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今日のダーリン

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・同じ話なのに、別のときに聞くと、ちがって聞こえる
 ‥‥そういうことがよくあります。
 『吉本隆明五十度の講演』については、
 前にも聞いたと思っていながら、また聞き直すと、
 「もっとおもしろかったんだ」と、気づきます。
 ぼくが、いま現在考えているようなことを、
 20年以上も前に「当然来るであろう状況」として、
 なんでもなさそうに語っていることがよくあります。
 
 たとえば、「究極」ということばは、
 マンガの『美味しんぼ』のなかで使われて、
 それ以来、一般の生活のなかで使われるほどの
 ふつうのことばになっていますが、
 実際に、さまざまな進歩や競争が、
 「もう究極のところにきているのではないか?」
 という話を、吉本さんはしています。
 これが、前に聞いたときより、びびっと響いたんです。
 こりゃ、もっとすごいこと言ってたんだと、ね。
 
・おそらく、当時の一般的なビジネス書の次元では、
 「究極というにはまだまだの進歩」くらいの感覚で
 見ていたのだと思います。
 いや、いまでも、そう考えている人は多いでしょう。
 いまある進歩や競争を「究極」と言ってしまうと、
 それ以上の未来がないということになるので、
 認めたくないのだと思われます。
 でも、仕上げの微調整みたいな進歩はあるにしても、
 段階としてはほとんどのものが
 「究極」まで来ているというのが、
 正直なところ、いまのぼくらの実感でしょう。
 
 このことを認めてしまうと、
 競争や進歩の「究極(行き着くところ)」の先を、
 どう考えるか、どう生きるかということを、
 本気で見つめなくてはいけなくなります。
 「新しさ」やら「より優れている」の堂々めぐりから、
 いったん降りたらどうなるのか、これが問題になります。
 いまやってるオリンピックの進歩の記録だって、
 もう究極のところに来てますよね。
 だからこそ、ボルト選手のことが希望に見えるわけでね。
 
 いまは「究極」の先にいるんだということを、
 ちゃんと考えたら、未来がないという「恐怖」よりも、
 もっと別のなにかが見えてくるような気がするんです。
 ま、探さなきゃ見えてこないんですけどねー。
 このへんのことについては、いつも思っていることと、
 もっとうまく練り合わせて、考え続けてみたいです。 
 
「ほぼ日手帳2009」のことが、また発表されています。
今日も訪ねてくれて、ありがとうございます。

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