1938年、海軍はこれまでの九七式飛行艇に代わる大型飛行艇の試作を川西に依頼した、その要求性能は当時の飛行艇性能を凌駕する欲張りなものだったが1940年12月原形機1機を完成させた。 これが川西十三試大型飛行艇と呼ばれる機で各種の実験やテストに用いられた。結果、2号機以降は飛沫対策のため全高を高め機首を延長、さらに滑水性能を高めるため通称「かつおぶし」と呼ばれる波押えを船底に取付けた。しかし、世界的にも優れた性能を誇った大艇だが離着水時の滑水性能だけは九七式飛行艇を超える事ができなかったとも言われる。 1942年2月に制式採用されたのが二式大艇11型(6〜17号まで)で、そのエンジンを「火星22型=1680hp」にしたのが12型(18号から)、他に防火設備を施した型やエンジンの馬力UP型などが数機ある、1941年〜1945年まで131機生産された(晴空を除く)。 その輸送機型がニ式輸送飛行艇「晴空」で、1943年初めに本機の輸送機改造計画が提示された事から68号機を輸送機型に改造し同年11月に納入したのがその1号機で、基本は12型、客室は2階立てで向かい合わせの長椅子に64名、個人ソファイスの場合は29名が搭乗できた、36機生産。 |
晴空は登場が遅く機数も少ない割には島から島へと飛び回り、ラバウルをはじめ南方戦線からの搭乗員を始めとする海軍要員の撤収作業、沖縄戦最中の南西諸島への物資輸送や不時着している搭乗員の収容など、敵機を避けながら夜間飛行が主になる困難な任務をよくこなしたが、沖縄戦の終盤頃になると本機の姿を見かける事も無くなったと言われる。 乗員9名 乗客=長椅子64名/ソファ椅子29名 寸法=全幅38m/全長28.13m/全高9.15m。 自重=15233kg/全備重量26683kg/搭載量11450kg 動力=エンジン=火星22型=1680hp、プロペラは3.9m×4枚。 速度=最大速度435km/h 巡航速度296km/h 着陸速度127km/h 航続距離=最大約4440km/15時間(目安) 武装=20mm旋回銃×1、13mm×1 |
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