アサヒ・コム プレミアムなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
医療界がかたずをのんで見守っていた裁判で、無罪判決が下った。
4年前、福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した医師が業務上過失致死などの罪に問われた。福島地裁の結論は、手術はほとんどの医師が行っている標準的なもので、過失はない、というものだ。
赤ちゃんは手術で無事生まれた。しかし、普通は産後に自然にはがれる胎盤が子宮に癒着していた。このため、医師は手術用ハサミを使って胎盤を切り離したところ、大量の出血が始まった。その後、医師は子宮そのものを摘出したが、母親は失血死した。
検察側は「癒着した胎盤を無理にはがさずに、子宮を取り出すべきだった」と医師の過失を主張した。しかし、判決は、胎盤をはがすことは普通の医療であって中止すべき義務はなかった、として退けた。
判決は医療界の常識に沿ったものであり、納得できる。検察にとっても、これ以上争う意味はあるまい。控訴をすべきではない。今回の件では、捜査するにしても、医師を逮捕、起訴したことに無理があったのではないか。
慣れない手術でまるで練習台のように患者を使う。カルテを改ざんする。そうした悪質な行為については、これまで通り刑事責任が問われるべきだが、そうでないケースについては捜査当局は介入を控えるべきだろう。
今回の立件は、医師の間から「ある確率で起きる不可避な事態にまで刑事責任が問われるなら、医療は成り立たない」と反発を招き、全国的な産科医不足に拍車をかける結果にもなった。産科の診療をやめた病院も多い。
無罪判決に、全国の医師らはほっとしたに違いない。だが、捜査当局が立件しようとした背景に、医師に対する患者や家族の不信感があることを忘れてもらっては困る。この判決を機に、医療の再生を図れるかどうかは、医療機関や医師たちの肩にかかっている。
まず、診療中に予期せぬ結果が生じたときに、原因を突き止め、患者や家族に誠実に説明することが大切だ。そのうえで、再発防止策を取らなければならない。
医療にはさまざまな危険が伴う。だからこそ、何が起きたかを明らかにするのは、プロとしての医師の責任であることを肝に銘じてほしい。
当事者の調査や説明だけでは患者や家族が納得しないこともある。政府が準備を進めている第三者機関「医療安全調査委員会」をぜひ実現したい。
調査の結果が警察の捜査に使われることへの反発が医療界にあるようだが、きわめて悪質な行為以外は捜査に使わないことを明確にしたうえで、発足を急ぐべきだ。それが患者側の不信感を取り除き、医師が安心して仕事をできる環境づくりにつながる。
シリアとレバノンが先週、外交関係の樹立で合意した。数十年にわたって宗教対立や暗殺、テロなど暴力的な出来事が続く中東で、小さくとも良い方向への大事な一歩として、これを歓迎したい。
シリアは中東の強国であり、隣接する小国レバノンを長年、属国扱いし、軍事的、政治的に支配してきた。
しかし、05年に起きたレバノンのハリリ元首相の暗殺にシリアの関与が疑われ、国際的な批判と圧力を受けて、レバノンから駐留軍を撤退させた。
その後、レバノンでは反シリア派が政権をとったが、親シリア派との間で対立が続き、5月には武力衝突も起こった。その危機の収拾の過程で、親シリア派も閣僚として政権に入り、統一内閣ができた。
この流れのなかでレバノン大統領がシリアを訪問し、シリア大統領との首脳会談が実現した。レバノン内政の一定の安定がこの事態をもたらした。
一方のシリアは、北朝鮮やイランと同様に、米国からテロ支援国家に指定されている。90年代に成立したイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の和平合意に反対した強硬派だ。
昨秋には、北朝鮮の支援を受けたとされるシリアの秘密の核関連施設が、イスラエル軍の空爆で破壊されたというニュースが衝撃を与えた。
そのシリアが、米欧が求めたレバノンとの外交正常化を受け入れた。若いアサド大統領が、国際協調に向けて対外関係を転換させていると読める。
シリアは中東では強い影響力を持つ。アラブ世界とイスラエルとの間の中東和平でもかぎをにぎる。
とくに、イスラエルとパレスチナ自治政府は、年内の合意を目指して和平交渉を行っている。シリアはパレスチナのイスラム過激派ハマスの後ろ盾であり、影の当事者ともいえる存在だ。イスラエルが占領するゴラン高原を巡る和平交渉も、今春以来、トルコの仲介で続いている。
シリアがレバノンとの関係で見せた変化が、中東和平にも生かされることを期待したい。
他方シリアは、核開発疑惑を抱えるイランにとっての友好国でもある。イスラエルでは、イランの核施設に対して「武力行使も辞さない」という声が出ている。
イランの孤立化を望む米国やイスラエルは、シリアに対してイランとの関係の清算を強く求めている。
だが、イランを孤立させ緊張が高まれば、中東の安定にとって逆効果だ。
ウランの濃縮作業を停止し、国際原子力機関(IAEA)に全面協力するようイランを説得する努力を、国際社会は強めるべきである。シリアの変化は、そのための交渉材料とならないだろうか。