*************************** 興福寺貫首よしあしの中 08.04.11 好悪のレベルにこだわらない 2010年奈良で開催予定の、平城遷都1300年祭のマスコット・キャラクターが話題になっている。同事業協会が採用したのは、彫刻家の籔内佐斗司(やぶうち・さとし)さんの作品で、賛否両論の展開となっている。 仏に角を生やすとはケシカランとか、気持ち悪いというような否定的反応が巷間(こうかん)の一部にあり、メディアがそれを報道する中で、くだんの作品が人のよく知るところとなったのだ。その結果、愛称募集には、全国から1万4千件を超す応募があるという。 話題の作品は、籔内さんオリジナルの童子形を基本にして、愛らしい頭部に鹿の角を生やしたもの。その角の部分だけがいわゆるユルキャラ風で、ややしっくりこない印象だが、マスコットのことだし、そう深く追及することもない――まあ、ええのちゃう(いいんじゃないの)。というのが、私などの受け止め方だ。 籔内さんに確かめたわけではないが、仏教の童子に鹿の角の組み合わせは、奈良が育んできた日本文化の根幹「神仏習合」のシンボライズであろう。ちなみに、「春日鹿曼荼羅(かすがしかまんだら)」の仏画からもわかるように、鹿は春日の神を示している。 もとより、なにごとにも好き嫌いがあるから「気に入らない」「反対だ」という向きもある。そういう反対論が大多数となれば、仕切り直しする他はないが、愛称の応募状況からみて、籔内作品は一般におおむね好意的に受け入れられているのではないかと思う。 ところが、3月27日、地元奈良の一部僧侶が籔内作品に反対、仕切り直しを求める意見書を事業協会に出したという。翌28日付の朝日新聞(奈良版)は〈頭に鹿の角「仏様を侮辱」〉の見出しの下、その代表の談話をつぎのように伝えた。 ――眉間(みけん)の白毫(びゃくごう=白い巻き毛)や長い耳は仏様の特徴そのもの。仏様をちゃかしているようで、違和感、嫌悪感がある。これが印刷されたポスターや案内物は境内に置けない。(以下略) この記事によれば、当該作品にみられる二つの仏の特徴を取り上げ、(ゆえに作品はいわば仏像であって)それに鹿の角を生やすのは、仏を侮辱・ちゃかしているというのだ。 なるほど、それらは仏の身体的特徴にちがいないが、だからといって、くだんの作品が仏像だとはいえない。仏陀の身体的特徴は、それとわかるものだけで32あり、外面的にもその大半を備えていなければ、その造形を仏像とは認定できない。 そして、実は、それ以上に問題なのは、談話の後段に示された強い嫌悪感である。どう言おうと、それは要するに好き嫌いの話であり、そこにあまりにもこだわり、かつ声高に言いつのるのはいかがなものであろう。 好き嫌いを愛と憎しみと言い換えてもよいが、仏教とは、そうした愛憎や好悪の両方を捨てることではなかったか――。すくなくとも、私の知るところではそうだ。たとえば、維摩居士(ゆいまこじ)は、――捨(しゃ)の実践される場そのものが、仏教の道場だ。なぜなら、愛と憎しみがともに断ぜられるのだから――と述べている(維摩経)。 籔内さんの思想的立場は仏教だから、その童子もまた、仏の世界を憧憬(しょうけい)するものであろう。そうであればなおさら、好悪の感情を抑えて、温かく見守るべきなのではあるまいか。 *************************** 興福寺貫首よしあしの中 08.06.13 〈せんとくん〉と〈まんとくん〉 奈良で2010年に開催される「平城遷都1300年祭」のマスコット・キャラクターが、なにかと話題になっている。 4月の本コラム「好悪のレベルにこだわらない」でもふれたように、同事業協会の公式キャラクターは〈せんとくん〉である。が、これに批判的な市民有志が別途、キャラクターを公募。今月はじめ、その中から埼玉県のデザイナー・クロガネジンザさんが制作した〈まんとくん〉が選ばれた。 つまり、公式キャラの〈せんとくん〉に公募キャラの〈まんとくん〉が加わって、またまた賛否両論が巻きおこっているのだ。しかし、さきのコラムでも指摘したように「好き嫌い」を言い募っても、なんら問題は解決しない。 ―― まあ、何はともあれ、せっかく誕生したのだから、これら2つのキャラクターを温かく見守ろうではないか。と思っているさなか、以下のような〈せんとくん〉と〈まんとくん〉の会話が聞こえてきた。 ◇ せんと「朱雀門ハットに鹿の角ですか。なかなか格好ええね」 まんと「おおきに。やっぱり奈良ですよって」 せんと「ほんまやね。奈良と鹿の関係は、なんせ8世紀の中ごろ、鹿島・香取の神さんが鹿に乗って来はってからのご縁。年季入ってます。仏教童子の僕が、頭に鹿の角はやしてるの、気持ち悪い言うけど、これ、神仏習合を表してるんですわ」 まんと「なるほど、神仏習合ね」 せんと「江戸時代の興福寺の年中行事やけど、子鹿が生まれる旧暦の5月に〈犬狩り〉というのがあったんやて。神鹿を守るための、野犬対策やね」 まんと「へぇー、すごいな。やっぱり、奈良の鹿はタダの鹿やない。けど一般の人、そのへんのこと、ようわかってへんのと、ちゃいますか」 せんと「たしかに。しかし僕ね、神仏習合は日本文化の根幹やと思うんですわ。奈良はそういう神仏習合を長い間はぐくんできたところやから、それをシンボライズしたわけです」 まんと「いわれを聞いたら、納得です」 せんと「わかってくれて、おおきに。しかし、それにしても、僕らの名前が〈せんとくん〉に〈まんとくん〉やて。うまいことつけたもんやね」 まんと「ほんま、ほんま。なんや漫才コンビみたいな名前やね」 せんと「僕らの誕生にはいろいろあったし、まだまわりの大人たちが、こっちがええあっちがアカン言うてるみたいやけど、好き嫌い言うたら限(きり)ないし、不毛や。もうこうなったら、二人で仲良うやるしかないの、ちゃう?」 まんと「僕もそう思う。同感です」 せんと「鶴は千年亀は万年て言うから、僕らで三河万歳…でなく大和万歳で、平城遷都1300年を言祝(ことほ)ぎましょ」 まんと「ほんまに、せやね〔そうですね〕。子どもの僕らが好き嫌いを乗り越えて、仲良うしたらええねん」 せんと「子どもに、好き嫌いはアカン言うくせに、大人の好き嫌いのキツイこと。僕をそないに毛嫌いせんと…」 まんと「あ、せんとくんズルイわ。自分だけ売り込んで」 せんと「ちゃう、ちゃう」 まんと「冗談やがな。しかし考えたら、お互い2010年暮れまでの、ほんまにはかないいのち――。いがみあわず、仲良くやりましょ」 ◇ 関係者や市民たちは、二人の会話をどう受け止めてくれるだろうか――。 *************************** 興福寺貫首よしあしの中 08.07.11 〈なーむくん〉のこと 2010年に古都奈良で行われる平城遷都1300年祭の、キャラクター問題がなかなか落ち着かない。 いろいろあっても、ともかくも誕生したのだから、このさい好き嫌いはやめにして、公式キャラの〈せんとくん〉と公募キャラの〈まんとくん〉とが仲良くやればいい――。というのが良識というか、いわゆるオトナの対応だろう。 そう思って、6月のコラムでは、〈せんとくん〉と〈まんとくん〉に対話してもらった。が、昨今、それでは収まらないらしい。先日またぞろ、別のキャラクターが出てきた。公式キャラの〈せんとくん〉に反対する、奈良の一部のお寺の人たちが提出したもので、その名も〈なーむくん〉だという。 新聞報道などによれば、それは、聖徳太子と太子が制定された十七条憲法をイメージしているそうだ。制作されたキャラクターの目の部分に注目すると、なるほど「一七」になっている。 まあ、いろいろ考え、手を挙げる人がいるんだなと思う他ないが、〈なーむくん〉については、以下の二点で、――それはないだろう、といいたい。 一つは、そもそも平城遷都がテーマであるのに、どうして飛鳥時代の聖徳太子なのか、という点だ。 仏教が朝鮮半島から伝来(公伝)したのは538年で、それからというもの、その受容をめぐって、わが先人たちの間でさまざまな議論が重ねられた。が、ついに推古2(594)年の「三宝興隆の詔(みことのり)」によって、仏教の受容が確定した。もとより、その功労者は聖徳太子である。6〜7世紀はじめの日本は、この仏教思想に造詣(ぞうけい)の深い人をぬきにしては語れないのだ。 しかし、和銅3(710)年の平城遷都は、太子亡き後の藤原京をも経た、まったく新しい国づくりプロジェクトだ。そのお手本の国もまた、隋から唐へと政権交代している。8世紀の平城京の話に、6世紀の聖徳太子のイメージはそぐわないのではないか。 二つ目は、〈なーむくん〉という名称である。報道によれば、「南無」から取ったというが、それが一部なりとも仏教者の側から出たことに、唖然(あぜん)かつ愕然(がくぜん)とする思いだ。 それというのも、南無は「帰依」や「敬礼(きょうらい)」を意味する仏教語で、仏教者にとってもっとも神聖な言葉だといってよいからである。 それこそ「詞(ことば)の始めは南無仏」だといわれる聖徳太子も、法然さんの「南無阿弥陀仏」も、さらに捨て聖・一遍さんの「唱ふれば仏も吾(われ)もなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」もみな全身全霊の叫びであり、だからこそ仏の世界への道もまた、大きく開けたのではなかったか。 仏や菩薩に身も心も委ね切る――。そうした重大な「南無」を、「なーむくん」なぞとはあまりに軽い。これを思いついたのが、ほんとうに仏教者なら、そのあまりのお粗末を恥じなければならない。 *************************** |