浴びていた。
賭けてもいいのだがこういう輩は間違いなく欧米人にはおどおどして何もいえない。
それ以前に一人で飛行機に乗ることもできないであろうwwwwwwwwww













↓上から順にワヤン、カデック、コマン、ケトゥ


wayan.jpg






kadek.jpg





koman.jpg





ketu.jpg






「君の名前あててあげようか。えーとワヤンかカデックかコマンかケトゥだろ?」
こういえばバリ島の女の子はみんな笑ってくれるし、もう友達ですww
2クールめの写真もあるのだが省略しておきましょうww










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