社説

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

社説:パキスタン ムシャラフ後の安定に協力を

 パキスタンのムシャラフ大統領が、とうとう辞任に追い込まれた。反ムシャラフで一致する旧野党勢力が弾劾への動きを強め、大統領は事実上、死に体と言われていた。

 ムシャラフ氏は国営テレビでの演説で、辞意を表明した。米メディアなどが「辞任近し」の観測を流し、「根拠のない報道」と懸命に打ち消していたムシャラフ陣営だが、もはや権力基盤を維持するのは難しいと判断したのだろう。

 大統領の決断を尊重したい。と同時に、ムシャラフ後のパキスタンの安定を願わずにはいられない。多くのイスラム教徒が住むこの国は、アフガニスタンにおける「テロとの戦争」にとっても重要であり、かつ核兵器を保有する国でもあるからだ。

 折から米国は、歴史的にパキスタンと対立するインドとの関係を緊密化し、インドの核兵器容認につながる米印原子力協定の発効をめざしている。インドの「特別扱い」に対するパキスタンの不満は強い。同国の政情が流動化すれば、98年の印パの相次ぐ核実験に見るような、危うい状況が南アジアに生まれかねない。

 ムシャラフ氏はその核実験の翌年(99年)、クーデターで権力を握った。親米的な人ではあるが、軍人が最高権力を握る体制は各国の反発を買った。当時の米クリントン政権は政権存続を一応認めつつも、将来の民主化を強く求めた。

 次のブッシュ政権は01年の米同時多発テロ後、アルカイダが潜伏するアフガニスタン攻撃を始め、隣国パキスタンとの関係を重視した。正統性に欠けるムシャラフ政権をテコ入れしようと、人気のあるブット元首相の帰国を根回ししたのも米国だったとされる。

 しかし、ブット氏は07年の帰国直後に暗殺され、米国の目算は狂う。ムシャラフ政権が長期的に安定するめども立たなくなった。今年2月の総選挙では、ブット氏が率いていた人民党が躍進し、同じくムシャラフ氏に批判的なイスラム教徒連盟ナワズ・シャリフ派とともに主導権を握った。

 これらの政党が大統領弾劾への多数派工作を展開すれば国政混乱は避けられない。そう考えた米国が、陰で大統領辞任を促した可能性も捨てきれまい。

 アフガンでは北大西洋条約機構(NATO)主体の部隊がイスラム武装勢力との苦しい戦いを続けている。パキスタン政府にとって対米協調は大切だが、あまり米国に傾斜すると国内のイスラム勢力が反政府運動を強める傾向がある。

 このジレンマは続くだろうし、対テロ戦争との関連でパキスタンを眺めること自体が、この国を不安定にしているとの見方もある。国際社会はパキスタンの模索を尊重しつつ、安定した後継体制へ軟着陸できるよう協力すべきである。

毎日新聞 2008年8月19日 東京朝刊

社説 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報