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轟の壕



糸満ロータリーから国道331号を南に1qほど行くと、県立南部病院のところで道が二手に分かれます。
左手の道を500mほど入ったところ左側に「レストランひめゆり会館・USA SHOP」という看板が立っています。
この看板向かいの路地を入ってすぐの場所に「伊敷轟の壕」(カーブヤーガマ)があります。
カーブヤーとはコウモリのことで、以前はここにたくさんのコウモリが棲んでいたと思われます。
この壕はかり大きなすり鉢状洞窟で、地下に向かって横穴状の3層の空間を持っています。
現在は、当時と多少変わってしまっている部分もありますが、住民は1階・2階・3階と呼んでいたようです。
壕の内部には東から西へ川が流れており、3階内部に入ると水の流れる音が聞こえてきます。
かつては現在よりも豊富な水量があったようで、この水の音が轟く様が壕の名の由来ともなっています。

轟の壕は戦時中、沖縄県庁の職員が避難壕として使っていたことでも有名ですが、
県庁職員の他にも、住民や日本軍の兵士たちが一緒に隠れていました。
実はこのことが、沖縄戦での典型ともいうべき、悲劇的な状況を生む要因となったのです。


  
入口部分(左) この緑に覆われた部分の下ほぼすべてがすり鉢状の壕となっています。
入口部分にはコンクリートの階段が設えてあります。(右)


  
すり鉢状の穴の底の様子(左) 米軍の場くらい攻撃で当時の様子とは違っています。
この先がいわゆる「2階部分」といわれる場所です。(右) 

  
穴の底から上空を眺める。(左)
3階部分入口(右)は米軍に爆破されて当時の様子とは異なっているそうです。


  
3階部分に入ると中には拝所が数ヶ所作られています。(左)
段差の先に水が流れているのが見えます(右)


  
この石の付近で、幼児が日本兵に銃殺されたといわれています(左)
この日本兵は、幼児が腹を空かせ、おばぁに黒糖をねだっているのを聞きつけて、
そのおばぁから黒糖を取り上げたばかりか、泣き叫ぶ幼児をこの場で射殺したといいます。
左手奥に歩いて行くと程なく行き止まりとなり、そこには池があります(右)
池には臭い水がたまっていました。流れがあるのかはよくわかりません。


  
水の流れは壕の3階部分左手より右手へ流れています。その流れは、やがて東シナ海へと注いでいるようです。