「……それでは両者、位置について」
審判の声に、俺と蘇我は所定の位置に立った。
向かい合う二人の距離は約10m。そして両者の左右と上方に一個ずつ、計三個の標的。
互いに身体は動かさず、魔法で自陣の標的を守りつつ、相手の標的をこれまた魔法で倒さなければならない。
「ひゃはははははっ、魔法実験に失敗してチ×コ取れちまったってなぁ、緋影よぉ〜っ」
蘇我(そが)は俺が姿を見せた時から、身をよじってずっと笑い続けている。
「あの事件」からすでに一週間が経っていた。胸にさらしをきつく巻きつけ、伸びた髪はまとめて帽子の中に入れてはみたものの、俺に起こったことは既に学園中の噂になっていたこともあって、身体の変化は隠しようがない。
「たくよぉ……『能無し』は能無しらしくすっこんでりゃいいものおよぉ。チョーシこいてシクジってりゃ世話ねぇや……それともナンだぁ? 『アタシオンナノコにナリたかったの〜♪』ってか? あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃはは〜っ!!」
覚悟はしていたが……蘇我のあまりに下卑た笑い方に、俺はイライラをつのらせた。
「用意……始――「そうらっ!! カマ野郎のストリップだああっ!!」
審判の合図をフライングして、蘇我が先制攻撃を仕掛けてきた。奴が両腕を振り下ろすと、その周囲にいくつもの圧縮した空気の塊が発生し、俺の背後の標的に向かって打ち出される。さらにその攻撃に隠れるように、いくつもの真空の刃――カマイタチが俺に迫ってきた。
蘇我の奴にとっては標的は二の次、俺への直接攻撃が本命なのは明らかだ。
以前の俺なら、これらの攻撃を “視る”
ことも防ぐこともできず、なすがままに身体を切り刻まれていただろう……だが、俺は口の端にニヤリと笑みを浮かべると、標的のまわりにつむじ風をまきおこして空気の塊の進行を防ぎ、逆にこっちが生み出した圧縮空気で蘇我の放った真空刃を全て挟み込み、叩き潰してやった。
「……なっ!?」
そしてすかさず反撃。空気中の水分を集め、熱エネルギーを抜き取ることで直径数十cmの氷の塊をつくり出す。これだけ大きな氷を瞬時に作れる人間は、学園内でもそうはいない。
俺はその氷塊を、蘇我の標的に向かって打ち出した。蘇我はさっきの俺と同じように、風を起こして防ごうとしたが、俺は氷塊の軌道を素早く変え、旋風を避けて右側の標的にヒットさせた。
「……ちぃいっ!!」
蘇我は今度は空中に炎を出現させて俺の氷塊を防ごうとするが、氷塊は炎に正面から突っ込んでこれを打ち砕き、そのまま左側の標的にもヒットした。
「糞ぉおっ!! カマ野郎の癖にっ!!」
馬鹿な奴。固体である氷が、あの程度の熱量で蒸発させられるものか。
氷塊は蘇我の正面でさらに軌道を変え、大きく旋回して速度を上げると、奴の顔面へまっすぐ突き進む。このまま直撃すれば、大怪我は免れないだろう。
「……っいぃぃぃっ!!」
蘇我の顔に驚愕と恐怖の表情が張り付く……だが、氷塊は奴の鼻先をぎりぎりでかすめると、最後の標的にヒットし、そのまま砕け散った。
顔を無様に強張らせたまま目に涙を浮かべて、蘇我の奴はその場に尻餅をついた。ズボンの股間がだらしなく濡れている。
「それまでっ!! 勝者、緋影っ!!」
三つの標的が倒され、審判が俺の名前をコールすると同時に、ギャラリーから歓声が上がった。どちらも俺にとっては初めての経験だった。
「綾子さん!!」
呼ばれて振り返ると、ギャラリーの中からあいつ=日向辰己(ひゅうが・たつみ)が駆け寄ってきた。
「すごいですっ! 強いですっ! 美しいですっ!!」
日向のその言葉に、俺の心臓の鼓動が跳ね上がる。
すると帽子が弾けてリボンへと姿を変え、流れ落ちる俺の長い髪の毛を束ねた。
着ていた服がいつの間にか、色鮮やかなドレスとなって俺の身を包んでいた。
俺は両腕を広げて、飛び込んできた日向を受け止める。
「好きです……綾子さん」
「……!!」
告白の言葉に胸が熱くなり、俺は日向の身体を…………
新米魔法少女は恋をする?(後編)
作:ライターマン
ピピピッ、ピピピッ!!
……目覚し時計のアラーム音が鳴り響く。「……!? …………ああ……なんだ。……夢、か……?」
吐息混じりに呟きながら、俺はぼんやりと目を開けた。
残念……いいところだったのに。
唇に柔らかな感触――俺は枕を両腕で抱きしめ、キスをしていた。
「……………………」
寝ぼけていた脳がゆっくりと覚醒していく。
「……!! おわああああっ!! なっ、なっ、なっ、なんつー夢を見てんだ俺はあああっ!?」
半年前の競技会の夢……これはいい、これは。今までにも何度も見た。
当時いるはずのない日向がそこに出てきたのも、夢なんだからまあそういうこともあるだろう。
しかし……俺はその後、駆け寄ってきた日向を抱きしめ、そして――
「ゆ、ゆゆゆ夢だぁっ!! 幻だぁっ!! お、お、俺があいつと、き、き、キッ…………ありえねえっ!!」
男とあんなことするなんて……そんなこと……そんなこと……
俺は手の中の枕を放り投げて激しく首を振り、夢の中での記憶を頭の中から追い出そうとする。
「……綾子、どうしたの? 変な声出して?」
ノックの音がして、ドアの向こうから隣の部屋の海藤詩穂美(かいどう・しほみ)の声が聞こえてきた。
「な、なんでもないっ!! 心配するなっ!!」
俺は慌てて返事した。
「……ならいいけど? ……のんびりしてると遅刻するから、早く起きなさいよ」
そう言うと、詩穂美の気配はドアの向こうから消えた。女子寮の朝は早い。身だしなみを整えるために早起きをした女子の足音や挨拶の声が、廊下のあちこちから聞こえてくる。
「…………」
女子寮――ああ、なんで俺がこんな所で寝泊りしてるんだ? 溜息を吐きつつ、俺はベッドから起き上がった。
着ていたパジャマを脱ぐと、胸の二つの膨らみが俺の視界に飛び込んできた。
ドキリとした心臓を押さえ込み、それを無理やり意識の外へと追い出すと、俺は軽くシャワーを浴びる。
男子寮と違って、女子寮には個室に小さなシャワールームが備え付けられている。贅沢な話だが、今の俺にとっては都合がいい。
シャワールームから出た俺は、タンスからさらしを取り出して胸に巻き始めた。
「き、きつい……詩穂美の言うとおり、やっぱサイズアップしてるみたいだな。……ったくこんな胸、邪魔なだけだぜ。俺は男だっていうのに――」
文句を呟きつつ、さらしを巻き終わると、寝癖で乱れた髪にブラシを入れて整える。長い髪なのでこれが結構な手間だったりする。
こんな髪さっさと切りたいんだが、周囲の猛反対でいまだに実現できないでいた。
「……!」
不意に日向の笑顔が脳裏に浮かび、俺はビクッと身体を振るわせた。目の前の鏡から、色白で栗色の髪の女の子がこちらを見つめている。
これが今の俺だなんて……いまだにちょっと信じられない――というか、信じたくない気分である。
鏡の中の女の子は頬をほんのりと赤く染め、驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。
日向辰巳……あいつのことを考えると、俺の胸の中に正体不明な何かが湧き上がってくる。
「はああ……日向って、いったい……なんなんだ?」
そう呟きながら、俺は特大サイズの溜息を吐いた。
一応自己紹介しておく。俺の名前は緋影綾斗(ひかげ・あやと)。
ここ聖道学園の生徒で17歳。もちろん男……なのだが、今はちょっとした事情で女子生徒だったりする。
知っているとは思うが、十数年前から世界中で魔法使い、すなわち魔法を使える人間が大量発生しており、それまで一部の人間だけの秘密とされていた魔法は、公の存在になっている。
「聖道学園」は増えた魔法使いに対応するために、太平洋に浮かぶ孤島に作られた魔法士養成および魔法研究機関である。もっとも
“大量発生”
といっても、日本国内では総数1500人程度……そのうちの約500人が、ここの生徒として社会に出るための学習と訓練を行なっているのだ。
魔法というのは上手に使えば非常に便利だが、ちゃんと制御できなければ災害を引き起こしかねない厄介な存在だ。
今現在、魔法使いと魔法は不可分とされている。だから魔法による災害を防ぐ方法は三つ。魔法使いをここのように人里離れた場所に「島流し」にするか、魔方陣を組み合わせた狭い結界内に閉じ込めておくか、あるいは魔法使い自身が魔法と自分自身を完璧に制御するか、である。
だから魔法を使える、または使える可能性のある人物はすべてこの学園に送り込まれ、魔法の知識や力量、素行などが評価される。そしてここを
“卒業”
し、「魔法士」の資格を得るまでは社会に戻ることはできないのだ。
そして俺もまた、この学園に送り込まれた人間のうちの一人だ。
「潜在魔力検査」を憶えているか? 15歳になると左腕に青インクでスタンプを押され、見えないようにシールを張られて一晩過ごすあれのことだ。
あのスタンプの模様は実は魔方陣であり、スタンプを押された人間の魔力に反応するようになっている。
翌日シールを剥がすと、ほとんどの人間は青のままだったり消えてたりするのだが、俺の場合はくっきりと赤く染まっていた。
その時に受けた驚きと衝撃は、今でもはっきり憶えている。
検査で「陽性」と判定された俺は、聖道学園へ転入することになった。それは俺が思い描いていた進路が断たれた最初の不幸の瞬間だった。
そしてこの学園で学習と訓練すること二年……普通ならある程度の魔法が使えるはずなのだが、俺の場合は半年前までまったくといっていいほど魔法が使えなかった。
その原因は、魔法の源である魔力が決定的に足りないためであった。
魔力というのは個人の資質に左右されやすい。それでも通常二年も訓練を受けていれば、七段階で分けられたレベルのうち「レベル3」まではいくはず。なのに俺は二年経っても「レベル1」にも達せなかった。
こうなってくると、最初の潜在魔力検査が間違いだったんじゃないかと思えてくる。とはいえ、ここに来てしまった以上、出るには
“卒業” するしか方法はない。
蔑みと、暴力の対象としての日々。俺は一刻も早くこの学園から、この島から出ていきたかった。
思い余って、俺は魔力を外部から補うことで卒業資格を得ようと考えた。これが俺にとって最大の不幸の始まりであった。
偶然手にしたマジックアイテムのアミュレット――これが膨大な魔力を封じ込めた存在であることを知った俺は、その魔力の一部を取り込むことで、一時的な魔力アップを計画したのだ。
密かに計画と準備を行ない、満月の夜に儀式を実行。結果は……大失敗であった。
確かに魔力はアップした。暫定値だが、今の俺の魔力は通常のレベル7を超え、「レベル7プラスA」にまで達した。これを超える「レベル7プラスS」は、世界でも数えるほど、日本では一人しかいないと言われている。
だがしかし……儀式の過程で魔力の一部ではなく、アミュレットそのものを取り込んでしまった俺はその場で気絶してしまった。
そして気がつくと……俺の身体は変質して女の子になっていたのだ!!
それ以来、俺は男子寮を出て女子寮へと移り、女子生徒として学園に通うことになった。
魔力アップによって “卒業”
の要件は満たしているものの、魔法によって女に変えられた俺の身体を元に戻すには、国内で唯一の魔法研究機関であるこの学園にいるしかなかったからである。
今まで起きたことを回想しながら、俺は部屋に備え付けのクローゼットの扉を開いた。
「げっ!!」
俺は思わずうめき声を上げる。……そーだ忘れてた。男だった時の衣類を処分させられて、ほとんど一張羅だった服とスラックスは、昨日の騒動で消し炭になってたんだ。
「……となると、残っているのは――」
始業前の学園。校舎の中ではあちこちで生徒が談笑を楽しんでいた。
ニュースのこと、芸能ゴシップのこと、そして身近で起きたこと――
「ねえ、聞いた? 昨日のこと」
「ああ、緋影が転校生に一目惚れしたって話だろ?」
「ほら見て見てっ、緋影さんが――を」
「やっぱり――は本当だったのね……」
……聞こえない聞こえない。俺はなんにも聞いてないぞっ!!
周囲の注目を浴びて、みんなが俺のことを噂をしてるような気がするが……気のせいに違いないっ! 無視していればそのうち聞こえなく――
「それでね……」「ええっ!? その転校生のために緋影か魔法少女のコスプレを?」
ブチッ!! ドッカアァァァ―――ンッ!!
俺の理性がブチ切れる音とともに漏れた魔力が暴発し、周囲の空気が爆発して何人もの生徒がひっくり返った。
「詩穂美のやつ……デタラメばっか言いやがって!!」
……こんなアホな噂を流すやつは、あの場に居合わせた騒動好きなあいつしかありえないっ!!
魔法探査で詩穂美の現在位置を割り出すと、俺はダッシュでその場所へと向かった。
校舎の二階の階段そばの廊下――人だかりの中心に詩穂美はいた。
「さあさあ、世にも珍しい綾子の魔法少女姿の写真。このチャンスを逃したら二度と手に入らないかもよっ!」
………… 「おいっ!! お前は何をやってるんだっ!? 何をっ!?」
「あら綾子、あなたも記念にどう? 三枚セットで800ポイント。お買い得よっ♪」
「売るなああああぁぁぁ―――っ!!」
あ、あの一瞬でいつの間にこれだけの写真を?
俺は火炎魔法で、台の上に並べられていた写真を一枚残らず一瞬で灰にしてやった。
「ああもうっ、怒らないで。これも綾子のためなのよ」
「ど・こ・がっ俺のためだっ! どこがっ!?」
「……だって、今の綾子って学校に来てこれる服がないんでしょ? そのセーラー服姿も似合ってはいるけど」
「う……っ!」
激昂する俺に動ずることなくそう指摘する詩穂美。俺の顔が少し赤くなる。
そう、学園からポイントなしで支給される制服――すなわち……せえらあ服。今の俺にはこれを着るしか選択肢がない。
胸の鮮やかな色のスカーフが、脚に当たるヒラヒラしたスカートの感触がたとえようもなく恥ずかしい。
……くそっ、ポイントが十分にあれば私服を買って、こんなの着なくてもよかったのにっ!!
「だからこの写真でポイントを集めて、あなたの着る服を手に入れようと思ったのよ」
「あ……そ、そうだったのか……」
つまり……詩穂美は俺のために? 詩穂美の思いを知った俺の胸が熱くなる。……が、
「だからもう少し待っててね……すぐに昨日のに負けないくらい可愛いドレスと下着、あたしが見繕ってプレゼントしてあげるからっ♪」
「おいっ!!」
真意を知った俺が拳を振り上げるより早く、詩穂美は写真が入っているらしきダンボール箱(300枚くらい入っていそう)を抱えて逃げ出した。
「はああ……っ、やれやれ……」
昼休み。校庭から少し離れた森の中で、俺は大きく溜息を吐いた。
今日は行く先々で注目の的だった。こんなことなら今日は登校しなきゃよかったかな?
……まあいい。なんとか尾行はまいたし、例の場所で一人ゆっくりと昼飯を食いながら気分を落ち着けよう。
木々の間を通り抜けて辿り着いたそこは、俺だけの秘密の場所で誰もいないはず…………だったのに……なんでよりにもよって?
「あっ、綾子さん」
森の中の大木の下、日向が振り返り微笑みながら俺に声をかけてきた。
顔が熱くなり、胸の鼓動が大きくなる……ええいっ、なっ、なにをやってるんだ俺はっ!?
「……ひ、日向くん? ど……どうしてここに?」
げげっ、声が上ずってる? ……なんでこいつの前だと、こんなに調子が狂うんだよ?
「ええっと……その……なんとなく」
戸惑い混じりの日向の言葉に、俺はがっくりと項垂れた。
たぶん嘘はないと思うが、普通こんな場所で「なんとなく」出会ってしまうもんか? 詩穂美が知ったら「運命なのよっ!!」とか大騒ぎしそうだが。
「……大きいですよね、この木」
日向はそう言うと、背後にあった大木を見上げた。
「ああ、そいつはこのあたりで一番大きいんだ。その木の上からの眺めは最高だぞ」
俺は頷きながら日向の隣に立ち、その腰に手を回した。
そして二人のまわりを風の結界で包むと、別の風でふわりと持ち上げた。
自分で言うのもなんだが、この「浮揚」という魔法は結構高度な技だったりする。あっという間に大木の上の方まで浮き上がると、枝の一つに降り立った。
「……うわあっ!」
日向が歓声を上げる。場所が小高い丘の上なこともあり、ここからは校舎も含めて当たりの景色が一望できるのだ。
「すごく高い!! すごく広い!! 本当にすごいっ!! ……綾子さん、ありがとうございますっ」
うーん、そんなに喜ぶことなのか?
まあ、ここは魔法が使えなかった頃から来ていた(その時は苦労してよじ登っていた)、俺のお気に入りの場所なんだが――
「さて……と――」
とりあえず飯にしようと思い、俺は腰を降ろして持ってきた弁当箱をあけようとする。
すると、俺のすぐそばで「ぐうっ」と腹の虫の鳴る音がした。顔を赤くした日向を見ると、どこにも食べ物らしきものを持っていなかった。
「…………」
俺は少し吹き出しながら、日向に弁当箱を差し出した。「……よかったら、食べる?」
「あ……う、うん。い……いただきます」
日向は弁当箱の蓋に並べたおにぎりやおかずを口に運んだ。
「お、美味しいです綾子さんっ!」
「おいおい大げさだな……朝食の残り物を作り直しただけのものだぜ」
自立支援のひとつ――ということで、寮の厨房は調理中の時間を除いて生徒が使うことができる。
頼めば弁当の材料なんかも用意してもらえるのだが、俺の場合は朝食の余り物を利用した、ごく簡単なものだ。
「いえ、そんなことないです。特にこの卵焼き」
「ああ卵焼きね。そいつは母さんに昔教えてもらったんだ。砂糖の代わりにみりんを加えて塩を少々、これが結構美味いんだよな」
「はい、どうもありがとうございますっ、綾子さんっ」
「……うっ」
こいつが嬉しそうに微笑むのを見ると、こっちまでなんだか嬉しく感じてしまう……まったく、不思議な奴だ。
「……そ、それにしても、日向くんはここまで何も持たずに来て、お昼ご飯とか、どうするつもりだったん……だ?」
照れ隠しに、そんなことを尋ねる。
「ええっと、学食とか工房とかは人が多くて……ちょっと苦手なんです」
「ああ、なるほどね……」
日向の言葉に俺は頷いた。
俺もあの人だかりは嫌いだった。やたら注目は浴びるし、ときどき変なことするやつはいるし……
ちなみに「工房」というのは職員や生徒たちの作るパン焼きサークルの販売コーナーである。発酵や火加減を魔法で細かく調節するため美味と評判で、学食と人気を二分している。
ま、それはともかく、日向の気持ちはなんとなく解かる。実は俺が弁当を作ってる理由は、ああいった場所に行くと注目を集めるから近づきたくなかったからだ。
こいつの場合、ちょっと気弱そうだから、人ごみの中を分け入ってメニューやパンを注文するっていうのは、なかなかできないかもしれないな。
そう思った俺は、遠慮がちに日向に提案してみた。「あの……さ、よかったら明日から……弁当作ってやろうか?」
「ええっ、いいんですか?」
「ああ、ついでだから手間は変わらないし……時々多く作りすぎることもあるから」
「あ、ありがとうございます、綾子さん」
い、いや……そんな顔して喜ぶなよ……照れるじゃないか。
「あーやーこっ!」
「おぅわっ!! ……な、なんだ詩穂美か」
背後から突然抱きつかれ、俺は溜息混じりに振り返った。
詩穂美の奴はなんだかとても嬉しそうだが、俺の心はこいつの表情と反比例して、どんどん不安が増してくる。最近……特に日向と出会ってからこっち、いつもこんな調子なのだ。
「日向くんが来てからの綾子って、ずいぶん女の子らしくなったよね」
「そ、そんなことあるか!! 俺は女じゃないっ」
俺はすかさず反論したが、詩穂美の笑みはさらに意地悪さを増した。
「あの日からずっとセーラー服だし」
「だから……今はこれしか着る物がないんだよ」
「髪にリボンなんかつけてるし」
「こ、これはだな……さ、最近風が強いだろ。こうしてないと髪がばらばらになって鬱陶しいんだよ」
一昨日、風で乱れた髪の毛が俺や日向にまとわりついて大変だったので、何とかしようと思った結果がこれ。リボンは詩穂美が勝手に部屋に置いていったものなんだけど、日向も「似合う」って言ってくれたし……い、いや違うっ、風対策なんだって!!
「……ふぅ〜ん?」
「な、なんだよ? ……そ、そうだっ!! お前、俺の部屋からさらしを持ち出しただろ!? すぐに返せ!!」
油断だった。昨日の夜、すぐに戻るからと鍵をかけずに部屋を出た隙に、クローゼットの中のさらしを残らず持っていかれたのだ。
「代わりにブラジャー置いてったげたからいいじゃない……あ、ちゃんと着けてるみたいね」
「さ、触るなっ!! しっ、しっ、しっ、仕方ないじゃないか。さらしがないんだから……」
「可愛いわよ綾子、きっと日向くんも喜ぶわっ」
「…………」
沈黙した俺をニヤニヤと見つめる詩穂美だったが、ふと思い出したように首を傾げる。
「そういえば日向くんって、『訓練』に全く出席してないらしいわね……」
「え?」
「普通なら転入直後は、全員初級基礎訓練を受けるはずでしょ? それが一度も顔を出してなくて、先生もそれを咎めてないんですって」
「ふうん……そういや、確かに昨日見に行ったときも、いてなかったよな……」
「あら、やっぱり彼氏が気になって覗きに行ってたのね」
「ち、違うっ、彼氏なんかじゃないっ!!」
怒鳴り返す俺の顔が熱くなる。最近は、しょっちゅうこんな感じだ。
「きゃははっ、赤くなった赤くなった♪」
「このぉっ、待てぇ――っ!!」
からかいつつ走り去る詩穂美を追いかけて、俺は駆け出した。
「くっそー詩穂美のやつ、逃げ足と目くらましだけは相変わらずだぜ……」
ぶつぶつそう呟きながら、俺は廊下を歩いていた。
詩穂美を追いかけるのを諦めたのは、光の屈折を利用した幻術に引っかかって見失ったこともあるが、そろそろ検査の時間だったので保健室に行かないといけなかったからだ。
「うん? あれは……」
保健室のそばで、俺は物陰に隠れて様子を窺っている人影に気付いた。「あいつら……」
それは蘇我と物部(もののべ)……かつて俺を蔑み、暴力をふるっていた連中の中で特にたちの悪い二人組だ。
「…………」
連中は俺に気付くと、憎々しげに睨み付けてきたが、すぐに目をそらしてその場を立ち去った。
「……あいつら、懲りずにまだ俺をつけ狙ってるのか?」
半年前の競技会で無様な負け方をしてからしばらくの間、あの二人は俺のあとをつけるなどして、仕返しの機会を窺っていたらしい。俺が油断せず警戒していたことと、高レベルの魔法士でもある先生たちに目をつけられたこともあって諦めた……と思っていたのだが。
ただ、俺が勝利した瞬間に見せた蘇我の表情は今でも忘れることはできない。
あの競技会の時、いままでやられたお返しとばかりに俺がやった顔面へのフェイント攻撃。直後に先生たちから厳重注意を受け、俺も今ではまずかったと思っているが、あの時の俺は力任せの攻撃に対して逆に不必要なまでに圧倒的な力で相手をねじ伏せてしまったのだ。
今まで非力だった俺が、力を持った途端にそれを誇示する。結局連中と同じことをやってしまっていたのだ。
その時からあいつらの俺を見る目は、蔑みから憎悪へと変わった。俺の方もあれ以来、不必要に力を誇示するのは控えるようにしているが、仲良くするつもりははなからなかったので、警戒するのみで他は特に何もしなかった。
連中は保健室を窺っていたみたいなので、もしかしたら俺に肩入れしてくれた白川先生に…………いや、あの先生に連中が敵う筈がないから心配しなくても大丈夫だろう。
俺は蘇我たちを無視することに決めて、保健室へと足を向けた。
「ふーん…………もういいわよ、椅子に座って楽にしてて」
緊張していた俺は、白川先生の言葉にほっと息を吐くと、そばにあった椅子を引き寄せて座った。
白川美郷(しらかわ・みさと)先生――ここの卒業生で学園の校医。もちろん魔法士でもあり、かなり優秀なのは間違いない。しかも若くて美人である。
女になった身体を男に戻すため、俺は定期的に白川先生に身体を診てもらっているのだ。
「……で、どうでした? 俺の身体」
「今のところどこにも異常はなし、完全な健康体よ。……女性としてだけど」
「そうですか……」
先生の言葉に、俺は溜息混じりに短く呟いた。それはもう何度も耳にした言葉だった。
白く肌理細やかな肌、柔らかなカーブを描く身体のライン、くびれたウエスト、胸の二つの膨らみ、そして毎月訪れる女としての生理……俺の身体はどうしようもなく完全に女性だった。
「……そうそう、あなたのことで本土の方に調査を依頼してたんだけど、ついさっき返事が来たわ」
「調査? いったい何の?」
「うふふふ、吉報よ。あなたの戸籍の性別、すぐにでも変更が可能だそうよ。よかったわね、これで名実ともに女性になれるわ」
ガッタァァ――ンッ!!
派手な音を立てて、俺は椅子ごとひっくり返った。「……どっ、どっ、どこが吉報ですか!? どこがっ!!」
起き上がりながら叫ぶと、白川先生は口に手をあてて大笑いした。
「きゃははっ、冗談よ冗談。それは男に戻れなかった時の対策として調べてもらったのよ。……もちろんこのまま女性として生きるつもりなら、そうしてあげてもいいけど?」
俺は白川先生の言葉に首を横に振って答えた。……ったく、詩穂美といい、俺の近くにいる女どもはどうしてこう――
「でしょうね。……じゃあこれ。一緒に届いたものだけど読んでみる?」
そう言って差し出されたのは、一冊のレポートだった。
読み始めてすぐにそれが何なのかを知った俺は、驚いて顔を上げた。
「先生、これってあのアミュレットの?」
「調査報告書よ。あなたの身体に写し込まれた魔方陣の紋様と魔力パターンなどから、ヨーロッパのある地方を特定して調べたのよ。おかげであのアミュレットの由来が判ったわ」
「自然を司る巫女の……神器?」
「キリスト教が広まる以前の話らしいわ。その地方では素質のある女性が巫女として選ばれ、治水や作物の育成を司っていたそうよ。そして巫女は神器を使ってその力を次代へと継承していったの」
「次代へ……継承……」
「力を受け継いで巫女となった女性は、金髪碧眼の姿になったそうよ。恐らく代々継承して強化された魔力と魔法が、身体の形質を変える力を得たようね」
「…………」
「継承者が決まると満月の晩に儀式を行ない、先代はその身より神器を取り出し、神器を取り込んだ女性が次代の巫女となったの。その時、儀式に使っていた魔方陣が記録に残ってたわ。それが……これよ」
「こ、これは……」
それはあの満月の晩、校舎の屋上で俺が描いた魔方陣とかなり……いや、ほとんど同一のものだった。
「まったくの偶然とはいえ、ここまで条件がそろうとはね。つまり、緋影君は継承の儀式を経て次代の巫女として魔力と姿を受け継いじゃったのよ。ただ、元が男だったから女にはなったけど、金髪碧眼とまではいかなかったみたいね」
「なんてこった……」
知らなかったとはいえ、俺はとんでもない代物に手を出してしまっていたのだ。そしてその結果がこの身体というわけか。
「……で、ここからが本当の吉報よ。調査の過程で継承の儀式のことがかなり詳しく判明したわ。これで緋影君の中の魔方陣と魔力を、神器――つまりあのアミュレットとして取り出すことができるわ」
「そっ、それじゃあ俺の身体は?」
「ええ……今のうちならほぼ確実に男に戻るはずよ」
そう言って白川先生が頷いた。
確かにそれは吉報だった。不本意な変身で女の子をやらされている俺にとって、それは待ちに待った喜ぶべき知らせであった。
…………筈なのに。
「あっ、綾子さん」
いつもどおりの大木の下。そこに日向がいつもどおりに立っていて、俺に手を振っていた。
「お、お待たせ。……待ってた?」
「いいえ、全然」
いつもより10分は遅刻した筈の俺に、日向は笑って首を横に振った。……ほんと、優しいやつだよな。
「じゃ、食べようか」「はいっ」
俺たちは弁当箱を広げて、お昼を食べ始めた。
「あ、この粉ふきいも美味しい」
「そ、そうか? よかった……実は今朝、初めて作ってみたんだ」
他愛もない会話を交わしながら、食事が進んでいく。
俺はちらりと日向の横顔をうかがった。
(俺が男に戻ったら……もうこんなことはできないんだろうな……)
軽く溜息をつきながら、俺はそんなことを考えていた。
俺の身体を女の子にしたのは、アミュレットに封じられていた魔力と魔法。そして俺の身体に写し込まれた魔方陣は、その魔力と魔法を分離することで再び封じることができる。
多少の影響は残るかもしれないが、身体の方は確実に男性に戻るだろう。
ただし、封印するための儀式は満月の晩にしか行えない。次の満月は15日後で、それまで待たねばならないとのことだった。
「本当はすぐにでも戻してあげたいんだけど、もうちょっと待っててね」
そう言った白川先生の言葉に少し……ほんの少し、ほっとしている自分がいた。
望んだものではなかった女の子への変身。男に戻ることをずっと願ってきた筈なのに……今になって、それをためらっている自分に驚いている。
だけど、その理由はなんとなく想像がついた。
たぶん……失いたくないのだ、この時間を。
この学園に来てからの俺は、ずっと「能無し」と呼ばれて蔑まれていた。優しくしてくれる人も多くいたが、楽しいと感じたことはほとんどなかった。
そう、横にいる日向と出会うまでは……
「…………」
そうだ。俺は日向と一緒にいる時を楽しいと感じている。こいつの笑顔をいつまででも見たいと思っている。
だけど……日向の笑顔は「女の子としての俺」に向けられたもの。
もしも俺が男に戻ったら……その時日向は変わらず俺に微笑んでくれるだろうか? そして俺はその微笑みに応えることが出来るだろうか?
答えは……出てこなかった。
「……うっ!!」
突然、日向が胸を押さえた。
「ど、どうした? なにか詰まったのか?」
俺は驚いて日向の背中をさすりながら、そう呼びかけた。日向はしばらく苦しそうにしていたが、どうやら収まったらしく、表情を和らげて俺を見上げた。
「す、すいません……もう大丈夫です……」
そう言って日向は微笑んだが、その表情はいつもと少し……違う気がした。
「あ、あの、綾子さん……お願いがあるんですけど」
「な、なんだよ、お願いって?」
日向の表情は寂しそうであり悲しそうでもあった。俺の心の中に不安が広がっていく。
「僕がいなくなっても……悲しまないでください。そして……時々は僕のことを思い出してもらえないでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待てっ!! 『いなくなっても』って……どういうことだそれは!?」
声を荒らげた俺に、日向は薄く笑みを浮かべて答えた。
「僕、もうすぐ死ぬんです……」
「……!?」
晴れ渡った空に、かすかに雷鳴が轟いた。
俺の手から弁当箱がこぼれ落ちて、中のおにぎりが地面を転がっていった……
「……うわっ!!」「きゃああっ!!」
「こらあああっ、廊下で『疾走』なんか使うなっ!!」
廊下を高速で突っ走る俺の後方で、何人もの生徒が悲鳴を上げ、続いて教師の怒鳴り声が響く。
ちなみに「疾走」というのは、風で自分の身体を後方から押して高速で移動する魔法だ。直線ならスクーター並みの速度は簡単に出せる。ただし周囲で突風が吹き荒れるので、人の集まる所や狭い場所、特に廊下での使用はあまりお勧めできない……使ってるけど。
悲鳴や怒号を完全無視した俺は、保健室に辿り着くと勢いよくドアを開けた。
「先生っ!! 日向が……日向がもうすぐ死ぬってどういうことなんですかっ!?」
白川先生は飛び込んできた俺の姿と言葉に目を見張り、そして小さく呟いた。
「まさか……発作が起きたの?」
俺が小さく頷くと白川先生の表情がみるみる変わっていった。先生のこんなに緊張した顔、今まで見たことがない。
「……先生、日向にいったい何が?」
「緋影くん、これは日向くんのプライバシーに関する――」「先生っ!!」
俺の剣幕に白川先生は一瞬目を瞬かせ、やがて溜息を吐くと、日向のことについて語り始めた。
「日向くんはね、アヤカシの被害者なの……」
「アヤカシって……あの?」
アヤカシ――それは無許可または無認可で魔法を操る者の総称である。
魔法使いの素質を持つ者のほとんどは、俺みたいに潜在魔力検査でその存在を知られる……が、中には検査をすり抜けてしまう者もいる。ただ単純に発現が遅かっただけの場合だと、申請すれば聖道学園で魔法士になるための教育と訓練を受けることができるし、また社会人になった後で発現してしまった場合は、短期集中講座で魔力を抑えることだけを学んで魔法士仮免許を与えられ、「魔法を使わない」「所在地や行動は必ず報告する」などの条項を厳守させた上で速やかに社会復帰(口の悪い人は「仮出所」ともいう)することも可能だ。
だが稀にそういった申告を一切せず、闇に紛れて己の欲望のために魔法を振るう連中もいる。それはもちろん違法行為であり、その者は犯罪者である。
そういった危険極まりない連中のことを、アヤカシ(=妖)と呼んでいるのだ。
「そのアヤカシはね、偶然見つけた日向くんを拉致して何年も閉じ込めて、いろいろ人体実験を繰り返していたらしいわ。他人の魔力を自分の力とするための実験だったそうよ」
「人体実験……」
「日向くんは最近になってようやく保護されたんだけど、過酷な実験のせいで、既にスピリットコアに深刻なダメージを負っていて、崩壊寸前の状態だったわ」
「スピリットコアがっ!?」
生物の中に存在する精神エネルギーの核で、いわゆる「魂」とほぼ同一の存在といわれているスピリットコア。魔法に関して最初に学ぶ基礎知識のひとつだ。
スピリットコアを構成するのは大部分が魔力に似たエネルギーだが、詳細は不明。
確実なことは生きている生物には必ず存在し、破壊されると……死ぬ。
「魔法士医師三人がかりの治療でなんとか崩壊は食い止めたわ。状態が安定したのでここに転入させたんだけど……」
「なんで転入させたんですか?」
「理由のひとつは設備の問題。魔法に関する検査や治療を行なうには、ここが一番設備が整って都合がいいのよ。時間をずらせてたから気がついてなかったでしょうけど、日向くんも緋影君と同じように、ここで定期的に検査を受けてたの。……そしてもうひとつが、本人の希望」
「日向の希望?」
「そう、日向くんは幼いように見えるけど実は16歳なの。13歳の時に拉致されてから、ずっと狭い部屋に閉じ込められて、人体実験の影響で成長が止まっているの。だから『生きているうちに広い世界に触れ、いろんなことを学びたい』って」
「そんな……」
だから……だからなのか?
日向は成長の遅い木を「かわいそう」と言い、俺が治療をすると「本当の魔法」と言って喜び、木の上からの眺めに感動していた。
そしてもうすぐ……死ぬ?
「発作が起きたということは、スピリットコアの崩壊が始まってしまったんだわ。このままだと彼の命は――」
「ど、どうなるんですか? ……ま、まさか?」
訊ねる声がどうしても震えてしまう。白川先生も俺から目を逸らし、小さく呟く。
「たぶん……もってあと三ヶ月」
図書館の書庫、分厚い本を閉じながら俺は溜息を吐いた。「この本もダメか……」
白川先生から日向のことを聞いて以来、俺は図書館や資料室で日向を助ける方法を調べまわっている。
当然授業や訓練は全てサボりなのだが、誰も咎めない上に、図書館では書庫や資料庫の鍵まで貸してくれた。
たぶん白川先生が手を回してくれたのだろう……しかし手掛かりはまったくと言っていいほどつかめなかった。得られたのは、スピリットコアと魔力の相似性、魔法による好影響と悪影響に関するレポート、そんなところだった。
「…………」
ここで俺が手掛かりを見つけられるくらいなら、先生たちがとっくに見つけている……と思わないでもないが、とにかく何か動かずにはいられなかった。
日向は入院をせず、今までと同様に講義を受講し、訓練の代わりに保健室で診察、そして昼は俺と一緒に弁当を食べている。
「入院したからってよくなるわけじゃないですから。それに狭い部屋に篭りっきりというのは嫌なんです……『あの時』を思い出してしまうんで」
そう言って微笑む日向の顔は、気のせいかとても儚げで、今にも崩れ落ちそうな感じがした。
そして三日前、悪いと思いつつ日向のスピリットコアの様子を覗き見た俺は、思わず息を飲んだ。
コアを卵に例えると、殻に相当する部分に亀裂がいくつも入っていたのだ。亀裂が広がって割れてしまうようなことがあれば、中の「魂」に相当する部分は拡散して消滅し、待っているのは……死だ。
(なんとか……なんとかしないと……)
焦る気持ちに駆り立てられ、俺は次の本へと手を伸ばした。「こ、これは……っ!!」
『彼氏のスピリットコアをがっちりゲット 〜恋の呪文&おまじない大特集〜』
「……だあああぁっ!! こんなの読みふけってる場合じゃねえっ!! だいたいなんでこんな本が書庫にあるんだあああっ!?」
「はああ……今日も収穫なしか……」
俺はがっくりと肩を落として図書館を後にした。
本音を言えばもっと残っていたかったのだが、閉館時間をだいぶオーバーしており、図書館の人たちのことを考えると、これ以上居座ることはできなかった。
時刻はもうすぐ夜中になろうとしており、夜空には月がほぼ真上で輝いていた。
学園を出てすぐの分岐点で、俺は立ち止まった。正面は研究や職員用などの施設、右に曲がれば男子寮に辿り着く。
以前の、つまり男だった頃の俺はいつもここを右に曲がっていた。しかし今は……
(まあいいか、今はそれどころじゃないし……)
そう思い俺は左側の道――女子寮へ続く道を歩き始めた。
……だがその時、「うっ!! な、なんだこれは!?」
突然胸騒ぎが沸き起こる。言い知れぬ不安、そして――
「日向っ!?」
あいつの悲鳴が聞こえたような気がした。普通ならそんなことはありえない。いくら魔法でも、準備や術式なしに男子寮にいる筈の日向の声を聞くことなんてできない。
だけど、このときの俺はそんな理屈など考えていなかった。
俺は振り返ると、「疾走」を使って男子寮へと駆け出した。寮を囲む林の中、その一角から胸騒ぎの元凶が感じられる。
「……あそこかっ」
俺には心当たりがあった。そこにはちょうどテニスコートくらいの広場があり、以前の俺は今くらいの時間に何度もそこに連れ出されたことがある。
そしてそこで俺は……
「くっ……やっぱり……っ」
広場に到着した俺は、目の前の光景に思わず呟き唇を噛んだ。
そこに立っていたのは蘇我と物部だった。
彼らは以前と同様、弱い者をここへ連れ出しては暴力を振るっていたのだ。そして、かつての俺の代わりにそこに倒れていたのは……
「日向ぁっ!!」
「ちっ……」「ヤなヤローが……っ」
俺は舌打ちをする蘇我たちを無視して日向に駆け寄り、その身体を抱き起こした。
日向の身体にはいくつもの火傷と切り傷があった。俺の胸に悔しさと、怒りの炎が燃え上がった。
うかつだった。あのとき、保健室の前にいたこいつらを見ておきながら、俺と同様に保健室に通う日向を標的に選んだということに……なぜ気がつかなかったんだっ!!
「「緋影ええええええっ!!」」
蘇我たちが俺に火球を打ち込んできた……が、俺は突風を巻き起こして火球を消し去り、お返しに雷撃を放って奴らを地面にはいつくばらせた。
「がぁああああっ……!!」「げっ……げぼぅうぇええっ!!」
「お前らも……お前らも炎に焼かれてみるがいいっ!!」
蘇我たちの火球とは比べものにならない巨大な火球が、俺の頭上に浮かび上がった。
だけど、奴らに向けようとしたその手を日向に掴まれた。日向は弱々しく、それでもはっきりと首を横に振った。
俺の中の怒りが、急速に静まっていく。同時に頭上の巨大火球が、小さく縮んで消失した……
雷撃の光を見たのか男子寮から生徒たちが駆けつけてきたので、蘇我たちのことを任せ、俺は日向の華奢な身体を抱え上げた。
「日向、おい日向っ!?」
俺は日向に呼びかけた。日向はぐったりとしたまま、動こうとしない。
「……うっ!? こ、これはっ!?」
魔法で日向のスピリットコアを見た俺は、思わずうめき声を上げた。
表面の亀裂が大きく広がっていて、本体の崩壊が急速に進んでいた……物部と蘇我の攻撃魔法が、日向のスピリットコアに致命的なダメージを与えてしまったのだ!!
俺は急いで治癒魔法を使い、スピリットコアの崩壊を防ごうとした。だが時既に遅く、とうとうスピリットコアの表面が割れてしまった!!
苦しそうにうめきながら、日向が薄く目を開いた。
「ひゅ、日向っ!!」
「……あ、綾子さん…………今まで……どうも……ありがとう…………ございまし……た……」
「過去形にするな、馬鹿っ!!」
俺は懸命に叫ぶが、日向にはそれに答える力ももう残されていないようだった。
「くそっ、どうすれば……どうすればいいんだよっ!?」
今は魔力でなんとか崩壊を押さえ込んでいるが、こんなのは長続きしない。
なんとか亀裂を修復、または亀裂ごとスピリットコアを包み込んで崩れないようにするとかしないと……でも豆腐や卵じゃないんだし、そんな器みたいなもの――
「あっ!!」
その時、俺の頭の中である考えが閃く。うまくいくかどうかは判らない。だけど今はこれしか思いつかない……
見上げると月が真上に差し掛かっていた。満月には少し足りないが、なんとかやってみるしかない。
俺は魔法で、俺と日向のまわりに魔方陣を描いた。
月の力、そして足りない分は俺の魔力で補って魔方陣を起動させると、魔方陣の模様が淡く白く輝き始める。それと呼応して、俺の体から赤、黄色、そして青の魔方陣が展開して浮かび上がった。
本来なら、俺の中に宿る「巫女の力」を封じるための「器」としての魔方陣、その「力」と「器」を無理やり引き剥がし、魔方陣の中心を強引にずらしてやる。
魔方陣はそのまま収縮し始め、日向の身体、さらにその内側へとしみ込んでいく。
「……や、やった――」
俺の中にあった魔方陣は日向の身体へと移り、スピリットコアを包み込んで安定した。俺は安堵し、力尽きてその場で気を失った…………
意識を取り戻したのは翌朝、保健室のベッドの上だった。
「おはよう……気がついた?」
声をした方を見るとそこには白川先生が立っていた。
軽い既視感――そういえば俺の体が女の子になった時も、こんな感じだったっけ?
「まったく無茶ばっかりするわね……おかげでいろいろ大変だったのよ」
「……そ、そんなことより先生、日向はどうなったんですか? まさか……死んだりなんか――」
その言葉に昨晩の出来事を思い出し、俺は身を起こしながら訊ねた。
すると白川先生は少し吹き出すと、俺の背後を指差した。指先を追って反対側を向くと、そこには隣のベッドの上で規則正しい寝息を立てて眠っている日向の姿があった。
「よかった、成功したんだ……」
「ほとんど奇跡よ。封印の力が少しでも強かったら魔方陣の力でスピリットコアが潰されていたでしょうし、逆に少しでも弱かったら、隙間だらけで拡散消滅を防げなかったわよ」
「……げげっ!!」
そ、そんなに難しいことだったのか? 無我夢中でそんなこと全然考えてなかった。
「それに封印も不完全だったから、定期的に補強しないといけないわ。それよりも最大の問題は――」
「な、なんですか、最大の問題というのは?」
まだ何かあるのか? 俺は先生の顔をじっと見つめた。
「すごく言いにくいことだけど…………緋影くん、あなたもう男には戻れないわよ」
「……えええっ!?」
白川先生から告げられた言葉に衝撃を受け、俺はすっとんきょうな声を上げた。「……ど、どうしてですか先生? この前は(ほぼ)確実に戻れるって――」
「それはあなたの身体にあの魔方陣が残っていた時の話よ。魔方陣なしで、どうやってあなたの中の『力』を取り出すのよ?」
「あ……。そ、それじゃあ、代わりに同じ魔方陣を作って、それで――」
「無理よ。あなたの中に宿っているのは、長い時間と何代もの女性の力を経て練りこまれた特別な力なのよ。これを分離封印するには同じくらいに練りこまれた魔方陣、つまりあの魔方陣がどうしても必要なの」
「…………」
「そして魔法陣を失ったせいか、あなたの身体は神器の魔力に馴染み始めてるわ。恐らく二年も経てば神器の魔力を取り出しても、あなたの身体は女の子のままよ」
「そんな……」
「もちろんあの魔方陣をすぐに取り出して儀式を行なえば男に戻れるわ。だけど最低でも五年間、あの魔方陣に手をつけたら……その瞬間に日向くんは死ぬわよ」
「…………」
そ、それは困る。絶対に困る。そんなことになるくらいなら……
「そんなことになるくらいなら、あたしずっとこのままでいい。日向くんが生きてくれるなら、あたしずっと女の子のままで構わない……ううん、むしろ女の子として日向くんと結ばれるなら、その方がいいわっ♪」
「……おいっ」
俺は振り向いて、いつの間にか背後に立っていた詩穂美を半眼で睨みつけた。「……なんだよその乙女チックなセリフはっ?」
「恥ずかしがり屋な綾子の心情を代弁してみました。てへっ♪」
「てへっ、じゃねえっ!! 俺はそんなこと――」
「……考えてなかった? ひとっ欠片も?」
詩穂美のその言葉に、俺は思わず詰まってしまう。
結ばれる――とかいうのは考えてなかったよな……たぶん。他は……どうだったかな?
「いいじゃない、綾子はこのままで。日向くんとラブラブだったんだし」
「だっ、誰がラブラブだっ!? 誰がっ!!」
俺は声を荒らげて反論するが、詩穂美はにこやかに微笑みながらポケットに手を突っ込んだ。
「もっちろんっ、ここに写ってる二人がよ」
詩穂美が取り出して並べてみせたのは、俺と日向が写った何枚もの写真だった。待ち合わせ場所に遅れて到着して謝ってる場面、二人で弁当箱を広げて食べ始めようとしている場面、日向の肩に手を回して遠くを眺めている場面……うわっ、俺ってこんな表情で微笑んでたのか? これじゃまるで恋する乙女……っていうか、こんな写真をいつの間に撮ってやがったんだ?
「綾子って本当にいい表情するのよね。おかげで写真の売れ行きがすごくよくって」
「だから売るんじゃねえっ!!」
まったく……詩穂美の奴、ここを卒業したら写真週刊誌のカメラマンでも十分以上に食っていけるに違いない。
「あらっ? 日向くん、気がついたようね」
詩穂美と睨み合っていた俺は、白川先生の声に慌てて日向の方を見る。日向はゆっくりと上半身を起こしながら、俺の顔を見た。
「……綾子さん…………僕……生きてる、の?」
「ああそうだよ……お前、生きてるんだよ」
「緋影くんのおかげでね」
「綾子さんの? あの……あ、ありがとう……ございます……」
礼を言う日向の目に涙が浮かんで流れ落ちる。そして、俺の胸の中が暖かいもので満たされていく。
「お、おい、泣くなよ……よかったな」
「……はい」
肩を抱いた俺の腕の中で、日向は何度も頷いていた。
「じゃあ、今の状況を簡単に説明しておくわね」
日向が落ち着くのを待っていた白川先生は、そう言うと昨夜から起きたことを説明した。
あの魔方陣については俺が「偶然に持っていた」ということにして、俺が男だったことは隠しておいてくれた。
「……まあ、そういうわけで魔方陣が有効に機能する限り、日向くんの日常生活に何ら支障はないわ。ただ、魔方陣をこのまま放置しておけば、三日で効果が薄れてくるわよ」
「……え!?」
「み、三日!? そんな……たった……たったそれだけ?」
「慌てないで。そうならないうちに、魔方陣に魔力を補給して効果を持続させればいいのよ。それを定期的に繰り返せば、日向くんはこの先何十年でも生きていられるわ」
「そ……そうだったんですか」
俺はホッと胸をなでおろした。
「幸い、魔方陣は緋影くんと一体化していた間に繋がりができていて、緋影くんが日向くんにあることをすれば、自動的に魔方陣が補強される。逆に緋影くん以外だと、それはかなりの困難が伴なうの。だから、これからは緋影くんに協力して欲しいんだけど――」
「いいですよ、日向のためなら。……で、具体的に何をやればいいんです?」
「方法自体は簡単なんだけど……ちょっと抵抗があるかも。ストレートに言えば、緋影くんと日向くん、二人の身体が直接触れ合うこと」
「ちょ、ちょ、ちょ、直接触れ合うっ!? ……そ、それってつまり――」
俺の心臓の鼓動が早鐘のように鳴る。
頭に血が上り、熱くなって、ぼわ〜ぁっと意識に霞がかかる。
その中で、日向の顔がどんどん大きくなって――
「あ、あのね……直接触れ合うって手を握り合うとか……そういうのでよかったのよ。何もそこまで――」
「きゃあ――っ、綾子ったらだいたーん。人前で日向くんとキスするなんて〜♪」
「……!!」
白川先生と詩穂美の言葉に俺は我に返ると、閉じていた目を見開き、あわてて日向から離れた。
おっ、おっ、おっ、俺は今っ、何をやってたんだあぁぁぁ―――っ!?
ふと気付くと、さっきから横でパシャパシャと音がしていた。見ると詩穂美がいつの間にかデジカメを取り出して、シャッター切ってるではないか!!
「ちょ、ちょっと待てっ!! まさか今の俺たちを?」「…………」
「もっちろんっ、見つめ合う二人からキスシーンまでバッチリ! きゃあああ〜っ!! 大スクープよおっ!!」
止める間もあらばこそ……詩穂美はあっという間に保健室から姿を消した。白川先生も苦笑しながら、「ちょっと用事があるから」と言って保健室を後にした。
残ったのは俺と日向の二人きり。
お互い顔を赤くして俯いたまま向かい合っていたが、深呼吸をして気持ちをなんとか落ち着けた俺は、顔を上げて日向に声をかけた。
「あ、あのさ……」
「は、はい……なんですか?」
「……え、えっと、その――」
だああああ―――っ!! 会話が続かねえっ!! なんか……なんか話題はないか?
「あ、あのさ……こ、今度作る弁当……何か、リクエスト……ある、か?」
なんで保健室で弁当の話題を? と、自分で突っ込みたくなったが、日向はその言葉に顔を上げて微笑んだ。
顔は赤いまま、嬉しそうなその笑顔に再び俺の全身が熱くなる。
(ああ、この笑顔……俺、この笑顔に捕まってしまったのかも。でも……それも悪くない、か)
そんなことを考えながら、俺は日向の言葉を待った。
やがて日向は遠慮がちに答えた。「ええっと……それじゃあ卵焼きを」
「判った、任せろ」
そう言って、俺は微笑みながら日向の頬に軽く唇を触れあわせた。
(おわり)
おことわり
この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体は全て架空の物で実在の物とは何の関係もありません。
木漏れ日の中、俺は閉じていた目を開いて二、三歩下がり、大きく息を吐き出す。
目の前の辰己の顔が少し赤い。俺もちょっと心臓がドキドキしている。
……い、言っておくがな、これは辰己のために必要なことなんだ。
辰己の「魂」とも言うべきスピリットコアは、過去のアヤカシによる被害とこの前の物部と蘇我による魔法攻撃で、かなりのダメージを負っている。治癒するまでに最低五年はかかるという。
本来なら完全に致命傷なのだが、神器の魔方陣がスピリットコアを包み込むことで、なんとか命を取り留めているのだ。
日常生活には支障はない。魔法だって最近訓練を開始したから、そのうち使えるようになるだろう。ただ、辰己の生命をつなぎ止めている魔方陣は、定期的に魔力を供給しなければならず、そのためにはこうして俺が辰己と直接触れ合わなければならない。
俺は毎日、誰もいない場所で辰己とこうして触れ合っている。手を握り合ったり、雰囲気次第では、さっきみたいにその……唇を重ねたり。……だ、だからっ、これは辰己の命を守るために仕方なくやっていることだって……
え? とてもそんな風に見えない? ……それと、いつの間に下の名前で呼ぶようになったんだって?
……ええいっ!! うるさい、うるさい、うるさあああ―――いっ!!
周囲の人影を魔法で探査。さっきもやっといたのだが、野次馬……特に詩穂美の奴は油断がならないからな。
……よし大丈夫、100メートル以内には誰もいない。安心した俺は、さっき頭に浮かんだ疑問を辰己に投げかけてみた。
「あのさ……背、伸びてない?」
「はい、先生の話だと、あのときのショックと魔方陣の影響で止まっていた成長が再び始まったらしいんです」
へえ……そうなのか。まあ、辰己はもともと俺の一歳下だってことだし、機能が回復して歳相応に成長が始まるってのはいいことなんだよな、うん。
でも、もし急成長して俺よりも背が高くなったりしたら……う〜ん、ま、それはそれでいいかも。
「じゃあ、帰ろうか?」
そう言って俺が辰己に右手を差し出すと、辰己もその手を握り返した。
俺たちがいたのは、職員や研究員の居住区の近くにある森の中だ。今日は休日だし、寮や学校の近くだとすぐに見つかってしまうかもしれないからな。
森から出てしばらく歩くと、娯楽ブロックと呼ばれる場所にたどり着く。
そこで俺たちは、「本日開店」の文字が入った立看板のある、真新しい建物があることに気がついた。
ちなみに娯楽ブロックというのは……まあ説明の必要はないと思うが、「遊び場」のことだ。ここには大人もたくさんいるし、勉強ばかりじゃ息が詰まるしな。ただ、ここも実際は学園の敷地内(島全体がそうなのだが)だけに、普通のゲームセンターにカラオケBOX、喫茶店なんかがメインである。バーやスナックなどもあるにはあるが、当然未成年の利用は不可だ。
でもこんな場所に新規で開店? などと首を傾げていると、その店の扉が開いて意外な人物が姿を現した。
「……え? 白川先生?」
「あら、緋影くんに日向くん」
白川先生は俺たちに気がつくと、微笑みながら声をかけてきた。「あなたたち、デートの帰り?」
「デッ、デートなんかじゃありませんっ!!」
「あははは、はいはい」
あわてて叫ぶ俺の姿を見て、白川先生は声を上げて笑った。まったくこの人は……
「それより先生、この店今日オープンしたみたいですけど、何の店なんです?」
「気になるなら入ってみる?」
「え? い、いや別に……」
「いいからいいから」
そう言うと白川先生は、なかば強引に俺たちを店内へと連れ込んだ。
「「い、いらっしゃいま……ああっ!!」」
「……?」
店内からかけられた挨拶と驚きの声。声のした方に顔を向けると、明るい色のワンピースにフリルつきの白いエプロンをつけ、頭にもフリルつきのカチューシャをつけた女の子が二人、丸いトレイを持って立っていた。
「……メ、メイド、さん?」
「「…………」」
そう、正式なメイド服とは全然違うらしいが、二人が身にまとっていたのは雑誌やネットの記事なんかでよく見かける、いわゆる「メイド喫茶」のメイド服にそっくりだった。
でも、この二人……前にどこかで見たような……………………あっ!
「も、もしかしてお前……蘇我? それに……物部?」
「「…………」」
間違いない。薄く化粧された顔は心なしか少し細面に変化しているが、確かに蘇我と物部の面影がある。
細身になった二人のその身体に、メイド服が意外なほどよく似合っていた。そしてその胸元を押し上げている、ふたつの膨らみ――
「「…………」」
二人の身体は女の子へと変貌していた。……ちょうど今の俺のように。
「どう? 今まで調査した内容を解析して組み上げた新しい魔法を二人に試してみたのよ。可愛いでしょ?」
「「…………」」
白川先生がそう言ってにっこり微笑み、蘇我と物部は恨めしそうな視線で先生の顔を見た。
先生、俺の身体を調べてそんなことしてたのかよ……?
「あ、あの……ちょっといいですか? 二人の耳……あれって、本物なんですか?」
俺の背後にすっ込んでいた辰己が、白川先生におっかなびっくり質問した。
蘇我と物部の頭の部分、カチューシャの両側あたりに猫の耳らしきものが飛び出していた。最初は飾りだと思っていたのだが、よく見ると二人の表情にあわせてぴくぴく動いている。
「ああこれ? もちろん本物よ。二人を女の子に変える際に、ちょっと猫の形質も加えてみたの」
「ちょっと加えてみたって……で、できるんですか? そんなこと」
「簡単じゃないけどね。相応の魔力とテクニックがあって初めて可能な魔法よ。おそらく日本で使えるのは私だけ、そして解除できるのも……」
そう言って、にんまり微笑む白川先生。
俺は思い出した。日本には今の俺を超える「レベル7プラスS」の魔力を有する凄腕の魔法士が一人、存在することを。
それってつまり……
「「…………」」
いまや猫娘……いやネコ耳少女となった蘇我と物部が、忌々しげに白川先生を睨む。すると先生は二人を冷ややかに見返しながら腕を組んだ。
「あら、今の境遇が不満? あなたたちはここにいる日向くんを死なせかけたのよ。本来なら『退学処分』にされるところをあたしがなんとか説得して撤回させてあげたというのに…………二人とも、元の姿のままで『処分』された方がよかった?」
「「……!!」」
すると蘇我と物部は一瞬で顔を蒼ざめさせ、激しい勢いで首を横に振った。
こいつらがこれ程までに怯える「退学処分」って、一体どういうものなんだろうか? ……いや、あまり知らない方がよさそうだ。
「二人ともここで働いて、更生したと判断されたら復学も認められるわ。それまで頑張ってウェイトレスしてなさいね」
それを聞いた蘇我と物部、二人のネコ耳少女は恥ずかしげに俺たちの方を向き直り、たどたどしくお決まりのセリフを言った。
「い、いらっしゃいませ……ご主人様。……こ、こちらのテーブルに、お、お座りください……にゃ。 ……くっ!」
「……ご、ご注文は……にゃん……な、なんに、なさい……ますか? ……うううううっ――」
どうやらその口調にも、魔法でなにかしらの制約をかけられているようだ。
羞恥心に顔をしかめて半泣きになりながらぎこちなくお辞儀をする二人の姿に、白川先生がうんうんと頷いた。
「そうそう、しっかりね。悪いことをした子は奉仕活動で罪を償うものよ」
「いや先生……それ、『奉仕』の意味が違うと思うんですけど――」
こうして学園の娯楽ブロックに、「ネコ耳メイドカフェ」がオープンした。
恥ずかしげに応対する二人のウェイトレスの様子が評判を呼び、客の入りは上々らしい。
彼女たちも慣れてきたのか開き直ったのか、最近では性格もすっかり明るくなった――との、もっぱらの噂である。
…………めでたしめでたし?
(おまけのおわり)