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相良丸   特設水上機母艦「相良丸」(昭和17年6月26日セレター軍港)
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2007年06月16日

特設航空母艦「雲鷹」/旧特設航空母艦「八幡丸」【護送空母】

テーマ:特設航空母艦

特設航空母艦「雲鷹」/旧特設航空母艦「八幡丸」【護送空母】

 

商船「八幡丸」(北アメリカ航路用の豪華客船)を改造。

【同型艦:「海鷹」「冲鷹」】 

【竣工】

昭和15年7月31日 日本郵船 客船「八幡丸」 

【徴傭】

昭和16年10月21日 特設航空母艦に類別 

【改装開始】

昭和17年1月      呉工廠

【改装完成】 

昭和17年5月31日 

【基準排水量】 

17,830トン 

【速力】 

21.0ノット

【航続力】

8,500浬(18ノット)

【発着甲板】 

長さ172.0メートル(のち180メートル〈19年大規模修理時に改装〉に延長)、幅23.5メートル 

【兵装】 

12.7センチ単装高角砲門、25ミリ連装機銃4基8挺 

【搭載機数】 

27機 [常用23機、補用4機] 

【所属】

海上護衛総隊            18年12月15日付~

第一海上護衛隊           19年8月15日付~

 

【艤装員長】

湊 慶譲   大佐  (海兵44期)  〔兵備局第二課長より〕16年12月10日~

【艦長】

湊 慶譲   大佐  (海兵44期)  17年5月31日~18年1月28日〔横須賀鎮守府附へ〕

相徳一郎  大佐  (海兵45期/海大29期)  18年1月28日~4月14日〔重巡洋艦「最上」艦長へ〕

関 郁平   大佐  (海兵43期)  〔海軍航海学校教頭より〕18年4月14日~19年3月1日〔海軍航海学校教頭へ〕

平塚四郎  大佐  (海兵40期)  〔応召〕19年3月1日~7月1日〔横須賀鎮守府附へ〕

木村行蔵  大佐  (海兵49期/航海専攻)  〔軽巡洋艦「鹿島」副長より〕19年7月1日~

【副長】

志柿謙吉  中佐  (海兵50期)  18年8月18日~

【機関長】

堀江國行  中佐  (海機31期)  17年10月10日~

檜垣謙次郎 中佐  (海機32期)  18年9月1日~

【飛行隊長】 

高橋 定  少佐 (海兵61期)   19年7月~9月

 

 

 

 

昭和16年11月

徴用 

 

昭和17年1月

呉工廠にて航空母艦への改造に入る。 

  

昭和17年5月31日付

竣工

 

特設航空母艦「八幡丸」として、固有の飛行隊を所属させた。


昭和17年7月14日

トラックに進出する第二航空戦隊の輸送命令を受ける。

飛行機隊を搭載。

昭和17年7月29日~8月13日

ラバウルに進出する第二航空戦隊の機材、基地員をカロリン諸島トラック島へ輸送。


昭和17年8月31日付

正式に軍艦籍に入り、航空母艦「雲鷹」となる。

 

その後、固有の飛行隊を収容、内海西部で発着艦訓練を行う。


昭和17年9月4日~18日

横須賀~サイパン~トラック~呉のコースで、飛行機の輸送を行った。


昭和17年9月25日

第二次ソロモン海戦後の損害を補充するため、飛行機と搭乗員を載せ、呉を出港、トラックに向かう。

 

昭和17年10月

固有の飛行機隊を解隊。

 

昭和17年11月 

陸軍の第六飛行師団・飛行第十一戦隊の一式戦闘機「隼」37機を輸送するためスラバヤに向かう事になった。

トラックよりパラオに向け出港。

パラオからミンダナオ島ダバオを経由してスラバヤに向かった。


昭和17年12月5日

十一戦隊を搭載、スラバヤを出港。 

 

昭和17年12月13日

トラックに入港。


昭和18年1月

横須賀に帰港。

入渠整備に入る。

昭和18年2月1日

航空母艦「大鷹」とともに、横須賀を出港。 

 

昭和18年2月7日

トラックに入港。


昭和18年4月25日~5月13日

「冲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。〔第二五航空戦隊・第二五一海軍航空隊用の零戦60機〕

 

昭和18年5月24日~6月9日 

「冲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。

 

昭和18年6月16日~7月2日

「冲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。


昭和18年2月1日~9月10日

「航空機輸送」

内地~トラックを6往復した。


昭和18年9月30日
呉にて入渠修理に入る。

昭和18年11月30日~12月5日

軽空母「瑞鳳」、護送空母「冲鷹」、重巡「摩耶」、駆逐艦「曙」「朧」「漣」「浦風」とトラック拍地を出港し、横須賀に向かう。

この際、駆逐艦「山雲」により撃沈された、米潜水艦「スカルピン」の生存者41名が捕虜として「雲鷹」に21名、「冲鷹」に20名便乗、大船収容所に向かった。

夜、米潜水艦「スケイト」より雷撃を受けるが、艦隊に被害無し。 

 

昭和18年12月4日 

同型艦の護送空母「冲鷹」が、雷撃により沈没。 


昭和18年12月15日付

連合艦隊所属より、新たに設置された海上護衛総司令部の所属となる。 

第九三一海軍航空隊の九七式艦上攻撃機12機を搭載。


昭和18年10月14日~年末

「航空機輸送」 

トラックへ3往復した。



昭和19年1月14日 

横須賀を出港。

トラックへの輸送任務。

昭和19年1月19日

トラックよりの帰途、サイパン島東方で米潜水艦「ハドック」の魚雷2本が命中、中破したが自力航行で横須賀に帰着。

修理に約半年かかった。

その際、防空兵備強化のため機銃を74挺に増備した。 

  

昭和19年8月15日付

第一海上護衛隊(担当地区:九州~沖縄~台湾~シンガポール航路)に配属。


昭和19年8月24日~9月5日 

「門司~シンガポール/『ヒ七三船団』」

『ヒ七三船団』のタンカー9隻(「東邦丸」ほか)、貨物船4隻(「讃岐丸〈元特設水上機母艦」、「護国丸〈元特設巡洋艦〉」、「吉備丸〈元陸軍上陸用舟艇母艦〉」ほか)、給糧艦1隻を、練習巡洋艦「香椎」、海防艦「千振」、第一三号、第一九号、第二一号、第二七号とともに護衛。  

 

昭和19年9月1日

台湾~フィリピン間のルソン海峡にて、九七式艦攻が米潜水艦「タニー」を発見。

1435 60㌔対潜爆弾2発を潜航して深度33㍍の「タニー」に対して投下。爆弾は左舷後方直上方で爆発。

船体の後部発射管室前方左側の耐圧船体が変形し、発射管のジャイロ設定機器の大半が損傷。 

海防艦「千振」、二一号が爆雷を投下。 

特設運送艦「讃岐丸」が爆雷6発を投下。

「タニー」は故障続発と浸水のため、ただちにハワイ基地に帰投した。 

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻 

《米軍記録》 

撃破:潜水艦「タニー」(中破)

昭和19年9月6日

シンガポール入港。

 

昭和19年9月10日~

「シンガポール~門司/『ヒ七四船団』」

『ヒ七四船団』の5隻を、艦艇6隻とともに護衛。

 

昭和19年9月17日

0050 ルソン島北西にて米潜水艦「バーブ」の魚雷を受け、油送船「あずさ丸」が沈没。

「雲鷹」にも魚雷1本が右舷艦尾の舵機室に命中。

続いて、右舷中央部主機室に2本目が命中。

0730 沈没。乗組員約750名、便乗者約1,000名のうち、艦長:木村行蔵大佐と約900名が艦と運命を共にした。 

生存者761名は海防艦「千振」と「二十七号」に救助され、台湾・高雄に移送された。 

 


*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。



【参考文献】 

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-24

第2稿 2005-05-28

第3稿 2007-06-16 大幅加筆



2007年06月16日

特設航空母艦「海鷹」 【護送空母】

テーマ:特設航空母艦

特設航空母艦「海鷹」【護送空母】


大阪商船「あるぜんちな丸」〔南米東岸航路の貨客船〕を改造


【竣工】

昭和14年5月31日

【徴用】

昭和17年5月1日付 特設運送艦


昭和17年6月30日

航空母艦に改装を決定。


昭和17年12月9日

買収。


昭和17年12月

三菱長崎造船所にて改装を着手。


【改装完成】

昭和18年11月23日 

【基準排水量】

13,600トン

【速力】

23ノット

【航続力】

7,000浬(18ノット)

【発着甲板】

長さ160メートル、幅23メートル

【兵装】

12,7センチ連装高角砲4基8門、25ミリ三連装機銃8基24挺

【搭載機数】

24機

【乗員】

587名
【艦長】

渡部 威   中佐 (海兵34期)  昭和15年5月1日~

高尾儀六  大佐 (海兵46期)  昭和18年11月23日~19年8月1日

有田雄三  大佐 (海兵48期/海大31期) 〔呉鎮守府主席参謀より〕 昭和19年8月1日~20年3月15日〔水雷学校教官へ〕

國府田清  大佐 (海兵49期/海大30期) 〔運輸本部総務課長より〕 昭和20年3月15日~5月1日

大須賀秀一 大佐 (海兵51期)  〔空母「鳳翔」艦長兼務〕 昭和20年5月1日~敗戦 


【所属】

昭和18年11月30日付 連合艦隊附属

昭和18年12月10日付 海上護衛総隊

昭和19年3月17日付  第一海上護衛隊

昭和20年3月28日付  呉鎮守府部隊

昭和20年4月20日付  連合艦隊附属



第九三一海軍航空隊の九七式艦上攻撃機12機を搭載。

【分隊長】

小松    大尉   操縦

【分隊士】

芦野    飛曹長 偵察
足立    飛曹長 操縦

山口    飛曹長 偵察


十島    上飛曹 操縦

伊藤    上飛曹 電信

小笠原   上飛曹 電信 

川村    一飛曹 偵察



昭和19年1月12日~2月9日

マニラ、シンガポール、タラカン、パラオ、トラック、サイパンへの輸送任務。


昭和19年4月1日~16日

「門司~シンガポール/『ヒ五七船団』」

『ヒ五七船団』9隻を、艦艇7隻とともに護衛。

 

昭和19年4月21日~5月3日

「シンガポール~門司/『ヒ五八船団』」

『ヒ五八船団』7隻〔タンカー〕を、艦艇4隻〔海防艦九号・「択捉」・「壱岐」・「占守」〕とともに護衛。

 

昭和19年4月24日

「対潜攻撃」

仏印サイゴン東岸にて、上空直衛中の九七式艦攻が潜航に入った米潜水艦「ロバロ」を発見。

「ロバロ」は急速潜航中、深度約16㍍にて爆弾1発が、左舷前部至近で爆発。主エンジン空気取り入れ口が浸水、深度調整機能が一時的に失われ、多数の道具・装置類が不調となった。

【戦果】

小破:米潜水艦「ロバロ」

*「ロバロ」による日本艦船の被害は無い。


昭和19年5月29日~6月12日

「門司~シンガポール/『ヒ六五船団』」

『ヒ六五船団』12隻を、艦艇7隻とともに護衛。

海防艦「淡路」が沈没、輸送船2隻が小破。

 

昭和19年6月  日~26日

「シンガポール~門司/『ヒ六六船団』」 

26日に門司に帰着。


昭和19年7月13日~8月4日

門司を出港。零戦55機、彗星艦爆10機を搭載。

マニラに輸送。

門司に帰着。


昭和19年8月3(?)日~10月1日

機関故障のため、呉工廠にて修理。


昭和19年10月25日~11月3日

艦攻12機を搭載、高雄航空廠への機材を「龍鳳」とともに基隆へ緊急輸送。

門司・六連港に帰投。


昭和19年11月25日~20年1月13日

「門司~シンガポール/『ヒ八三船団』」

艦攻14機搭載、マニラに向かう輸送船5隻(陸軍第十師団乗船)、シンガポールに向かうタンカー3隻の護衛。

高雄、シンガポール、サンジャック、ハイフォン、香港、舟山島への輸送任務を行い、門司に帰投。


昭和20年3月19日

呉軍港にて米艦載機群の攻撃を受け、飛行甲板に爆弾1発が命中、左舷機械室に浸水し小破した。 

呉工廠で復旧工事を受け、12センチ三〇連装噴進砲4基を搭載。


昭和20年4月20日

連合艦隊付属となり、別府湾方面で訓練目標艦として使用された。 

 

昭和20年7月24日

室津に向け別府湾を出港、米機が敷設した磁気機雷に触雷し大破、駆逐艦「夕風」に曳航され別府沖の日の出海岸で擱座。

敗戦を迎える。

 



*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-23

第2稿 2007-06-09 大幅加筆


2007年06月16日

特設航空母艦「大鷹」/旧特設航空母艦「春日丸」【護送空母】

テーマ:特設航空母艦

特設航空母艦「大鷹」/旧特設航空母艦「春日丸」【護送空母】

 

日本郵船の欧州航路用客船「新田丸」型三番船の「春日丸」〔オリンピック大会用の大型豪華客船として建造された〕を改造 
進水直後、海軍に徴用され特設航空母艦に改造された。
【同型艦】

「雲鷹」〔旧特設航空母艦「八幡丸」〕、「冲鷹」 


【起工】

昭和15年1月6日 三菱長崎造船所

【進水】

昭和15年9月19日

【徴用】

昭和16年5月1日 佐世保海軍工廠

【改装完成】 

昭和16年9月5日

【基準排水量】 

17,830トン 

【速力】
21.0ノット

【航続力】

8,500浬(18ノット)

【発着甲板】 

長さ172.0メートル、幅23.5メートル 

【備砲】 

12センチ単装高角砲4門、25ミリ連装機銃4基8挺

【搭載機数】
27機 

九六式艦上戦闘機 九六式艦上爆撃機

 

【艤装員長】

石井芸江  大佐 (海兵39期)  昭和16年5月1日~8月11日

高次貫一  大佐 (海兵44期)  〔岩国航空隊司令より〕 昭和16年8月11日~9月5日

【艦長】

高次貫一  大佐 (海兵44期)  昭和16年9月5日~10月24日

篠田太郎八 大佐 (海兵44期/海大26期)  〔特設水上機母艦「神川丸」艦長より〕 昭和17年10月24日~18年5月29日〔呉海軍航空隊司令へ〕

松田尊睦  大佐 (海兵45期)  〔「神川丸」艦長より〕 昭和18年5月29日~11月17日〔軽巡「阿賀野」艦長へ〕

松野俊郎  大佐 (海兵42期)  〔横須賀港務部長兼任〕昭和18年11月17日~19年2月15日

別府明朋  大佐 (海兵38期/海大21期)  〔航空母艦「千代田」艦長より〕 昭和19年2月15日~3月20日

杉野修一  大佐 (海兵46期)  昭和19年3月20日~

【副長】

青山茂雄  中佐 (海兵48期)  昭和16年

【機関長】

浜野軍一  中佐 (海機29期)  昭和16年



【所属】

第一航空艦隊・第五航空戦隊 昭和16年9月1日付~25日

第一航空艦隊・第四航空戦隊 昭和16年9月25日付~

連合艦隊附属 昭和16年12月13日付~
呉鎮守府所属 昭和16年12月31日付~
海上護衛総隊附属 昭和18年12月15日付~

第一海上護衛隊編入 昭和19年4月29日付~8月18日 


戦闘機隊編成〔昭和17年7月頃〕 

【飛行長】

五十嵐周正 少佐  (海兵56期) 17年4月11日~

【飛行隊長】

塚本祐造  大尉  (海兵66期)

【分隊士】

松場秋夫  飛曹長 (操練26期)

【先任搭乗員】

青木恭作  一飛曹 (操練25期)       ~10月 佐世保空へ

【搭乗員】   

大久保良逸 一飛曹 (操練27期)       ~10月 佐世保空へ

近藤 仁   一飛曹 (乙飛6期)        ~10月 佐世保空へ

前田英夫  一飛曹 (甲飛1期)        ~10月 佐世保空へ

米田康喜  二飛曹 (丙飛2期)  17年7月~10月 佐世保空へ  

安達繁信  二飛曹 (乙飛9期)  17年7月~10月 佐世保空へ  

杉野計雄  三飛曹 (丙飛3期)  17年7月~10月 佐世保空へ

谷水竹雄  三飛曹 (丙飛3期)  17年7月~10月 佐世保空へ


艦爆隊編成 [筆者注:調査未完]

 


昭和16年9月1日付

第一航空艦隊/第五航空戦隊に編入。
正規空母「翔鶴」
改装空母「春日丸」


昭和16年9月25日付

第一航空艦隊/第四航空戦隊に編入。
正規空母「龍驤」(旗艦)
改装空母「春日丸」

 

昭和16年9月26日

大村基地にて訓練中の飛行機隊を収容。 

 

昭和16年10月4日

佐世保出港。


翌日

鹿児島で四航戦と合同した。


昭和16年10月26日

高雄に入港。

基地訓練に入る。


昭和16年11月10日

佐世保に帰港。

飛行機隊は大村基地にて基礎訓練に入る。


昭和16年11月28日

「春日丸」は、第十一航空艦隊所属の飛行機を搭載し、パラオに向かう。


昭和16年12月12日

徳山に帰港。


昭和16年12月13日付

連合艦隊附属となる。


昭和16年12月31日付

呉鎮守府所属


昭和17年1月8日~2月16日

第十二連合航空隊の着艦訓練に従事。


昭和17年2月25日~3月12日

トラックへの飛行機輸送任務。


昭和17年4月3日~5月16日

ルオット、ラバウル方面への飛行機輸送任務。


昭和17年4月11日

飛行長:五十嵐周正少佐(海兵56期)が着任。


昭和17年6月25日

飛行機隊を収容。


昭和17年7月

「春日丸」飛行隊は、大分海軍航空隊にて訓練を開始。乗機は九六式艦戦であった。

第六航空隊より、米田康喜、安達繁信二飛曹、杉野計雄、谷水竹雄三飛曹が着任。 

「大鷹」は速力が低いため、発着艦が困難であったので、熟練搭乗員が揃えられた。


昭和17年8月1日

「春日丸」は海軍により買収された。


昭和17年8月 

大分基地を撤収。

昭和17年8月31日

「春日丸」は軍艦籍に入り航空母艦「大鷹」と改める。


昭和17年8月17日~

「大鷹」は、連合艦隊旗艦「大和」の護衛空母として、ソロモン方面にむけて柱島を出港。

戦闘機隊はトラックに向かうため出港した「大鷹」に洋上で着艦、収容された。
 
昭和17年8月22日

九六式艦上爆撃機による前路哨戒、九六式艦上戦闘機により2時間交替の対潜哨戒を行う。


昭和17年8月24日

「第二次ソロモン海戦」
上空哨戒に九六式艦戦6機が発進。
哨戒の飛行艇を発見したが、取り逃がす。


昭和17年8月25日

戦場より離脱、トラックに向かう。


戦闘機隊は、トラック到着後、竹島に移動して訓練を開始。

 

入港後、艦隊より編成を解かれ、輸送空母に戻る。

母艦はその間、内地を往復しマーシャル方面への零戦輸送輸送任務についていた。

搭乗員が乗艦、タラワ基地へ零戦を、ダバオ基地への艦爆の空輸を行う。

物資とダバオより乗艦させた陸軍兵をパラオに輸送。 

 

昭和17年9月28日

トラックに入港直前、潜水艦による雷撃を受け、魚雷2が命中。1本は不発貫通、1本が前部艦橋下の軽質油庫と弾火薬庫の中間にある機関科兵員室に命中爆発し、非番の10数名が死傷(戦死13名)、キールを破壊した。

そのまま自力で入港、応急処置を施した。


昭和17年10月7日

呉に帰投。

「大鷹」戦闘機隊は解散し、戦闘機隊の下士官搭乗員は全員、大村海軍航空隊の教員としての転勤が発令された。


昭和17年10月14日

呉にて入渠修理。

10日間で修理完了、横須賀に回航。

昭和17年10月24日

艦長:篠田太郎八大佐(海兵48期/海大26期)が着任〔特設水上機母艦「神川丸」艦長より〕。


昭和17年11月1日~18年5月29日

トラックへ6回、マニラ、シンガポール方面へ1回、輸送任務についた後、佐世保に入港。入渠修理の後に横須賀に回航。


昭和18年2月1日

航空母艦「雲鷹」とともに、横須賀を出港。


昭和18年2月7日

トラックに入港。 


昭和18年5月29日

艦長:松田尊睦大佐(海兵45期)が着任〔「神川丸」艦長より〕。


昭和18年7月23日~9月28日

トラックへ3回輸送任務を行う。


昭和18年9月24日

横須賀へ向かっている途中、父島沖で、潜水艦による雷撃を受け、右舷に6本(うち5本が不発)が命中。
航行不能となったが、「冲鷹」に曳航され、横須賀に入港。


昭和18年9月28日~19年1月11日

横須賀造船所にて修理。


昭和18年11月17日

艦長:松野俊郎大佐(海兵42期)が着任〔横須賀港務部長兼任〕。


昭和18年12月15日

海上護衛総隊・特設海上護衛隊・護衛空母隊に編入。


昭和19年2月1日

第九三一航空隊が、佐伯基地にて編成され、護衛空母隊に付属し各艦に12機程度搭載。
【装備定数】

九七式3号艦上攻撃機:48機


昭和19年2月15日

艦長:別府明朋大佐(海兵38期/海大21期)が着任〔航空母艦「千代田」艦長より〕。


昭和19年3月20日

艦長:杉野修一大佐(海兵46期)が着任。


昭和19年4月29日

第一海上護衛隊に編入。

        

昭和19年5月3日~18日

「門司~シンガポール/『ヒ六一船団』」

『ヒ六一船団』の11隻を、艦艇9隻とともに護衛。

 

昭和19年5月8日

輸送船「あかね丸」が潜水艦により小破。

昭和19年5月23日~6月8日

「シンガポール~門司/『ヒ六二船団』」

『ヒ六二船団』の8隻を、艦艇5隻とともに護衛。 

 

昭和19年6月30日

「大鷹」の九七式艦攻4機を済州島に派遣、鎮海警備府長官の指揮下に編入。


昭和19年7月16日

「ヒ六九船団護衛/大鷹」
「大鷹」磁探機が、基隆北東方で潜水艦を探知し、海防艦「佐渡」及び海防艦「第七号」と協同攻撃を加え、多量の気泡と油の噴出を見て1隻撃沈確実と認めた。
【戦果】

撃沈:潜水艦1隻
《米軍記録》

該当記録無し

 

昭和19年8月8日~

「門司~シンガポール/『ヒ七一船団』」

『ヒ七一船団』の20隻を、艦艇7隻とともに護衛。 

伊万里を出港、馬公へ向かう。

 

昭和19年8月17日

馬公を出港。


昭和19年8月18日

2328 マニラへの船団護衛中、米潜水艦「ラシャー」の魚雷1本が左舷に命中。

左舷艦底のガソリンタンクが大爆発、その8分後にルソン島北西方(北緯18度12分、東経120度22度の地点)で沈没。

「ラッシャー」はこの攻撃で魚雷18本を発射、うち15本が命中、「大鷹」とタンカー1隻、輸送船2隻が沈没、他の3隻が損傷した。 



*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。

【参考文献】 

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-24

第2稿 2005-05-28

第3稿 2005-06-16
第4稿 2007-06-16 大幅に加筆

2007年06月16日

電令作第六号

テーマ:お知らせ

お寄り下さりありがとうございます。

当ブログは長いこと新規掲載や更新も出来ずにいましたが、そんな中でも毎日訪問者がおられるのを心の励みにしておりました。

決して、やる気がなくなったり、忘れていた訳ではなく、多忙のため取り掛かれなかっただけですので、今後も長い目でよろしくお願いいたします。

さて、筆者のメインブログである『航空戦史雑想ノート』より、商船改造の特設航空母艦群について、順次、こちらのブログにも併載を開始いたします。

ちなみに、日本海軍では公式にはすべて航空母艦と呼称されて、正規空母、軽空母、改装空母等の区別はされておりませんでしたが、筆者は便宜的に以下の商船改造の空母を特設航空母艦と呼ぶこととします。


 飛鷹型  飛鷹(旧客船「出雲丸」)、隼鷹(旧客船「橿原丸」)

 大鷹型  大鷹(旧貨客船「春日丸」)、雲鷹(旧貨客船「八幡丸」)、冲鷹(旧貨客船「新田丸」)

 神鷹(ドイツ客船「シャルンホルスト」)

 海鷹(貨客船「あるぜんちな丸」)


防御力がゼロに等しかった、これら空母の戦果とその苦闘を一部でも伝えることが出来れば幸いと考えております。



2006年09月30日

第五艦隊・第七根拠地隊

テーマ:資料

昭和16年7月25日

第五艦隊(小笠原諸島以北の北東海域)新設

昭和16年10月1日

第五艦隊隷下の第七根拠地隊を父島に新設〔一部を母島へ〕

【司令官】

安部 嘉輔少将

第五艦隊-第七根拠地隊編成

司令部

第十砲艦隊(まがね丸、吉田丸)、

第十七掃海隊(第五利丸、第八利丸、慶南丸、第十鶚丸)

第六十六駆潜隊(文丸、第二關丸、興義丸)

第七防備隊

 一小隊 第五福一丸、鳥海丸、第五清寿丸、海龍丸

 二小隊 第三八千代丸、第二三徳丸、第一福久丸

 三小隊 栄吉丸、第三松盛丸、勝栄丸、第二号大平丸

 四小隊 第五恵比寿丸、第二海鳳丸、海神丸

 五小隊(仮称) 第一日東丸、第二日東丸、第二三日東丸

 六小隊(仮称) 第二五日東丸、高貴丸、富士丸

 報国第十三号艇(北洋号)

 第一笹山丸


昭和17年6月15日

第七根拠地隊を父島方面特別根拠地隊に改編


昭和19年2月25日

連合艦隊隷下に中部太平洋方面艦隊(司令長官 南雲忠一中将)を新編

 

昭和19年3月

父島方面特別根拠地隊

【司令官】

森 國造少将


配備状況

特設砲艦兼施設艦 まがね丸

特設掃海隊

第十七掃海隊

 第一小隊(第八利丸、第五利丸)

 第二小隊(慶南丸)、

 第八拓南丸、第六玉丸

特設駆潜隊

 第一小隊(文丸、興義丸(特設捕獲網艇))

 第二小隊 第二関丸

駆潜隊

 第十四号駆潜艇、第五十号駆潜艇、第五十一号駆潜艇

水上部隊

 特設監視艇隊

 第一小隊(感応丸、第八振興丸)

 第二小隊(第七豊丸、第八金比羅丸)

 曳船 報国第十三号

 第二十一特殊漁船隊 第十八八幡丸、大雄丸、幸生丸

 第二十二特殊漁船隊 第一東郷丸、第一博運丸、諏訪丸、曙丸、漣丸


特根本部

 雑役船 第一笹山丸、第三鷹寿丸、大洋丸、千代田丸、明神丸、第十三宝漁丸、第八海鳳丸


昭和19年6月

父島方面特別根拠地隊配備状況

 特設掃海艇 第六玉丸

 駆潜艇

  第五十二号(5月11日)

  巨清(5月11日)6月2日削除、由利島(5月11日)6月2日削除



昭和19年7月7日

中部太平洋方面艦隊の機能喪失により父島方面特別根拠地隊及び南鳥島警備隊は横須賀鎮守府隷下に復した。


昭和19年8月

父島方面特別根拠地隊配備状況

特設掃海隊

 第八利丸(9月1日沈没)、慶南丸

特設駆潜隊

 文丸、第二関丸

駆潜隊 

 第十四号駆潜艇、第五十号駆潜艇、第五十一号駆潜艇

水上部隊

 特設監視艇隊 

  第一小隊(感応丸、第八振興丸)

  第二小隊(第七豊丸、第八金比羅丸(9月1日沈没))

 曳船 報国第十三号


特根本部 雑役船 第一笹山丸、第三鷹寿丸、明神丸、第十三宝漁丸、第八富久丸




*未完稿



【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。






2006年09月24日

付録 「最貧前線」黒潮部隊雑想ノート 

テーマ:特設特務艇

付録

「最貧前線」黒潮部隊雑想ノート 

 

【はじめに】 

最初にお断りして置きますが、この記録は決して実際戦闘に従事した方々を卑下して書いた物ではありません。

宮崎 駿氏の『雑想ノート』のなかの「最貧前線」よりインスパイアされて稿を起こしたものであり、当時の日本の国力に対しての「最貧前線」というネーミングであるとをご理解下さい。


太平洋戦争中に徴用された特設監視艇は407隻、終戦時在籍していたのは約100隻でした。


 

【特設監視艇とは】

海軍の分類では特設特務艇に属し、大部分は遠洋漁業用の底曳網船や鰹鮪船を徴用したもので、総トン数は約80~150トン、乗員は15~20名で半数は海軍軍人で半数は元々の旧漁船員が乗組んでいた。艇長は予備士官か兵曹長クラスであった。兵装は7.7ミリ機銃1丁と三八式小銃数丁を開戦後に爆雷を搭載するようになった。

また、13ミリ機銃あ対潜用に短5センチ砲を搭載した艇もあった。


【経過】

昭和16年10月頃

監視艇隊の整備が始まる。


昭和16年12月

38隻が各鎮守府や警備府に配備され、日本近海にて哨戒を行っていた。


昭和17年2月1日付

第一監視艇隊、第二監視艇隊が、特設監視艇72隻を以って編成され、第五艦隊に付属した。

第二二戦隊〔特設巡洋艦「赤城丸」「粟田丸」「浅香丸」〕と監視艇隊で哨戒部隊を編成、東方哨戒を行うことになった。

 

昭和17年2月25日付

第三監視艇隊が編成された。


昭和17年3月下旬

【編成】

(北方部隊)

第五艦隊〔司令官:河瀬四郎中将〕

 第二二戦隊〔司令官:吉良俊一少将〕(基地:釧路) 通称:黒潮部隊

 特設巡洋艦「赤城丸」

         「粟田丸」

         「浅香丸」

 第一哨戒隊(25隻)

  旗艦:特設砲艦「安州丸」

   第一小隊:監視艇5隻

   第二小隊:監視艇5隻

   第三小隊:監視艇5隻

   第四小隊:監視艇5隻

   第五小隊:監視艇5隻

 第二哨戒隊(25隻) 

  旗艦:特設砲艦「興和丸」

   第一小隊:監視艇5隻

   第二小隊:監視艇5隻

   第三小隊:監視艇5隻

   第四小隊:監視艇5隻

   第五小隊:監視艇5隻

 第三哨戒隊(26隻)

  旗艦:特設砲艦「第一雲洋丸」

   第一小隊:監視艇5隻

   第二小隊:監視艇5隻

   第三小隊:監視艇5隻

   第四小隊:監視艇5隻

   第五小隊:監視艇6隻


昭和19年4月

第四監視艇隊が編成された。

北東方面艦隊・第二二戦隊・第二基地航空部隊・第二哨戒隊(基地:占守島・鳥川)

 旗艦:特設砲艦「豊国丸」

   A哨戒隊:監視艇9隻「第二旭丸」「第三千代丸」「新洋丸」「第三昭和丸」「大鷗丸」ほか

   B哨戒隊:監視艇9隻「麗光丸」「第一福徳丸」「第一振興丸」ほか

   C哨戒隊:監視艇9隻「三重丸」ほか

【指揮官】

林 利作  中佐  〔19年4月9日付、「豊国丸」に着任〕

昭和19年12月

6個監視艇隊が設置され、その総数は200隻を越えていた。



【主な戦闘記録】

 

昭和17年4月17~18日

「ドーリットル空襲時の機動部隊との交戦」

〔4月17日〕
正午 本土東方700浬、北緯36~29度間の洋上で哨戒を実施していた第二哨戒隊[特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「安州丸」「興和丸」、特設監視艇20隻]と第三哨戒隊[特設巡洋艦「浅香丸」、特設砲艦「第一雲洋丸」、特設監視艇16隻]が交代した。

〔4月18日〕

0630 釧路に向け航行中の第二哨戒隊所属の特設監視艇「第二三日東丸」(90トン)が、北緯36度、東経152度10分地点にて「敵飛行機3機見ユ針路南西、敵飛行機2機見ユ」と第一報を打電。

0650 「敵航空母艦3隻見ユ」と米機動部隊発見を打電。(実際には空母「ホーネット」「エンタープライズ」の2隻)
「第二三日東丸」は、軽巡「ナッシュビル」の砲撃により沈没した。この30分間に6通の電文を発信した。
「ホーネット」はドーリットル隊を発進ご、反転避退。

「エンタープライズ」は3時間に渡り付近海域に留まり、付近の監視艇に対し航空攻撃を行った。

【被害】

沈没:特設監視艇「第二三日東丸」「長渡丸」

大破(船体放棄):特設監視艇「長久丸」「第二一南進丸」「第一岩手丸」

中・小破:特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「興和丸」、特設監視艇「第三千代丸」「栄吉丸」「第二旭丸」「第二六南進丸」「海神丸」

戦死者:33名、負傷者:23名


昭和17年5月10日

「対潜攻撃/第五恵比須丸」

朝 特設監視艇「第五恵比須丸」(131トン/東海遠洋漁業〈焼津漁港所属のケッチ型帆船で鰹1本釣漁船〉)が、本土の東方600浬にて米潜水艦「シルバーサイズ」と浮上戦を行う。 

潜水艦の7.6インチ砲と12.7ミリブローニング機銃に対して、九二式7.7ミリ水冷式機銃と三八式6.5ミリ歩兵銃で応戦、1時間余りの戦闘で「第五恵比須丸」は大破、戦死者が続出した。

《米軍記録》

損傷:潜水艦「シルバーサイズ」(砲の装填手の水兵1名が戦死、艦橋構造物に被弾、損傷した。)

*「シルバーサイズ」の戦果は商船23隻を撃沈。スコアは第3位。

 

昭和18年4月30日

「対潜攻撃/第五恵比須丸」

特設監視艇「第五恵比須丸」が、南鳥島北方で米潜水艦「スコーピオン」と遭遇、浮上潜を行う。
魚雷1本が命中し、「第五恵比須丸」は沈没した。

《米軍記録》

損傷:潜水艦「スコーピオン」(先任将校1名が戦死、砲手3名が負傷した)

*「スコーピオン」は戦時中、「第五恵比須丸」以外に商船4隻を撃沈したが、黄海で特設敷設艦の敷設した機雷により沈没した。

 

昭和18年6月16~24日

「白糖灯台沖対潜攻撃」 

〔6月16日〕

三陸白糖灯台沖にて、大湊空の飛行機が潜没している潜水艦を発見。水偵6機と特設駆潜艇「水上丸」の協同攻撃により、大量の油の湧出を確認した。

〔同日〕

岩手県釜石沖にて、第二六一五船団(3隻)を護衛中の駆逐艦「野風」と水偵の対潜攻撃の記録もある。 

〔6月22日〕

1045 大湊空の水偵が、白糖灯台沖にて船団護衛中、船団前方に移動する油泡を発見。この油泡の前方80~100メートルに対潜爆弾2発を投下。

応援の水偵が到着、対潜爆弾を投下した。

午後 敷設艦「白神」と特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が到着し、爆雷を投下した。

その後、特設監視艇「海和丸」(99トン)、特設駆潜艇「水上丸」(97トン)、特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が到着、さらに爆雷攻撃を行う。

夕方 重油の湧出点は移動を停止した。

〔6月23日〕

「白神」、「水上丸」が現場に到着。

0845 爆雷投下

0925 再度、爆雷を投下。

水偵により投下された対潜爆弾は59発、水上艦艇による爆雷投下は66発。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/敷設艦「白神」/特設監視艇「宮丸」/特設監視艇「海和丸」/特設駆潜艇「水上丸」/特設駆潜艇「文山丸」による協同により] 

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ランナー」(艦長:J・H・ブーランド少佐以下78名全員が戦死)

*「ランナー」の戦果は貨物船1隻のみと推定される

 

昭和18年7月 [筆者注:調査未完のため、日付不詳]

「千島列島南方哨戒線/工進丸」 

0500過ぎ 特設哨戒艇「工進丸」は、東方より来襲した中型爆撃機(B-24?)により、3回にわたり攻撃を受ける。

1200過ぎ 3度目の爆撃により至近弾爆発で、船体は大損害を受け大破し、沈没寸前となる。

乗員は急を聞いて駆けつけた僚艇「第三三南進丸」に救助された。

【被害】

大破・船体処分:特設哨戒艇「工進丸」

戦死者:6名 負傷者:4名

 


昭和19年5月14日

「千島列島北方哨戒線」

0805 第四監視艇隊A哨戒隊の「第二旭丸」(艇長:福繁 栄)、「第三千代丸」がノースアメリカンB-25B「ミッチェル」双発爆撃機と交戦。

後部銃座の銃撃により、戦闘見張り中の馬場和雄上兵曹と通信中の浜中源吾軍属が受弾、重傷。

0825 交戦終了。

【被害】

損傷:特設哨戒艇「第二旭丸」

負傷者:2名(重傷)



昭和19年6月14~18日

「三陸沖対潜攻撃」 

〔6月14日〕

八戸の北方海域で、「相模川丸」(6,886トン/東洋海運)が雷撃を受ける。被害は不明だが沈没はしなかった。大湊防備部隊、北三陸部隊、大湊空が協同して潜水艦を探知、追跡。白糖灯台の北東7.7浬付近の機雷原に追い込んだ。

追跡艦艇は付近で、コルクや筏の破片を発見、幅50メートル、長さ5,200メートルの油帯を確認、撃沈確実とした。 

〔6月18日〕

0700 北三陸部隊の特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が、物見崎南西10キロに南方へ幅100メートル、長さ2キロの油帯を発見。

0830 大湊空の水偵が現場に到着し、対潜爆弾3発を投下。

0849 「宮丸」が爆雷を投下。

1100 水偵が幅10メートル、長さ200メートルの油の流出を確認。

1300 「宮丸」が再度爆雷を投下。この攻撃で直径2メートルの気泡が上がり、油が湧出してきた。

1550 応援に来た特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が爆雷を投下。

2010 幅100メートルにわたり油が広がってきた。

「文山丸」「宮丸」が投下した爆雷は18個。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/特設監視艇「宮丸」/特設駆潜艇「文山丸」]

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ゴレット」(艦長:J・S・クラーク中佐以下82名全員が戦死)

*「ゴレット」による撃沈戦果はない。

 

昭和19年11月17日

太平洋上を哨戒中の監視艇「ふさ丸」は、浮上してきた米潜水艦「ロンキル」と砲戦を行う。

「ふさ丸」は、「ロンキル」の、40ミリボーフォース機関砲、12.7センチ砲により大破・放棄された。
この交戦で、「ロンキル」は、後部発射管上の魚雷積み込み口が爆発。また、船体の耐圧区画で2箇所の貫通部分があったため、作戦を中止し、ハワイの基地に帰還した。原因は40ミリ砲弾が、後甲板に張ってあったワイヤーに触れ、爆発したことがあげられる。

《米軍記録》

損傷:米潜水艦「ロンキル」

*「ロンキル」は対戦中に「ふさ丸」の他、商船2隻を撃沈している。


昭和20年3月24日

「南方哨戒線/第五千秋丸」

1500過ぎ 南方哨戒線上の特設監視艇「第五千秋丸」は、東方水平線上に彼我不明のマスト数本を発見。

艇長は米機動部隊と判断、緊急電を発した。以後も接触を保つ。

2100過ぎ 航空母艦3隻、巡洋艦5隻、戦艦3隻を次々に確認し、速報した。




敵水上艦艇との交戦     15回

敵飛行機との交戦     179回 

敵潜水艦との交戦      88回

海難事故             6回

その他の事故          3回

戦死者数          593名

戦傷者数          257名

沈没隻数            65隻

破損隻数           40隻

       (黒潮会資料による)



 



 

[筆者注:未完成稿です]

 

初稿  2005-06-29

第2稿 2005-07-06 「機動部隊との交戦」を加筆

第3稿 2005-07-09 「第五恵比須丸」を加筆

第4稿 2005-07-13 「工進丸」、「第五千秋丸」を加筆

第5稿 2005-11-03 「ふさ丸」を加筆

第6稿 2006-09-24 第四哨戒隊の戦歴を加筆


    
                                         
                                          宮崎 駿
                                          宮崎駿の雑想ノート
2006年09月18日

特設敷設艦「天洋丸」

テーマ:特設敷設艦
 

【特設軍艦】

特設敷設艦「天洋丸」

東洋汽船

南米及びサンフランシスコ航路用の貨客船

  

【入籍】

昭和16年  月  日付 特設敷設艦籍

【総トン数】

6,843トン


【所属】

第四艦隊・第十九戦隊(司令官:志摩清英少将) 〔開戦時〕

【艦長】

石戸勇三  大佐  (海兵36期) 〔初代:16年9月20日付、着任〕




昭和16年11月15日

呉出港。


昭和16年11月22日

トラック島着。

十九戦隊司令官の指揮下に入り、ハウランド方面攻撃支援隊として出動準備。

「ハ」攻撃支援隊は、開戦時にギルバート諸島英領マキン島とタラワ島を攻略することを下令された。


昭和16年11月29日

1300 「沖島」、「夕凪」「朝凪」〔第二九駆逐隊第二小隊〕と作戦待機地のヤルート島に向かう。


昭和16年12月3日

ヤルートに集結。

上記の他に、特設砲艦「長田丸」が在泊。

その他、基地機材等の輸送のため、徴用船「カロリン丸」、漁船「第二太陽丸」「第三高千穂丸」「神風丸」がルオットに集結。


「マキン島攻略」

昭和16年12月8日

ヤルートを出発。


昭和16年12月10日

マキン上陸作戦。陸戦隊が上陸。



「ウェーク島攻略」

昭和16年12月24日

0330 ルオットを出撃。ウェーク島に向かう。


昭和16年12月26日

0400頃 ウェーク島着。

捕虜及び陸戦隊の戦死者110名の遺骨を第六根拠地隊に転送を下令される。

1800 クェゼリンに向け出港。


「ラバウル攻略」
昭和17年1月7日

R作戦〔ビスマルク諸島攻略作戦〕部隊に編入された。


昭和17年1月23日

ラバウルを無血占領。



「ラエ攻略」

昭和17年3月5日

1300頃 ラバウルを出撃


昭和17年3月10日

1700過ぎ ラエ海岸に被弾擱座し、総員退去。

直撃弾:4、魚雷:2~3、至近弾:無数、火災:前、後部各1ヶ所

戦死:9名(うち一分隊8名、二分隊1名)、重傷:3名、軽傷:11名



【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。


[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]


初稿  2006-09-23


2006年08月13日

特設砲艦

テーマ:資料

特設巡洋艦の小型版で、小型の貨物船を改装、船団護衛や基地の防衛、哨戒、警備等に使用。 

日華事変から太平洋戦争にかけて91隻が民間より徴用された。敗戦時に残存していたのは、特設運送艦に転籍されたもの含め7隻のみ。 

兵装は8~12センチ砲2~4門、7.7ミリ機銃1~2基、爆雷等を装備。簡易式水中聴音機や爆雷120個を搭載したものもあった。12センチ砲は、アームストロング式40口径砲で日露戦争時に巡洋艦に搭載されていたもの。8センチ砲もアームストロング式40口径でこれも日露戦争当時の駆逐艦に搭載されていたものと同型。ともに最大射程は約4,000メートルの旧式砲であった。 

艦長は予備役の少佐、中佐クラスが多く任命された。

太平洋戦争の中期以降はレーダーの発達により多大の犠牲を出し、後期は主に前進基地の防衛に使用されるようになった。


【終戦時残存艦】

「第一雲洋丸」(2,039総トン)

「華山丸」(2,103総トン)

「千歳丸」(2,668総トン)

「第十二日正丸」(1,199総トン)

「那智丸」(1,606総トン)

「第二新興丸」(2,577総トン)

「第一〇福栄丸」(847総トン)


【その他】

「長運丸」(1,914総トン) 17年に第二護衛隊に編入され、ラバウルやトラックへの船団護衛に使用。

「豊津丸」(2,930総トン) 17年2月、マーシャル諸島に来襲した、米重巡「ノーザンプトン」「ソルトレークシティ」と交戦、沈没。

2006年08月07日

特設駆潜艇

テーマ:資料

捕鯨船や大型トロール漁船を利用。

浮上した潜水艦との交戦を考慮し、武装は特設掃海艇より強力。

ただし、爆雷は投射器ではなく、落下器よりころがり落とした。


【徴用】

265隻


【乗員】

17~36名

【兵装】

簡易水中聴音機1基、搭載爆雷12~24個、5~8センチ砲1門、九三式13ミリ機銃または九二式7.7ミリ機銃1基


〔昭和17年6月頃の中部太平洋方面兵力〕

第八根拠地隊[ラバウル]

  第五六駆潜隊  「第八王丸」「第三利丸」「第五寿丸」


第六根拠地隊[クェゼリン]

  第六三駆潜隊  「第三寿丸」「第三昭南丸」「第三文丸」

  第六五駆潜隊  「宇治丸」「第六京丸」「第七京丸」

  第五九駆潜隊  「昭福丸」「第五昭南丸」「第六昭南丸」


第四根拠地隊[カロリン諸島、トラック島]

  第五七駆潜隊  「国光丸」「拓南丸」「第十五昭南丸」

  第五八駆潜隊  「厚栄丸」「第十六拓南丸」「第八昭南丸」


第五根拠地隊[サイパン]

  第六〇駆潜隊  「第八京丸」「第十京丸」「珠江丸」


第七根拠地隊[小笠原]

  第一六駆潜隊  「文丸」「第二関丸」「興義丸」


 第三特別駆潜隊[パラオ]

  第五五駆潜隊  「第一元日丸」「昭和丸」「第三昭和丸」「第四昭和丸」


第一南遣艦隊

 第九特別根拠地隊[スマトラ島サバン]

  第九一駆潜隊  「第七昭南丸」「第十二昭南丸」「長江丸」


第二南遣艦隊

 第二三特別根拠地隊[マカッサル]

  第五四駆潜隊  「第一昭和丸」「第二昭和丸」「長良丸」

 第二四特別根拠地隊[アンボン]

  第五二駆潜隊  「第五拓南丸」「第十七昭南丸」「第十五福栄丸」


第三南遣艦隊

 第三一特別根拠地隊[マニラ]

  第五三駆潜隊  「第二京丸」「第十一京丸」「興領丸」

 第三二特別根拠地隊

  第五一駆潜隊  「第十二京丸」「第十三京丸」「第一東光丸」




【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂をよていしております]


初稿  2006-08-07

 

2006年07月30日

特設掃海艇

テーマ:資料

漁船を徴用し掃海具を搭載し、掃海艇の不足を補うため南方や内地で合計124隻が使用された。

200~400トンの捕鯨船やトロール(底引き網)漁船を主に利用した。

乗員は約40~50名、爆雷を4~8個、8センチ砲1門を搭載。


【開戦時編成】(一部)

横須賀防備隊

 第二十六掃海隊  第一京仁丸、第二京仁丸、第十八播州丸、昭和丸

呉防備隊

 第三十一掃海隊  第六玉丸、第七玉丸、第三拓南丸、第八拓南丸、多摩丸、大井丸

 第三十三掃海隊  眉山丸、女島丸、第五徳豊丸、二号朝日丸、第五桐丸、美代丸

 第三十四掃海隊  やちよ丸、甲山丸、第十徳豊丸、葵丸

佐世保防備隊

 第四十二掃海隊  第六済州丸、第七済州丸、関丸、第七利丸

 第四十三掃海隊  第八長運丸、第七博多丸、姫島丸、宝栄丸、ちとせ丸、新浦丸

舞鶴防備隊

 第三十五掃海隊  第一済州丸、第二済州丸、第六博多丸、第五十一播州丸

津軽防備隊

 第二十七掃海隊

宗谷防備隊      園部丸、吉野丸

馬公防備隊(台湾)

 第四十五掃海隊  第二十日之出丸、第八鶚丸、第六甲丸、武蔵丸

紀伊防備隊

 第三十二掃海隊  第二鮮友丸、第三鮮友丸、第二高島丸、第三高島丸、第三江口丸、第十二良友丸




【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。


[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]


初稿  2006-07-30


 


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