今までの足跡

八方尾根合宿  喜多宏高記+青島由枝補足
送られてきた原稿には合宿参加直前の喜多の国維寮コンパについても記されていたが
同窓会には特に関係ないためWEB担当の青島の権限により省略した。

中山は電車にて参加の為5:40に到着。市川・青島組は9時ごろにペンションに到着。3人は速攻、仮眠を取る。
本当は6時着予定の喜多・猪川組は遅れること10時頃にようやく到着。そして、合宿のスタートである。

すぐさま用意を整えた5人は、八方尾根咲花ゲレンデへと歩き出す。1日券を購入(本来、1日券は4600円なのだが、大会開催で幾つかのゲレンデが滑降制限されているために、割安の3600円となっていた)し、迷わずクワッドリフトに乗る。リフトからは白馬名物の急斜面が広がり、初心者の猪川をおののかせる(猪川は今年スノボを始めたばかり。滑降歴も、琵琶湖バレイ一回のみ。これで白馬とは、確かにいささかキツイ)。中山の判断により、黒菱第2ゲレンデが猪川の練習に最適とされ、一行は更に上へと登る。上へ向うごとに視界が悪くなり、リフトの降り口の周囲は、乳白色の霧に包まれていた。昼食の集合場所と時刻を宣して、中山達はさっさとスカイラインコースへと降りていった。
 
中山・市川・青島の三人はそれなりにすべりを楽しもうと出発したわけだが、とにかく視界ゼロ、猛吹雪、それに加えてコブコブの斜面のため、まともに滑った気がしなかった。のは、私青島だけなのか?「もう、こんなのいや!!」とただ下山する事だけを考えている私と逆に、いつも先頭をきって滑っていく智くんの後姿がやたらと楽しそうに見えた為、「智くん、ムカつく!!」と何度か叫んでみた。悪戦苦闘するのは私たちだけでなく、他のスキーヤーも同様で、こんなに悪天候なのに結構人がいるので、危険極まりない状況。衝突したりメンバーがはぐれないように少し滑っては生存を確認し、そして先へ進むそれの繰り返し。根性なしの私は、「t.A.T.u.のPVみたいだぁ」と少しだけ個人的に楽しんでいたりもしたが、素直な感想は全くおもしろくなかった。それでも、ゴンドラ乗り場までたどり着き、約束の時間までに何とか集合場所にたどり着いた。
 残された猪川と付添い役の喜多も、おもむろに滑り始める。斜面が思ったより急で、猪川は横滑りでしか対応できず、さらには、リフト券が首に絡みついたのを、「落とした!」と勘違いした喜多が、猪川を置いてさっさと食堂に入ってしまったりもしたが。下の方まで滑りに行っていた中山組が食堂に着くと、喜多と猪川はウイスキーを飲んでいる最中であった。皆は思い思いの昼食を取り
(昼食は、喜多が唐揚・ポテトフライ、猪川はピリ辛唐揚だった。ビール飲みの典型的メニューである。ただし、彼らが仮眠を取る暇も無かった事実は忘れてはなるまい)、後は雑談に興じた。思いの外盛上り、3時過ぎまで喋り散らした。ゆえに、食堂を出た際には最下部のゲレンデに下るぐらいの時間しか残されていなかった(下山の付き添いをしましたが、初心者のいのっちには本当に酷だなぁと思いました。メガネが意味なかったし、一体何を見て彼は滑っていたのでしょう?ある意味すごいです。昼に飲みすぎで起き上がれず完全に体力消耗していましたが、それでも時々ターンらしい動きも見せていました。どうぞボードを嫌いにならないで下さい)

とりあえずは風呂に入り、疲れて凍てついた体を癒す。夕食までのしばらくの時間も、皆で雑談である(ここで、中山が夏の写真を皆に配る。喜多は用意していながら、自宅に忘れる)。喜多は、視界悪のために日中活躍できなかったビデオカメラを取り出し、雑談風景を撮り始めた(ただし、市川には「ビデオらしくない」と言われたが。なにせ、姫路の質屋で発見した15000円の旧式。10年前くらいのものと思われる。雑談では市川の日焼け話や喜多の色白話や新潟大学の卒業アルバム話や喜多の将来ハゲ話や斉藤カラミ話で盛り上がる)しばらくすると、食堂へと移動する。しかも、シャンパン(正確に言えばスパークリングワインである、スパークリング大好き青島の解説ページをご覧あれ)とワインとチーズケーキまで持参して。

青島が宿の主人に交渉して、シャンパンなどの飲食許可を得て、心置きなく飲み食い始める。隣に大集団がいて、多少うるさかったものの、当方もうるささでは一歩も引けを取ってはいない。この辺りの雰囲気は、暗い食堂でも威力を発揮した喜多のビデオをご覧あれ市川・青島はその解像能力に疑問を呈していた。しかし、再生された映像を見て、吠え面をかくのは果たしてどっちであろう)
 イタリア料理が自慢のペンション。準備中に漂う匂いから察するとおり、ブルスケッタに始まり、鶏肉の香草グリル、リゾットと100%イタリアン!!このメンバーでは珍しくワインをオーダーし、いつもよりはリッチな雰囲気。しかし、白ワインと赤ワインをミックスしロゼ!!と言って飲んでいるあほうもいた。食うよりも飲むことを優先し、かつ飲むより喋る事を優先した宴会は、最後のチーズケーキにて幕を下ろし、(スパークリングは中山から、チーズケーキは喜多から、このHPを作成した青島へのご褒美である。意外と気の利くやさしい男たちに、私は感動したのよ。これは宿の皆様方にも振舞った)男子部屋での二次会へと移行した。ここでは、「人はパンのみにて生きるにあらず」などという聖書の一説や、風俗業界におけるキャバクラの文化性など、少し知的な会話がなされたようだが、例によって後半部分の内容復元は不可能に近い。

次の日も、起きて見れば雪がちらつく悪天候であった。昨日の様子からして、隣の栂池高原に行く方がいいと言う意見が大勢を占め、朝食後全ての車に詰め込んで10時に宿を出ることにした。お兄さん達と記念撮影をして、二台の車は進み出すこのお兄さん達のひとりがとても美少年で喜多は一目惚れをしていた。実は私も宿に到着してすぐに遭遇したが、「おおぉ、いい男いるじゃん」と思っていた。ちょっとかわいすぎるのが難点だわ)。ところが、栂池高原への登る急坂で猪川カーが突如停止してしまう(どうも、使い古したスタッドレスに原因があったらしい)。喜多が後ろから押しても、前に進まない。やむなく二人は別ルートから高原に上がることにして、狭い雪道を必死で切り回して、坂道を今度は下る。以上を中山らに連絡して、今度は千国という地点から高原に向けて登り始めたが、先の道より若干緩やかなために二人は安堵する。ところが、苦難はまだ終わらない。栂池高原のペンション街に入り、あと少しで下り坂に入るという地点に、一台の車が立往生していたのだ。猪川もやむなく停車したものの、もはやそこからが動かない。結局、すぐ横のホテルの計らいで、牽引の車を寄越してもらえることになり、二人はしばし休憩する。結局車が再び可動可能となった時には、時刻はもはや11時を過ぎていた。滑走を断念した二人は、ありったけのスナックを持って食堂へと入った。
 
そのころ、昨日と同じく滑り隊の3人は時間もあまりないので回数券で滑りだす。どのリフトが何ポイントなのかさっぱり分からなかったり、帰りの登りリフトが動いているかも不明でちょっと不安だったが、この日はそこそこにすべりを楽しめた。ただ、この日も天気はイマイチでしかも前日の大雪のせいか、新雪がそのまま残っているところが多く、なだらかなゲレンデではハマリまくって非常に厄介であった。でも斜度のあるところの新雪ライディングはやっぱり楽しい!!その時間ぐらいかな、やっと滑ったって気になったのは。
 ここで、他の三人と合流し、昼食を食べた
(中山が持参した湖池屋「ゴーヤチップス」も、ここで食された。新発売されたらしいのだが、未だに喜多はそれを店頭で見てない)次の日のこともあり、ここらで旅行自体を切り上げる事とする(車で来ているというのに平気で酒を飲みまくっている喜多・猪川に私は少し呆れていた)。談笑しているとあっという間に2時過ぎになってしまい、慌てて出発することに(中山は白馬15:04発の特急スーパーあずさ10号で東京に帰ることにしていたのだ。これを逃すと、当日中には帰れない。白馬駅で中山を降ろし(中山を白馬駅に降ろしたのが、ちょうど15:00。中山は、例によって掛け込み乗車?を敢行、無事成功した。全くいつもの事ではあるが)、2台の車は高速に乗ってそれぞれの帰路についた。ちなみに帰りの猪川号は、往路を上回る速度で進み、伊丹には22時頃に到着した。喜多が姫路についた時には、日付は月曜日になりかけていた。青島号は高速からの運転を市川に変わり、こちらも往路を上回る速度で帰途についた。