2008年08月16日
8月15日
洗礼者、聖ヨハネ(左下)、聖イリラウス(右下)、聖トマス(右上)、聖ベルナルドゥス(左上)が四隅に描かれている。
この絵が描かれた当時、マルティン・ルターによる宗教改革が大きく進んでいたさなかであり、コレッジョの類稀なダイナミックな表現は理解されなかった。しかし、ティツィアーノ(ヴェネツィア派の巨匠)はこの天井画を絶賛、以降の芸術世界に大きな影響を与えた屈指の傑作である。私にとって被昇天の絵といえば、圧倒的にこの天井画の印象が強い。
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昨日は終戦記念日。かつて日本がポツダム宣言による無条件降伏の敗戦を受け入れた日として63年目の夏。第二次世界大戦の最終局面として、目も当てられない悲劇的で壮絶な総力戦となった太平洋戦争で終わることになる。15年間に及ぶ長い戦争で失われた日本人の命はおよそ310万人(うち民間人80万人)。日本が植民地獲得を狙った環太平洋西側地域、および東南アジア地域の犠牲者は実に千数百万人から2000万人弱にも達する。しかも民間人の犠牲者の圧倒的多数が最後の10ヶ月で死亡している。沖縄の地上戦、大阪、横浜、東京などの大空襲、そして、広島、長崎の原爆。あまりに戦争を終わらせる決定が遅すぎた(「遅すぎた聖断」)ことは取り返しのつかない不幸であった。
靖国神社へ祀られている「御霊」は合計で二百数十万にも及ぶ国のために戦死した兵士たちのみである。毎年多くの参拝者を迎えており、れっきとした神道の神社であるが、毎年キリスト教徒でまとまって参拝するグループもある。まとめ役は横浜、山手教会の野村勝美。彼自身のホームページから読むと町工場の社長だそうだ。匿名の陰に隠れずに発言、行動している点は自身の責任を伴った行動だということはできるが、彼の認識、態度、行為など私は何一つ賛成できない。
数日前、国立公文書館で公開された東條英機の戦争最終局面における自筆の草稿が見つかり話題を呼んでいるが、あの矮小で無責任な戦争指導者に日本という国家全体(当時それは国体と呼ばれた)を引きずらせた日本の悲劇は、今も癒えていない。
8月15日、この日は中国のぼろ船に乗ったイエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエル一行が上川島を経て1549年、現在の鹿児島市祇園之洲に上陸した日でもある。また、イエス・キリストの母マリアが逝去し、3日後に昇天したとされる日でもある。これをして西方教会カトリックでは聖母被昇天の日、東方教会では聖神母就寝祭の日としてミサを捧げ、国によっては祝日とされている日でもある。ここ吉祥寺のカトリック吉祥寺教会でも朝、正午、夕方と日3回のミサが立てられた。
多くの象徴的なできごとがこの8月15日という同じ日に重なった国、日本。何という印象的な偶然だろうか。昨日もまた、63年前と同じく暑い一日であった。
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この記事へのコメント
1. Posted by Kirishitan
2008年08月16日 03:21
私は大東亜戦争で死んだ日本人戦士の犠牲をいつまでも覚えていたいし、そういう意味での慰霊を重んじる。
でも、だからといって、日本のあの戦争が侵略戦争であったことを否定する気はない。
日本人の死亡者以上に、たくさんの他のアジア人たち犠牲になっている。
だから、私は個人的には靖国神社には参拝しないが、他の人にはそれぞれの立場があるから、他の人の意見は尊重する。
私なりに、慰霊の気持ちを持っているが、それが靖国参拝という形をとらないだけ。
靖国がいやなのは、私にとって、国家神道の理念そのものが、日本古来の教派神道の理念から大幅にずれていっているせいもある。
日本古来の神ながらの道はすばらしいし、古来の神道は日本の宝である。でも、明治以降に成立していく国家神道とは違うと思う。
でも、だからといって、日本のあの戦争が侵略戦争であったことを否定する気はない。
日本人の死亡者以上に、たくさんの他のアジア人たち犠牲になっている。
だから、私は個人的には靖国神社には参拝しないが、他の人にはそれぞれの立場があるから、他の人の意見は尊重する。
私なりに、慰霊の気持ちを持っているが、それが靖国参拝という形をとらないだけ。
靖国がいやなのは、私にとって、国家神道の理念そのものが、日本古来の教派神道の理念から大幅にずれていっているせいもある。
日本古来の神ながらの道はすばらしいし、古来の神道は日本の宝である。でも、明治以降に成立していく国家神道とは違うと思う。
2. Posted by ゼロ
2008年08月16日 08:29
太平洋戦争での多くの犠牲のうえに現在の日本の平和があり、豊かさがあることを思い、
戦争の惨禍が二度と日本の国に下らないよう祈ります。
3. Posted by まる
2008年08月17日 15:52
多くの犠牲の上に現在の平和があるーーと言う言い方は、あたかも平和のために犠牲が必要であったと、多くの犠牲をもたらした戦争自体を肯定するかのようで、いやですね。戦争を遂行した責任、多くの犠牲を強いた無謀な軍国主義の指導者の責任はこれからも追求されるべきでなかろうか。もう、戦争はこりごりだという、多くの人たちの願い、反省、努力でこんにちの平和がかろうじて保たれているにすぎない。戦争で被害を受けた多くの人たちが気の毒でならない。15日のNHKスペシャル「レイテ決戦・生存者が語る地獄絵」などを見るにつけ、そう感じます。
4. Posted by ゼロ
2008年08月18日 01:17
私も戦争自体を肯定などしていませんが、文章力が足りなくてスミマセン
私は戦争をしないでは居られない人類という種の未来に興味津々です。
聖書には「この世界の終末」が説かれています、終末が何時なのかも興味津々です。
次の世界には戦争は無いはずですね。
*参考になると思います。
聖書的セカンドチャンス論
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/seiseco.htm
久保有政牧師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%9C%89%E6%94%BF
メッセージ「神の国が来るとき」
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/shukaimap.htm
久保有政、著
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/List?cnt=2
(検索欄に久保有政と入れて検索)
私は戦争をしないでは居られない人類という種の未来に興味津々です。
聖書には「この世界の終末」が説かれています、終末が何時なのかも興味津々です。
次の世界には戦争は無いはずですね。
*参考になると思います。
聖書的セカンドチャンス論
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/seiseco.htm
久保有政牧師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%9C%89%E6%94%BF
メッセージ「神の国が来るとき」
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/shukaimap.htm
久保有政、著
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/List?cnt=2
(検索欄に久保有政と入れて検索)