涼宮 ハルヒの憂鬱
善良な市民×成馬01×キクチ




【涼宮ハルヒの憂鬱】

 原作は谷川流による角川スニーカー文庫の人気ライトノベル。
 未来人や宇宙人や超能力者が大好きな電波系不思議ちゃん女子高生・ハルヒが、取り巻きを集めて文化系クラブ(SOS団)を結成、草野球したり夏合宿した り学園祭で自主映画を撮ったり、青春を満喫する物語。
 京都アニメーションの高い作画力などで、2006年春期のTVアニメで断トツの話題作となった。

(登場人物)

涼宮ハルヒ:ヒロイン。SFやオカルトが大好きな不思議ちゃん。美人だが性格ブスで友達がいない。キョンたち取り巻きをGETしてSOS団を結成する。メ ンバーの正体にはまったく気付いていない。
キョン:語り手。平凡な男子高校生。SOS団のメンバー。ハルヒに振り回される常識人。
長門有希:SOS団のメンバー。無口で本が好き。実は宇宙人。
朝比奈みくる:SOS団のメンバー。コスプレの似合う萌えキャラ。実は未来人。
小泉一樹:SOS団のメンバー。イケメン男子高校生。実は超能力者。



【素 直に「青春したい!」と言えない人たち】

●善良な市民
 僕はこれ、原作は最初の1巻が出たときに読んでいるんです よ。
 角川スニーカー文庫(注1)って、角川本社の所 属の老舗レーベルのくせに、角川系ではもっとも悲惨な負け組みレーベルだったわけですよね。
 それがこの作品に何年かぶりの「スニーカー大賞」をあげて どーんと売り出してきた。対象年齢も明らかに高いし、これは「本気で売り出してきたな」って思いましたね。『ブギーポップ(注2)』以降のライトノベル読者の高年齢化の流れが、はじめてスニーカー文庫で前面化した作 品だと言えると思います。あまりに遅きに失している感はありますけどね(笑)。

 で、これって要するに「不思議ちゃんの彼女が欲しい」って話 です よね。
 この作品の本質はメタ構造でもなければSF設定(世界改変能 力云々)でもない、(恋愛を含む)「こんな青春がしたい」妄想の屈折した表現ですよ。
 この手のオナペット産業に一切思い入れがない人間から断言さ せていただきますが(笑)、この作品は「自分は恋愛(に代表される日常世界でのロマン)にたどり着けない」と劣等感を抱え込んでいる男の子たちの現実逃避 装置としてかなりよくできている。SF設定もメタフィクションの導入も、全部「萌えオタの自己正当化と現実逃避」のために機能しているんです。

 この作品は簡単に説明すると、「不思議ちゃん」すぎて友達が いない美少女ハルヒを、主人公の男の子(キョン)が優しく見守るって話なんです。ヒロインのハルヒは「日常は退屈でつまらない、宇宙人や超能力者や未来人 がいてくれればいいのに」とずっと思っていて、実際に屋上でUFOを呼んだりしちゃう「不思議ちゃん」です。
 
 でも、よく考えたら明らかに「日常の中に楽しみを見つけられ ずにダダをこねている」のはハルヒ以上にキョンなんですよね。キョン(=この作品のファン)こそが「困った不思議ちゃん(ハルヒ)を温かく見守る」という 非日常から離れられなくなっている。
 これって、典型的なオタク男子のパターンなんですよ。普通の 女の子とは付き合えそうにないからいじけて二次元の美少女キャラに走る。でもそれじゃ寂しいから、妥協案として(笑)「不思議ちゃん」や「メンヘル女子」 に走る。「自分よりかわいそうな女の子を助ける」というロマンに溢れたストーリーを勝手に脳内につくって暴走しちゃうんですよ。『NHKにようこそ!(注3)』の佐藤君タイプですね。
 この作品って、間違いなくこういうメンタリティをもっている どうしようもないオタク男子たちを気持ちよくさせるためにSF設定やメタフィクションが導入されているんですよ。
 「不思議ちゃん」ハルヒを「常識人」キョンが見守るという構 図は、キョン(=ファンのオタク男子)こそが非日常に現実逃避ばかりしている貧しい存在だという事実を隠蔽してくれるし、ハルヒの「世界改変能力」は「非 日常を望んでいるのはあくまでハルヒですよ(君はちゃんとわかっていますよ)」というサインを出してオタク男子たちを安心させる効果を生んでいる。巧いで すよね、これなら無駄にプライドの高いオタク男子も安心してハマれる。

●narima01
 俺は基本的には好きですよ。
 今って青春ものの群像劇って映画でも漫画でも流行ってるじゃな いですか。惑星で取り上げたものの中でも『ハチクロ(注4)』とか『リンダリンダリンダ(注5)』とかあって、『ハルヒ』はそこに素直に行けない人のための学園青春ものとして受け取っ てます。
 だから特にアニメの方なんですけどオタク版『ハチクロ』として 楽しみましたね。
 多分俺とか市民さんくらいの歳になると『ハチクロ』とか『リン ダリンダリンダ』とかって普通に良いって言えると思うんだけど、思春期くらいで、そういう青春モノが敵に見えてしまう人達って居るわけですよね。「スクー ルカースト最下層の俺達はそんな青春を送れないんじゃぁ〜」みたいに思って。
 でも、そういう人達だって実は青春したいわけですよ、自主制作 映画作ったりフォークダンス踊ったりライブで盛り上がったりしたいわけですよね。グループ交際したいし、女の子と帰り道を歩いたりしたいわけですよ。
 そういう人たちがメタとかSF設定とかキョンの勿体ぶったモノ ローグとか経由してやっと青春にアクセスできるんだなぁって思って感慨にふけりました。その意味でアニメ版は素晴らしいですね。
 まぁ、最終的には市民さんの言うキョンの問題とどう向き合って モラトリアムを終わらせるか?で最終的な評価は決定するんだろうけど、それまで『青春のリハビリ』としてハルヒを楽しむのも悪くないんじゃないかなぁって 思いますね。未来人や強化人間となら青春できるんだから普通の人間まであと一歩ですよ。

●善良な市民
 結局ハルヒって友達欲しいだけじゃないですが。「不思議ちゃ ん」って要するにそのキャラを許容してくれる人間関係がないと成立しないものですからね。
 SOS団って結局やっていることは、その辺のありふれた文系 サークルと一緒なんですよね。夏休みに合宿したり、草野球したり、自主映画撮ったり。実は等身大の青春で満足しているんですよ。
 この辺、谷川流ってよくわかっていますよね。ハルヒも、この 作品が好きなオタク男子たちも、「酸っぱい葡萄」状態にあるんですよ。 本当は「等身大の青春」に憧れているんです。でも、残酷な話 だけどおそらくはスペック上の問題で、それが手に入らない。でも、そんな悔しさを素直に認めたくないんですね、プライドが邪魔して。それで「私は(俺は) 日常で手に入る程度のロマンでは満足できない、非日常的なロマンじゃないと満足できないんだ」と、自分で自分に言い聞かせている。
 だから、このシリーズって複雑な気分にさせられるんですよ ね。
 「この作者ってよくわかっているなあ」とも思うし、「ここ ま で言い訳しないと等身大の青春が欲しいって素直にいえないのか」と思う。

●キクチ
 基本的にイベントの言い出しっぺはハルヒで、キョンは止めに 入るじゃないですか。んで、古泉に「神人を暴れさせないため」とか言われて、しぶしぶ参加する。このパターンがね。お前は「世界の危機」レベルの理由がな いと、女の子と遊びにいくこともできんのかと(笑)
 そういうベタベタな「グループ交際的なもの」に背を背けたく なる気分は分かるんですけどね。あくまで「世界の危機」だから、「仕方なく」参加したいという。これは思い当たる節があるだけに、痛い(笑)

 えー、思春期の若人向けにはっきり言っときますが、キョン君 のような態度をとっていると後で絶対後悔します。誰かがイベント発案したら、格好付けずに大乗り気で手を挙げましょう。それが人生楽しく生きるコツです。

●narima01
 あとヒロインのハルヒの苛立ちが凄い好きです。
 俺も高校くらいのころノストラダムスの大予言とか信じて、どう やって地球を守ろうか、伝説の剣が俺の家の物置にないかなぁって探してた夢見がちな少年でしたから。
 まぁ今考えると思春期のモテないし勉強も運動もできないダメな 自分から目を逸らして具体的な努力をしないための誤魔化しだったんですけど、それも含めて思春期じゃないですか(笑)

 だからハルヒの非日常を求めてるんだけど出会えないでイライラ してるのはよくわかりますね。
まぁできればもっとダメな部分を描いてくれると良いんだけどなぁ とは思いますけど。
 でもそれでいて、非日常を否定するんじゃなくて「奇跡は君の知 らないトコで起こってるんだよ」ってのも作者優しいなぁって思います。

●善良な市民
 ただね、僕もさすがにSFやファンタジーにまでは走らなかっ たけれど(ノストラダムスとか全然気にしてなかったし、基本的に毎日は楽しかった)、やっぱり高校時代に「等身大の青春がしたい」って自分の欲望は素直に 認めたくなかったですよね。男子校だったんですけど、明らかに女っ気は欲しかったですよ、そりゃあ(笑)。でも、それを素直に口にするのはちょっと恥ずか しい、みたいな空気はありましたよね。 だからプライドの高いオタク男子たちが、この作品に惹かれるのはよくわかる。

 成馬さんとも放映期間中、よく話題にしてたんですけど、第 12話なんて『リンダリンダリンダ』そのままじゃないですか。でも、実際にこの映画みたいな青春に憧れていればいるほど、素直に「こういうのっていいよ ね」って言えないと思うんです。そんな人たちがリハビリのために、言い訳をしながら『ハルヒ』を消費していけばいいんじゃないかって思いますね。
 そして、ちゃんと数年後には『ハチクロ』とか『リンダリンダ リンダ』に惹かれる自分に素直になれたらいいですよね。

●narima01
 これもだから、どう落とし前をつけるか?で評価が変わります ね。荒唐無稽な非日常から、手の届く範囲のイベントの喜びを見つけることでうまく着地できればいいのになぁとは思うんですけどねぇ。
 まぁ逆に非日常を求めすぎて帰ってこれなくなってバットエン ドってのも見たい気もするけど(笑)

●善良な市民
 ただ、この作品って成馬さんの言う「作者の優しさ」が仇に なっているところがあって、せっかく日常への出口がチラついているのに、作者が優しすぎる(裏返せばクレバーに意地悪すぎる)んで、オタク男子たちが「非 日常へ憧れ続ける僕らって、夢見人でカッコイイ」とか思っちゃえるようになっているんですよね。それがさっき話した「キョンの非日常への欲望が隠蔽されて いる問題」に端的に出ている。

 でも、実際はこれまで話してきたように、こういう「等身大の ロマンじゃ満足できない派」=「本当は等身大の幸せが欲しいけど手に入らなくていじけている派」なわけじゃないですか。ここを甘やかしちゃうのが人気の秘 密であり、同時に弱点になっている。この作品が狙い打ちしている無駄にプライドの高い萌えオタか、オタクという社会現象に興味がある一部の視聴者(僕らみ たいな層)を除けば、たぶんただの美少女アニメにしか映らないと思う。

●キクチ
 言ってしまえば、ハルヒはキョンの願望を実現するための装置 ですからね。そりゃ女子が勝手にコスプレ強制してくれたら楽でしょうよ。男は「おいおい」とか言いながらニヘラニヘラしてればいいわけですから。こういう オタクの願望丸出しの話を、「世界は涼宮ハルヒを中心に動いている」という設定で上手くカモフラージュしている。これは上手いギミックだなあと思った。

●善良な市民
 あと、これも成馬さんと放映期間中によく話してたんですが、 ハルヒはちゃんと「つまんない大人」になって欲しいですよね(本当は絶対に今より面白いんだけど)。
 ハルヒって、実際はたぶんあんな美人じゃなくて「観ように よっては可愛い」くらいの娘じゃないですか。キョンもたぶんあんな無味無臭な外見はしていない。
 そんなハルヒがちゃんと「つまんない大人コース」を歩んでく れたら、これ、すごくいい話ですよね。大学で「垢抜けたいんだけどイマイチ乗り切れない」タイプのぬるーい文化系サークルに入って、サークルクラッシュし たり。OLになったあと自分探しでいきなり退職して南の島行ったり語学留学したり(笑)。
 でもそれって、宇宙人や未来人や超能力者と出会うことより、 ずっと面白いことなんですよね、本当は。
 
●キクチ
 ハルヒの奇行の動機は子供の頃、野球場に行ったエピソードに あって、大観衆の中で初めて自分のちっぽけさを思い知ったと。それで普通の人間には興味がない、特別がいいんだという思考に至る。キョンはそんなハルヒを 半ば呆れながら見ていますが、実はキョンだって、一般人なのに何故かSOS団に入れている。キョンの「特別でありたい」という欲望は最初から満たされてい るんですよ。都合のいいことに(笑)
 つまり、キョンの居場所は安全地帯なんですね。ハルヒが大観 衆を見て以来、晒され続けている不安。「自分は何の意味も価値もない人間なのではないか」。これがキョンに突きつけられることはない。その不安を払拭しよ うとハルヒは必死になっているというのに。キョンはハルヒにとって(またハルヒを取り巻く諸々の集団にとって)、既に「特別」である。だから、人ごとのよ うな顔していられるって面もあるわけです。これはちょっとズルいなあと思う。お前は何もしてないじゃん、っていう。

●善良な市民
 これ、ちゃんとハルヒが普通のつまらない大人になったらすご くいい話ですよね。巧妙に隠蔽されているキョンの非日常への憧れも昇華できるような終わり方になったら言うことないですよ(笑)。


【「メ タ萌え論」の限界、そして……】

●善良な市民
 この作品って『機動戦艦ナデシコ(注6)』あたりから続く「メタ萌えもの」の系譜にあると思うんですよ。基本的に「萌えアニ メ」なんだけど、オタクの動物化に対して批評的な要素がメタフィクションとして提示される作品ですね。『NHKにようこそ!』とか。
 ここ10年、『ハルヒ』に惹かれるような「酸っぱい葡萄」系 のファンってこういったメタ萌え作品を拠り所にして、自分の現実逃避を正当化していたところは確実にあったわけです。こうやって「本当は日常世界で自己実 現したいのに、それを素直に認めたくない自分」を延命していたわけです。

 でも、『ハルヒ』あたりまで煮詰まると、やっぱり「本当は等 身大の日常で充分素敵なんじゃないの?」ってツッコミを内報せざるを得ないし、そこが出口にならざるを得ない。
 これってある意味「メタ萌え」ものの敗北宣言であり、限界を 示しているんです。そして、こういうことをよくわかっている点が『ハルヒ』をこの類の作品たちから頭二つくらい出た作品にしている。

●narima01
 言っちゃえばコレ、ビューティフルドリーマー(注7)が前提の『うる星やつら』なんですよね。最初にハルヒの夢なんですよ。って前提を見せ て、それで夢であることを前提に楽しみましょうよっていう。それでキョンや他の部員が何やってるか?っていうと夢のメンテナンスなんですよね。つまりキョ ンたちが夢邪鬼の側にいるんですよ。
だから最初にこの設定見た時に感心しましたよね。
 まぁ後は壊すか夢を延命するだけで選択支が実はあるようでない んですけど(笑)。
 ただそうやって描かれてるのが普通の高校生の日常ってトコが面 白くて、あぁそれがオタクの夢なんだと逆説的にわかるようになってる(笑) 。
 俺はこの作者を基本的には信頼してるんですけど、少なくとも、 この作品に関して言うならハルヒが非日常にアクセスできないっていうルールを守ってるトコなんですよね。バックでは一応SF的な壮大な設定があるけど、そ れは背景ってことで、やってることは普通の高校生の日常で絶対、ハルヒが宇宙で大冒険とかそっちには行かないわけですよね。そのルールを守ってる限りにお いては大丈夫だと思うんですよ。

●善良な市民
 うーん、妄想のレベルを「SFやオカルトが実在する世界」か ら「SFやオカルトが好きな美少女との恋愛」に1ランク下げているだけで、構造自体は同じだと思うけど。

●キクチ
 僕は最終回を見て、素直にキョン=あたるだと思いましたね。 両者とも新世界を拒否して元の日常に戻るところまで同じ。この理想世界(虚構)と日常(現実)の相克というテーマは、ビューティフルドリーマー→エヴァ→ ハルヒという一連の作品で継承されています。

 恋愛関係に到達できないこと、これはラブコメの存続条件で す。BDで現実に帰還したあたるは、ラムとのキスを拒否することで、これまで通り「好きな人を好きでいるためにその人から自由でいる」ことを選択する。ラ ムの「責任とってね」という言葉を裏切るわけです。あたるは成熟することなく逃走を続ける、永遠のスキゾキッズ(笑)であることを選んだ。
一方、ハルヒの最終回では、キョンは夢の中でハルヒにキスをし て、ハルヒは翌日ポニーテールでそれに応える。これは、付かず離れずのラブコメの先にある、具体的な恋愛関係を予感させます。BDでたどり着けなかった 「終わりなき学園祭前日」の向こう側にある出口が、ハルヒでは見えかけている。
 特に象徴的なのが、ハルヒでは進級があるといる点です。つま り、3年が経過したら必ず卒業する。そのとき二人が恋人同士になっているかどうかは分かりませんが、いずれにせよ、80年代ラブコメの「終わりなき日 常」、『うる星やつら』のような永遠の追いかけっこをやる気はない、ということでしょう。

●善良な市民
 ああ、なるほど。

●キクチ
 で、この「逃走」というテーマをまったく別の形で捉え直した のがエヴァ(注8)です。もちろんラブコメの主人公のような、責任からの軽やかな逃走ではありませんが、 「逃げちゃだめだ」という台詞からも明らかなように、シンジ君もまた現実から逃走している。劇場版に至っては、「ミサトさんも綾波も怖いんだ」なんて言っ て昏睡状態のアスカに泣きついてます。情けない限りですが、女性と正面から向き合うことを拒絶しているという点では、あたると同じですね。
そんなシンジ君ですが、最後にはあたるやキョンと同様に、「補 完された世界」ではなく元の現実世界を選び取ります。そのときの台詞が「でも、僕はもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは本当だと思うから」。これ はあたるの「それなら大丈夫。お兄ちゃん会いたいひといっぱいいるから」という台詞、またキョンの「俺は連中ともう一度会いたい、まだ話すことがいっぱい 残っている気がするんだ」という台詞と呼応してます(というか「まんま」ですね)。
ところが、現実に帰ってきた矢先、シンジはアスカに「気持ち悪 い」と言われてしまう。これは確かに90年代のオタクのトラウマですが、同時に、男女が真に向き合うということの本質でもあります。あたるは他者(ラム) と向き合う関係から逃走したが、シンジは他者(アスカ)と向き合って傷つけられた。これがBD(80年代)から見たエヴァ(90年代)の達成です。

 そしてハルヒ(00年代)では、そこからさらに二人が歩み寄 る関係を示した。現実に戻ってきたハルヒは、キョンの好みのポニテで登校し、キョンはそれに「似合ってるぞ」と声をかける。間違っても「気持ち悪い」とか 言わない(笑)
これを見たときには「時代は巡ったなあ」と思いましたね。ハル ヒがエヴァと比較されることが多いのも、10年ぶりの話題作というよりは、エヴァの「気持ち悪い」を乗り越えた作品と受け取られたからでしょうね。現実に 帰還し、かつヒロインとも分かり合えたという。

 もっとも、90年代っ子の僕としては「日和ってんじゃねー よ」というのが正直なところです。「キョンの帰った先は結局SOS団とゆるゆる遊ぶラブコメの世界で、単なる退行だろ」という批判を、無粋とは知りつつ、 いちおうしておこうかな(笑) 。

●善良な市民
 それは正しいと思う。『エヴァ』を乗り越えたんだじゃなく て、楽な方向に退行しているだけだよ。「アスカに拒絶されないエヴァ」を消費して精神安定剤にしているオタクたちがたくさんいるってことなんだろうね。こ ういうプライドだけが無駄に膨れ上がったオタクたちをどう日常に着地させるか、がこの作品の味噌だよね。まあ着地させずに永遠に萌えサプリメントを与え続 けるのかもしれないけど。


【「キョ ンのモノローグ」の問題 】

●善良な市民
 僕はこの原作でどうしても好きになれないところがあって、そ れが語り手のキョンの口調なんですね。
 この無駄に見栄を張っているっぷりが愛おしいと言えなくもな いんですが、さすがにこれはウザイ(笑)。読んでて「あー、君が過剰防衛なのはよーくわかったから」って思っちゃう。
 これってこういう「言い訳系」「僻み系」の第二世代オタクの 口調そのものですよね。突っ込みキャラのつもりの突っ込まれキャラ(笑)。
 まあ、こういう風に親切に過剰防衛を重ねてくれるから、みん な安心してこの作品にハマれるんでしょうけどね。

●narima01
 俺も自分の中高生の頃に『ハチクロ』とか『リンダリンダリン ダ』みたいな作品に素直に行けたか?というと絶対いけなかったと思うんですよ。じゃあ何処に行ってたかというと、まぁ座談会でやった『さくらの唄(注9)』とか古谷実(注10)とか今でいうスクールカースト系の文学ですよね。「青春にアクセスできないっていう青 春」を描いてくれた作品にシンパシーを感じて自分の居場所を作ってたんですよ。 まあ、「青春にアクセスできないっていう青春」を描いた作品は別の意味で負のナルシズムを満たすアイテムなわけですけど。

●善良な市民
 そう、ここをおさえて置かないと「マイノリティである自分に は真実が見えている」みたいな一番どうしようもない勘違いにハマっちゃう。

●narima01
 でも『ハルヒ』を喜んでる人って「青春にアクセスできない自 分を直視したくない」かと言って「素直にアクセスしたい」って言えない人が、言い訳に言い訳を重ねてアクセスしてる作品なんですよね。
『ハルヒ』で改めてわかったのってそういう中間層がいっぱいい るってことなんですよね。
 その意味でハルヒって作品よりも、ハルヒを神輿にして一生懸 命文化祭をやろうとしてる彼らの存在が面白いですね。あぁ君らも青春したいんだなぇ〜って(笑) 。

●善良な市民
 いや、リアル高校生は素直になれないですよ。
 僕はアニメ美少女があんまり好きじゃないから、今、高校生で も『ハルヒ』にはハマっていないと思うけど、少なくとも『リンダリンダリンダ』や『ハチクロ』にはいけなかったと思いますね。
 心の底ではこういった「等身大の青春」に憧れていながらも、 たぶん硬派を気取って屁理屈をごねていましたよ。高校時代に実際どうだったかと言うと『稲中』や『幕張』(注11)の男子校悪乗り系のノリで誤魔化していました。でも、心の底では共学の高校でセイシュ ンしている奴がうらやましかったなあ。
 そして、こういうの素直に見れるようになったの二十歳くらい からですからね(笑)。


【第12話『ライブ アライブ』をめぐって】

●善良な市民
 この作品って、ハルヒには厳しいけどキョンには甘いんですよ ね。「ハルヒはキョンを求めている」という一番視聴者にとって甘い幻想だけは神聖不可侵にしてしまうでしょう?
 『NHKへようこそ!』もそうだけど、エヴァ以降の「メタ萌 えもの」って「アニメ美少女が視聴者の分身たる主人公を無条件に必要としてくれる」って幻想だけは絶対にメタ視できない。ここが一番の核なのにね。
 ハルヒには「日常」という出口を用意しているけどキョンには していないんですよ。そのほうが安心して妄想に浸れるんでしょうけど、ちょっとつまんないですよね。

●キクチ
 まあ、オタク目線ではアレですけど、一般の高校生的には、 「文化祭で全校生徒の前でライブやって人気者になる」って、もの凄くありふれた願望ですよね。「全校生徒の前でライブする妄想してた奴ちょっと来い」って スレが2chで立つくらいですから(笑)
 だから、この回見たときは、重度のオタクの妄想が、軽度の一 般人の妄想に置き換わっただけだと思った。現実に近づいてるだけマシですが、都合のいい妄想には変わりない。

 僕は「朝比奈みくるの冒険」のダメっぷりが好きなんですよ ね。明らかに人生の黒歴史になるようなイタい映画じゃないですか。どうしょうもない出来だし客も来ない。それでも、「まあ、ちょっと楽しかったよな」と。 高校生が手に入れられる充実感なんてその程度ですよ(もちろん部活に本気で入れ込んでいれば別ですが)。
よく考えれば酷い話ですよね。頑張って時間かけて撮った映画が ボロボロの出来で、誰も誉めてくれない。夢も希望もない。でも、こういう「悲惨な現実」と「非日常」が対置されて、それでも現実を選ぼうと思える内容に なってるから、僕はこの作品を評価している。
頭でっかちのキョンは恐らく最初から、ろくなものが出来るはず がないと分かっていた。でも、「予想通り悲惨だったけど、ちょっと楽しかったかもしれない」、このくらいの控えめな感想で日常は乗り切れるんですね。その ことにキョンは作ってみて初めて気付いた。

 だから「朝比奈みくるの冒険」を微笑ましく見た一方で、「ラ イブアライブ」にはウソ臭さしか感じなかった。軽く失望したと言ってもいい。非日常と天秤にかけられていたのは、その程度の現実だったんだ、と。

●narima01
 『ライブアライブ』って、スタッフがリンダリンダリンダを参考 にしてると思うんですよね。ライヴの唄から雨の校舎に移るカットとか。
 でもリンダリンダリンダが下手なライブシーンを見せることで逆 に青春の一瞬を切り取ることに成功したのに、ハルヒだと普通に歌っててアレ?って思いましたよね。
あれが最初の学生映画みたいにヘタだったら味があるのになぁって 疑問でした。
(あとあの曲自体が結局声優ファン向けって感じでリンダリンダリ ンダと較べるとどうしても劣る気がします。そういう影響関係の意見がネットの感想で一切なかったのが不思議なんですけど)

 ただ、それ以外の部分では好きなんですよね。キクチさんとは逆 の感想なのかもしれないけど。

 あそこでキョンが「お前は人に感謝されるのになれてないから だ」って言うけど俺はハルヒの戸惑いは違うと思うんですよね。
ハルヒは思い通りに行かなかったことも含めて初めて自分の中のモ ヤモヤをぶつける対象に出会えたんじゃないかなぁって思うんですよ。 あそこで感じたライブの高揚ってのは、少なくとも現実に直結してて、今まで観念的な場所に居たハルヒがちょっとずつ現実的な目標にスライドして降りていく 契機になるきっかけなんじゃないか?って感じで。
あれって別の意味で最終回ですよね。
 あの回ってすごいネットで評判だったけど、俺はわりとOKだっ たかなぁ。ヘタで悔しいから次のために「がんばる」って方が話としてはいいんだろうけど。

●善良な市民
 あれは演出レベルで完全にパクリでしょう(笑)。意図したわ けじゃないんだろうけど、おかげで12話は完全にこのアニメが「素直に青春したいと言えない人のためのリハビリ作」であることを象徴してしまっているんで すよね。ある意味、「メタ萌えもの」の敗北宣言でもある。

 このアニメが好きなオタク男子にとって「オタク臭いダメ自主 制作映画」は「こちら側」で、「メインステージのライブ」は「あちら側」なんでしょうが(笑)、実はこのふたつって地続きなんですよ。
 僕がこの12話好きなのって、そこが見え隠れしているところ なんですよね。さっき成馬さんも指摘していたけれど、「クラスの隅っこにいる俺たちだけど、その分ホンモノがわかるんだ」みたいな劣等感の裏返しのナルシ シズムって、僻みオーラでいちばん作品を貧しくしてしまうんですよ。
 ところがこの12話って、ちゃんと「こちら側」と「あちら 側」の境界線が曖昧になっているし、「こちら側」から「あちら側」に行くこと(素直に等身大の日常の中にある素敵なものを発見すること)を肯定している。
 相変わらずハルヒには厳しくてキョンには甘いところはあるけ れど、事実上の最終回として嫌いじゃないです。

●キクチ
 『リンダリンダリンダ』と12話の類似については一部で騒が れてましたね。パクリとかオ マージュとかインスパイヤ(笑)とか

 僕が12話ダメなのは、声優・アニソンにほとんど興味ないからってのも大 きいんだろうな。

 さっきから「オタク的な欲望の核心をメタ化しきれてない」っ て指摘が何度もあるけど、それはこの12話でもそうですね。
 映画のヘボい主題歌で、とことんダメっぷりを演出してるわり には、バンドではプロ顔負けの演奏を恥ずかしげもなくやってしまう。前者をネタとして面白がってたはずの人たちが、後者でベタに感動してるじゃないです か。なんだお前ら、結局そういうのがいいんじゃん(笑)っていう。メタ化してるようで、最終的には元のオタク的なところにちゃんと回収されてる。アイロ ニーが徹底してない。まあ、商業的には極めて正しい判断なんでしょうけど。

●善良な市民
 僕らがペ・ドゥナのファンであることを割り引いても(笑)、 あそこでヌルい声優ソングがかかったのは白けますよね。この作品、よくできているけどそういう狭さは確実にあって、致命的な弱点と言ってもいい。でも、こ れってここ10年の「メタ萌えもの」がずっと抱えてきた弱点なんですよ。

 そもそも「メタ萌えもの」って二次元美少女に現実逃避してい る人間には、自分の欲望を照射されてショックはあるのかもしれないけど、別にそういう性癖を持たない大多数の人には痛くもかゆくもないわけですからね。
 結局声優ソングをかけてしまうあの12話は、そんな「狭さ」 を象徴している。

 だからこれって結局「リハビリ作」なんですよ。
 被害妄想を膨らませて、本当は青春したいのに「したい」って 言えない女の子が、「SF・ファンタジー的非日常」→「究極人あ〜る的オタク共同体での馴れ合い」→「文化祭のステージ」と、どんどん素直になっていく話 なんです。これで視聴者の分身=キョンの欲望もメタ視できていたら言うことなかったんですが、それをやると「見たいものしか見ない」オタクたちにはスルー されますからね(笑)。結局、最後の最後で視聴者に甘くなっているんですが、この「甘さ」がヒットの秘訣なのは間違いない。


【谷川流という作家 】

●narima01
 谷川流の話に触れときますと、あの人って設定とアイデアはピカ 一だと思うんですよ。今のオタク業界の流行とSFネタから逆算して、すごいうまい設定を作る。
でも物語が下手なんですよね。原作の『涼宮ハルヒの憂鬱』も、設 定はうまくて卒がないとは思ったけどカタログみたいだって読んでて思ったんですよ。最後まで含めて。

 でもアニメ版って日常描写がすごく丁寧で原作の弱点をうまく フォローしてる。アニメ観てハルヒの世界の日常ってこんなに魅力的だったんだって思いましたね。
 たしかに萌えアニメなんだろうけど、多分スタッフが昔の邦画と かをちゃんと見てて、うまく取り入れてるなぁってのは思いましたね。

●キクチ
 これは本当にそう。これまで批判的に書きましたけど、逆に言 えばベタのネタの混在のさせ具合は本当に絶品なんですよ。オタクを茶化しながらオタクを満足させるという矛盾したことを、実に巧妙にやってのけてる。特に 原作1巻分のところは、鮮やか過ぎるくらい鮮やかに決まってて、これは充分に騒がれるだけのことはある作品だと思いましたよ。

 ただ、この精巧な設定でやりたかったことは、原作1巻で出尽 くしてるんですよね。2巻目で既にキツくなってる。そうすると、話を展開させるためにベタな方向にいくしかないわけで。原作はタイムトラベルの話で延命し てたけど、敵の未来人とか「機関」と対立する組織の少女とか出てきちゃってからは、もう完全に非日常に飲み込まれつつある感じですね。ベタなSF化したと いうか。薄々は予感してたけど、やっぱりそうなっちゃうのかあ、ってところはあります。

●善良な市民
 この人、袋小路に入った萌えオタのプライドをちゃんと守って あげながら、これだけ痛いところついているんだから相当クレバーですよね。
 

【僕 の考えた10年後のハルヒ】

●善良な市民
 まずですね、ハルヒって実は美人じゃないんですよ。小説やア ニメはキョンの主観を通しているので美少女になっているんですが実際のSOS団の平均顔偏差値は45.3です(惑星開発委員会調べ)。
 で、高校卒業後のハルヒは、不思議ちゃんこじらせて地方の芸 短大に進学です(笑)。さすがにUFOとか言っている電波キャラはキツイので高3で卒業します(笑)。で、似非アート系になる。滅茶苦茶よくあるパターン ですね。
 で、そこで出会った(留年数だけが)ハチクロの森田にソック リな男に処女を奪われてずるずると同棲。二十歳でできちゃった婚します。
 10年後ですが、そのころは旦那もアート系キャラを卒業し て、立派な労働者になっているんですね。子供も小学校高学年になって、まあそれなりにシアワセな人生送っていて、ある日、ふと空を見上げて物思いにふける わけですよ。
「ああ、私って不器用で友達いなかったからSFやオカルト幻想 に逃げていたんだなあ」って、10年くらい経ってやっと気づくんです。
 『スローなブギにしてくれ(注12)』映画版のラストみたいな感じですね。

●キクチ
 細かいなあ(笑)

 僕と市民さんの決定的な違いはルックス評価ですね。僕は悪い 方に脳内補正してないんですよ、ハルヒにしろキョンにしろ。SOS団はそこそこのルックスの集団だと決めてかかってるから、「オタクのリハビリ」って発想 が出てこなかったのかもなあ。

 で、ハルヒの将来ですが、頭の善し悪しが分岐点だと思うんで すよね。頭悪いとどうしょうもない。行き着く先は、良く見積もっても新興宗教の教祖とか(笑)
 ただ、頭いいって設定ですからね。対外的には常識もわきまえ てる。だから結構いい大学に進学して、サークル荒らしまくるんじゃないかと。男とっかえひっかえで。あと行動力はあるんで、めぼしい人材や機材を強奪して きて、「朝比奈みるくの冒険Y」とか作る頃には、自主制作にしてはちょっとしたモノになってそう。ハルヒみたいなタイプは世渡りを学んで角が取れれば、結 構いい線行くと思いますよ。むしろ駄目なのはキョンですね。あれの末路はニートかフリーターだ(笑)。
 10年後のハルヒは「そういえば昔はUFOとか言ってたわね え」とケラケラ笑ってそう。もともと深く考えてなかったし、実は今も大して変わってない、みたいな。大企業の総合職とかでヨロシクやってるんじゃないです かね。結婚は遅そうだけど。

●善良な市民
 あー、そっちの方がリアルだなあ(笑)。スペックが高いと自 意識こじらせても不思議ちゃんやアート方面には行きにくいですからね。
 僕の中ではあれ、文芸部の隅っこのほうでいじけているキョン が「こんな学園生活を送りたかった」って妄想して書いている小説なんで(笑)、登場人物のスペックは小説内設定よりだいぶ下なんですよね。
 夢を壊すなって怒られそうだけど、そうじゃないんです。サー クルクラッシュ研究の第一人者として言わせてもらいますけど、現実問題こういうサークルじゃあ「手の届きそうな娘」が人気爆発するわけじゃないですか。こ れはこれで趣味の1ジャンルとして確立されているんですよ。声優アイドルが成立するのって、要はこういうことですからね。

●narima01
 たぶん今よりはもう少し具体的に人生考えてると思うんですよ ね。宇宙人とか未来人とかじゃなくて総理大臣とか大統領とか手の届く権力に向かって努力してるんじゃないかなぁ。

 キクチさんの言うようにハルヒってああ見えて成績はいいんです よね。
 それで一応有名な大学行くんだけど、あの性格と奇行のせいでど こにも就職できないんですよ。それで卒業して無職になって、仕方ないから大学デビューに失敗して引きこもりギャルゲーマーになってたキョンを引っ張り出し てきて、高田馬場で探偵やりなが ら、将来の選挙出馬のための人脈作りをしているんじゃないですかねぇ。
 ちょっと願望入ってるけど、そういう地道なステップを踏んでほ しいですね。

●キクチ
 なんかどこかで聞いた話だぞ(笑)。

●narima01
 きっとハルヒの中の人はそうなんだよ(笑)
 つーか君らズルい。先にそんな面白い話しないでください。後が 困ります(笑)

●善良な市民
 えーと、リアルの人間関係にかなり支障をきたすので、成馬さ んの発言にはノーコメントとさせていただきます(笑)。
 って、ことで軽くまとめて終わりにしましょうか。
 

【まとめ 〜いつか「素直になる」日】

●narima01
  多分、ハルヒ見て戸惑った人っていると思うんですよ。普通の萌えアニメと思って見てたはずなのに「何なんだ?この気持ちは?」って。
それは多分「青春したい」もしくは「青春したかった」っていう 気持ちなんですよ。そういう気持ちを喚起する力は確実にこの作品にはあって、その一点に置いて素晴らしい作品だと思うんですよ。
だから、後はそういう気持ちに気付いちゃった我々の問題ですよ ね。でもここで変に頑なにならないでほしいですね。
「大丈夫ですよ、何歳からでも青春はできますよ。それを恐れな ければ」と一応言っておきますね。
あ〜俺も青春したい。

●キクチ
 ここまでさんざん語っといて言うのもアレですけど、あんま深 く考えないで「いいなー、こいつら楽しそうだなー」とか、そんなノリで楽しめばいい作品だと思いますよ。エヴァと違って娯楽作品なので、シビアなオタク批 判を期待するのもちょっと違う気がするし。まあ要は、自虐ネタをアクセントにしたラブコメですよね。変に思い入れを抱え込んじゃうような作品でもない。良 くも悪くもジャンクフード的で、その「軽さ」が健康的でいいんじゃないでしょうか。

 あとこれって多分、第二期があると思うんですよ。原作の重要 エピソード「笹の葉ラプソディ」をやりませんでしたからね。タイムパラドックス系のネタはそっくり全部取ってある。それが放送される日を楽しみにしなが ら、宇宙人も未来人も超能力者もいない日常を乗り切っていこうかな(笑)。

●善良な市民
 こういう作品って難しいんですよね。まあ、「素直になるため のリハビリ作品」として機能すればいいんじゃないのって思うけど、逆に「これはリハビリ作として僕らには必要なんだから否定できない」とかまた言い訳して (笑)永遠に「終わらない夏休み」に引きこもるってパターンも多いですから。甘やかしたくなる気持ちはわかるけど、それはできないなあ。
 夏休みは終わるから楽しいんだってことは、ちゃんと理解して おいたほうがいいですよね。その方が絶対楽しいし、お得です。
 あとは、そうですね。今からでも遅くないんで、他人のこと僻 んでばかりいないで青春しましょう!
 結局、いじけていて損するのは自分ですからね。

(終 わり)




▼善良な市民のまとめと注釈▼

■ハルヒが「負け」を認める日

 たぶん、ハルヒは力のない不器用な娘なのだと思う。物語の中では美人で頭がよくて、運動神経バツグンなんていうご都合主義的 な設定になっているけど、彼女は別の意味でものすごく「弱い」人だ。それは、日常の生活世界の中で人間関係を築く能力、日常の中にいくらでも転がっている ロマンや面白さを見つけ出す嗅覚が、決定的に鈍いのだ。
 本当は彼女も(そしてキョンも)普通に「青春したい」はずなのだ。でも、人間関係を構築する力がない(性格ブスで友達がいない)ハルヒは、無駄にプライ ドが高くてそれを認めたくない。だからイソップ童話の「すっぱい葡萄」状態になり、「こんな日常はつまらない。自分は非日常的なロマンでないと充足できな い」のだ と無理矢理自分に言い聞かせているのだ。
 断言するがこのタイプの人間は100%「すっぱい葡萄」状態にあるだけので、100%日常の中の幸福で充足できる。『NHKによ うこそ!』の佐藤君も、社会派ブログで噴き上がっているあの人も、セカイ系気分に浸っているあの人も、妥当な自己像に修正して素直になりさえすれば、非日 常的なロマンなんてまったく必要としないタイプの人間なのだ。そしてそれは、決して不幸なことではない。

 この物語の最大のポイントは、そんな「素直になれない人たち」のプライドを、周到に守ってあげているところにある。「俺たちはわかって萌えているから OK」という免罪符を与えながら、彼らを楽園に閉じ込める手腕には舌を巻かざるを得ない。
 だがその一方で、突き詰めれば突き詰めるほど、私が指摘しているような「日常への着地」問題が顔を出してしまうし、そして何より、最初から未来人や宇宙 人や超能力者に憧れていない普通の人には「だから何?」としか思われない狭い狭い作品になってしまう。

 そう、「メタ萌えもの」とは最初からこの致命的な弱点を孕んだジャンルだった。
 別に幼児番組的な絶対正義や、ギャルゲー的なご都合主義恋愛に逃避していない人間には、どれだけ周到にメタ構造を仕掛けられても何の感動もないのだ。む しろ「そんな小学生で卒業できるようなものがいまだに仮想敵なの?」と思うだけだ。
 残念ながら、本作もまた、そんな「メタ萌えもの」の宿命を乗り越えられなかったのだと思う。
 
 「メタ萌えもの」はここ10年、実力不相応にプライドの高いオタク男子の拠り所だった。もちろん、周辺からは常に白い目で見られてきたわけだが、そんな 彼らの長すぎた夏休みは今、内部から自壊しはじめている。



角川スニーカー文庫(注1)
 
角川(春樹)商法の一環として創刊された角川文庫「青版」が1988年に、「スニーカー文庫」として独立したもの。SF・ファンタジーを 中心とする10代向け小説がラインナップに並び、いわゆる「角川系ライトノベル」の走りとなった。付随する新人賞「スニーカー大賞」は出身者がモノになら ないことで有名。谷川流は久しぶりの逸材排出となりそうだ。

ブギーポップ(注2)
 
1998年第4回電撃ゲーム大賞を受賞した『ブギーポップは笑わない』にはじまる上遠野浩平の人気ライトノベル・シリーズ。エヴァンゲリ オンからセカイ系作品に通じる若者のAC気味な自意識の問題が、セカイ規模の陰謀や『ジョジョの奇妙な冒険』風の超能力者や人造人間たちのバトルを交えて 扱われる。この一冊でライトノベルの射程、というか電撃レーベルで扱える内容の射程が激変し、ライトノベルのある種の中間小説化をもたらしたという意味で 非常に大きな歴史的意義を持つ作品。未読の人は最初の1冊だけ、気に入れば3作目の『パンドラ』まで読んでおけばいいと思う。

NHKにようこそ!(注3)
 座談会『NHKにようこそ!』参照
 
ハチクロ(注4)
 座談会『ハチミツ のクローバー』
 
リンダリンダリンダ(注5)
 座談会『リンダリンダリンダ』 参照
  
機動戦艦ナデシコ(注6)
 96年放映の大月アニメ。メインライターの會川昇、監督の佐藤竜雄と当時注目を浴びていた中堅クリエイターが集まって制作さ れた異色作。内容は「宇宙戦艦ヤマトにうる星やつらの面々が乗り込んで、ガンダムで戦うお話。劇中劇にはゲッターロボもある」というもの。無論、この設定 はいわゆる「オタク的想像力」への当てこすりであり、事実メタフィクション的な仕掛けを通して、後半はオタク論アニメみたいになっていく。が、あてこすら れているものはせいぜい「幼児向けアニメ・特撮的な正義」という大月アニメを本気でみているようなアレな層以外は別にかすりもしないビョーキだったのでか なり白けた記憶がある。たぶん、「エヴァ」以外の第三次アニメブーム時の作品では一番人気があった。この程度のヌルいメタで「わかってやっている」気に なって、それを免罪符に安心してキャラクターを消費する……という後のエロゲー論壇(なつかし〜)的な文脈を準備した作品でもある。 

ビューティフルドリーマー(注7)
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)。押井守の出世作。詳しくは『週刊 野ブタ。』第3話の解説を参照。

エヴァ(注8)
 座談会『新世紀エヴァンゲリオ ン』参照
 
さくらの唄(注9)
 座談会『さくらの 唄』参照

古谷実(注10)
 
漫画家。90年代前半青年誌に連載された「行け! 稲中卓球部」で一世を風靡。非モテ中学生男子の悶々とした日常を僻みっぽい視点でギャ グにして人気を集めた。だが、「稲中」終盤から作者が神経症的になっているとか、「壊れた」とか言われるようになり、その後の作品は稲中ではギャグになっ ていた「非モテのさえない男子」の悲哀とその自意識の問題を正面から扱うようになっていく。近作に「ヒミズ」「シガテラ」など。
 
『幕張』(注11)
『幕張』……木多康昭・作。96年〜97年「週刊少年ジャンプ」に連載されていたギャグマンガ。架空の高校(?)千葉県立幕張 南高校野球部(ただし一度も野球シーンはない)の面々が、毎回ロクでもないトラブルを起こすという内容。最後の方は明らかに作者が飽きていた。基本、下ネ タとパロディ。
 
スローなブギにしてくれ(注12)
 
原作は片岡義男の同名小説。1981年公開の角川映画。当時の若者文化と取り入れた青春娯楽小説(ということになっている)原作とは裏腹 に、映画版は青春を卒業できない中年男(山崎努)と、アンニュイな雰囲気の漂う少女(浅野温子)の微妙な関係を描いた怪作。この座談会のように「青春もの としてのハルヒ」に興味を持った人はぜひ観て欲しい一作。監督は『妹』など70年代青春映画の巨匠・藤田敏八。
 

※『涼宮ハルヒの憂鬱』については、   8/13(日)C70 ほ12a にて発売の『PLANETS Vol.2』収録

■ライトノベル編集者匿名座談会
■対談「オタクの終焉 〜批評とノスタルジーの不毛を越えて」 更科修一郎×宇野常寛(善良な市民)

でも取り上げています。
 本座談会に興味をもたれた方はぜひお買い求めください!
 
 『PLANETS Vol.2』詳細情報はこちら!