俺が学園の校門をくぐったとき、目の前を一陣の風がつむじを巻きながら通り過ぎていった。
何の気なしに、目でそれを追う……するとその先、誰もいないと思っていた校庭の桜の木の下に、一人の少年が立っているのに気がついた。
今の時間、講堂兼体育館では転入生歓迎パーティの真っ最中のはずだ。
この学園では、ほぼ毎月転入生がやってきて、そのたびに「パーティ」が開かれている。パーティというだけあって料理やデザートは豊富だし、催し物もあるので、教師や生徒はほとんどそっちに行っているはず。
半年前の俺なら、みんなと同じようにパーティを楽しんでいたのだろう。……だけど、今はとてもそんな気分にはなれない。
今ここに来たのだって、寮で暇を持て余すよりは図書館で手掛かりでも探そうか――という思いつきみたいなもので、服装も少し厚めの黒地のシャツに、スラックスといったラフな格好だ。
そいつはかなり幼い感じだった。
ここに転入してくるのは多くが15歳から16歳……だけど、そいつはもっと年下に見えた。生徒全員の顔を憶えているわけではないけど、たぶん今まで会ったことのない顔だ。
その瞳が桜の木を見上げている。物憂げな表情が妙に気になり、気がつくと、俺は歩みの向きを変えて、そいつのそばまで近寄っていた。
「君、転入生?」
「え? あっ、はいっ!! 転入生の日向辰己(ひゅうが・たつみ)ですっ!!」
声をかけるとそいつは慌てて俺の方に向き直り、直立不動の姿勢で頷いた。
俺は少し吹きだしてしまった。「……で、転入生の日向くんはこんな所で何をしてるのかな? 歓迎パーティは?」
「あの……ああいった雰囲気はちょっと苦手で……抜け出してきたら、この桜だけが咲いてないのが気になって――」
言われて見てみると、確かに他の桜が満開なのに、この木だけがまだ蕾の状態だった。
「……かわいそう」
「――?」
悲しげなそいつの言葉に、俺は首を傾げた。成長が少し遅いだけの木が、どうしてかわいそうなんだ?
「……ふうん、どれどれ――」
多少疑問に思いつつも、俺は桜の木に手をかざして意識を集中させる。すると幹の一部で気の流れが悪くなっているのが感じられた。どうやらその部分に大きく裂けた箇所があるのが原因のようだ。このままでは木が枯れてしまう可能性もある。
俺は軽く頷いた。確かにこのままじゃかわいそうだ。
「ええっと、樹木に対する回復魔法は…………こうだったな」
植物支援の講義を思い出しながら、俺はさらに意識を集中させた……裂けた組織を修復し、樹液の流れを復活させる。
「……これでよし……後は――」
そう言って、俺は指をパチンと鳴らした。
大地や空、それに周囲の木々から少しずつ力を分けてもらい、桜の木の成長を促す。
「すごい……これが……本当の魔法……」
急速に蕾を膨らませ、花を開かせていく桜の木に、そいつ――日向はその顔に呆然とした表情を浮かべながら、そう呟いた。
「どうだ? これならいいだろ?」
風で流れる髪を手で押さえながら俺が問い掛けると、日向は顔を輝かせ、首を何度も上下に動かして頷いた。
「はいっ、すごく綺麗ですっ」
「そいつはよかった。そう言ってもらうと、きっとこの桜も喜ぶだろうよ」
そう言って俺は桜の木を見上げた。
日向の笑顔とその言葉……それと満開の桜に、俺もなんだか嬉しくなってきた。
「あの事件」以来、こんな気分になるのは久しぶりなんじゃないだろうか?
「いえ……桜も綺麗ですけど……あなたも――」
「えっ!?」
その言葉に振り向くと、日向は顔をほんのり赤くして、俺の顔をまっすぐに見つめていた。
……なんだか瞳がキラキラ輝いているような気がするが、目の錯覚か?
「あなたも……桜の木と同じ……いえ、それ以上に綺麗で美しいですっ!!」
「なっ……なにをををっ!?」
心臓の鼓動が跳ね上がり、俺は思わず二、三歩後ずさる。
次の瞬間、身体のまわりの空気が突然発火し、俺の服に燃え移った……
新米魔法少女は恋をする?(前編)
作:ライターマン
「綾子が怪我をしたって本当なのっ?」
保健室のドアが勢いよく開いて、海藤詩穂美(かいどう・しほみ)が心配そうな表情で入ってきた。パーティ会場から直行してきたらしく、ドレス姿のままだった。
詩穂美は俺と同じ歳の女の子だ。魔力レベルが7で制御レベルが6、総合評価も6なので、その気になれば
“卒業” できるのだが、二十歳になる三年後までここにいるつもりらしい。優秀で明るく面倒見がいいので、教師生徒を問わず人気が高い。
俺もこいつのことはいい奴だと思うし、いろいろと世話になっている。ただ、ちょっとおせっかいが過ぎることと、騒動を好む傾向があるのが玉に瑕(きず)だ。
「怪我じゃねえよ。……ちょっと火傷しただけだ」
俺はわざと視線を外し、なんでもなかったかのように答える。
実際身体の方はなんともないのだ。保健室に駆け込むまでもなく、俺自身がかけた治癒魔法の効果で火傷は跡形もなく消え去っている。服が半分ほど焼け焦げている以外、まったく被害はない。
保健室にいるのは、燃え上がる俺(正確には俺の服)を見てパニックを起こした日向をここに運び込んだからだ。
それよりも……
「いい加減、俺を『綾子』なんて名前で呼ぶな!!」
「えーっ!? だめなの? ……それじゃあ『綾音』? 『綾美』? 『綾那』? 『綾香』? それとも短くして『綾』ってのはどう?」
急に悪戯っぽい表情を浮かべた詩穂美に、俺はさらに声を張り上げた。
「どれも駄目だっ!! そんな女みたいな名前っ!! 俺はっ、お・と・こ・だっ!!」
「何言ってるのっ!? 男がこんな立派な胸をしてるわけないじゃないっ。あ・な・た・は女の子よ……って――」
ふざけた詩穂美が俺の胸に巻きついていた、焼け焦げたさらしを引っ張った……ら、それはビリッと音を立てて張り裂けた。
「……あらっ?」
「おわあぁぁっ!?」
さらしの下から飛び出た二つの膨らみを、俺は慌てて両腕で隠した。
ちょっと遅れたけど、一応自己紹介をしておこう。
俺は緋影綾斗(ひかげ・あやと)、17歳。日本で唯一の魔法士養成および魔法研究機関である「聖道(せいどう)学園」の生徒である。……もちろん男だ。
最近になって大量発生した「魔法使い」。そのため一部権力者のみに伝えられていた「魔法」という存在が公になったのは、記憶に新しいと思う。
国は魔法の存在を認めると同時に、それまで秘密裏に行なっていた魔法使いの育成と研究の規模を拡大し、この学園を創設した。
魔法を使える人間は、そのほとんどが14〜15歳で覚醒する(もっともその割合は、大量発生した今でもかなり低く、同年代の一万人に対して一人以下なのだが)ので、15歳の誕生日を迎えた少年少女は全員、「潜在魔力検査」を受けることが義務づけられている。そう……左腕上腕部に魔力を込めた青インクで魔方陣のスタンプを押すあれだ。
そのテストで魔方陣が赤くなる、またはそれ以外でも魔法が発現した人物は、太平洋上に浮かぶ孤島に作られたこの場所に例外なく送り込まれる。「数少ない貴重な才能を万全の環境で育成する」といえば聞こえがいいが、結局のところ
“島流し” みたいなものだ。
まあ、慣れればここの環境もそう悪いものではない。授業と訓練を受けてさえいれば、島内での行動は基本的に自由だし、月々に与えられるポイントで日用品その他を無償で手に入れることだってできる。デザインがよくて半数以上の生徒が制服を着ているが私服での通学もOK、今日のようなパーティではフォーマルなスーツやドレスのレンタルなんかもやっている。
そして生徒はここで魔法に対する知識を深め、「力の制御」を学んで社会に出るための訓練を行なう。もちろん魔法以外の一般的なカリキュラムを履修することも可能で、そのための設備もかなり充実している。
なお、この聖道学園には「学年」というものは存在せず、必要に応じてそれぞれの訓練や講義などのカリキュラムをこなしていくのだ。そして素行などを含めたあらゆる項目が7段階で評価され、総合評価が「6」以上になれば、社会適応可能として「魔法士」の免許が与えられて卒業――つまり社会復帰をすることができるのだ。
卒業する際の就職先は、学園が斡旋やサポートを行なう。火や水などをコントロールしての災害救助や農業支援、治癒魔法を使っての医療や救急救命活動、他にも犯罪捜査など需要は多い。数は少ないが、特に組織に属さずフリーで活動している魔法士もいるらしい。
……で、俺も潜在魔力検査で「陽性」の反応が出たため、二年前にここに来た。
いまだにちょっと信じられない話だが、俺の左腕に押された魔方陣が赤く染まったのだ。
当時、有名私立高校の受験準備中で、それも学力的に十分合格できるはずだった俺は、聖道学園への転入に抵抗した。しかし検査で陽性となった者は、放っておいても魔法が発現する可能性がかなり高い。そしてそうなった場合、自分の意思で制御できる可能性はかなり低い。魔法を制御できずに暴走させて人や物を傷つけたりしたら、普通の傷害罪や器物破損に比べてはるかに重い「無免許魔法」や「危険魔法」の罪で裁かれ、「危険魔法致死罪」が適用されれば未成年で未遂であっても極刑――死刑になる可能性もある。
ま、それ以前に陽性反応者に拒否権なんて存在しなかったんだけどね。
そういうわけで、結局俺はここに転入することになったのだ。
「あらあら、賑やかだこと」
奥のカーテンが開いて、ドレスの上に白衣を羽織った女性が微笑みながら現れた。
白川美郷(しらかわ・みさと)先生――ここの卒業生で、もちろん魔法士。かなり優秀な魔法士だったらしく、本人曰く「卒業時には各方面から引く手あまた」だったそうだが、なぜかこの聖道学園の校医兼教師として留まった変り種である。
先生もパーティに出ていたから保健室は留守だったんだけど、俺と日向が部屋に入ったことを検知――結界とトラップの魔法を組み合わせた応用テクニック――して、駆けつけてくれたのだ。
「元気なのはいいけど、もう少し静かにしてね。ここは保健室なんだから」
「「す、すみません」」
俺と詩穂美は、慌てて頭を下げた。
「あの、あいつ……日向は?」
「大丈夫よ。落ち着かせるために眠ってもらったけど、15分ほどで目が覚めるわ」
「そうですか……よかった」
俺はその言葉に、ほっと胸をなでおろした。
「日向って誰?」
「て……転入生だよ」
「ふうん。それでその転入生に何かしたの?」
「なっ、何もしてねえよ……ただ、ちょっと……その……」
興味津々といった表情を浮かべて覗き込んでくる詩穂美に、俺はどう答えようかと焦った。
「海藤さん、緋影さんの着替えをすぐに持ってきてくれないかしら。この格好のままじゃ外に出れないでしょ? お願い」
「あ、はいっ、わかりましたっ!」
白川先生が苦笑しながら俺たちの中に割って入り、詩穂美に
“お願い” をする。
その言葉に詩穂美が大きく頷いて、保健室を飛び出した。
先生は卒業して日も浅く、若くて美しい。最近選出された「学園内の3大美女」でも詩穂美を抑えてナンバー2に輝いている――
え、ナンバー1? ……い、今は関係ねえだろ。回答は拒否する。
また先生は「学内最強」との噂があり、時々行なう魔法の力比べでも、他の教師を含めて負けたところを見たことがない。だから先生の
“お願い”
を断われる人物は、この学園には存在しないのだ。
今の俺なら勝てるかも……と思わないでもないのだが、「あの事件」でいろいろと世話になったので、この人にはどうにも頭が上がらないのだ。
俺があの事件――「アミュレット封印解放事件」を起こしたのは、今から半年前だった。
その頃の俺は非常に焦っていた。
この学園で二年間訓練したにもかかわらず、俺の魔力レベルは「0」……つまり全く進歩なしだった。
いくらやってもそよ風ひとつ吹かないし、マッチに火を点けることもできない。先生たちも「これでどうして陽性反応が出たのか?」と首を傾げるほどだった。
じゃあ人畜無害なんだから、ここから出してくれ――という意見は認められなかった。ここに入った以上、出るためには
“卒業” するしかなく、そのためには4以上の魔力レベルが必要だ。
それまでずっと優等生で通してきたのに、ここでは劣等生扱い。俺にとってここでの記憶は屈辱の歴史であった。
学園では素質に左右される魔力よりも、魔方陣やマジックアイテムなどの応用技術や制御の方が重要視される。そういった方面で俺のレベルは平均よりかなり上で、白川先生を含めた教師の評価はそう悪くはなかったが、魔力の非力さは多少のテクニックでは補いようがなかった。
魔力とは魔法の源であり、パソコンでいえば電源みたいなものだ。ここの生徒の平均的な魔力をパソコンの電源に例えるなら、俺の魔力は腕時計のボタン電池程度だったのだ。
そのため、魔力のパワーを重視する傾向にある生徒たちは、俺を蔑みと暴力の対象にしていた……いわゆる「イジメの標的」である。
そして、忘れもしない半年前――
「あら? それってもしかしてマジックアイテム? どうしたのそれ?」
図書館のそばのベンチでそのアミュレット(護符、お守りの意)を片手に持ち、借り出した本を広げていた俺に詩穂美が声をかけてきた。
アミュレットは複雑な紋様を組み合わせたデザインで、中心に緑色の石がはめ込まれていた。その効果は攻撃的な魔法に反応し、障壁となって持ち主を守るというもの――由来は不明だが、ヨーロッパのある貴族に代々伝えられ、つい先日収集されたマジックアイテムだった。
前にも言ったが聖道学園は魔法の研究機関も兼ねている。研究対象として集められたマジックアイテムの類が、ここの保管庫にはいくつも眠っている。
「白川先生が貸してくれたんだよ。……もうすぐ競技会だろ? だから」
「ああ、なるほどね」
俺の言葉に、詩穂美が苦々しい表情を浮かべる。「競技会」というのは学園内でときどき行なわれる、魔法の技術を競うイベントである。個人戦は全員参加が原則だ。
ルールは簡単に言えば、相手の陣地に立てられた3つの標的を先に倒した方の勝ち。プレーヤーは自分の陣地を守りつつ、相手に攻撃を仕掛けなければならない。
前回の競技会で、俺は大怪我を負った。プレーヤー自身への直接攻撃はルール違反だが、対戦相手が「攻撃がそれた」と言い訳をして直接狙ってきたのは明白だった。
「へっ、能無しが無駄な努力をしているぜ」
「おーおー、涙ぐましいことで」
突然、不快な声が耳に飛び込んできた。振り向くと、そこには予想どおりの不快な顔ぶれがそろっていた。
物部(もののべ)に蘇我(そが)、俺に難癖を付けてくる連中の中でも、特にたちの悪い二人組だった。
前回の競技会で物部と対戦した俺は大火傷を負って左腕を骨折した。そして今度の競技会では、もう一人の蘇我と対戦する。
魔力は蘇我の方が上だった。組み合わせが決まった時点から、こいつらは俺への挑発と嘲りを繰り返している。
「今度はちゃんと攻撃を防いでくれよ。そうでないとこっちが怒られるんだから」
「そうそう、それに手足が千切れたりしたら白川先生でも治せないだろうしな」
「あんたたちっ! そんなこと言ってるから、いまだにレベルが3のままなのよっ!!」
下卑た笑みを浮かべる二人に、詩穂美が激昂して叫んだ。こいつらは聖道学園に来る以前から素行がかなり悪かったらしく、それはここに来てからも変わっていない。いや、むしろエスカレートしているように見える。
そのため魔力は6と5であるにもかかわらず、総合レベルは3であり、卒業には遠く及ばない。
二人はしばらく詩穂美を睨みつけたが、舌打ちをしてその場を去った。詩穂美は小さく溜息を吐くと、心配そうに俺の方を見た。
「……やっぱり今度の競技会、棄権したら?」
「いや、出るよ。棄権をしたらあいつらますますつけあがるし。それに……」
言いかけて俺は立ち上がり、借りてきた本とアミュレットを持って、男子寮に向かって歩き出した。
その日の夜――
「……うん、これでいいはずだ」
忍び込んだ校舎の屋上で、俺は描き終わった魔方陣を確認して頷いた。俺がこの日のために考え抜いて作った、オリジナルの魔方陣である。
真上には満月……魔力を高めるには絶好のコンディションと時間だった。
「じゃあ始めるか――」
俺は魔方陣の中心にアミュレットを置いた。
白川先生が俺の身を案じて渡してくれたアミュレット――入手したばかりで、まだ何か調べたわけではないが、もともと護身用のアイテムだから他の先生も特に危険はないと判断したようだ。
だが、俺が独自で調べてみると、このアミュレットにはとんでもない秘密が隠されていた。
石のまわりの紋様――実は、これが巧みに組み合わされて折りたたまれた複数の魔方陣だったのだ。どうやらこのアミュレットの本当の目的は、中心にある石に込められた魔力の封印らしい。
魔方陣によるその結界の影響は付近の魔法をもはじき返し、それが「魔法障壁の護符」として伝えられてきたようだ。
純粋な魔力を取り出して安定した状態で保存する――理論的には可能だが、最高レベルの魔法士でも成し得た者はいないといわれていたそれは、いわば魔力のバッテリーみたいなものだ。それが今、俺の目の前に存在する。
それに気がついたとき、俺はこの石の魔力を自分に取り込めないかと考えた。
一度封印を解放し、魔力の一部を自分に同化、うまくいけばそれでレベル4以上の魔力を出すことができる。それだけあれば、競技会でもあいつらと対抗できる。
いや、競技会なんかどうでもいい……それより魔力を取り込めて総合評価が6になれば、さっさと卒業してこの島を出るのだ。
取り込んだ魔力はいずれ消滅するだろうから、魔法士としての仕事はできないだろう。だけど俺なら、他の方面の仕事でも十分やっていけるはず。
とにかく俺は、無能扱いされたこんな場所から一刻も早く逃げ出したかったのだ。
俺は魔方陣に両手をかざし、意識を集中した。月の力と俺の持つわずかな魔力で、この魔方陣を起動できるかどうか……それが最大の問題だ。
アミュレットの石が光る……いや、これはたぶん月の光が反射しているのだろう。封印が解放されるにはまだ早過ぎる。
さらに意識を集中して数分後、俺が描いた魔方陣が、白く輝き浮かび上がった。一拍置いてアミュレットが空中に浮かび、紋様が解けるように展開する。
俺の描いた月を表わす「白」の魔方陣の上で、太陽の「赤」、大地の「黄色」、海と空の「青」、三つの色の魔方陣が空中でゆっくり回転し、その中心で石が生命の「緑」にまばゆく輝く――
「やった……」
俺は思わず呟いた。
正直に言えばダメもとの試みだったので、ここまで思惑どおりに進んだことに、ちょっと感動してしまった。
俺は前に進み出て、魔方陣の中へと入る。石から魔力の一部を取り出そうと――
「……?」
と、その時、急に石が……いや、緑色の光が逆に俺へと近づき、胸の中へと吸い込まれるように潜り込んだっ!!
「……なっ!?!?」
驚く間もなく、三つの魔方陣が一斉に収縮し、俺の身体に張り付いた。そして……
「うっ……うわあああああああぁぁぁぁ―――っ!!」
全身の細胞ひとつひとつが燃えるような感覚に、俺は悲鳴を上げた。
下腹部――臍の下あたりになにか熱い塊が生じ、それが少しずつ膨らんでいく。
俺は、その場で気を失った……
気がついたのは翌朝、保健室のベッドの上だった。どうやら屋上で倒れていた俺を、誰かがここに運び込んだらしい。
「気がついた?」
声のした方を見ると白川先生が立っていた。先生は一瞬ほっとした表情を見せると、すぐに厳しい顔になった。
「まったく……困ったことをしてくれたわね。貴重なマジックアイテムを使ってこんなことをするなんて」
言われて俺は思わず首をすくめる。どうやら残留した魔法の痕跡などから、俺が何をやったのかは把握しているらしい。
やっぱり何らかの処分を受けるのだろうか?
「まあ、危険性を予見せずにアミュレットを渡したあたしにも非はあるし、同情すべき事情もあるものね。退学や停学はないから安心しなさい」
先生のその言葉に、俺はほっと息を継いだ。
この学校での「停学」はかなり重い意味を持つ。魔法の危険性故に他に行く場所がない以上、停学中は地下の狭い部屋に拘束されることになるのだ。ちなみに「退学」については前例がないので実態を知る生徒はいないのだが、「即刻死刑」や「人体実験の材料」など、恐ろしい噂が飛び交っていたりする。
……が、
「もっとも、あなたの身体に十分以上なペナルティが課されちゃっているからね。先生たちもこれ以上の厳しい処分は可哀想だ……って意見が大勢を占めたのよ」
「……えっ!?」
俺は首を傾げた。ペナルティって? ……と、目の前を髪の毛が流れた。
髪の毛が伸びてる?
「こっちに来て、鏡で自分の姿を見てごらんなさい」
先生が俺を立たせて、備えつけの姿見の前へと移動させた。
「…………え? なんだこれ?」
俺の口から短い言葉が発せられた。……高く、澄んだ声が。
「これが……俺?」
服は確かに昨夜着ていた俺の服だった。……が、中身が全然違う。
色が少し抜けて栗色になった髪が肩の下まで伸びていた。顔や肌の色はさらに抜けて、日本人離れした白さになっている。
目の色には、少しブルーが入っていた。そして顔の方もかなり変わっていた……顎が細く、くっきりとして少し彫りの深い顔は、ハーフかクォーターのようだ。
いや、それより細身になった身体を含めた全体の印象が、本来の俺とは決定的に異なっていた。
鏡に映った俺の姿は、まるで……
「女……の子?」
呆然と呟いた俺の肩に手を置きながら、先生が溜息交じりに告げた。
「そう、女の子なのよ。恐らくあのアミュレットを取り込んだせいでしょうけど、身体つきだけじゃなくて子宮や卵巣、それに遺伝子、魔力の流れまで女性になっちゃってるのよ。ここまで完璧な変身は見たことが……いえ、どの記録にも前例がないわ」
「ええっ!?」
驚いて身体をまさぐる。
すると胸には二つの柔らかな膨らみ、そして股間にはあるべきものがなくて、代わりに……
「そ、そんな…………も、元に戻せないんですかっ!?」
「現時点ではとても無理。あなたの身に何が起きたのかをもっとよく調べてみないと。最低でも半年、長引けば二、三年……最悪の場合は……一生――かな?」
「えええっ!? そんなにっ?」
「緋影くん、あなたに職員会議で決定した処分を伝えます。
『緋影綾斗は本日をもって男子寮を退寮。女子寮へ移り、今後は女子生徒として学園に通うこと』 ……以上です」
「えええええ―――っ!?」
…………という訳で現在にいたっている。
俺の身体は、いまだに女の子のままだ。魔力が尽きれば元に戻れるかも……と思ったが、そうはならなかった。
この姿でいる限り、以前と……いや、他の生徒と比べても桁違いな魔力が生み出され、尽きることがなかったからだ。
それに仮に魔力が尽きても、俺の身体は女の子のままである可能性が高いらしい。白川先生たちがいろいろ調べてはいるが、男に戻る目処はいまだにつかない。丸みを帯びて凹凸のはっきりしたスタイルは、女子たちに「完璧だわ」とか「羨ましい」などと言われているが、こんな身体鬱陶しいだけだ。
やたら注目を浴びるし、胸は揺れまくるし、毎月「つらい日」がやってくるし……いったい、いつになったら俺は男に戻れるのだろうか?
「お待たせ。着替えを持ってきたわよ♪」
先程と同じくドアが勢いよく開いて、詩穂美が入ってきた。ただ、さっきと違って表情はとても嬉しそうだ。
詩穂美が抱えている衣服を目にした俺は、次の瞬間……硬直した。 「おいっ!! そ、それってドレスじゃないか!?」
「うん、ちょうど今これしか残ってなくて――」
満面の笑みで詩穂美が答える。……本当にそれしか残ってなかったのか?
「さ、早く着替えましょうね」
ドレスを手に詩穂美が近づいてくる……それはもう嬉しそうな表情で。
冗談ではない!! と逃げようとしたのだが、意に反して身体がピクリとも動かない。いつの間にか白川先生に、「拘束」と「麻痺」の二重の魔法をかけられていたからだ。
「まずはその炭になった上着と、ボロボロのさらしよね」
そう言って俺の上着とさらしを文字通り「剥ぎ取って」いく詩穂美。
「か、勘弁してくれえ……」
「うふふふっ、よいではないか、よいではないか〜」
「お前は時代劇の悪代官かあああっ!!」
などと叫んでいる間にも作業は進められ、とうとう上半身を丸裸にされてしまった。
「うわ、やっぱりサイズアップしてる。……うん、これでいいわ。綾子もいい加減ブラくらいしなさいよね」
動けない俺の胸にブラジャーが当てられて固定された。腋の下で締めるベルトの、肩で胸の重量を支えるストラップの感触に、俺の顔が赤くなる。
なんで俺が、こんなもんをつけなきゃならないんだああ――っ!!
抵抗空しく10分後には、俺の「着替え」が完了した。
原色でフリフリ、少女趣味全開でとても直視できない衣装が俺の身体を包んでいる。
「あとは……はい、これを持ってね」
「? ……なんだこれ?」
拘束を緩められて少し自由になった右手に、詩穂美が何かを手渡した。
棒状で、あちこち飾りのついたこれは……バトン?
パシャッ! 「荒野に咲いた色鮮やかなる一輪の花。麗しの魔法少女ミンキーエンジェル・アヤコ! ただ今ここに可憐なるデビュー♪♪」
「おいっ!!」
いつの間にか取り出したデジカメでドレスアップ……いやコスプレ状態の俺を撮影する詩穂美に、俺はバトンを……じゃなかった右腕を振り上げて拘束魔法を弾き飛ばした。
こんな姿を他の人間に見たられたら大騒ぎ……詩穂美に着せ替え人形にされた時点で、手遅れのような気もするが。
なんとしてもデジカメを回収して、証拠を隠滅せねば。
「よこせっ!!」 「や〜だよ〜だっ」
俺は手を伸ばしてデジカメを奪おうとする。詩穂美はすばやく身を翻し、デジカメを胸元に抱きしめた。
「…………」
「…………」
睨み合う魔力レベル7の詩穂美と、レベル7プラスA(暫定値)である俺。学園始まって以来の激しい魔法合戦が、今まさに始まろうとしていた。
と、その時―― 「あの……いったい何が? ……あっ」
「えっ……?」
目を覚ましてカーテンの隙間から顔を覗かせた日向と、俺の視線がまともに合わさった。
さっきも思ったけど、日向って少し小さくって、顔や目が少し丸っこいのがすごく可愛くって……って何を考えてるんだ俺はっ!?
「あら、あなたが日向くん? どう? 綾子のこの姿。綺麗でしょ?」
「綾子……綾子さん……はっはいっ綺麗ですっ! とっても素敵ですっ!!」
ボンッ!!
日向の言葉に俺は頭に血を上らせた。背後で漏れた魔力がプチ暴発する。
「あらあら、感情に流されてちゃって……どれどれ、怒りと羞恥心か。……あら? 『綺麗だ』って言われてちょっぴり嬉しい? それに抱きしめたい、って……もしかして日向くんを?」
暴発した魔法から俺の感情を読んでいたらしい白川先生の目が、驚きに見開かれる。
一方、詩穂美の方は興奮して眼を輝かせた。
「ええっ!? それってまさか……綾子が恋? きゃあああっ、とうとう綾子に春が来たあぁぁ―――っ!!」
「ちょっと待てぇーっ!! 違うっ!! 絶対違うっ!! 断じて違うっ!! たぶん違う……とにかく……違うんだあぁぁぁ―――っ!!」
懸命にそう叫ぶが、詩穂美は一切聞いていなかった。そして俺の一瞬の動揺を突き、保健室を飛び出した。
……俺の魔法少女姿を撮影したデジカメを持って。
「あああ…………俺、これからいったいどうなるんだ?」
バトンを握りしめたまま、俺はその場にペタンと座り込んだ。
(つづく)
おことわり
この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体は全て架空の物で実在の物とは何の関係もありません。