日本海軍では冷房装置が使われていたわけですが、では陸軍の方ではどうだろうかというと、こちらにも使用例があったようです。それも、時の首相の東條英機大将のお声がかりによって、というお話。
1942年7月8日、臨時軍事費によって戦車用冷房装置を調達する指示が、陸軍兵器本部長に出されています。海軍の潜水艦用と同じくフレオン冷媒使用だったようです。調達数量は97式中戦車用と95式軽戦車用が5両分ずつ。8月下旬にサイゴン(現在のホーチミン市)の第21野戦自動車廠あてに、陸軍技術本部の前島少佐以下とともに送られることになります(陸亜密2969)。その後、送り先はラングーンに変更されています。
無事に到着した冷房装置は部隊配備が行われました。戦車第14連隊の段列長の記憶では、技本派遣将校2人がやってきて、同連隊の連隊長車と中隊長車に搭載したといいます。全部で10基あるはずなので、その約半数です。「効果はまずまず」で、その代わりにエンジンオイルの冷却が少し悪くなった気がするといいます。
ただし、段列長の記憶では配備時期は1943年の8月中旬だそうで、約1年のずれがあります。「戦車冷房装置取扱指導者派遣期間延期の件」によると技本派遣将校は1942年末に引き上げているようなので、段列長の記憶違いだと思います。
せっかく装備した冷房装置ですが、フロンガスの補充がないこともあり、1944年のインパール作戦時には撤去してしまったようです。
技本の派遣将校が段列長に説明したところによると、この冷房装置は東條首相の要望で装備することになったのだそうです。段列長から話を聞いた寺本氏は、人情に厚い東條首相なので不思議ではないとしています。
東條大将については評価が分かれますが、細かいことに気がつく人であったのは確かなようなので、それらしいエピソードです。東條大将は、先進的な機械化部隊であった独立混成第1旅団を解体してしまったことで、戦車に無理解な「東條のバカ」と戦車部隊関係者からしばしば非難されます。しかし、戦車部隊を無視したわけではないとも言えるでしょうか。
なお、戦車用の設備か不明ですが、開戦直前の1941年11月中旬にも、冷房装置付の酸素発生装置が南方軍宛に送られています。技術者も送られているので、一応使用も行われたのであろうと思うのですが、私は知りません。
酸素発生装置なんて何に使ったのか、少し気になります。
参考文献
寺本弘「
戦車隊よもやま物語
」(光人社、2004年)
「兵器調達の件」アジア歴史資料センターC01000452200
「戦車冷房装置補給並取付指導者派遣の件」同C01000565700
「戦車冷房装置取扱指導者派遣期間延期の件」同C01000883400
「酸素発生装置調達の件」同C04123582400