福沢諭吉は、近代日本の最大の啓蒙思想家であった。 現在、福沢諭吉は、1万円札の肖像としても使用され、 他の知識人に比べて特別な印象をいまの世代に残している。 このことをどう考えるか? さて、右派・ナショナリストは、戦争中の日本の行為を、 あらゆる詭弁を弄して正当化しようとしている。 あれは、侵略戦争ではない。 むしろ日本はよいことをした。 南京大虐殺などは存在しない。 などなど。 「良心的な市民」は、さすがにこうした暴論には賛成しない。 「昭和」は、悲惨な戦争の時代だった。 この時代の日本は間違った方向に進んでしまった。 そう考える。 そこで出てくるのが、「明治」は良かった、という歴史観だ。 「昭和」は良くなかったが、「明治」の日本は良かった。 このように言いたがるひとが、じつは少なくない。 幕末の志士たちに感情移入して、 安っぽい政治意識を持つようになる若者までいる始末だ。 はなはだ困ったものである。 日本人の歴史観の限界は、まさにここにある。 日本の近代化をトータルに批判する力を持っていないからだ。 太平洋戦争や十五年戦争については、その侵略性が露わになるのだが、 日清戦争・日露戦争などに対する日本人自身の批判はきわめて弱い。 そこで、福沢諭吉について考えるのも、 日本の近代化を考えるうえで、とりわけ重要なことである。 福沢は、およそ教育者とは思えない発言を多くしている。 また、福沢と靖国神社との関係についても、検討すべきことが多い。 だがきょうは、福沢のアジア蔑視に絞ってみたい。 たとえば、朝鮮や台湾の人びとのことをどう述べているか。 「朝鮮……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……朝鮮人は唯頑固の固まり」(本書121頁) 朝鮮は、野蛮な国であり、朝鮮人はただ頑固なだけであり、 台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、 日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。 「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……「朝鮮……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……「土人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……「支那兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」(本書160−161頁) なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。 ……甲申政変の際にさえ「京城の支那兵を鏖(みなごろし)に」と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅(せんめつ)」「誅戮(ちゅうりく)」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁) 中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。 なんという怖ろしい「啓蒙思想家」だろう。 戦争にあたって、相手国の人間を、人間以下に描き出すことは、 侵略する側のひとびとが決まって行なってきたことである。 かつてアメリカも、日本と戦争をするにあたって、 日本人がいかに「人間以下」であるかをさまざまな方法で アメリカ国民に対して啓蒙した。 それにしても、これらの発言は、福沢に対するイメージを一変させるのではないか。 「目に付くものは分捕(ぶんどり)品の外なし。何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚(さら)へて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩(かさ)張らぬものなればチャンチャンの着替までも引つ剥((ぱい)で持帰ることこそ願はしけれ。其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、凱陣の上は参謀本部に御払下を出願して一儲(もう)け……」という私有物の強奪の勧めを書いた。さらに「生擒(いけどり)」にした捕虜の「老将」軍を「浅草公園に持出して木戸を張り……木戸銭」をとり、老将軍に「阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します」という慰み物にして金儲けをする提案までした。」(163頁) 目についたものは、すべて分捕ってくるといい、などと言っている。 しかも、捕虜にした中国の老将軍を、浅草公園に連れてきて、 見世物にしてしまおう、と言っている。 ここに見られるのは、「啓蒙思想家」としての姿ではなく、 強盗・殺人を奨励する単なる「極悪人」の姿である。 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 こんな言葉で知られる福沢の思想は、 決して日本の民主主義の立役者でも何でもなかった。 「天」に代わって日本「人の上に」天皇制と「帝室の藩屏(はんぺい)」としての華族制度をつくりだした福沢諭吉は、その日本「人の下に」被差別部落民の存在する事実になんらこだわることなく、『東洋政略論』で日本「人の下に」アジア諸国民を置き、百篇をこす論稿で男性「の下に」女性をおく家父長制的女性論を体系化し、金持ち「の下に」貧乏人を位置づけた教育論を構築した。たとえば、「今の世」で「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」という考えに基づき、“貧智者”の出現阻止のために官立大学を廃止して私学に改変することを主張したり、学問・教育も一種の商品だから金持ちが「子の為に上等の教育を買ひ」中等は中等の教育、貧民は下等の教育を購入するという貧富に応じた複線型学校論を主張し、それを合理化するために、豪農・豪商・旧藩士族の「良家の子弟(男子)は「先天遺伝の能力」をもつという遺伝絶対論も主張した。こうした貧民無視の罪滅ぼしに、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」と言って、貧民を宥(なだ)め眠らせるために、自らは信じない宗教の振興論を百篇以上書いた。(235頁) 筆者は、福沢諭吉を、 「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」 と結論づけている。 福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。 日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、 金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。 |
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まったくそのとおりだと思います |
vp 2008/05/29 21:15 |
◆vpさま |
影丸 2008/05/30 20:46 |
未だに日本人が福沢諭吉のような考えを持っているのが悲しい |
crazy hose 2008/06/30 19:41 |
◆crazy hoseさま |
影丸 2008/07/05 23:45 |
大学で福沢諭吉について学んだのですが、大体の戦争論は弟子がでっち上げたそうですよ。 |
kannazuki 2008/07/08 12:25 |
◆kannazukiさま |
影丸 2008/07/09 18:29 |
しかし弟子が書いたものだったとしてもその弟子は福沢の教えを |
↑ 2008/07/26 23:05 |
◆↑さま |
影丸 2008/07/27 16:54 |
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