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障害のある人、あるいは、それにかかわる人々の手記をご紹介するシリーズ「NHK障害福祉賞」。2回目のきょうは、優秀賞に輝いた神戸市の笹森理絵さんの手記「“親子連動型”軽度発達障害」をご紹介します。
ADHD(注意欠陥多動性障害)のある笹森さん。決して平たんでない道のりの末、現在はたいへんユニークで明るい家庭を築き上げています。ご覧ください。 |
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『わたしは片付けが大の苦手。家はいつも散らかり放題だけど、そんなわたしを夫はこう言ってくれます。
「こんなユニークな奥さんはいないから、おもしろいよ」』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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神戸市に住む笹森理絵さん(35歳)。休日のこの日、家族でお出かけ……のはずですが、なかなか出発できません。
理絵: カードがいるんやけど、どこに入れたかわからへん。えっと……。 |
理絵さんがADHD(注意欠陥多動性障害)との診断を受けたのは2年前のこと。
「自分は人と何かが違う」と、ずっと感じてきました。
周囲の人たちからもいつも言われました。「なぜできないの?」「もっと頑張りなさい」
しかられ、励まされ続けてきました。
片付けと掃除はわたしですね。散らかってても気にする人がわたししかいないんで。(夫 史朗さん)
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「自分が努力不足だからできないんだ」と、ずっと自分を否定し続けてきました。
いつもしかってばかりだった子育て。できないことばかりに目がいっていました。
「できないのは、自分のせいじゃなかった……」
ADHDと診断されて、生まれ変わった気分。そんな思いを手記につづりました。 |
『わたしは子どものころから、まったく片づけのできない人で、小学校のころは学校の机も自宅の机もゴミためのような状態で、虫がわいたことさえあったほどだ。親からも先生からも厳しいしっせきを受けてきた。でも、どうやって片づけたらいいのか、どうなったら片づけていいのか、わたしにはわからない。よほど散らからないとピンとこないこともある。
結婚して主婦になっても、やっぱり片づけも掃除もできず、主人にあきれられたが、どうしても主人が満足するような掃除や片づけがわたしにはできず、いつしか家の掃除や片づけ、ゴミ出しは主人の仕事となった。』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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9歳年上の夫、史朗さんとは、学生時代に知り合い、恋愛の末、卒業と同時に結婚。そして長男、玖音(くおん)君が誕生します。夫も大喜びでした。
しかし、ほどなくその子育てが大きな悩みの種になったのです。 |
『長男が2歳になるくらいから、どうも周りの子どもとは何かが違ってきていた。出かけていた片言がいつのまにか消えてしまって、ことばが出ない。みんなとあまり遊べない。訳のわからない大泣きが始まると何時間も止まらない。電車のおもちゃの車輪に強い興味があったり、ほかのおもちゃでも変わった遊び方をしたりする。遊園地などで大きな音がすると、泣いてその場にいることができない。
やっぱりおかしい。しかし、周囲はみんなそれをわたしのせいにする。
「あんたの教え方が足りてないからや。もっとたたいて、しかって、体で覚えさせなさい。あんたは幼稚園の時にはもう、漢字も書いてたよ。教えな覚えへんのとちゃう? 本を読んであげてないのとちゃう?」』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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理絵さんが何より心配したのは、息子が幼稚園の集団生活になじめなかったこと。
「この子には自閉症の傾向があるのではないか?」
しかし、夫とは話がかみ合いませんでした。 |
『「この子は自閉なんかじゃない。確かにことばは遅いけど、でも、自閉なんかじゃない。僕に似てるだけだ。僕はこの子を信じているから大丈夫だ」
わたしは、このことばに大きなプレッシャーを感じて、ほんとうにつらかった。長男の自閉症を疑うわたしは、子どもを信じておらず、「母親失格」と言われているような気がしたからだ。』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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子育てに一人もんもんと悩む毎日。次第に息子を厳しくしかるようになりました。
理絵: いい加減にしなさい。こっち向きなさい。向かないとまた母怒るで。
わたしと長男はうまくいっていなかったので、飲食店に行くと、「誰が主人と座るか」でもめるんですよ。「怖いから嫌だ」と長男は言って、わたしとは座りたがらない。それを聞いた次男も「僕もお父さん」って。わたしもそれがすごくつらいから、「もうそんなんだったら、帰る」と怒ってしまって、長男は泣き出すし、むちゃくちゃだったんです。そういう感じだったので、「もうわたしはいなくていいんだ。この子にとって、わたしはいなくていいんだろう」と思っちゃったんです。(理絵さん) |
「このままではいけない」と、理絵さんは日中、働きに出ることにしました。
介護施設でお年寄りの世話を始めた理絵さんは、この時の経験をきっかけに自分自身の問題と向き合うようになったのです。 |
『わたしは上司から仕事を指示されても、最初の1個しか覚えていられなかった。焦れば焦るほど、ますます頭に入らない。特に、紙に書かれていればすぐにわかるのに、耳で聞く指示になると聞き取れなかったり、覚えられなかったりするのだ。そして、ようやく何かの仕事にとりかかっても、途中で違うことをするとすべてが中途半端になり、混乱してわからなくなる。
いよいよどうしようもなくなって、何とか上司にSOSを出そうとするが、どうしても言えない。のどまで出かかるのに、ことばにならない毎日だった。揚げ句に、「あんたは言わないから何を考えているのかわからない」などと言われる始末。
職場での不適応が日々積み重なって、とうとう神経を病んでしまい、家族との関係も、親との関係も悪くなった。』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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追い詰められていきました。病院の神経科に通うようになり、やがて食べ物ものどを通らなくなりました。もう、育児どころではありません。
地べたを張っている状態ですよ。何もかもがうまくいかない。「もう、いなくなったほうがいいんだろう」という感じ。だから、今こうやってしゃべっている姿からはわからないかもしれませんが、遺書を書いて引き出しに入れていました。いつ、どうなってもおかしくないと思って……。(理絵さん)
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そのころ、町の本屋で偶然1冊の本を目にしました。タイトルは「片づけられない女たち」。注意欠陥障害について書かれた本でした。読んでみると思い当たることばかり。
「片づけられない女。これはもしかしたらわたしのことではないか」
つてをたどって専門の病院で診断を受けることになりました。 |
幼いころからのノートや成績表を医師に見てもらうことにしました。国語や社会や得意なのに、数学はまるでだめ。
「なぜ、できることと、できないこととの差がこんなにはげしいのか」
ずっと抱えてきた悩みは、医師の診断で一気に解消しました。原因がわかったのです。 |
『「ADHDがあるね。こんなにきついのに、どうして今までわからなかったの」
と、先生のほうがびっくりしていた。
それと同時に、算数のLD、学習障害があることもわかり、またこだわりのきつさもあることから、自閉症の一種であるアスペルガー症候群的な傾向もあるとのことだった。
それから先生が言ったのは、
「できへんのは、自分のせいとちゃうで。脳の構造の問題やからな」
このひと言で、わたしは目の前に一条の光が差す思いがしたことを覚えている。
今まで、努力不足だとばかり思って自分を責め続けてきたことが、実は自分のせいではなかったとわかって、全身から力が抜けるほどびっくりした。あの、子ども時代からのできることとできないことの差がなぜこんなにひどかったのか。その原因がやっとわかった。もうこれで自分を責めなくてもいいのだ。もっとこれが早くわかっていれば、わたしはここまで自尊心をなくしたり、自分を卑下しなくてすんだのに。悔しい思いもあった。』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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一気にスーッと楽になったんですよ。診察室に入る時まで、「いつ死のうかな」って思っていた。そういうしんどさが、先生のそのひと言でスッと楽になったんです。「ああ、わたしのせいじゃなかったんだ。もうこれで自分を責めなくていいんだわ」って。(理絵さん)
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史朗: きょうは比較的散らかりがましや。足の踏み場はとりあえずある。夜8時半。夫の史朗さんが帰宅しました。着換えもそこそこに史朗さんが向かったのは台所。ゴミ出しの準備です。
史朗: あした、ゴミの日だからな。
理絵: ああ、忘れてた。ごめんなさい。わたしの頭の中には「ゴミの日」って入んないんだよな。おかしいな。 |
以前は、家に帰って部屋が散らかっていると、理絵さんをきつくしかっていた史朗さん。しかし、診断を受けてからは、理絵さんの苦手なことは進んで引き受けるようになりました。
忘れっぽさとか、がさつな面とか、いわゆる女性らしさがまったくなくて、男っぽいんですよね。それを本人は「違和感」ととらえていたのが、最近は開き直って、「わたしらしくていいじゃないか」と、ワハハと豪気に笑えるようになりました。そういうふうになれたことは、「いいんじゃないかな」とわたし自身も思えるようになりましたね。(史朗さん)
「ああ、わたしはこれ、苦手なんだ」と認める。開き直るとはまた違うんですけれど、自分で「ここは苦手だ」ということがわかったら、「じゃあ、どうしたらいいかな」ということを考えるようになりました。「できないからしょうがない」とあきらめるのとは、また違う。「どうしたらいいかな」と考えて、うちは主人に協力してもらう道を選びました。(理絵さん) |
自分自身のことを知った理絵さんが次に考えたのは、長男玖音君のことでした。
「この子も同じ種類の問題を抱えているのではないか」
例えば、大好きな漫画。一度読み始めるとすっかり熱中して周りの声が耳に入らなくなってしまいます。算数が苦手なのも、理絵さんと似ています。
今度は夫と相談して、長男に検査を受けさせることにしました。診断は高機能自閉症でした。 |
『診断名は、彼とわたしは微妙に違うし、わたしは知的にはまったく正常ラインだが、同じ軽度発達障害であることがはっきりした。
実はわたしは、自分と似た鈍くささを持つ長男のことをきつくしかってきた。似ていると妙に嫌だというのか、わたしみたいにさせてはいけない。小さいうちになんとか……そんな思いだった。
そして、それにはわたし自身の生育歴も影響している。わたしはできなさをずっと責められて大人になった。何事もいつも努力が足りないからだと言われてきた。だから、わたしも長男のことを責めてきたのだ。「あんたが悪いからこうなるんだ」と。
でも、ちょっとこれでわが家の事情は変わってきた。わたしが彼を認めなかったら、同じ種類の発達障害を持つわたしも認められない。わたしが発達障害を持つわたし自身のできなさを認めることは、彼を認めることにつながる。今までできない自分を認めることができず自責してきたわたしだが、これで嫌でも自分も彼も両方を認めなければならなくなった。
連動しているわたしたち。“親子連動型”軽度発達障害。わたしはそう呼んでいる。最近では、お互いの似ているところを認め合って、それで慰め合っていたりする。わたしも彼も視野が狭いので、しょっちゅうあちこちにぶつかってあざをつくるのだが、最近では「おんなじやな。アハハ」と笑い合えるようになった。』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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朝7時半。理絵さんは玖音君が宿題を忘れていることに気づきました。九九をきちんと覚えているかどうか、時間を計りながら親に確認してもらうという宿題です。興味がないことにはまったく身が入らない玖音君。以前ならどなりつけていたところでしたが、今の理絵さんはユーモアを交え、余裕たっぷりです。
「責めちゃだめだ」ということは、もう嫌というほどよくわかっているし。スモールステップですよね、勉強も。彼の場合は到達点を小さくしてあげないとだめだということがわかっていますから、責めることはないです。むしろ、ちょっとできただけでも、「できたー。よかったなー」って褒めるようにしています。(理絵さん) |
『わが家は暗くない。いや、むしろ明るい。発達障害によるさまざまな症状を笑いに変えて暮らしている。それらはわが家ではすてきな個性だ。
自閉だ、LDだ、ADHDだといろいろ持っている奥さんを持つと、夫はたいへんだと思うのだが、彼は最近それがおもしろいらしい。以前から、「変わった行動の多い人だ」と思ってきてはいたらしいが、その理由がわかって以来、ますますおもしろくなってきたと言う。こんなユニークな奥さんはちょっといないから。喜んでいいのか、何なのかわからないが、でもまあ、家庭を明るくしているということで、よしとしよう。』
(「“親子連動型”軽度発達障害」より) |
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笹森理絵さん |
ゲスト:
NHK障害福祉賞 優秀賞
笹森理絵さん
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−今、あらためて日常の暮らしぶりを見て、どう思いましたか。
笹森: 「わあ、こんな感じなんだ、わが家……」と思って、あらためてビックリしました。
−「片づけられない」とは?
笹森: 散らかっているのは見えていても、それを「問題だ」と認知するセンサーがないという感じです。もうどうしようもなくなって初めて、「これは片づけないと」と。
−ご自分ではそのセンサーがないから、どうしたらいいかわからない?
笹森: そうです。片づけ方もわからないんです。
−2年前に診断つくまでずっとそういう状態で、一時は遺書を書いていたと?
笹森: はい。うつ状態になってしまって、「自分はいらない」と思ったんですね。子どもは主人が育てるだろうし、育児も家事も仕事も全部つまづいてしまって、希望が持てない状態でした。それがずっと続くんだと思って……。
−子育ても、お子さんのできないことばかりに目が向いて、ずいぶん厳しいしつけをしていたようですね。
笹森: あらためて見ると、ゾッとします。でも、わたしも親にあんなふうに育てられたので、よけいに「ああしないといけない」というのもありましたし、わたしがちゃんとしつけないから、子どもは変になったんだと誤解していました。
−大きく転換したのは、2年前に診断を受けてから。
笹森: そうです。先生が診断をして、真実をそのままつたえてくださったおかげで、わたしは生まれ変わることができました。先生には感謝しても足りないくらいです。
−「できないのは、自分のせいではなかった」とわかって、日常の中で一番変わったことは?
笹森: 苦手なところを自分でちゃんと認めて、「じゃあ、どうしたらいいか」ということを考えるようになりました。子どもに対しても、以前だったら絶対にどなっていたと思うんですけれど、「暗記ができないんだったら、表を見てまずは読んでごらん」と、スモールステップを教えるということができるようになりました。
−スモールステップ。小さな目標を一つずつ。
笹森: はい。それを覚えました。それまでは、できないのにステップがすごく高かったんです。
−ご主人の支えも大きいですね。
笹森: はい。かなり大きいです。
−理絵さんが以前持っていたような悩みを持っている方も多いかと思います。
笹森: そうですね。実際に親の会で活動していますと、親子で悩んでおられる方、いらっしゃいます。わたしは当事者ですから、子どもがどこで困っているかということがわかりますし、また親でもありますから、お母さんの立場もわかるので、共感することをお話ししたり、「こういうふうにしたらいいんじゃないか」ということをお話ししています。
これからも楽しいご家庭を。きょうはどうもありがとうございました。
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