終戦記念日の十五日、テレビで全国戦没者追悼式を見た。正午の時報とともに静かに黙とうする参列者。別の画面では、北京五輪の競泳表彰式で米国の国歌が流れ、星条旗が高々と揚がるシーンが映し出された。六十三年前、太平洋戦争の終結を、両国民はどのような思いで迎えたのだろう。
「埋もれた戦史を掘り起こしたい」。記者の発案で、本紙社会面と全県面に終戦話題と企画記事を掲載した。飢餓と強制労働に苦しみ、多くの死者を出したハンセン病療養所。子どもたちに人気のクマやサルが人間の都合で処分されたミニ動物園…。語られることの少なかった「秘史」に近づこうと、二十、三十代の記者が体験者の記憶をたどった。
取材では、証言を得ようとしていた方が最近になって亡くなっていたり、病気のため話を伺うのを断念せざるを得ないケースに遭遇したという。
それでも、長い間心にしまい込んでいた戦争体験をようやく語り始めた人がいた。残された人生の中で「あの日」の出来事を後世に継がなければ、との使命感に駆られる人がいた。
「いくら語っても語りつくせぬ戦争」。“戦中派天才老人”の異名を持っていた作家の故・山田風太郎氏は、太平洋戦争の記録をまとめた著書「同日同刻」の中で、こう記している。
年を追うごとに体験者の記憶の風化が叫ばれる。時間は限られるものの、語られるべきことはまだ残されている。終戦の節目を過ぎても、それを忘れてはならない。
(社会部・前川真一郎)