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【社説】

パキスタン 民主国家への一歩に

2008年8月20日

 パキスタンのムシャラフ大統領が辞任した。米国は対テロ戦争の戦略見直しを迫られよう。この政変がアジアの不安定要素を拡大することなく、民主国家への一歩を踏み出す契機となるのを期待する。

 辞任は、今年二月の総選挙で大勝した反ムシャラフ派の連立政権が、憲法違反などの罪で弾劾手続きの動きを強め、罷免が避けられない情勢となったためだ。

 十八日のテレビ演説で「国益のため自身が犠牲となる」と説明した。イスラム保守派から「裏切り者」と呼ばれながら、米国の対テロ戦争に協力してきたのに見放された、との無念さがにじんだ。

 国内で相次ぐテロ、ガソリンや食料の上昇率20%を超すインフレなどで国民の支持を失い、頼みの綱だった米国にも「パキスタンの内政問題」(ライス国務長官)と突き放されての決断だった。

 ムシャラフ氏は陸軍参謀長だった一九九九年に軍事クーデターで政権を握り、二〇〇一年六月、自ら大統領に就いた。民主主義社会とは相いれないはずの軍政を米国や日本などは後押しした。同年九月の米中枢同時テロの後、パキスタンがタリバン政権の隣国アフガニスタンへの攻撃など対テロ戦争を支持し、この戦線の拠点となったからだ。日本は同年十月に経済制裁を解除し、米国は百億ドルもの援助をつぎ込んだ。

 イスラム国として唯一、「核」を持つこの国の暴発を、曲がりなりにもここまで抑えてきた手腕は評価されるべきだが、民主的な手続きを踏まない「独裁者」が、いずれ民心を失うのはある程度予想されたことだった。

 親米のブット元首相とムシャラフ氏の手を握らせ、パキスタンの民主化への道筋を画策したのが米国である。しかし、ブット元首相はテロに倒れ、ムシャラフ氏は辞任に追い込まれ、米国のパキスタン戦略は外れるばかりだ。

 今後、懸念されるのは反ムシャラフの一点で手を組む連立政権内部の対立再燃だろう。ブット元首相の遺志を継ぐ人民党は親米路線だが、シャリフ元首相派はイスラム武装勢力との対話に軸足を置いている。これまでに三回クーデターを起こしている軍部の動きも目が離せない。「核」に対する管理への監視も求められる。

 アフガンのほか、同じ核保有国のインドと隣り合うパキスタンの今後を国際社会は注意深く見守る必要がある。民主的で安定した政権の確立への支援も留意したい。

 

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