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│<< 前日へ │翌日へ >> │一覧2008.07.06
今日は朝、チベットのパネル展に行き、昼、名古屋で知人と待ち合わせ、二次より李登輝友の会の伊沢元彦氏講演会、再度チベット展示と忙しく移動していた。 まず、李登輝友の会のご報告を 重富会長はスマートなダンディなかた。何しろ知的でかっこいい。会発足時も二つ返事でお引き受けくださったという.。義侠心のある方でもある。今年、発足三周年。 六月一三日からの四日間、第二回、台湾李登輝訪問ツアーのご報告をされた。直前の六月十日、台湾船が尖閣領海に入り、沈没する事件があり、日台に違和感があったその直後の訪問であった。すでに、政権が民進党から国民党、馬政権に変わり、ギクシャクする中で、金美麗女史は台湾は程なく中国に併呑される危険性を指摘、フロントは台湾から日本沖縄に移転との厳しい見方をされている。 李登輝先生のお話も、尖閣は今日は語らずと前置きされての「最高指導者の条件」との話であったと報告。最終日には新政権国民党本部訪問。反日ムードの高まりはマスコミの強権により危険状態に陥る危険性も感じられたが、許世楷・駐日代表の必死の説得が功を奏したのか、領土問題は棚上げとされ、とりあえずの危機は脱しえた。 台湾もマスコミのミスリードにより危機は高まってきているが、100万人余の大陸での経済活動家と手を取り合い、中国大陸人を正しく洗脳しなくてはならないと訴えられた。 次に塚本三郎先生。聞くたびに日台歴史の中心に立たれていたそのご体験を伺うと高揚感を抑えきれない。228事件や蒋経国氏のソ連脱出劇など台湾歴史の話、両国の交流の歴史のお話は実に有意義である。 その後、「馬英九氏はアメリカ人」との見解を示された。彼はグリーンカードを持っているため、米の国籍がまもなく取れる。危険な政権であることは間違いなかろう。 県議、天野氏の激励挨拶に続き、唐沢事務局長の活動報告と方針発表が続く。 いよいよ伊沢先生の講演となる。(以下明日報告)
忙しく報告が遅れました。東京の会のほうから様子が奉告されていましたのでそれをもってフォーラム報告とします。
チベットを救え”アジア・パシフィック・フォーラム”のご報告 主催セーブ・チベット・ネットワーク、後援ダライ・ラマ法王日本代表部事務所による「チベットを救え!アジア・パシフィック・フォーラム 〜地球への思いやり(Compassion for the Planet)〜」は、ダラムサラよりチベット亡命政府のケサン・ヤンキ・タクラ外務大臣をお招きし、参加者として、オーストラリアの国会議員ピーター・スリッパー氏をはじめ、台湾からの参加者と日本の国会議員多数の参加とご協力をいただいて、有意義に盛大に行うことができました。 なんとしてでもサミットの中でチベット問題を議論していただきたい、チベット問題を風化させてはならないという思いから、フォーラムを開催いたしました。 7月2日の公開フォーラムでは、参加者による意見発表や質疑応答がなされ、7月3日にはそれをもとに決議文の作成作業が真剣に行われました。結果として、明確な強い主張の決議ができましたことを、大変喜んでおります。 さっそく、この参加者すべての思いのこもった決議書を日本の「チベット問題を考える議員連盟」の代表である枝野幸男衆議院議員により、各国大使館を通じてサミット参加各国の首脳に届ける作業をおこないました。 また、このフォーラムのことが、各種新聞やTVのニュースとして報道され、 特に、タクラ大臣の謙虚かつ真剣な態度が、日本のみならず世界の人々の好感をいただくこととなりました。 今、チベットは、50年間の中で最大の非常事態にあります。 この最大の悲劇的な状況をひとつのチャンスとしてとらえ、チベット問題の平和的な解決に向けて、チベットの力とそれをサポートする全世界の人々の力を結集して、国際世論を高め、各国の政治を動かし、中国政府に対し、チベット政策の大転換を迫っていきたいと思います。 ダライ・ラマ法王の主張する、「独立ではなく、高度な自治とチベット人のアイデンティティーの確立」のため、最善の努力を展開していきたいと思います。ひきつづき、セーブ・チベット・ネットワークの方針と活動にご理解とご協力をくださいますようお願い申し上げるとともに、このフォーラムの成功の報告とお礼に代えさせていただきます。 セーブ・チベット・ネットワーク 呼びかけ人 牧野聖修 (一部省略) 名古屋からは七名参加、内、林代表ら二名は翌日の宣言文作成お呼びマスコミ発表に参加のため東京残留。さらに今日のダライラマ師の誕生パーティー参加のため上京。東京でもに参加している。 チベットIN名古屋パネル展示 昨日に続き、今日は名古屋テレビ塔下にて展示活動。総勢十五名ほどの運営委員で行う。 見学にみえた方に、明るく説明をされていた。小雨が降り夕刻4時頃には終了となった。 後、今後の運動十九日のペマギャルポ・王進忠氏らをお招きしての講演会の準備会議をされた。 みな実に若くたくましきメンバーで好感が持てる。 一番の悩みは資金問題だそうだ。 このメンバーががんばらねば時代は変わらない。皆さんの熱意に大いに感動した。見学に参加させていただき多いに勇気づけられた。是非がんばっていただきたい。
どこかおかしい。御皇室に絡む批判が様々に、巧妙な形で提起されている。創価学会が宮内庁外務省に相当はいりこんでいて、皇太子のブラジル訪問時には鳥居を布で覆うなどの操作がなされたり池田大作氏の長男と写真に映られたした記事が載る。富田メモの存在もご家族の中核派人脈の所産だったようではあるがそのメモの真贋論争は真になされなく、既成事実化される。
とりわけ、今回の西尾幹二論文は、保守派の論客からの提起であるが故に、その影響は極めて大きい。私も反対意見を雑誌に投稿したが、西尾論文に反対する主張は少数とさえ言われる。 友人より資料を送付していただいた。田中先生の「日本」誌に発表されてみえる文章である。田中先生は元皇學館大学学長。小生も学生時代、名古屋大学にお呼びして講演会を主催したことがある。名大教養部第一講義室での講演会であったが、不覚にもクロヘルのメンバーに占拠されて開催が危ぶまれたが、妨害行動を跳ね除け、言論弾圧を許さず、無事開催にこぎつけた体験もある。以下引用したい。 西尾幹二氏に問う「日本丸の船主は誰なのか」 忠諫を装う放伐の詭弁を憂う 田中卓 皇學館大學名誉教授 西尾幹二氏の「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」これはオピニオン誌「will」の今年5月号・6月号に連載された長論文(計三0ページ」である。小欄では漸くは不可能だが、幸にも竹田恒泰氏が同誌の七月号に寄稿した「西尾幹二さんに敢えて注告します。これでは朝敵といわれても;;」に詳しいので、その小見出しを摘録してないようを察して貰おう。 ○保守派を装った左派の論文○百害あって、一利なし○東宮に対する不信○一言で言えば「卑怯」○西尾論文の構造○お世継ぎ問題こそ本質○東宮妃殿下は反日左翼か○妄想に始まり妄想に終わる○船と乗客のたとえは不適切○患者(雅子妃殿下)に対する配慮に欠ける○皇后は「祭り主」ではない○(皇太子殿下は)必ずや立派な天皇に○読者よ目を覚ませ! ほぼ的を射た竹田氏の注告::西尾氏は、戦後保守論壇の雄で、私の知己でもある。その威力はクラスター爆弾の威力に似る。それに正面切って「注告」:「注告」でないのが妙:した竹田氏の志気は称揚に値しよう。皇室に関する文章も、祖父「恒徳(つねよし)王」まで旧皇族であられただけに実証的、(ただし、同誌のプロフィールが、恒泰氏を「明治天皇の玄孫に当たる」と紹介するのは、、明治天皇を基本とすれば、女系容認の立場からの表現となり、男系原理主義の同氏にとっては迷惑のはずだが)週刊誌的情報を基にした西尾氏の弱点を衝き抑揚のきいた的確な記述で、ほぼ批判の目的を果たしているといって良い。 しかし、的の内院を射ているかというと疑わしい。西尾市の主張の個々は論破されても両者共に日本の国体観に対する確信が乏しいからである。 例えば、竹田氏は西尾氏が比喩に用いた「船と乗客に対するたとえは不適切」というのはその通りだが、「不適切」の理由を「天皇の本質を無理に単純化させた結果生じた誤り」とするだけでは物足りない。 これは左様な抽象化・単純化による説明の謝り程度の問題ではない。日本の歴史と国体に対する無理解であり、それを追及するのが真の論争である。 西尾氏の理解する「天皇制度と天皇(及びその家族)との関係」::この点について同氏は次のように述べ、同じ内容を三度も繰り返しているから、これが同氏の基本的認識であることは明瞭であろう。 「比喩で言えば船と乗客との関係である。乗客は今たまたま船に乗っているが、船主ではない。天皇家は一時的に船をお預かりしている立場である、と」「天皇家の人々は天皇制度という船の乗客であって、船主ではないと私は言った。船酔いをして乗っていられない個人は下船していただく以外にないだろう。」 右の最後の文章の「船酔いをして乗っていられない個人は下船していただく以外にないだろう。」というのは単なる比喩ではなく、先の敗戦までは耳にすることがなかった、恐ろしい発言である。 なぜなら、これにつづけて「松崎敏爾氏が「場合によっては秋篠宮への皇統の移動も視野に入れる必要がある」と大胆に提言しているのは納得がいく」と肯定しているから、西尾氏の「船酔の個人は下船するが良い」と慫慂(しょうよう)するのは明らかに皇太子殿下に退位を示唆するに等しいであろう。 現に西尾氏は「雅子妃殿下は天皇制度の内部に入ってそれを内部から少しずつ崩しているいわば獅子身中の虫」といい、それを諌めることが出来ない皇太子殿下は「皇族としてのご自覚にあまりにも欠ける処」があり、「一言で言えば「傲慢」の罪を犯しておられる」とまで極言する。 そしてかくなるうえは、「この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない。」と揚言している。 まるで脅迫に近い。 竹田氏の文中には「朝敵」という言葉は見当たらないようだから、おそらく編集者がつけたと察せられる副題に、「これでは「朝敵」といわれても::」と刺激的な勝二が躍るのも無理あるまい。 西尾氏にとって「船」の「船主」は誰なのか。::西尾氏の解釈を箇条書きにすれば次の通りである。 一、日本には天皇制という「船」がある。(便宜上日本丸と仮称)二、たまたまその船に乗った「乗客」があり、それが天皇家の人々である。三、その天皇家の人々は日本丸をあずかっているだけの立場であって、「船主」ではない。四、だから、乗客(個人)のなかで船酔いして乗っていられない場合は下船してもらう他はない。 というわけだ。一見わかりやすい筋書きのようだが、個々には巧妙に隠された陥穽がある。それは「船主」を明らかにしていない点である。 無理もない。今は占領憲法による主権在民の時代であるからだ。そして国民が日本丸の「船主」であるとすると、西尾氏の説く筋道は明瞭となろう。つまり天皇家の人々は、国民船主である日本丸にたまたま乗り合わせた乗客で、日本丸を預かっているだけだから船酔いして具合の悪い人は、皇太子といえども下船して貰おうというのである。 西尾氏は皇室に慇懃な言葉を使い、巧みな論理を操るので、一般には天皇制度を擁護する忠諫の士とみられているが、実は天皇制度という船の中に彼の判断で不適当と思う人物(乗客)があれば、その人物をいつでも下船(放逐)させ、場合によっては制度そのものの「廃棄」も辞さない非常な「無関心」派に過ぎないのだ。 そしてその思想は彼が32歳当時の座談会(土屋道雄・処功両氏との鼎談。「論争ジャーナル」昭和四十二年12月号)の中でもすでにみられる「僕自身の個人的感情に則して言えば、天皇に何ら怨恨もなければ、何ら愛情もないという無関心な感情ですね。非常にその点、僕の場合、天皇に対する感情は希薄ですね。」 真実の国史を学ぼう かような恋けつの心無き知識人の無関心が、やがて革命論に通底し、事あるときには万世一系の国体を「廃棄」するに至るのだ。いわば禅譲放伐の現代版である。 私共は今こそ心して日本の歴史を学ばなければならない。およそ二千年前、神武天皇を英主とする日本国家建国の史実に関しては拙著「祖国再建」に述べた。(以下略 引用以上) 西尾氏が天皇制擁護のフリをしながら、皇太子妃殿下のご病気を仮病と断じ、退場をもとめると主張される事、さらに、皇太子に退位を示唆するに等しい暴言とし、「先の敗戦までは耳にすることがなかった、恐ろしい発言である。」と指摘されている。 私にとっても、昭和四十八年、児玉誉士夫の天皇退位論以来の、衝撃的な論に映っていた。同時にかつての真珠湾攻撃時、この戦法をとらなければ、辞任すると脅し、さらに図上演習で勝ち目のないミッドウエー作戦をも、辞任をちらつかせ強行した山本五十六のごり押しと、西尾論文がパラレルに思えてならないのだ。 国策を謝らせ、国民を危殆に導く愚論に映る。西尾幹二氏には自らのご発言の行き着く先が、何かを胸に手を当てて考えていただきものである。 西尾氏はまだ論を進めるとされる。妃殿下のご病気に対しての配慮が全くないとは情けなき保守リーダーである。貴殿が追及すべきは、君側の奸たる取り巻き者の不明であり、創価学会のプレッシャーである。 間違いなく皇后になられるお方に対してかかる言をもって対するは、保守の矜持を失った下賎のやからと断じざるを得なくなる。敬愛する西尾先生がより深く御皇室の本質にせまられん事を願ってやまない。 │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |