C I A の謀略 第3章「不審」
水を打ったような湖面に、ゆっくりと日が落ちていく。一面が鈍い金色に照り返り、湖上にあるすべてのものを影絵のように黒く浮き立たせる、宍道湖はこの瞬間が最も美しく、神秘的だ。
磯崎が松江を訪れたのはこれで何度目になるだろう。初めて訪れたときから、磯崎はこの景色が病みつきになり、松江温泉の宍道湖畔にある鄙びた観光食堂で、素魚のてんぷらをいただくのを恒例としている。
松江は年間を通じて雨が多く、いつでもこの景色に出会えるとは限らないのではあるが、幸いなことに磯崎の場合はまだ一度もはずしたことがない。
「お客さん、東京からですか。今日はついていますよ。この季節、湖がこんなに美しいのは珍しい」
食堂の主人である。磯崎は初めてこの店に立ち寄ったとき、「酒のつまみに」といってサービスしてくれた「アゴのちくわ」がうれしくて、「以来、ひいきにしている」と、いいかけたがやめにした。
この瞬間が惜しいのである。落日に向けてぐい飲みを捧げると、金色の光がかすかにこちら側に回りこんでくる。その輝いた輪郭に唇を当てると、酒の味が二倍にも三倍にも感じられるのである。
「石見の線はわたしが当たりましょう」と言ってはみたものの、実際にはこの三ヶ月、何もできることはなかった。通信が危険だとなれば、たとえ周辺取材だとしても電話取材で済ますのは難しい。ましてや、相手の反応がわからない手紙で、うまく用件を伝えることなど不可能に近い。
何か口実を見つけて会った上で、様子を見ながら切り出すしかないのが隠密取材というものだ。しかしそれをするには、石見の国(島根県)はあまりにも遠かった。
そうして磯崎が手をこまぬいているその間にも、日本をとりまく政治状況は大きな変貌を続けていた。
政権の交代は猫の目のようで、コメ・パニックの一ヵ月後には、佐川急便事件の責任をとって細川首相が辞任。後をうけて成立した羽田内閣も三ヶ月の短命に終わり、社文党の村山党首を担いだ民自・社文・さきのりの新連立政権が誕生。社文党が日米安保条約の受け入れを表明するとともに、自衛隊やシーレーン防衛を合憲であると表明するなど、これまでの党是を180度転換した。
一方、目をアジア情勢に移してみれば、天安門事件依頼くすぶっていた米中関係が、クリントン大統領の人権問題棚上げ方針によって、一気に氷解し、COCOM(対共産圏輸出統制委員会)の輸出規制緩和によってアメリカの対中貿易が飛躍的に進展するきっかけをつくった。
北朝鮮の核疑惑についても、核査察の拒否からIAEA脱退、アメリカの報復攻撃という最悪のシナリオへと向かうかに見えた米朝交渉は、一転、軽水炉転換支援と交換に、北朝鮮が査察を受け入れることとなった。この裏には、韓国によるアメリカの北朝鮮攻撃(作戦のコードネームはUSFK5027)を阻止する必死の工作があったのだが、ともあれ、胸をなでおろす和解ムードの空白期が訪れた。
しかし日米関係では、アメリカ政府が一企業の代表と化し、スーパー301条による制裁をちらつかせながら、モトローラ社の携帯電話仕様を日本でも採用するよう迫るなど、ごり押し政策がいっそう強まり、九四年の九月には自動車、自動車部品、板ガラスなどをめぐる日米新経済協議(日米包括協議)が開かれるにいたった。
この協議のためワシントンに乗り込んだ河野洋平副総理・外相、橋本竜太郎通産相は、相次いでカンター米通商代表と精力的な交渉を重ねるが、アメリカの強硬な姿勢の前に会談は決裂。これを受けてアメリカ政府は一〇月一日、スーパー301条の発動を宣言した。
むろん日本も、これを不当な経済制裁と受け止め、年明けに発足する予定のWTOに「提訴する」と対抗の意思表示をしたものの、アメリカが301条の対象として指定したのは包括協議の対象外だった紙や木材。事態はもはや冷静な論議の場ではなく、なりふりかまわぬバトルの場と化していた。
そのため、筋を通した日本の外交手法に、あからさまな批判は少なかったものの、今後予想されるアメリカの報復のエスカレートにたいして、底知れぬ恐怖感を抱く者が多かった。「何か打つ手はなかったのか」という、冷ややかな受け止め方である。
そして一〇月八日、われわれにとって無視できない大きなニュースが飛び込んできた。『ニューヨーク・タイムズ』が「一九五〇年代から六〇年代にかけて、CIAが日本の民自党に数百万ドルの資金援助をしていた」ことをすっぱ抜いたのである。
このレポートはさらにこう続いている。
「日米間の貿易摩擦が激しくなり始めた七〇年代初頭以降、CIAは、共産勢力を押さえるための民自党の援助よりも、日本に関する情報収集に重点を移した。七〇年代末から八〇年代初頭に東京で活動したCIA職員によれば、CIAはあらゆる官庁に浸透し、首相側近にも情報提供者がいたとされ、農産物交渉での日本政府の立場を事前につかんでいたという」
これは日本人の誰もがある程度予想していたことである。が、ことはこの国の主権にかかわるゆゆしき問題である。信憑性の高い報道がなされた以上、その中身を追及し、事実を明らかにしなければならない。国際関係上からも日本が主権国家であることを示すためには「やっぱりな」ではすまないのだ。
本来なら五〇〜六〇年代に民自党の対抗勢力だった社文党が真っ先に取り上げるべき問題だった。しかし、政権与党として民自党と連立を組んでいる社文党には、本気でこの問題を追及する気配はなかった。報道では、野党に流れた資金もある、という。社文党が動かないのはそのせいだ、との噂も流れた。
民自党も社文党もおなじ穴のムジナ。とすれば、野に下った進取党にとっては、連立与党、既成政党批判の絶好のチャンスが訪れたといえるだろう。ましてや、ことあるごとに主権国家としての「ふつうの国」を目指す、と発言する大沢にとっては看過し得ない問題でなければならなかった。
ところが、この国を挙げての大問題に対して、進取党もまた一向に動こうとはしないのだ。おざなりな質問や批判を口にするだけで、真相究明などする気はまったく窺えなかった。
さらにこのレポートで、CIA担当窓口として実名を挙げられた後藤田正春は、当初、マスコミの取材に対して「あくまでも党の担当として」と答えていたが、後に前言を翻し、一切の関与を否定している。この対応にも納得できないものが残った。
磯崎と堀田とは、早速この問題で秘密会議を開いた。
「進取党は今後、どう出るんだろう」
「おそらく、これ以上動くまい」
「進取党にCIAは叩けない、というわけか」
「そうなんだろう。党の中核はもともと民自党の出身で、おなじ脛に傷を持っている。これはおまえの担当だが、刷新の会の岩槻だってCIAを叩く側には回らんだろう」
「それはそうです。しかし、新党日本の連中はどうです。ここで動かなければ、彼らの存在意義はなくなる」
「さて、かれらだってCIAの対日工作と無縁であるのかどうだか」
「さきのりはどうだろう。彼らも民自党出身ということですか」
「それもある。が、それだけではない。代表の竹村義正が、なぜかこの五月にアメリカのCIA本部を訪ねている」
「ラングレーを、ですか」
「そう。彼のほうからたってのお願いをして、ウールジー長官に面会した。会談というより事情説明、もっとありていに言えば命乞いだったと、俺はにらんでいる」
「五月ということは羽田政権、さきぶれはもう連立を降りているとき、ということですね。で、いったい何の命乞いなんですか」
「簡単に言えばこうだろう。この先、私が首班に選ばれるような事態になっても妨害はしないでくれ、引きずり下ろさないでくれ、と、そういうことだ」
「つまり竹村には首班に選ばれる芽があった」
「が、その芽をつぶす力がCIAにはある。少なくとも竹村はそう信じていた」
「なるほど。で、竹村は何を恐れていたんです」
「北朝鮮だよ。竹村は北朝鮮とアメリカがこんなにも険悪になるとは予想していなかった。だから北朝鮮とのパイプを太くするため、金丸訪朝団とともにに動いた。まあ、彼流の東アジア安定策なんだろう」
「国盗りの切り札にしようとでも考えていたのかな。ところが、それではCIAに睨まれる、首班になるには足かせになる。そう思い直したというわけですか。しかし、そのためにわざわざバージニア州のラングレーまで行くとなるとこれはただ事ではないですね。日本の首相になるためにはアメリカのお墨付きが必要だ、といっているみたいなものですからね。資金援助の追及どころの騒ぎではない」
「少なくとも竹村はそう考えたということだ」
「・・・・・・」
磯崎は一瞬、堀田の言葉が理解できずに戸惑った。磯崎の理解では、日本の首班候補の多くがアメリカ詣でを当然のように考える、と思っていたからだ。
「竹村は何かを知っていたんじゃないか。だから自分が首班候補にでもなれば、たちどころに総攻撃を喰らう恐れがある」
「進取党ですか」
「そう。ほんの少し前まで、さきぶれも進取党と連立を組んでいた。その進取党がCIAと強い協力関係にあったとしたら、竹村がそれに気づいてもおかしくはない」
「進取党と連立を組んだままで首班を狙うなら問題はないけれど、これは竹村嫌いの大沢が許さない。かといって連立を解消してみても、CIAに誤解されたままではうまくない。このままではCIAと組んだ大沢に足元をすくわれる。事情説明に馳せ参じなけりゃならん、ということですか」
「私は別に、東アジアの安定を考えて行動したにすぎません。北朝鮮の核開発に手を差し伸べようとか、アメリカのアジア戦略に水を注そうという魂胆があったわけではないんです。誤解があったらどうかお許しください、というわけさ」
「それにしてもその命乞いをアメリカ政府に行うならまだしも、CIAにするというんだから驚きですね。ウールジーCIA長官も内心、さぞ鼻高々だったことでしょうね」
「いうまでもないことだが、ホワイトハウスとCIAとはイコールではない。ある種の緊張関係を抱えた二重権力状態だといっても差し支えない。そして、竹村の立場からすれば恐ろしいのはアメリカ政府よりもCIA、この判断は間違ってはいない。いずれにせよ彼の行動はおれたちの仮説=進取党CIA説を裏付けるものであって、裏切るものではない」
そうなのだ。CIAは大統領に直属した諜報機関であって、その行動は予算や人事(長官だけは大統領が任命する)を含め、議会から完全に独立している。監視を受けないのだ。確かに大統領によって統制を受けるが、それはたてまえであって、大統領のほうが選挙情報を握られてCIAにコントロールされることも少なくはない。
「戦後外交裏面史を研究している佐久間に言わせると、この二重権力状態はもっと奥が深い。彼によればCIAを実質的に動かしているのはアメリカ国民ではなく、国際資本なのだそうだ。だから場合によってはアメリカ国民の利益に反する行動をとることもありうる」
堀田は、元取材プロ・シンクのメンバーであった歴史研究家の佐久間剛に、『ニューヨーク・タイムズ』の件で意見を求めたという。
佐久間は「『ニューヨーク・タイムズ』を操る黒幕も、CIAを動かしている国際資本とおなじ勢力で、『ニューヨーク・タイムズ』は重要な場面ではよくCIAの代弁者になる」という。
そして「今回のすっぱぬきも間違いなく、CIAと示し合わせた上でのリークだろう」というのだそうである。
が、わからないのはその狙いである。民自党とCIAとの癒着をいま暴くことで、CIAにはいったいどんな利益があるというのだろうか。佐久間も堀田も、これについての明確な答えは出せなかったようだ。
「この報道の背後には、俺たちがまだ気づいていないファクターが潜んでいるに違いない。それを明らかにするためにも、地を這う取材が必要だ。篠山とCIAと進取党、おれたちの着眼点は悪くない」
堀田はそれでも満足そうな笑みを浮かべた。
日が落ちて、夕焼け雲の反射だろうか、宍道湖の湖面がわずかなオレンジの残照を湛えて揺らめいている。何かの舟が、櫂の音を忍ばせて湖面を滑る。網打ちに出るところなのかもしれない。
中海の干拓事業が進めば、やがてこの宍道湖も死の海になるといわれていた。少なくとも、重要な産品であるシジミは絶滅し、名産の素魚も半減する。「そうなれば二度とこの食堂で素魚のてんぷらに舌鼓を打つこともなかったろうな」
磯崎はあらためて箸先のてんぷらに目をやった。
だが、状況は一変した。政界の混乱は、島根を足場にする民自党のドン、武下昇元首相の再登場を期待させる雰囲気を生み出した。虎視眈々、折りあらば、の状況が生まれたのである。
首相に「元」がついてからの武下は、ふるさと創生とブラジル・サミット、つまりは地方分権と環境保護を二枚看板に存在をアピールしていた。だから、彼が首相として再登場するためには、ふるさとでの環境を守っておく必要があったのである。
国民はなお、鮎の俎上を阻む長良川河口堰の強引な運用開始を覚えている。政府の論理は、生態系を無視した旧式なもので、疑問を投げかける新しい研究を前に完全に破綻していた。強引な運用は生態系に対する暴力と化したのである。
少なくとも、いかに政界のドンといえども地元の環境保護運動を圧殺して、首相の座を狙うことは許されない状況が生まれつつあった。
こうして、中海の干拓は急速にブレーキがかかったのだ。もちろんその裏には地元の環境団体の長年にわたる地道な活動があった。それが干拓事業を遅らせ、簡単にはひねり潰せない対抗勢力としての存在感を作り出していた。
「松江に行ってくれませんか。中海の干拓断念の見通しと背景を探ってきてほしい」
K誌の編集長がじきじきに磯崎に取材を依頼してきた。なぜ磯崎なのか、彼が持つ島根とのパイプを知った上での依頼なのか。それとも行き当たりばったりの取材力を期待してのことなのか。こまごまとしたことを考えるには及ばなかった。磯崎にとっては渡りに舟、ただそれだけのことである。
おそらく、自費でもやって来ることになったろう。でも、仕事でくることができるのはいろんな意味でありがたい。CIAを口に出さなくとも、この地の多くのキー・パーソンに出会うことができるからだ。
実際、こうして磯崎はいま、松江にいる。そして、中海干拓中止をめぐる政治的背景の取材を口実にしながら多くの人に会い、すでにCIAに関する有力な情報を手に入れている。
ここは「国引き神話」を持つほど朝鮮半島に近く、隠岐島や韓国との間で領有を争っている竹島(独島)の玄関口に当たる。隠岐、竹島、ウルルン島(鬱陵島)と辿れば北朝鮮にも近い要衝の地なのだ。日本一の水揚げ量を誇る境港にも、漁船を通じて韓国や北朝鮮の情報が数多く飛び込んでくるという。
それらの情報はもちろん日本の外事警察や内閣情報調査室の係官などが収集に当たっているのだが、彼らに混じって、CIAのエージェントらしき者も暗躍している、というのだ。CIAが直接松江に関心を持っているとは考えてもみなかった磯崎にとって、これは新鮮な驚きだった。
CIAは境港にはいる漁船に対して、北朝鮮の港湾の海水採取を依頼していたこともあるという。水の分析から港湾に注ぐ河川の上流部に化学兵器工場があるかどうかを調べたのである。
もし岩槻鉄人がCIAと結んだ人物であるとするなら、なぜ彼は石見市長になったのか。なぜもっと、それにふさわしい都市を狙わなかったのか。磯崎が抱えていた最大の疑問がこれだった。が、これはどうやら、解けたようだ。島根という土地が持つ特性を、もっと考えてみればよかったのである。
日はとっぷりと暮れ、宍道湖もただ対岸の松江市内の明かりを逆さに映すだけとなった。時計もすでに六時半を回っている。約束の七時にはまだ間があったが、磯崎は一足先に、約束のホテルに移ることにした。
ホテルといっても、レストランや喫茶店、それにカラオケバーが同居する、一種の雑居ビルといったほうが似合うだろう。入り口の植え込みを飾る極彩色の豆電球がひどく軽薄で、昔流行った「電飾マン」を思い出す。
ラウンジはだだっ広くて薄暗く、客の姿はまったくない。なるほど、ここなら話がしやすそうだ、と思う。電話による手短なアポイントだったにもかかわらず、松永は旧交を温めるだけの儀礼的な訪問ではないことをよく理解してくれていた。
松永正紘、地元『山陰新報』の記者をしているが、以前は東京の通信社に勤めていた。磯崎とはそのときからのつきあいである。彼が松江に帰ったのは、父の跡を継いで政界に進出するためだったが、定数削減で島根が民自党王国になってしまって、果たせず、『山陰新報』で健筆を揮うにいたっている。
「地を這う取材」とはややニュアンスが異なるが、人脈を駆使して、ターゲットを追い詰める、好奇心と突撃精神にあふれた生粋のジャーナリストである。彼が東京にいたら、磯崎は迷わず、彼を仲間に引き入れたことだろう。
CIAの対日工作を追う、というのは、それこそ彼にうってつけのテーマだ。磯崎はそのとき、彼がよく戦後日本におけるCIAの謀略について語っていたことを思い出した。「松川事件」「下山事件」「三鷹事件」・・・・・・。そして「帝銀事件」にもCIAが関与している、と力説していた。できすぎた期待ではあるが、そのとき磯崎の脳裏には「ひょっとして彼は、CIAの研究者なのかもしれない」との、思いが掠めたほどである。
東京では時間にルーズな男という印象があったが、この日、松永は午後七時きっかりに現れた。
「いやあ、よくきてくれたな。二年ぶりだろ、いや、三年ぶりか」
前回会ったのも、この松江である。やはりこのホテルに近い松江城の裏手の店でいっぱいやった。あれからもう三年の歳月が流れている。
「さて、要件は手短に済ませて、飲みにいこうや」
彼はラウンジのソファーにどっかと腰を据えると、茶封筒を投げてよこした。
「おまえがほしい資料はこれだろう」
松永には電話では何もしゃべっていない。それなのにこの早手回しはなんだろう。目を丸くしながら封筒の資料を引き出す。ラウンジの明かりが薄暗くてよく読めない。ようやく磯崎の目が慣れてきて、何の資料かが判読できた。
驚きである。これはこれで、貴重な資料であった。磯崎の表向きの来訪が中海干拓の中止問題であることを彼は勝手に察知していた。だが、中海問題なら、アポをとるとき、電話でそう伝えていたはずだ。隠し事は無用であろう。
だが、これは磯崎の勝手な判断だった。松永は磯崎が来訪の目的を明確にしなかったため、表面的なデータではなく秘密を要するような情報がほしい、と受け取った。そして、これが、その情報なのであった。
資料には武下元首相の腰巾着のように寄り添う地元・土建業者の存在とその行動、彼と島根県知事、松江市長とのつながり、民自党国会議員や県議、市議のネットワークがあますところなくフォローアップされていた。
要するに、中海干拓をめぐる利権構造の全貌である。「ふるさと創生」の、生臭い実態である。
持つべきものは友である。これほどの極秘資料を、こんなに簡単に渡してくれる。これも松永がこの使い方について、磯崎を絶対的に信頼してくれていればこそ、のことなのである。
これがあれば、武下再登板か中海干拓のどちらかは潰せる。磯崎はそう直感した。中海の干拓見直しがにわかに現実味を帯びてきた裏には、こうした背景があったのだ。
磯崎は思わぬ拾い物に深く深く感謝した。茶封筒に向かって、二礼、三礼してみせたのである。
「さすがは松さんだ。これでわたしの表向きの仕事は完璧ですよ、ありがとう。ほんとうに助かった」
「表向きの仕事だって、何か裏があるのか」
「そう。残念ながら、まだ飲みには出られない」
「じゃあ、その、裏の話とやらを聞こうじゃないか」
「松さんは昔、CIAに詳しかったですよね」
「CIA・・・・・・、ああ、興味は持っていた」
「単刀直入に言いましょう。わたしはCIAと岩槻鉄人との関係を調べにきたんです。もっといえば、その両者の関係に、評論家の篠山啓志がどう絡んでいるのかを調べにきた。というのも、ひょっとしたらわたし自身が彼のデータ―マンとして、CIAに協力させられていたかもしれないからなんです」
「つまりなにか、ライターとしてのおまえの面子がかかっているということか」
「そう取ってもらってもかまわない。面子はともかくとして、決着はつけておきたい」
「中途半端にしておくのはいやだということか。昔のことなのに、おまえらしいな。けれど、石見市長について、俺はそれほど詳しくはない。事前に言ってくれれば打つ手はあったと思うがな」
「申し訳ない。電話ではまずいと思った」
「うむ、それが正解だろうな。確かに、岩槻鉄人がCIAのエージェントではないか、という噂はいくつかある。元々、外国企業の重役だからな。そんな噂が立ってもおかしくはない」
「たとえば」
「彼には初めから、石見のために市長として何かをしようとする意欲が窺えない。ある種、アメリカ型リベラリズムのショーウィンドウ、実験ブースとしてテナントを借りた。それが石見ではないか、ということだ」
「つまり、石見でなくてもよかった」
「それは間違いない。石見はただ、テナントとして適当な大きさだっただけだろう。これにまつわる噂はいくつかある。資料を後で送ろう。郵便物の開封などお手のものだろうから、安全な送り先を教えてくれ」
「ありがたい」
「ただ、おれとしては岩槻にちょっと違った関心を抱いている。彼が何者なのか、どうも読めない」
「・・・・・・」
「地方分権を、おまえはどう考える」
「必要なことじゃあないですか。積極的に進めるべきだ。もちろん弊害を抑える工夫も考えなけりゃならないでしょうけどね」
「まあそれが、平均的な受け止め方だろう。模範解答といってもいい。だがな、おれのように地方にいるとな、これがけっこう怖い。地域ボスが利権を独占して、チェックが効かない。そんな弊害だらけの分権になる可能性だって大きい」
「だからチェックは必要です」
「誰がチェックするというんだ。地方議会か、国会か、それとも自治省か」
「自治省ではまずいということですか」
「そうだ。これまで、地方を牛耳っていたのは自治省だ。知事を含め、地方の首長は自治省の天下り先になってきた。それを通して自治省の地方支配が図られてきたわけだ。この支配に風穴を開けたのが民自党の田中派なんだ。列島改造という土建政治の登場だよ」
「地方利権の独占ですか。中海もそうだ、というんですね」
「そう。田中派は建設省とか農水省などと結びついて、自治省の牙城である地方首長を奪い始めた。熊本県知事に田中学校の細川が送り込まれたのがその典型だ。地方分権はまず、彼らの声として挙がってきた」
「・・・・・・・・・・」
「この地方に則していえば、隣の鳥取県は戦後一貫して内務官僚、自治官僚の王国だ。そして、その触手は島根にも伸びていた。ところが一九七一年、七五年と、県を二分する知事選が行われ、七五年、ついに内務官僚の山野が敗退。以後、島根県政は完全に武下・田中派の手に落ちた。その背後にいたのが石見の山林地主・田部井家だ」
「自治省のライバルが田中派だというのはわかります。田中派叩きの結果、金丸真の腰巾着だった山梨県知事がやられた。その結果、金丸自身も政治力を失った。田中派も分裂した。自治省は警察庁を通じて警察力を持っていますからね」
「つまり、民自党と進取党に分かれてしまった田中派は、自治省にとってもう目の敵にするような敵ではない、ということだ。むしろ彼らの分権論を後押しし、チェック役としての権限を手に入れたほうが得策と読んだ」
「むずかしい。本当にそうですか」
「あくまでも仮説だ。が、おれの関心というのはそのパワーバランスのど真ん中に、岩槻が降りてきた、ということだ。石見市は田部井家の本拠地。武下丸抱えの市長が立ってもおかしくはない土地柄だ。ところが岩槻は田中派大沢グループの新党結成の動きに呼応しつつも距離をおき、一方で着実に、自治省のお先棒を担いでいる。これは田部井がそれを認めている、ということを意味する」
「お先棒を担いでいる、というのは」
「彼の政策の目玉は自治省受け売りの住民カードシステムだ。彼は新党の具体的な政策立案の中でも、国民カードの導入を叫んでいる。これを自治省と田中派新党グループの手打ちとみることもできる。田部井のような地方名族にとっても、両者の手打ちは歓迎すべきことだろう。つまりは自治省の手の内での地方分権ということだ」
「国民カードの導入か。プライバシーに問題のある、健康カードというやつですね」
「厚生省のシステムとは違う。自治省が盛んに進めようとしているシステムだ。石見はそのシステムの実験場になろうとしている」
「うーむ、岩槻はCIAのエージェントであるというよりも、自治省のエージェントなんですか」
「なんだ、がっかりしたようだな。お気の毒に。でも、俺はうきうきしている。というのもな、考えてみると自治省のエージェントとCIAのエージェントとは矛盾しないんだよ。俺はいま、その整理で頭がいっぱいだ。いいだろう。場所を替えて、昔の話をしよう。いい店がある」
「待ってくれ。篠山はどうなんです」
「篠山は今でこそ、あちこちでちやほやされているが、まったくの無名だった。石見には看板も地盤もあったわけではない。やつの親父が石見空港の誘致に動いたというが、それも選挙用にこしらえたアドバルーンだろう。だから、俺はむしろ、東京で何があったのかを知りたい。何でやつは東京で急速に名を上げたのか」
「石見に行っても無駄足ですか」
「そんなことはないだろう。でも誰に会う」
「市職の北村という男です」
「自治職労か、大丈夫だろうな。下手をすると筒抜けになるぞ。地方では自治職労も自治省も違わないところが少なくない。それよりもこいつに会うといい。『山陰新報』の石見通信員だ。若いが頼りになる」
そういうと松永はメモ書きの入った名刺を渡してくれた。
「ちょうどいい。この書き込みは岩槻の政策事務所の住所だ。そこの女性秘書が東京の篠山との連絡役だ、といわれている。下世話な話だが、なかなかの別嬪で、岩槻と篠山、どっちの女か、というのがおれたち地方紙記者のもっぱらの関心事さ。おまえも拝んでいくといい」
磯崎たちの車は松江で一番の繁華街に入った。宍道湖と中海とをつなぐ運河のようにくびれた部分、その北側に繁華街が形成されている。煌煌と明かりを照らしたメノウ細工の店の前で、彼らはタクシーを降りた。そうして、そこから一本わき道に逸れると、もうそこは深閑とした闇の世界だった。
「東京と違って松江は狭いからな、こうした隠れ家も必要なんだ」
そういって案内された裏町の小料理屋は、いかにも隠れ家というにふさわしいたたずまいを持っていた。松永が暖簾をくぐると、女将が磯崎をみとめ、松永に目で合図を送る。松永もそれに目で応える。何かの対話が成立し、二人は誰もいない二階に通された。
「さあ、ここなら何を話しても大丈夫だ。酔払ってもかまわんぞ」
それはもう、酔うまで飲みたいという松永の意思表示に他ならなかった。宍道湖のこまやかな味わいとは違う、境港で水揚げされた豪快な魚介類が続々と登場した。松永は、やたらとご機嫌になっている。
「知ってのとおり自治省の前身は内務省だ。内務省は警保局に特高(特別高等警察)を抱えていたばかりではなく、地方局に大政翼賛会を組織させ、国民を戦争に駆り立てた。つまり占領軍にとって、絶大な権力をもった戦犯だったわけだ」
「だからGHQによって解体され、警保局が自治体警察に、地方局が自治庁になった。現在の警察庁と自治省というわけですね」
「当初、GHQは内務省の解体に熱心だった。だから目の敵にされた特高警察官など、どこにも行く当てがなかった。それどころか、いつ、戦犯として引っ立てられるかもしれない恐怖の中にいた。
だが、こうした事態の出現はGHQの総意ではなかった。これも有名な話だが、GHQには二つの路線があった。GS(民生局)とG2(軍・参謀第二部)の対立だ」
「GSは日本の民主化を追及し、旧軍の解体から、財閥の解体を目指したんですね。一方、G2は日米両国の財閥と結び、日本を反共の砦とするために再軍備を目指した。
民生局長のホイットニーとウィーロビー少将との対決だったかな」
「話が早いな、さすがはおまえだ」
「いやいや、これはわたしたち文屋の基礎知識でしょう。当初優勢だったGSは、中国共産党の伸張などにつれてG2に圧倒されていく。日本を反共の防波堤に、とか、日本を反共の工場に、といった主張が勝ちを占めていく。その過程で、財閥解体をすすめたマッカーサーの解任劇が起きるんですね」
「さて、そうしたゆり戻しの過程で、内務省内に何が起こったか、だ。解体された内務省はその復権、再建を目指すが、GHQを恨んではいない。正確にいえば、G2に感謝している」
「というと」
「特高警察の多くが、彼らの諜報機関に雇われ、ソ連や中国、朝鮮の情報収集に活用されたからだ。彼らの一部はその後も、CIAのエージェントとして働くことになる。
余談だが内務省職員の再雇用に駆け回った職員組合の委員長がほかでもない、あの後藤田正春さ。
同時にまたG2は、特高の再就職口として、法務庁の中に特別審査局を用意した。これが現在の公調(公安調査庁)だ。つまり公調は創設当初から日本周辺の共産主義の動きを、アメリカのために調査・報告する機関だった」
「そうだったんですか。で、それは今でも続いているんですか」
「続いている。もちろん現在では、同盟国間の非公式な相互情報交換という形をとっているがね。この関係はそれほど露骨ではないがCIAと警察庁、CIAと内調(内閣情報調査室)にもある。ICPO(国際刑事警察機構)とか、刑事犯の相互引渡し条約とかいう公式の協力関係に加えて、たくさんの非公式な関係が成り立っている」
「たとえば」
「たとえばそうだなあ、警察庁の諜報要員はCIAで訓練を受けている」
「えっ、そんなばかな」
「ばかな、じゃあない。現実だ。毎年全国の県警から、若手諜報要員が、ラングレーのCIA本部に送り込まれている」
「なんということだ。われわれは穴の毛まで抜かれてしまっているわけか。これじゃあ、CIAが日本をスパイしているとしても、まともに抗議できないわけですね」
「まあ、占領政策というのはそうしたものさ。アメリカは日本を反共の砦として育てながらも、アメリカをしのぐ力をつけさせないよう、手綱をつけるのを忘れなかった。自衛隊と警察はその優等生として育ってきたんだ」
「そうでなければ叩かれていたわけですか。警察だって、いまだに自治体警察のままだったかもしれませんね。ともあれ、そこまではわかりました。でも、それは主に警保局の問題でしょう。地方局はどうなんです。CIAのエージェントと自治省のエージェントとが、どうして矛盾しないんですか」
「うむ、どう言えばいいのか、まだ整理はできない。なにしろさっき降って沸いた発想なんだからな、そう焦らすな」
「別に焦らすつもりはないさ」
「こういおう。GSはすでに、戦後日本を作り、スタートさせてしまった。G2がその修正を図ったが、それはあくまでも修正にほかならない。内務省は解体され、もう、戦前のような巨大権力は持てなくなっていた。いや、こう言い換えよう。すでに自治省を巨大権力に戻さない装置が稼動していた」
「それはなんなんです」
「大蔵省さ。予算編成権を手中にすることで、戦前、
省の中の省だった内務省に代わり、戦後、この地位についたのが大蔵省だ。この国のグランドデザインを描く実権が内務省から大蔵省に移行した。この権限を大蔵省が簡単に手放すわけがない」
「たしかに、自治省がいくら内務省に帰りたいと思っても、大蔵省が予算措置を講じなければ不可能なことはよくわかります」
「つまり、戦後の省庁の権力構造は、自治省の野望を大蔵省が抑える、という形で維持されてきたといえる。思い出してみろ。自衛隊の肥大化だって、これを食い止めてきた確かな力は平和勢力というよりも、大蔵省が引いた予算の1パーセント枠だった」
「なるほど、大蔵省がGSにかわり、G2の跳ね上がりに一定の箍をはめてきた、ということですか」
「もちろんそれは、大蔵省が平和勢力であるとか、リベラルであるとかを意味してはいない。政府内でそうした位置に立つことが権力の源泉だからこそ、その立場を大切にしてきたまでだろう」
「なるほど、読めた。その大蔵省がいま、CIAにとっても邪魔になっている、ということですか。確かに大蔵省はいま、日本経済の閉鎖性や官僚主義の典型のように言われ、叩かれている。この二月の日米協議でクリントンは大沢に、共通の敵は日本の役人だとまで言ったそうですが、あれも主要に大蔵官僚をさした発言だったのかもしれない。とすると、大蔵省や通産省とは違い、自治省にとってアメリカのジャパンバッシングは追い風なのかもしれませんね」
「少なくとも直接痛みは感じていない。自治省はいま盛んに官僚主義批判をやっているよ。まるで、自分たちは官僚ではないかのようにね」
「CIAと自治省は、大蔵省という共通の敵を見出したんですね」
「そういう仮説も立てられる、ということだ。行政改革、省庁再編の嵐の中、今、中央省庁でなにが起きているか。一口で言えば自治省と大蔵省のつぶしあいさ。自治省が解体されるか、大蔵省が二分割されるか。もっともこれは他人の受け売りだ。詳しいことは『共合通信』の春田に聞くといい。おれの昔の同僚だよ。いまでも仲がいい」
「わかった。東京に戻ったらさっそく会ってみますよ」
「ひとつ念を押しておく。岩槻が導入を計画している市民カードは自治省のものだ。厚生省が主導する基礎年金番号と福祉カード、このバックには大蔵省がついている。このカードをめぐっても、自治省と大蔵省は主導権を争っている。大蔵・厚生連合と言えばいいかな。厚生省も来年の1月からモデル都市を設定して実験を始めるらしい。兵庫県の芦屋と尼崎だそうだ」
「どっちが優勢なんですか」
「大蔵・厚生連合が先行していた。が、石見の実験のおかげで、いまは五分五分。だから岩槻鉄人の存在は大きいわけだ。この勝負はおそらく、自治省・大蔵省戦争の行方を占う鍵になる」
目覚めがよかったものだから、早めにチェックアウトを済ませ、磯崎は一畑電鉄の待合室に向かった。松江温泉を始発駅に、宍道湖沿いに島根半島を出雲まで行くローカルな私鉄である。
ゆっくり行くので、松江駅に出てJRを使うよりも遥かに時間がかかる。しかし、この鉄道には磯崎にしかわからない愛着があるのである。
それというのも、ここを走る電車のすべてが東京の西武鉄道の払い下げで、磯崎がよく利用していたものなのである。中には彼が幼いころ、窓辺にしがみついては景色を眺めた、鋲打ちだらけの旧型車両まであって、けなげにも現役で働いていたからなのである。
彼の当時の電車好きときたら、そんじょそこらのものとはわけが違っていたようだ。それは磯崎が高校生になってからも鉄道研究部に所属していたことからも窺い知れる。その彼の前に、三五年の歳月を隔てて、なつかしの鋲打ち電車が姿をあらわした。磯崎が狂喜したのも無理はなかろうというものだ。
彼はすっかり昔に戻って、運転席の後ろに陣取り、開けてくる出雲の風景を堪能したのであった。あのときから三年、引込み線に、あの鋲打ち電車はまだ確かにあった。いまも現役であるのかどうか定かではないが、磯崎はゆっくり休息して、生き長らえてほしいと思う。
磯崎はまだほとんど乗客のいない早朝の一畑電鉄で、出雲に向かった。この車両も鋲打ち電車の二代後ぐらいの後継車両で、時代を感じさせるすばらしいものである。が、さすがにもう、運転席の後ろに陣取る気は起こらない。
出雲から石見へ、JRとタクシーを乗り継いで市庁舎に着いたときはもう午後一時を回っていた。松永の忠告はあったが、約束である。磯崎はまず、石見市職の北村という男に会ってみることにした。
市役所分室の組合事務所を訪れると、北村はすぐに現れた。ニコニコと愛想はいいが、どこかで疑っているところがある。それはもっともなことで、人を介して紹介はしてもらったが、こちらの用件は何も伝えていない。磯崎は明らかに、突然現れた怪しい「文屋」なのであった。
「遠くからわざわざどうも。で、ご用件は何でしたっけね。何かお伺いしてましたっけ」
「いや、ちょっと例の件で」
「ああ、市民カードね。いろんなところから視察にきますよ。ほとんどが市町村の担当者。それに比べれば小数だけど、組合も来ますよ。市の担当者に案内させましょうか。この申込書に記入していただければ、すぐにご案内できますよ」
「いや、別に公式見解を聞きにきたわけじゃあないんです。あなたのご意見でけっこうだ」
「私の意見といっても別に・・・・・・。まずはシステムをご覧になってからのほうがよろしいかと」
何のことはない。けっきょく磯崎も岩槻ご自慢の市民カード視察者の一人にカウントされてしまった。システム導入の経緯、試験利用状況の説明、そして、カードの製作現場。だまって説明を受けた磯崎はこれでまたまた、岩槻の、そして自治省の株を少しだけ押し上げたことになる。
「いやあ、いろいろいいことばかりを並べていますがね、現場は大変なんですよ。なにしろ仕事が減るどころか、二重手間ばかりでしてね」
「組合は反対しているんですか」
「いやあ、もう至上命令みたいなもので、とても反対は言い出せない。市長生命に賭けて取り組んでいるんだ、というわけです」
「周りはどうなんです」
「市長のスタンドプレーでしょ。大向こうをうならせるだけで、みんな、鼻白んでますよ」
「市民の評判はどうなんです」
「よくないですね。大して便利になるわけじゃあないんです。そのくせ、プライバシーの不安が大きい。私だってこんなのいらない、というのが正直なところです。もらった人だって、使うのは最初だけ。それからはタンスにしまいこんでおしまいでしょう。やっかいなだけですから」
まあ、北村という男の個人的な意見だから、話半分に割り引くとしても、たいしたシステムではないらしい。それにしては東京でのマスコミの評判が高いのが不思議だ。新し物好きということもあるだろうが、岩槻の、あるいは自治省の力の入れようが見えてくる。
市民全員を対象にした本格稼動は一九九七年度からだ、という。
けっきょく、「夕飯でも」という北村の誘いを断り、CIAについては一言も触れずに市役所を退去した。
もちろん、松永から紹介された『山陰新報』の通信員に会うためである。
留守番電話が自動転送になっているのだろう。磯沼というその男とはすぐに連絡が取れた。どんな連絡方法をとったのかはわからないが、松永から磯崎訪問のことはすでに伝わっていた。
磯沼は自分でも岩槻がCIA、もしくはより広いアメリカの諜報機関のエージェントではないか、と疑って、調べている、という。そういう中で、ヨーロッパの秘密結社・フリーメーソンのメンバーではないかとの説にも出くわしたそうである。が、いずれも噂の域を出ない、という。
篠山と岩槻の出会いは間違いなくアメリカのシアトルであり、それ以前に接触があった様子はない、という。ただし、篠山の父・光之助は地元農協の顔で、家畜飼料の新しい輸入先の開拓に、しばしばアメリカを訪れていたらしい。
市長選では篠山が選対本部長を務めたが、実際の仕切りは宗像という、山陰では見かけない選挙プロがどこかからやってきて、地元の運動員をまとめていた、という。運動員らに聞いても、宗像の正体はわからず、大沢らが手配した人物ではないか、と運動員自身、想像していた程度だそうである。
篠山と岩槻の力関係は、選挙前までは完全に岩槻が上だった、という。ところがその後、関係は徐々に逆転し、最近では東京の篠山に、なにかとお伺いを立てることが増えているようだ、ともいう。
「そのメッセンジャーになっているのが政策事務所の池島という女です。東京へのお伺いが増えてきて、最近ではほとんど事務所に顔を見せることがなくなったようです」
「松永が言ってた女かな、なんでもすごい美人だという」
「ええ、そうなんです」
「エージェントって、その女じゃないでしょうね」
「それはスパイ映画の観すぎでしょう。ベッドで秘密を探り出すというのならともかく、メッセンジャーとしては目立ちすぎますよ。いつ、どこで、誰にあったか、調べればすぐにばれてしまいます」
「なるほど、たしかにその通りだ。君もなかなかできますね」
「冗談はやめてください。こんなことはだれにでもわかります」
「ああ、こいつは失礼。明日、東京へ帰る前に政策事務所に寄ってみますよ、後援者のような顔をしてね。またくることがあるかもしれない。そのときはよろしく」
「そちらの情報もくださいよ」
「わかってます」
岩槻政策事務所は市庁舎からそう遠くない静かな一角にあった。ふらりと立ち寄るにしては人通りの少ないところだ。立ち寄ったところで何か取材できる見込みはない。こちらの足がつくだけに終わるかもしれないのだ。
「まずいぞ」と、そんな思いがちらり磯崎の脳裏を掠めた。こんな場合、彼は建物の前を止まらずにやり過ごし、まず、中の様子を窺う。次に、道路の反対側から道を渡る振りをして、じっくりと中を見通す。幸いこの事務所は二階建てだが、一階の正面はガラス戸になっている。太陽の反射に注意すれば、中は覗ける。
ふらりと立ち寄っても不自然でないかどうか、何を口実にすれば訪問が正当化できるかどうか。これをその瞬間に見極めようというのだ。
「わたしこそ、スパイになったようだな」と、そんな風に考えると、磯崎はちょっとおかしな気分になった。
道路を渡り、ガラス戸越しに中を見る。受付らしきところに大きなポスターが張ってあった。
『石見ふるさと銀山祭り』
「よし、これにしよう。これに協力したがっている後援者、これでいい。そういえば、石見銀山を支配する大久保石見守長安という徳川家康の右腕がいた。これも話題にできるぞ」
ドアに手をかけ、開けようとする瞬間だった。事務所の中からなにかを指示する女性の声が響いた。その女にふと目をやった磯崎は、電撃に打たれたように踵を返した。見られただろうか、気づかれただろうか。そんなことはもうどうでもよかった。一刻も早く、この場から立ち去るのが先だったのだ。
「そうだったのか。池島というのは、池島佳苗のことだったのか。昨日はなぜそれに気づかなかったのだろうか。いや、無理もない。もう昔のことだ。佳苗の存在が遠くなっているのも当然だ」
それはもう、十五年以上昔のことになる。篠山と食糧問題でチームを組むよりも前のことだ。篠山はよく、不思議な若い女性を連れていた。ラスベガスのダンサーのように着飾った右翼の少女、男とトラブって家出した新左翼の少女。もっとも彼女は親戚の娘だといっていた。そしてこの、池島佳苗。
たしか、出身は北海道。札幌だったような気がする。そこで赴任してきた男に恋をした。いわゆる不倫の恋である。そして、彼を追って上京し、一時、同棲したこともあるといっていた。みんなに反対されて、別れたのだという。
上京は、まだ二十歳前だったのではなかったか。その彼女がなぜ篠山と知り合ったのか、磯崎は何も聞かされていない。ともあれ、やや小柄ではあるがプロポーションはすばらしく、息を呑むほどかわいい娘だった。
「お世辞にも文章がうまいとはいえなかったが、頭は切れたなあ。編集の仕事をあっという間に覚え、我らライター仲間に重宝がられたものだった」
磯崎はあれこれと昔を振り返った。
「そういえば佳苗には信じがたい特技があったなあ」
野球である。というよりも、バッティングである。小さい体で、鋭いスイングをし、120キロのスピードボールをやすやすと打ち返す。
当時、新宿で120キロのピッチングマシーンが置いてあるバッティングセンターは一軒しかなかったし、ゲージはひとつきりで、いつもたいがい空いていた。こういえば、野球を知らない人でもそれがどれほどすごいものか、想像してもらえよう。
磯崎は110キロが精一杯、120キロはもう、まぐれ当たりの世界になる。そのため彼はもっぱらゲージの外から眺めるばかりなのだった。
バッティングは例の男から習ったという。草野球チームのリーダーで、同棲を始める前、野球の練習を家を開ける口実に使っていた。しかも律儀にも、男はほんとうにバッティングセンターへ行ったらしいのだ。それが彼女の天性を目覚めさせることになった。
「でも、目覚めさせたといっても、彼女のこの才能をいったいどれだけの人が知っているのだろうか。才能を発揮する場があったとは思えない。おそらく、グラウンドで、彼女のこの才能に触れたものは一人もいなかったのではないだろうか」
磯崎はあらためて妙なことを考えている自分に気づく。
「ああ、気持ちがよかった。すっかり汗をかいちゃったわ。どこかで汗を流していかない」
「ビールでもぐいっとやるか」
「いいえ、それよりシャワーがいいわ」
バッティングセンターに初めて寄った、その後であった。磯崎の場合は、これが最初だった。とてもさわやかな、夢のようなセックスだった。
しかし不思議なことに二回、三回と逢瀬を重ねても、関係が深まるという実感がまったくないのだ。いつもゼロからの出発であり、そのたびに完結する。なぜそうなるのか、磯崎は「もう少し確かめてみたかった」という思いを、しばらく引きずっていたような気もする。
しかし、その機会は突然失われたのである。初めて会ったときから一年ほどしてからだろうか。彼女はあるレジャー誌のカメラ取材に同行して、沖縄に出かけた。モデルを連れて、スキンダイビングの写真をとるために、である。
ところがそれっきり、彼女は戻ってこなかった。石垣島でスキンダイビングのインストラクターになるといって、現地に定住してしまったのだ。そしてほどなく最後の仕事となったレジャー誌が送られてきた。
グラビアのトップを飾っていたのは連れて行ったモデルではなく、彼女だった。優雅に水中を舞う池島佳苗。天性はバッティング・センスばかりではなかったのだ。彼女はとてつもないやつだ、と思うほかはなかった。
だが、その彼女が、どうして岩槻政策事務所などにいるのだろうか。一五年という歳月が流れている。だからその間に何が起こってもおかしくはない。とはいうものの、どうにも結び付けようのない現実。奇奇怪怪とはこのことである。
C I A の謀略 第4章「同志」
「最上階には窓がない」という噂の建物を、もう一度この目で確認しておこうと、磯崎と堀田は虎ノ門の喫茶店で待ち合わせると、その足でアメリカ大使館に向かった。朝から神戸で大地震があったというニュースで持ちきりの、いやな一日である。
アメリカ大使館は霞ヶ関ビルの前、日本たばこ本社の角を曲がると突き当たりに位置する。ベトナム戦争が激しかったころは連日のようにデモ隊が押しかけていた一角で、一九七三年には核マル派の学生たちに占拠されたこともある。
当時の大使館はバルコニーやポーチのある落ち着いた洋館で、多少とも人のぬくもりが感じられた。が、占拠後、建て替えた新館は、飾り気のない人を寄せつけぬ、寒々としたビルである。
「ほら、あれが噂の十二階だよ」
堀田が大使館の最上階を指差す。十一階までの各階は、各階ごと一直線に連なったガラス窓がはまっている。十一階まで数えるのはとても簡単なのだ。そしてその上に、もう一列ガラス窓をはめるスペースがある。ここが幻の十二階なのである。
正確性を期すなら、大使館の最上階は段違いになっており、半分は一階少ない。ガラスが入っているのは十階までで、窓のない十一階がその上に乗っている部分が半分ある。
その段違いになっている最上階部分の壁が、うっすらとピンク色に輝いて見える。
「あの最上階ぜんぶが日本のCIA本部になっているという。窓があると中の会話が外から読み取られてしまう。音波だけじゃない、電波だって、電磁波だって、部屋の中で発生したあらゆる振動は窓ガラスに影響する」
「だから窓をはめなかったわけだね」
「映画『ダイハード』にも出てくるが、レーザー光を窓に当てて読み取るドイツ製のすごいやつがあるらしい。読み取られるのを防ぐには窓をつぶすしかないわけだ。もちろん、それだけじゃあ安心できまい。あの壁の中には電磁シールドなどが埋め込まれているはずだ」
以前から、何度も目にしたことのある建物である。が、こうしてあらためて眺めてみると、アメリカという国の、のっぴきならない緊張感というものがひしひしと伝わってくる。
「今年の一月二〇日、ウールジーCIA長官が密かに日本を訪れた。そのとき長官は、細川、羽田、大沢に会っている。例のエズラ・ボーゲルをお供に連れてね」
「なるほど、竹村が焦るのも無理ないですね。一人おいてけぼりを食ったわけだ」
「CIAによる連立政権に対するてこ入れだろうな。しかし、長官じきじきの訪日には別な狙いもあった」
「なんですか、それは」
「うん、当初はこれがわからず、ロシアの対外情報庁(SVR)や中国の国家安全部も総力をあげて長官を追跡したらしい。が、けっきょく長官はアメリカ大使館を出なかった」
「CIA本部に詰めていたというわけですね」
「そうなんだ。そして、それが長官来日の真の理由だった」
「というと」
「CIAの機構改革だよ。長官じきじきに指揮をする必要があったのだから、ただ事でないことはわかるだろう。ロシア、中国の諜報員が目を光らせているのを承知の上で、各地のCIA幹部をこの十二階に集めたという」
「危険を冒してまでの非常召集、ってわけですか。それで機構改革とは解せませんね」
「そうだろう。つまり、機構改革に伴う意識改革だったんだ。形式的な機構改革では収まらない、意識改革を要する大規模な機構改革だったってことさ」
「長官はCIA改革の蜜命を帯び、その遂行のための訓示を垂れにきたってわけですか」
「そういうことだ。極言すれば、あの日から駐日のCIA要員は反共軍事諜報機関から対日経済諜報機関に様変わりしたといっていい」
「それは別に、今年から始まったことではないんでしょう」
「たしかにな。ソヴィエトの崩壊による冷戦構造の終焉に伴って、反共の軍事諜報機関としての役割が大幅にダウンするとともに、CIAの組織の生き残りをかけた転進が始まったわけだ」
「それがドイツ、フランス、日本など、従来同盟国だった国々の経済情報の調査だったわけですよね。そのなかでも、主要な標的とされたのが、貿易摩擦でバッシングの対象となっていた日本だといっていい。たしかに当時は日本を叩くためだったらCIAでも何でも使え、そのためなら予算をつぎ込んだって惜しくない、という雰囲気がありましたからね」
「ああ、一九九一年にはウールジーCIA長官が日本の経済情報をターゲットにする、と宣言している。しかし、いくら宣言してみても180度の急転回はできない。ロシアの政情も不安定で、保守勢力の巻き返しの可能性もあったし、旧ソヴィエトの周辺からの核拡散の恐れも高かった。組織を根本的に改めるわけにはいかなかったわけだ」
アメリカ大使館の正門に突き当たって、右左、どちらへ行こうか途惑ってしまう。話に夢中で、打ち合わせていなかったためだ。いかにも怪しい二人に、衛手が怪訝な目を向ける。
人通りはここまでで、この先は右でも左でも歩行者は極めて少ない。そんな場面で怪しい二人が、危ない話をしている。そう思うと磯崎はなぜか可笑しくて、思わずにんまりとしてしまう。
が、次の瞬間にはそんな自分に冷や水を浴びせるように、写真を撮られてはいないか、尾けられてはいないか、と、あたりをこっそりと窺いたくなる磯崎であった。といっても、キョロキョロするわけにはいかない。
「で、そのシフトチェンジがいつ起きたかということだが、やっぱり大きいのは九三年のクリントン政権の登場だろう。彼が大統領になるに当たって、民主党系のシンクタンク、アスペン研究所が、一通の報告書をまとめている。タイトルは『ライジング・サンを管理する』、つまりは冷戦後の対日戦略レポートだ」
「『ライジング・サン』ですか。太平洋戦争での日本の膨張政策をショッキングな映像で描いたアメリカ映画のタイトルだったかな。いや、対日警戒を促す単行本が原作だったという記憶もある。日本に恐怖心を抱かせるにはもってこいのタイトルですね」
磯崎はむかし観た映画のシーンを思い出した。実写に交じって、南京虐殺の創作映像が挟み込まれていたために、日本の一部から反発の声が上がった映画である。
「そう、その単行本がたぶんに情緒的だとすれば、この対日警戒レポートには情緒のかけらもない。この政治版レポートをまとめたのがジョセフ・ナイという男だ。彼はこの業績によって、クリントン政権下のNIC議長に抜擢された。CIA長官に直属する情報機関で、国家情報会議というのがその正式名称だ。そして、このレポートの協力者がハーバード大学の僚友、エズラ・ボーゲルというわけさ」
「そうすると、ナイ=ボーゲル路線の採用がCIA、あるいはアメリカのシフトチェンジをもたらした、というわけですか」
「そうともいえる。しかし、佐久間剛に言わせればこのレポートには下敷きがあるのだそうだ。ソヴィエト崩壊の三年前、すでにこの事態を予想して、冷戦後の世界の問題点をローマクラブが検討している。フリーメーソンとも近い秘密政治クラブさ。
ローマクラブはその中で、儒教=イスラム勢力と西洋キリスト教勢力との文明の衝突に警告を発し、日本のアメリカ離れ、アジア傾斜、対中接近に大きな警戒感を表明したという。ナイ=ボーゲルのレポートはこのローマクラブの懸念を詳細に再検討したものといってもいい」
「文明の衝突か。『フォーリン・アフェアーズ』で"諸文明の衝突"を発表したサミエル・ハッティントンもハーバード大学の教授でしたね。ローマクラブはそれよりも遥か以前に、日本のアジア化、つまりは日本警戒論を展開していたってことになる」
突き当りを右に取ったふたりは、たちまち六本木通りに出た。赤坂ツインタワーや全日空ホテルなど、付近に落ち着ける場所はいくらでもあったのだが、こうして歩きながら話すのが一番安全なような気がして、休む気にはならなかった。といって、もちろん尾けられている気配があったわけでもなんでもない。
「フリーメーソンといいローマクラブといい、彼らの世界認識には不気味なものがありますね」
「そうだな。未来分析とか、予見というにとどまらない、彼らの青写真にそって世界を動かす力を備えているところがある」
「こういってしまうと身も蓋もないんですが、CIAだって国連だって彼らが世界を動かすためのカードの一枚かもしれない」
「そうかもしれない。アメリカという国家もな。けれど、おれたちが迫りうるCIAというのはやっぱりどこまでもアメリカの国家機関のひとつとしてのCIAさ。それを超えたらもうお手上げだ」
スパイとか国際的な陰謀とかを考えていると、どうしても話がおかしなところへ飛んでしまう。空想とは言い切れないのだが、確たる事実もなく、捉えどころを失うのである。堀田に「CIAを追ってみよう」といわれたとき、口には出さなかったものの磯崎が躊躇ったものがこれだった。
堀田もそれを感じたのか、話はすぐに現実的なテーマに戻った。
「シフトチェンジをしたからって、いつも使っていない機械は錆び付いているし、巨大なマシンは先端までオイルが回らない」
「シフトチェンジにしたがって組織をスムースに機能させるための機構改革、意識改革、それが一月のウールジーの来日だってわけですね」
「それはもうわかったろう。ところが今回の来日にはもうひとつ、裏がある」
「おやおや、思わせぶりですね。まだ何かあるんですか、だったらそれを先に言ってくださいよ」
「おお、悪かった。ウールジー、ボーゲルのチームは来日する前にバンコクとソウルに立ち寄っている。ここでもCIAの現地要員を前に、シフトチェンジの訓話を垂れたことは間違いない。ソウルでは北朝鮮の核疑惑に対するアメリカの制裁に関して、踏み込んだ協議をしている」
「あの時期、韓国に立ち寄ったのなら当然そうでしょうね」
「裏というのはその話ではない」
「まったく、いいかげんにしてくださいよ」
「裏というのはあの時、もう一チーム、アジア派遣チームがあったということさ」
「えっ、ウールジー、ボーゲルのチームとは別にということですか」
「そう。こいつは公式訪問で、ロイド・ベンツェン財務長官とジョセフ・ナイNIC議長がタッグを組んでいる。そしてこのチームは、バンコクでウールジー=ボーゲルチームと別れ、北京を訪問している。その後、韓国に立ち寄ったといわれるが、これは非公式で、確認は取れていない」
「ナイとボーゲルが、ベンツェンとウールジーをエスコートした格好ですか。うむ、これをどう読めばいいんでしょうかねえ」
「そう、まさにそれをどう読むかが問題なんだ」
「CIAの内部問題を越えた何か、東アジア全体にかかわる何か、大きなもののシフトチェンジということですかね」
「もちろん結論は下せない。が、この時点でクリントン政権はCIA、というよりナイ=ボーゲル路線に沿って何かを変えようと考えた。おそらくクリントンの対中最恵国待遇の無条件延長や、北朝鮮との核査察と軽水炉支援の取引合意とも深く絡み合っているはずだ。クリントン政権の内部ではアジアにおける軍事経済政策のパッケージを『ナイ・イニシアチブ』と呼んでいるらしい」
「ナイ・イニシアチブですか。なにか日本封じ込めシフトのような気がしますね。とすると、アメリカの北朝鮮侵攻作戦はなんだったんだ、という疑問が生まれます」
「単なる陽動作戦でないとするなら、軍とホワイトハウスの不一致だとみるべきだろう。北朝鮮侵攻作戦はナイ・イニシアチブ以前の発想が生んだものだろう。クリントンのアジア政策転換に対する、軍あるいはCIA守旧派の抵抗の現れだといってもいい」
「となると、そのアスペン研究所から出した『ライジング・サンを管理する』というレポートをもっときっちり分析してみる必要がありますね」
「そうだろう。こいつはまもなく手に入る。ところで、例の大沢とエズラ・ボーゲルのツーショット写真はこのときのものらしい。ボーゲルが親しかったのは大沢よりもむしろ細川だったようなんだ」
「とすると、大沢はアマコストの直属というわけですか」
「いいや、そればかりではない。大沢にはアメリカ大使館のエース、ジミー・フォスター参事官がついていた」
「CIAですか」
「間違いない。ジミー・フォスターはアマコストに請われて参事官に就任。一時、フィリピン人民軍対策にマニラに配置換えされたが、一九九一年、再びアマコストの補佐官として日本に復帰している。つまり奴さんはアマコストの懐刀といっていい。その彼がこのウールジー長官来訪後、政務担当チーフから経済担当チーフに所属換えされている」
「なんと露骨な。大使館のエースが政務担当チーフから経済担当チーフに移ったということは、アメリカの対アジア政策が軍事から経済重視に変わったことを象徴しているようなもんじゃあないですか。つまり対日敵視でしょう」
「それだけじゃあない。さらに大胆なことに、CIAはこの七月、大沢をアメリカに呼びつけている」
「七月といえばもう村山社文党政権ですね。大沢は敗北の責任をとって進取党の代表幹事を辞した直後だ」
「そう、その彼をジョセフ・ナイとエズラ・ボーゲルがワシントンに呼び寄せた。そこにはレーガン、ブッシュ政権下の国防族、リチャード・アーミテージも加わっていたそうだ。いわゆる日米安保重視派の重鎮だ」
「共和党の国防族のトップが同席しているんですか。ここからも何か臭いますね。そこでなにが話されたんです」
「わからん。『フォーサイト』の九月号にその一部がすっぱ抜かれているが、このレポーターもハーバード大学の研究員だ。極秘会談の中身が流れるとすれば、ナイ=ボーゲルサイドからの情報に違いない。割り引いて読まなければならないだろう」
「ううむ、大沢め、いったいどこを向いて政治をしているというんでしょうか」
磯崎はマスコミ嫌い、大衆蔑視の大沢が、CIAのトップとにこやかに会談する姿を勝手に思い描いて、思わず怒りが口をついた。
磯崎と堀田は六本木から溜池を回って、再び虎ノ門の喫茶店に引き返した。ここで『共合通信』の春田と会う約束になっていたからである。『山陰新報』の松永から紹介された、行政府の内部事情に詳しいという人物である。
しかし、約束の四時を三〇分待っても春田は現れない。アメリカ大使館前を過ぎてからというもの、尾行が気になってしょうがない二人であったが、ほど近い喫茶店で待たされるというのも、何か落ち着かない感じがぬぐえない。
そんなところへ「磯崎さま、磯崎さま、お電話でございます」というアナウンスが流れてきた。磯崎がいやな感じで腰を上げようとすると、「ちょっと待て」と堀田が小声で制した。
電話に出る者の様子を窺っている客がいないかどうか、堀田がゆっくりと店内を見渡す。怪しい男といえば、新聞を大きく広げ、食い入るように見入っていて、顔もわからぬやつぐらいだ。堀田はその男をしばらく観察したが、身動きひとつしないという点を除けば、これといって不審な点は見出せない。
「よし、いいだろう。電話に出てくれ」
相手はやはり春田だった。「申し訳ないが、今日はキャンセルにしてくれ」との電話である。早朝、神戸一帯で起きた大地震のため、岡山からの電車がすべて神戸でストップし、帰京できなくなった、というのである。
春田は社命によって須磨から姫路に折り返し、ホテルに宿を取って、そのまま現地取材にはいっている、という。たしかにみぞうおの大地震であるらしく、朝からすべてのテレビが地震のニュース一色になっている。
現地はさぞや大混乱であろう。事情が事情である。キャンセルの電話を入れてくれただけでも感謝しなければならないのかもしれない。そして春田は結局、二週間、現地に張り付いた。そのため彼に会ったのは一ヶ月後、おなじ虎ノ門でのことである。
こざっぱりしたダークスーツに刈り上げた髪、フレームのないメガネにショルダーバッグ。春田はいかにも通信社の記者然とした姿で現れた。この日も約束の時間に二〇分遅れたことにひどく恐縮してはいたが、弁解は前回の阪神大震災のことに終始した。
しかも、神戸の被災状況を細かに語る間も、腕時計にしきりに目をやる。どうやら次の約束を気にしているようなのだが、そのことは口にしない。それを察したわれわれも、「今日のところはおよその概略をお願いしたい」と水を向けるにとどめ、事務的に事が流れるよう、配慮した。
「春田昭彦、政治部遊軍」と、名刺にはそうあった。セカンドにもサードにも回れるショート・ストップ、臨機応変に行動する遊撃手のことだ。
「いや、時間は気にしないでください。でも概略、といわれても困りますね。私にはいったいなんの概略なのかわかりませんからね」
そうなのである。松永正紘、彼は春田に大事なことをなにも伝えていなかった。それでも春田がこうしてやってきてくれるのだからありがたい。
「われわれはいま、このめまぐるしく変わる日本の政界の動きにアメリカどう関与しているのか、その点に興味があって取材を進めています。
そんな中、松永さんにお目にかかったわけだが、その彼がぜひあなたに会えと言う。いまの行政府の内部対立に詳しいし、アメリカの関与についてもなにか情報をもっているかもしれない、というんです」
私の説明が要領を得なかったのか、春田は小首をかしげて黙っている。
「端的にいえば、政府内の力関係がこの政界再編にどう絡んでいるのか。大蔵省と自治省の対立はいまどうなっているのか、それを教えていただきたい」
「それとアメリカとは、どうつながるんですか」
「いや、それがよく見えない。しかし、CIAと自治省の間に共通の利益があるような気がするもので・・・・・」
「これはまた意外な話ですねえ。CIAと自治省ですか。・・・・・・・で、CIAと自治省に共通利害があるとして、それがなんなんですか」
「われわれの関心はCIAと政界再編の関係にありました。再編を操ったのはCIAだったのではないか、ということです。それに対して松永さんは、操ったのは自治省、ひょっとしたらCIAと組んだ自治省ではないかという。もしそうならこれは聞き捨てならない情報です」
「知っての通り自治大臣は国家公安委員長を兼ねています。だから自治省が警察庁と近いのはわかりますが、CIAと自治省というよりはCIAと警察庁でしょう。CIAと警察庁とは昔から強い協力関係がありますよ。
日本は国内の東側情報をCIAに提供する見返りとして、海外の軍事や麻薬・テロ、あるいは日本赤軍などの活動情報などを提供してもらっている。日本が海外に強力な諜報機関を持たない以上、CIAの情報には感謝すべきなんじゃありませんか」
「いやそれは、アメリカと日本の利害が一致していることが前提です。そうでなければどんな情報をつかまされるか、わかったものじゃあありません」
「失礼ですが、あなた方は日本の構造改革に反対ですか。日本の官僚支配を放置することに賛成ですか。CIAであれ警察庁であれ、あるいは自治省であれ、どこかがこの国の構造に穴をあける必要があるんじゃありませんか」
「そうはいきません。穴をあけるのはあくまでも民意であるべきです。自治省や警察庁が民意を代表しているならともかく、アメリカの意を受けて動いているのであれば許せません」
「なるほど、松永さんが言う通り、あなた方は私たちとおなじお考えのようですね。実は前回のお約束の日の前日、私は岡山で松永さんと会っていたのです。私たちのテーマはCIAではなく内務省だったのですが、どうやらCIAを無視するわけにはいかなくなりました。しかし、相手は恐ろしく強力ですよ」
「予想はしています。とりあえず政府内の力関係の中で、自治省がどんな位置にあるのか、そのことをお話しいただきたい」
春田はわれわれの要求に対して、きわめて整理された話をしてくれた。前半はおおまかな歴史だったが、これは松江で松永から聞いた話とよくかみ合っていた。
「牧民官という言葉をご存知ですか。戦前、内務官僚を自称してこう呼んだ。要するに国民は羊で、それを導くのが内務省だというわけです。牧童といえばいいか、牧羊犬といえばいいか。特高警察などはそれ自身がオオカミのような気がしますけど、内務官僚自身はオオカミから国民を守る役目を任じていたわけです」
では、牧民官が言うところのオオカミとは何か。
「オオカミとは利権をあさる国家権力のことなんです。内務省からすれば、戦後の大蔵省を中心とした支配の構造は、かわいい羊たちが中央省庁の食い物にされている、自治体が食い荒らされている、と映る」
つまり、内務省の地方支配が貫徹していたときは、各省が内務省に日参した。行政の九割以上が実際には地方で実施される。そのため知事を握る内務省の了解を取り付けない限り、なにもできなかったからだ。
ところが戦後、G2が真の民主主義、地方自治を実現しようと、内務省を排除したため、地方は却って中央の草刈場になってしまった、というのである。
牧民官としてのわきまえを身につけていない他省庁の官僚が知事となり、県や市の重要ポストを奪い合う。つぎつぎに地方事務所を開設して、法律を作っては、許認可権限を手に入れる。このトップに補助金行政の総元締め、大蔵省が君臨する。戦前の内務省詣でに替わる大蔵省詣での始まりである。
内務省解体後、地方役人に身をやつして復活の機を窺っていた牧民官たちにとって、これらのすべてが我慢ならないことなのである。実際、地方のこの不満を背景に、内務省は復活の足がかりを手に入れたのである。
地方財政の健全化を目指してシャウプ使節団が来日すると、日本側の窓口として、内務省の残骸である総理庁自治課と地方財政委員会を統合。地方自治庁を発足させたのを足がかりに、自治庁、自治省と変身を遂げ、なお、内務省あるいは内政省への脱皮を狙いつづけている。
そして、その際の正面の敵が大蔵省であり、背後の敵が地方の利権を掠める建設省や運輸省、農水省など。そしてまた、これらの経済官庁に巣食った田中派の政治手法なのである。
「かつては一都一道二府三六県、その主要ポストである知事、副知事、総務部長、財政課長のほとんどを内務省が握っていました。解体されてからもしばらくは、この状態が続いたんです。でも、いま知事は一八人で、半分以下です。主要四ポストをひとつも握っていないのは沖縄県と神奈川県です」
「やはり沖縄ですか」
「そうともいえますが、あそこには沖縄開発庁がある。自治省にとっておもしろくないのは神奈川でしょう。神奈川では自治省の出向ポストは市町村課長ただひとつ。ところが建設省ポストは都市部長、河港課長、都市計画課長、国道調整担当土木部参事、都市総務室専任技官。これが持つ意味はお分かりでしょう」
「田中派ですか」
「というより、あそこは革新知事だったため、田中的政治構造が生んだ内務省政治の希薄化だといっておきましょう」
「神奈川以外で目立ったところを上げると」
「山形です。ここは総務部長を大蔵が握り、自治省は財政課長に甘んじている。総勢では自治省三、建設省三、厚生省二、農水省二、大蔵、通産、運輸各一、となっています。中央による地方荒しの典型です」
「この中央シフトがミニ新幹線を実現するパワーになったわけですね」
ともあれ自治省はまず、正面の敵に挑んだ。それが地方への財源確保。地方交付金の新設と、その増額だった。補助金中心の財政手当てでは、中央による地方荒しは進む一方になる。これに対して、算出方法を明確にした交付金なら地方の自主財源に当てられるからである。
そして、自治省がこの配分に一枚かむことで、地方に睨みを利かせることができる。自治省が交付金の増額を狙い、大蔵省が押さえ込む、この構図は戦後の省庁対立の中で最も根の深いものである。自治省は地方分権を前提とした地方徴税権の確立まで射程に入れながら大蔵省と対決した。
しかし、高度成長で財政が潤っている間は、多くの利権が発生し、そこに諸勢力が群がるため、自治省に勝ち目はなかった。そこに降って沸いたのが臨時行政調査会、いわゆる臨調による行政改革だった。
「CIAとの関係をあえて見つけるとするなら、土光臨調を始めた中曽根首相でしょう。風見鶏といわれ、首相の目はないといわれていた彼を首相に押し上げたのはCIAだ、という噂が強かった」
「CIAかどうかは別として、彼はレーガンさんの覚えがめでたかったのは事実だし、民自党の総裁選直前に訪米したことが、総裁選での勝利を決定づけたのも確かなようですね」
「その彼が、臨調で土光さんの参謀役として、旧内務官僚の瀬島をつけた。そして、利権から遠い、として、調査会の委員に警察官僚を大量に登用した。どうみてもこれは自治省・内務省シフトです」
「後藤田さんや秦野さんを厚遇したのも中曽根首相でしたね」
「内閣官房副長官は警察庁長官だった後藤田がこのポストについてから影の総理といわれる地位を手に入れた。このポストは旧内務省の持ち回りで、最近では自治省事務次官、警察庁長官が交代で就任する官僚の最高ポストになっている。それまでの影の総理は内政審議室長が握っていて、このポストには大蔵省のナンバー2が配属されてきている」
「つまり影の総理も大蔵から内務にシフトしたというわけですね。で、初歩的な質問で申し訳ないが、いま、誰なんですか」
「これはもうずっと旧内務官僚で、自治省事務次官だった石原信雄です」
「ずっと、というといつからですか」
「武下内閣ですから、何年前になりますか」
「連立の組換えで、首相がころころ変わった間も、影の総理はずっと変わらなかったわけですか」
それまで、聞き役に徹していた堀田が急に言葉をはさんだ。
「しまった。どうやらおれはもう一人のプレーヤーを見落としていたようだ。武下内閣のとき事務方の官房副長官が石原だとして、その時の政務方の副長官は誰でしたっけ」
「たしか大沢八郎です」
「やっぱり。とすると海部内閣の首相側近は石原だったわけか」
「そうです。大沢と石原は湾岸戦争のとき、首相に国際的な貢献を迫った両雄だと見られています。もっとありていにいえば、大沢の考えを石原が首相にプッシュした」
「だとするとCIAと石原の接触も考えられる」
「そうですね。当時はリクルート事件の尻拭いで、党も首相も力がなかった。アメリカが大沢に頼ったのも彼が持つ実権です。アメリカがもう一人の実力者に接触しなかったとは考えにくい」
「アマコスト・石原ラインですか」
「CIA・自治省ラインですね」
「昨年の春、民自党がひそかに行政改革のたたき台をつくりました。これによれば自治省は民生部分が厚生省に、選挙などの管理部門が総務庁に吸収され、解体されることになっていたんです」
「言われてみれば自治省の仕事なんてそんなものだと思いますね」
「たたき台を作ったのは橋本のブレーン、通産省の誰かだといわれている。行政改革で大蔵の財政と金融の分離をとりつけ、内務省復活の足がかりを得ようとしていた自治省は烈火のごとく怒りました。民自党の議員一人一人を呼びつけ、自治省解体を言うようなやつは選挙で落としてやる、と脅したそうです」
「そういう脅しが通用してしまうという現実が恐ろしいですね。自治省はそんな力を持ってしまっている」
「地方に張り巡らされた自治省人脈、それに警察ですよ。参議員の村上コータロウが過労死したのは全国で組織員が選挙違反で挙げられたため、という話は、民自党議員の中には強く刻み込まれている。内務省は戦前、翼賛選挙を仕切ってきた実績もあるわけですしね」
「自治省がなり振りかまわぬ反撃に出てきたわけですね」
「橋本のブレーンがトラの尾を踏んだわけです。もっとも、自治省は当初、橋本のブレーンを大蔵の役人だと考えたようです。というのも、国民総背番号制をめぐって、自治省と大蔵省は見えない戦争の最中だった」
「松永さんが言っていた厚生省のカードと自治省のカードの違いですね」
「そうです。納税番号がほしかった大蔵省は一九八五年にグリーンカード制の導入に成功した。ところが実施直前になって自治省につぶされてしまいます。自治省の意を受けて動いたのは金丸と春日一幸です。以来、大蔵は厚生省の年金番号を基礎としたカードに期待します。これに対して自治省は住民票に番号を振り、カード制を導入しようと考えた」
「つまり、どっちがカード制の主導権を握るかという戦争なんですね。松永さんによれば五分五分だとか」
「いや、自治省の勝です。神風としかいいようのない出来事、それが先日の阪神淡路大震災だったのです。私も取材してきましたが、厚生省のカード制の実用テストをする予定だった芦屋、尼崎両市のコンピュータシステムは壊滅的な状態でした」
「実用テストができなくなってしまった」
「そうです。その上、広域防災に国土庁では限界がある、内務省が必要だ、といった声が挙がって、耐火性のカードがあればもっと迅速な身元確認ができたのに、と、自治省のツボにはまったような議論が勢いを増しています」
「・・・・・・」
「もっとも、地震以前から勝負がついていた、ともいえるんです。自治省は厚生省に迫って、年金番号を年金以外にも使うんなら、自治体職員が加入する共済年金保険の国民年金保険への統合を許さない、と脅しました。そして、年金事務以外には使わない、という念書を採っている」
「役所間で念書を交わすとは、すごい話ですね。たかがカードのヘゲモニー争いで、そこまでするのはどうしてなんですかね」
「番号制とカード制が将来の行政の基礎になる、という基本的な読みがあります。これを握ったところが官庁の中の官庁の地位を確実にする」
「たしかにそれが省を超えた共通番号や共通カードになれば、主管庁が解体されるなんてことは考えられませんね」
「そしてもうひとつ、自治省の宿願が果たせる」
「なんですか、それは」
「地方徴税権です。地方徴税権のネックは具体的な税の徴収で、地方税にしても国税庁の権限に依拠しています。しかし、国税庁に拠らない徴税法もあります」
「自動車ですね」
「その通り。車検制度とナンバー登録、それに警察による取り締まりがそれを可能にした。このシステムは自治省が警察庁と運輸省を巻き込んで作り上げたものです。そこでです、人が番号を付され、カードを持たされたらどうなります」
「人が自動車並になるということですか。法律や取り締まり方次第では、税を納めずには町も歩けない。そうなれば国税庁は無用になりますね」
「そうですよ。すぐにそんなことはできないでしょうが、自治省にはそこまでの展望がある、ということです。それがわかっているから大蔵省はカードのヘゲモニーを自治省には渡せない」
「水面下でそんな戦争があったんですか。まったく知らなかった」
「みんな知りませんよ。でも、この帰趨は将来の日本のあり方に決定的な影響を与えます」
「で、自治省の勝ですか」
「厚生省のシステムに対しては、ということです。大蔵としてはまだ、独自の番号を持つ道が残っている。だから、自治省としては大蔵に独自の番号制を持たせないように動くはずです」
「春田さんたちが自治省にこだわっておられるのはなぜなんですか。田中的利権政治から訣別し、地方分権を進める、と聞けば、それが悪いこととは思えない。むしろ必要なことだと思いますが」
「文字通り、そうであるならいいんです。でも、実際には旧内務省による失地回復、戦前回帰になりかねない。大政翼賛会的な息苦しい取り締まり社会はごめんです。彼らはバランスよりもパーフェクトを重んじる。彼らがコントロールするカードシステムはいずれ私たちの完全支配に向かう。それを誰かが阻止しなければならないんです」
「つまり、プライバシーとか自由への関心なんですか」
「いや、それもあるがそもそもの出発は別でした。日本経済がなぜ急に失速したのか、日本のシステムがなぜ急に批判されるようになったのか。その疑問を解くうちにアメリカと防衛庁、自治省が浮上してきた。そこで人が目を向けない自治省をウォッチングすることになったんです。が、わたしたちもCIAを見落としていたわけではありませんよ」
「私たちって、松永さんのことですか」
「いや、そうではありません。むろん、彼も無縁ではないんですが、別なグループがあるんです。そのメンバーには近々お引き合わせすることになると思います。今日もこれから、彼らに会うんです。それとも、よろしかったら行ってみますか。そうであればさっそく電話で同意を取り付けますから」
磯崎と堀田は春田に案内されるままに夕食を済ませ、タクシーに乗り込んだ。行き先は帝都大学経済研究棟。その一室に水島経済政策研究室はあった。
日本型マネジメントによる日本型福祉政策を提案する水島邦彦帝都大学教授の研究室である。以前は軽食コーナーだったところを会議室用に改造し、水島研究室がほとんど独占的に使用しているということで、大学の研究室とは思えぬほど広い。とはいえ、未整理の資料が山済みになっているところなど、いかにも昔ながらの研究室然としている。
磯崎たちはまず、この会議のまとめ役である研究室助手の溝口幸一という男に紹介された。春田よりやや年上、四〇少し前だろうか。長身で、ややがっしりしたスポーツマン・タイプの男である。
溝口はまず、この会は秘密会であること、通常は水島先生の許可が必要なこと、今日は留守で許可は取っていないこと、すべてはオフレコで記事にはしないこと、などを手短に伝え、了承を求めた。また、その上で、会のCIAに対する関心のあらましを話し、堀田にレクチャーを依頼した。
溝口によればこの会は水島ゼミを卒業し、中央省庁に就職した人たちの自由な勉強会で、定まったテーマはなかったという。ところが七、八年前からアメリカで日本叩きが強まり、ファンダメンタリストによる「日本特殊性論」が持ち出され始めると、日本の学界でも「レーガノミックス」を評価し「日本型経済運営」を見直す声が高まった、という。
また、ソビエトの崩壊はマルクス経済学の凋落を決定づけ、その余波は水島邦彦のようなケインズ経済学にも及び始めているという。つまり、福祉型の社会調整論さえ「古い」と決めつけ、市場原理絶対の競争論が幅を利かせている、という。
学界のこの傾向はいずれ官界にも及んでくる。
しかしそれは実のところ、政治の死、資本の元蓄積段階への退行ではないのか。経済活動に対する国家の敗北、金融アナーキズムの許容ではないのか。会のテーマは次第にそこへ絞り込まれていったという。
なぜこんなことになったのか。その原因を探るうちに浮き上がってきたのがCIAである。また、その威を借りて勢力の拡大、あるいは縮小の防止に努めたのが防衛庁と警察庁、そして、そのグランドデザインを描いたのが自治省ではないのか、というのである。
幸い溝口は来年、地方大学での助教授の口が決まったという。が、大学のリストラで、マルクス経済学は全滅。ケインズ経済学も選別が厳しくなって、いまや死活的な状況なのだ、と笑った。
この日の出席者は春田と溝口のほか、五人。通産、大蔵、厚生各省のほか、JETROと国会図書館の職員が参加していた。
前回の会合での課題報告があったあと、堀田がCIAについてのレクチャーを行った。大沢八郎など、具体的な名前を上げることを避けはしたが、みな熱心に耳を傾けていた。
「CIAの前身、OSSはイギリスの支援によって作られた戦時諜報組織です。大戦が終れば当然解散すべきものだった。ところが、大戦によって空前の利益を上げた軍事産業はその利益の継続を目指して軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレクス)を組織。ソ連を仮想敵国にした準戦時体制を維持。トルーマン・ドクトリンによって、これを正当化します。
トルーマン・ドクトリンとは『平和よりも自由』、経済の自由な活動を保障し、あらゆる統制を排除するためには戦争をも辞さない、というものです。
ここでいう経済活動とはアメリカの産業とこれへのイギリスの投資を意味します。
これを護るためにつくられたのが一九四七年の『国家安全法』で、CIAは国家安全法で特権を与えられた軍産複合体の利益を保証する諜報組織だといっていい。
CIAは発足と同時に、同じく軍の通信諜報機関だったNSA(国家安全保障局)を傘下に収め、イギリスの通信諜報機関GCHQ(政府通信本部)とともにUKUSA同盟を結ぶことになります。UKとはユナイテッド・キングダム、USAはいうまでもなくアメリカです。
この軍産複合体は影の政府としてアメリカをコントロール。これを利用したアイゼンハワーもそのパワーに恐怖し、退任直前『軍産複合体に気をつけろ』というメッセージを残します。これに応え、メスを入れようとしたのがJF・ケネディーでしたが、その結果、軍産複合体の手によって暗殺されます。
この事実をつかんだジョンソンも、退任直前に演説をし、事実を公表しようとしましたが、その部分は放送から削除されていました。この影の政府と手を組んだのがニクソンで、その一端が暴露されたのがウォーターゲート事件です。このときの世論が、CIAに非合法活動を許さないという箍をはめることになりました。
ソ連の解体はCIAの存在基盤を揺るがすものです。もし、ウォーターゲート事件がなかったら、CIAは非合法の謀略を仕組んででも、新たな存在基盤を作り出したはずです。すなわち、仮想敵国の創出です。だからこれを合法的にやらなければならない。そうでなければ膨大な予算を獲得できない。
そうしたとき選ばれたのが経済大国・日本です。軍事諜報組織から経済諜報組織への転換、という意味でなら必ずしも日本である必要はない。事実、ソ連の崩壊以前からCIAは日本、西ドイツ、フランスの技術関連情報の収集、活用をやっていた。日本、ドイツの資料はソ連には及ばぬものの、中国など他の共産圏と比べても見劣りしない、という話もあります。
では、なぜ日本か。ここにおいでの皆さんはすでにお気づきのことと思います。そうです、トルーマン・ドクトリンです。一切の経済統制を排除する、そのためには戦争をも辞さない、というあの考え方にとって、日本の経済システムは新たな仮想敵として格好の標的となりうるのです。これはおりしも巨大な貿易赤字で悩むアメリカの国民感情とも一致しました。
一九九一年、CIAは『ジャパン二〇〇〇』という日本レポートをまとめますが、これがCIAの対日宣戦布告だといっていいでしょう。以後、CIAはこれにそった対日諜報活動を行っている。すなわち、産業スパイです。でも、この極秘レポートがロサンジェルス・タイムスにすっぱ抜かれた意味を考えると、次のことが言えます。
これは連邦予算の策定時というタイミングのよさ、などから見てもすっぱ抜かれたのではなく、CIAの側から意図的にリークされたものといえる。つまりは議会対策です。
CIAでさえも、議会対策のためにこんなレポートをまとめる必要があり、リークする必要があったということ。それはアメリカがすでに軍産複合体の掌握下にはないということを意味している。ソ連の崩壊とレーガン、ブッシュからクリントンへの政権交代が象徴するもの、それをもっと正確に読まなければならないことを意味しています」
C I A の謀略 第5章「脅威」
「堀田さんはこの記事をもうごらんになっていますよね」
そういってJETRO職員の長谷川宗之が新聞のコピーを配り始めた。一九九五年一月三日から五日付けの『産経新聞』と、一月六日付けの『共同』配信記事である。
「なぜたて続けにCIAなのかわかりませんが、気になるのでコピーしてきました」
『産経』の記事は元CIA・NOCだった男のインタビュー。NOCとはノン・オフィシャル・カバーの略で、大使館員や軍人などの公式身分を持たない民間偽装要員のことだ。
また『共同』の記事は「CIA東京支局の活動概要」と題するもので、主にオフィシャル・カバーの活動を紹介している。
東京支局は東アジアを活動範囲にしているが、『共同』によれば「一等書記官の肩書きを持つ東京支局長以下、在京大使館、大阪総領事館に外交官を装う要員、横田、横須賀、座間などに米軍との連絡要員ら、大手米企業駐在員を装った民間偽装要員の合計約六〇人で構成」されている、という。
「この数字は私のデータと少し違います。六〇人というのは八〇年代のもので、現在(一九九五年)は八〇〜一〇〇、あるいはそれ以上ともいわれています」
堀田豊が自信ありげに答えた。
「記事を補足していくと、現在、アメリカ大使館の経済担当官はほとんどがCIAだといわれている。補佐官、副領事といった肩書きにもCIAが多い。八〇年代の情報だが、六〇人のうち一三人がいわゆるNOCだった。この他に単発契約の民間人がいて、一定の活動を依頼されている。これをDCO、ダイバースファイド・カバーオフィサーと呼んでいる。そして、そのほかに八〇〇人ほどのエージェントを抱えているが、そのほとんどは日本人だそうだ」
『共同』の記事はCIAの活動の一端に触れており、ターゲットとして高品位テレビ、半導体、新素材、通信、原子力、ロケット、人工衛星といったハイテク技術の軍事転用の可能性などが上げられている。
また「企業としてはセラミックの京セラ、カラーテレビのシャドーマスク技術を持つ大日本印刷のほか、ロケット、人工衛星技術等を持つ宇宙開発事業団、三菱重工、石川島播磨が調査対象になった」とある。
「『共同』の記事はともかく、『産経』の記事を見てください。ここで、私らのことがやたらに持ち上げられている。元NOC氏は『ジェトロ(日本貿易振興会)は真の商業情報機関であり、CIAが弱い北朝鮮の情報に関し極めて正確だった』といっています」
長谷川はそういって、苦々しげに新聞のコピーを手の甲で叩いて見せた。なぜ彼がそんな仕種をするのか、他の参加者には皆目わからず、きょとんとしながら、彼の次の言葉を待った。
「いうまでもなく、われわれジェトロは純粋な商業情報機関です。しかし、アメリカはそう見ていない。たとえば一九九一年二月、CIAがロチェスター工科大学に委託してつくらせた研究レポート『ジャパン2000』ではこんなことを言っている。
『日本は全米一五の領事館、外務省、通産省やジェトロ、さらに商社の情報システムを利用して米国内の経済諜報活動をやりたい放題。道徳心や人権意識に欠け、集団主義思考が強い日本人が世界的な経済支配の陰謀を企てている』
だからニューヨークのジェトロ事務所を日本の産業スパイの巣だと見て、FBIが常時監視を続けている。そしてCIAのスパイ活動もわれわれに対する対抗上、必要だと主張しているんです」
CIAはアメリカ国内での活動を禁じられているので、こうした防諜活動は基本的にFBIが担当する。
「このインタビューではCIAがジェトロを敵視していることをおくびにも出さず、われわれを持ち上げている。そしてこんどはCIAの活動も、われわれの活動同様の一般的な情報収集であるかのようなイメージを打ち出して見せている。こんなの、悪い冗談としか言いようがない」
「元NOCさんは、CIAの情報の八〜九割は国会図書館や政府刊行物センターで集められる情報だといっているけど、本当かしらね」
国会図書館司書の杉井美紗だ。
それに堀田が答える。
「嘘じゃないだろう。もちろん国会図書館で調べたわけじゃあないだろうがね。CIAはまず、目をつけたエージェントにその種の価値の薄い情報を集めさせる。そのほうが安全だからね。そうした結びつきを、時には何年にも渡って続け、ごくごくたまに価値ある情報にありつく。問題は非合法的に集められる一〜二割の情報にあるわけさ」
「それはそうなのでしょうが、彼らはよく虎ノ門のジェトロ・ライブラリーを利用しているらしいんです」
「いやあ、彼らの活動にはさまざまな形態があるが実に悠長というか、ゆとりがある。知っていますか、天城会議というやつ。まあ、さまざまな問題をテーマにした知識人会議なんですが、企業メセナーの一種ですね。企業のトップや役人、マスコミ関係者などが参加してます。別に教育者を集めた天城学長会議というのも持っていますよ。
日本IBMが伊豆に持っているすばらしい宿泊施設で開かれるんで、もちろん主催は日本IBMですが、実態は明らかにCIAの宣伝活動です。みんなそれとなくわかってはいるんですが、なにか直接要求されるわけではありませんから、顔合わせに行くんです。実際、休養にもなるし勉強にもなりますからね」
厚生省統計局の大貫隆一だ。コンピュータに関連した新技術や国際的な情報を逸早くつかむにはいい会議なのだという。
「天城会議は一企業のメセナーにはとどまるものではありませんよ。一九八四年、中曽根首相が設置した臨時教育審議会(臨教審)に専門委員を出している。日本の教育を考えるのになんでIBMか、と思うのですが、知識人の心をくすぐるという日頃の会議の活動が、こういう形で生きてきているわけなんです」
春田の言葉には参加者みんなが驚きの声を上げた。
「IBMはすごいですね。あそこは大量のNOCを抱えているんじゃないですか。六本木にある日本IBM本社の西館、あのビルに入っている米国IBM直属のコンサルタント会社・IBMアジア・パシフィックですか、あそこなんかもうCIAとおなじ仕事をしているといってもいいようなものです。六本木を見下ろすように建っていながら、正面には通用口しかなくて、正門が裏手の本館に向かって開いている。八角形の奇妙なビルです。いちおう日本をはじめとするアジア、太平洋地域一八か国の営業、サービス、開発支援、ガイダンスを行っている会社なんですがね」
「そういえば、ボクのところにも妙なやつがきましたなあ。アメリカ大使館から金融政策のことで説明を聞きたい、というアポが入った。それで待っていると、どこかそぶりが変なので、どちらさんか、と聞くと、わけのわからん研究所の名前を言うんです。名刺は、と聞くと、持ち合わせていない、と答える。何度かやり取りしたら、ようやく名刺を出しまして、それがIBMなんです。本当の社員かどうかはわかりませんがね」
通産省の水越亨と大蔵省の中川伸一のやりとりだ。
「そういえば、あの『椎の実会』というのはなんなんですか」
幹事役の溝口幸一が口をはさんだ。それに大貫が答える。
「あれは日本IBMの社長だった椎名武雄が主催していた集まりで、情報収集に熱心な政治家や財界人が沢山参加しています。役人も多く参加していて、各省揃っているようですよ。個人ではとても賄えない大変な接待費を使っていますが、資金源はいまだに謎です」
「CIAのピーアール機関だというのが定説でしょう。しかも、それを承知で政財官、それにマスコミ、知識人たちが群がっているのだから驚きです」
「久保田というのは『椎の実会』の顧問をやってたんでしょう」
再び水越と中川のやりとりになる。
「彼は怪しげなやつでした。リクルート事件でも彼との関係でやられたやつが少なくない。NTTルートはそうじゃないのかな。だけど、事件発覚後、久保田はぱったりと姿を消した」
「怪しい人物に対して、警察はちゃんとマークしているんでしょうか」
「警視庁の公安は多少やってるようですが、内閣調査室は動いてなさそうですよ。以前、後藤田さんはウォルフレンをマークしていました」
「公安調査庁も一九八八年に、NOCの活動があまりにも露骨だというんで、あるオフィスを急襲し、一〇人を越すスパイに自主的にお帰り願っているんです。ただ日本の場合、適当な取締法がないために、こんなふうに帰国をお願いするしかない。また、それを公表することもできないんです」「一〇人ものNOCがいたとなれば、それはもうアジア・パシフィックだとしか考えられませんね」
「そういえないから、苦しい」
「それに日本人側だって、それと知っててつき合って、利用されずに利用する、という道もありますよね。これは違法じゃないでしょうから、マークはむずかしい。石原慎太郎とジミー・フォスターの関係がそうでしょう」
「大沢とジミー・フォスターの関係もそうだという人がいますね。しかし、これはもうまったく違う。主張の一部がアメリカ寄りなんじゃない。すべてです。次期支援戦闘機FSXの共同開発修正問題、湾岸戦争への対米貢献、モトローラ通信方式への周波数帯割譲・・・・・・・・・いまさらなにを、というレベルの話です」
「あれには参りましたね。羽田のあと、自陣営に竹村がいたのに、彼を棒に振り、民自党の海部元首相を新総理に担いだ。湾岸戦争で、すっかりお世話になった見返り、とでもいうんですかね。その上、民自党の中曽根元首相が党議拘束を無視してただ一人、海部に投票した。あれはいったいなんだったんです」
「アメリカ一派の旗揚げ興行ですか。日本の国会はここまでアメリカに侵されている、というのを世界に披露して見せたようなもんですよね。なんともお恥ずかしい」
溝口が口をはさんでから、会議は一気に活発となり、もう、誰がなにを話しているのかを区別するのがむずかしい状態になった。それをまた、軌道に戻したのは例のJETRO男の長谷川だった。
「通産省はどうなんです。相当やられているんじゃないですか。ジェトロはすごいですよ。ニューヨーク事務所の職員の自宅まで盗聴されている。電話に雑音が混じる、音量が突然下がる、なんてことはみんな経験しています」
「そういう話はうちでも聞きますよ。ワシントンに転勤になって家を借りたら、一週間で電話の変調が始まった、という人もいます。アメリカには住民登録はないですから、尾行して家を突き止めたわけです。
しかし、いまの技術からいえば、盗聴だって気づかれないでしょうね。それにしても変な話だ。JETROさんはそんな目に会いながらも、アメリカ企業の日本進出のお世話をしている」
「まったくです。外国の商業活動のお手伝いをする国なんて、聞いたことがありません。政府のお手伝いならともかく民間の企業活動なんですからね。進出で痛手をこうむる日本の企業にどう説明ができるものやら」
「みなさん、そろそろ終了の時間なんですが、この機会にぜひ、ボクの通産省における印象をまとめておきたい。残れる人だけでけっこうですので、ちょっとおつきあい願えませんか」
通産省の水越が、なにか思いつめたような顔をして、溝口の同意を求めた。
「もちろん自由な参加と自由な討論がこの会の趣旨です。お帰りの人もいるだろうから一端休憩して、あらためて水越さんの話を聞くことにしましょう」
「われわれも参加させてもらってもいいのですか」
「もちろんです」
堀田の質問に、水越と溝口が同時に答えた。
「通産の話、私も大変興味があるんですが、どうしても帰ってやらなければならない仕事がある。申し訳ないが帰ります。またぜひ、話をお聞かせください」
レザーコートの襟を直しながら、春田昭彦が出て行ったほかは、誰も帰ろうとするものはいない。ほどなく、水越の話が始まった。
「ロッキード事件が起きたとき、ぼくはまだ学生でした。権力者の不正には激しい憤りを覚えていましたから、日本の捜査陣の限界に歯噛みし、アメリカの捜査協力に対して心から拍手したものです。大学を出て、通産省に入省してまもなく起こったダグラス・グラマン事件でも、大商社の不正に許しがたいものを感じていました。
もちろん不正は不正で、裁かれるべきなんですが、いま思えば、あの二つの事件はいずれもアメリカが発火点だった。アメリカが問題にして、日本の捜査陣が動いた。その結果なにが起きたか、それを考えると見えてくるものがあります。
当時、日本の強さ、技術力、輸出力の強さを示すものに<総合商社><通産省><行政指導>があったのを覚えておいででしょう。英語の辞書にも載ったというので、ずいぶんと話題になったものです。二つの事件は結局、アメリカが考える日本の強さの秘密、すなわち<総合商社>に大打撃を与えることになった。
そこにはアメリカの何らかの意図が感じられます。事実、ロッキード事件でロッキード社の代理人・児玉誉士夫と田中・小佐野の関係を暴いたチャーチ委員会(委員会は児玉を軍国主義的極右政治勢力の著名な指導者とよんだ)は児玉が笹川良一と並ぶ、戦後日本の二大黒幕であると同時にCIAのエージェントであったことを明らかにした。
つまりあの事件は児玉と笹川のボス争いなんかじゃなく、CIAとチャーチ委員会の暗闘とその痛み分け、日本に矛先を向けけることで両者が妥協した結果の手打ちだったのです。
二つの事件で丸紅と日商岩井が狙い撃ちされましたが、CIAは別に、三菱商事を盗聴していたことが明らかになっています。ケーシーCIA長官の時代ですから八〇年代の初頭のことですよ。堀田さんがいわれる、ソ連崩壊よりもずっと前から、CIAは同盟国に対する経済スパイをやっていたことになります。
一説によれば総合商社に対する監視活動は一九七三年、中東のオイルマネーの行方を突き止めるために始めた、ともいわれています。OPEC(石油輸出国機構)に対する対抗措置だ、というわけです。まあ、理屈はいろいろつけられるものですがね」
ここまで一気にしゃべってから、水越は少し間を開けた。しかし、その間に口をはさもうとするものは誰もない。改装されてはいるものの古い建物なので空調の具合がよくないのだろう。少しけぶってきたものか、溝口が立って、窓を少し開けた。寒気が隙間風になって会議室を舞った。
「ぼくがアメリカに対して決定的に見方を変えたのが一九八二年六月のIBM産業スパイ事件です。FBIがIBMの機密情報を不法入手した容疑で日立製作所と三菱電機の社員を逮捕した事件です。
たしかに、IBMに忍び込み情報を盗み出すという日立と三菱の社員がやった行為は犯罪です。重大な犯罪、といってもいい。しかし、逃亡の恐れも何もない、犯行を認め、反省しているサラリーマンに後ろ手錠をして、カメラの前にさらし、世界に放映する必要がはたしてあるのでしょうか。
これが重要な外交問題になりうることを、アメリカ政府も認識していたはずです。ということはあのテレビシーンもまたアメリカ政府が事前に演出したことだと考えて間違いありません。
知ってのとおり、事件には最初からシナリオがあった。IBMから資料を盗み出し、両社に売り込んだ男、わざわざ一部に欠損のある資料を渡し、欠損部分を手に入れたいと思わせた男がFBIの回し者、日本では許されないおとり捜査であったことも明らかになっています。
この事件で、アメリカは何を手に入れたんでしょうか。産業スパイは許されない行為なんだよ、というメッセージでしょうか。だとすれば、それは両刃の剣です。CIAもまたダメージを受ける。
そうではなく、実際に起きたのは通産省の権威失墜でした。それも日立、三菱にIBM互換路線をとらせた通産省の行政指導のあり方が問われた。業界を指導し、補助金を注ぎ込む日本のシステムが保護貿易、不公正競争の典型として非難されるきっかけを開いた。通産省はその得意技において弱みを握られてしまった。この立場はその後の構造協議へと引き継がれていきます。
日本の強いところを叩け、これがアメリカの経済再生の秘策だったように思います。
実は、おなじころ、これを指示したCIAの秘密レポートがあるのです。そこには叩く日本企業としてNTT、トヨタ自動車、富士通、NECの四社が名指しされています。NTTに対しては分割民営化の要求として出てきたし、先ほど話していたリクルートの関連もそうかも知れません。富士通、NECに対しては知的所有権の問題(IBM富士通著作権紛争)や半導体の市場占有率(シェア)の割譲(日米半導体協定)要求がそうです。トヨタに対しては、いま大詰めを迎えている日米自動車協定の延長交渉がその一環だといえるでしょう。
叩く、というのとは違いますが、CIAはこの間、京セラにずうっと興味を持っていまして、新素材、とりわけ、セラミックの自動車エンジンの開発で日米間で溝が開けられないようにずうっと監視してきたのも事実です。ハイテク技術の開発組織の構成、研究開発内容、予算規模、開発部門の住所、役員の氏名等の情報を常にフォローしていました。
一九八七年四月、いわゆる東芝ココム違反事件が勃発します。東芝の子会社・東芝機械がCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)で規制されている工作機械をソ連に輸出したとして、警視庁が捜索に入った事件です。結局通産省としては、東芝機械に対して共産圏諸国に対して一年間の輸出禁止処分を課すほかなかったのですが、アメリカの世論はこれに納得せず、親会社の東芝製品の輸入禁止にまでエスカレート。CIAのターゲットは最初から東芝本体にあったのでしょうが、このやり方はあまりにも理不尽です。
CIAは七九年以降の旧東欧圏での東芝の活動を徹底して調べていたのです。いわゆる監視行動です。しかしそこに不正はなかった。そこで子会社を引っ掛け、親会社を巻き込んだ。もっともこんな制裁をはねつけられなかった通産は自国の産業を保護育成するどころか、不当な要求から防衛することもできなかったことを意味する。
ココムの規制基準はアメリカが勝手に決め、同盟国に押し付けているものです。そして、その基準を守らせるために、アメリカが警視庁を利用し、警視庁がそれに応えた。これをいったいどう考えたらいいんでしょうか。そのときはこれも同盟関係か、と、自分で自分を納得させましたよ。ところがいま、アメリカは何をやっていますか。勝手に米中和解を演出し、基準を緩和して、中国に禁止されていた電子機器を輸出し始めている。こんなばかなことがありますか。日本政府はFBIに通報し、アメリカ政府を逮捕してもらわなければならない。そうでしょう。
そして件のリクルート事件です。分割を免れ、強力な事業体として存続するNTTに対する揺さぶりのひとつとして、CIAが仕掛けたものと見えなくもない。
こうしたことを通じて何が起こったのか。世界に冠たる通産省の存在意義の消滅です。ここで皆さんに話すのは釈迦に説法のようなものですが、政治とは何らかの操作です。自然に任せてはおけないものがあるから、保護や育成といった操作を加える。ところが、通産の行動はすべて自由競争の妨げになる。これがアメリカの論理です。
そしていま、通産は何もしなくなった。通産省はいらない、特許庁と公取委(公正取引委員会)だけあればいい、なんていう自嘲的な声も聞こえてきます。反対にアメリカは通産省の手法を大胆に取り入れ、あらゆる保護育成策を講じています。
一九九三年九月、クリントンは産官合同の未来車プロジェクト(PNGV)をぶち上げました。これは自動車のビッグ3(GM、フォード、クライスラー)と六の省庁(エネルギー省、運輸省、商務省など)六つの公立研究所が協力して十年で燃料効率三倍のクルマを開発しようというものです。このやり方は今後、高効率モーターやバッテリー、超軽量新素材、高性能コンピュータ、半導体、液晶パネルなどにも広げて行くという。
スーパー三〇一条だって、保護主義そのものじゃないですか。その結果、自動車はもう十分に日本を迎え撃つ体力を手に入れた。いや、もうすでに日本を脅かす存在、このままでは日本の主力メーカーが倒されます。
それなのになお、自動車の対米輸出自主規制の延長ですか。しかも今度は半導体並に数量規制をしろという。自主規制では生ぬるいという。半導体交渉で数量を盛り込んでしまったのがまずもって間違いだったわけですが、自動車にもこれを適用しろという。
要求をのめばまた次の要求が始まる。日本はもう後退しすぎました。アメリカに対して、どこまで卑屈になれ、というのでしょう。このままではもう、本当に通産省はいらない。アメリカ商務省の外局で十分です」
水越の口調は次第に熱を帯び、力強いものに変わってきた。考えに考え、ひとわたり思いを確かめるように話を進めていたのだが、ココム事件になるころには立て板に水。普段からも省内で、同様の不満を漏らしていた様子がありありとうかがえる。
「ところで、日米自動車交渉はどうなるんですか。抗戦論ですか」
誰かが質問した。
「『NO!といえる日本』ですか」
「茶化さないでよ、そんな言い方。そんなに簡単じゃないから水越くんも悩んでいるんじゃないの」
この声は図書館司書嬢の杉井だ。
「そうなんです。すくなくとも数量規制は絶対に阻止するという点で、省内の意見は一致している。会談決裂をも辞さない。ところが、です。そのためにはまだまだやらなければならないことが沢山ある。たとえばヨーロッパ諸国に、単なる賛意を取りつけるだけでなく、具体的な提案をしてもらうための根回しをするとか、相も変らぬ対米一辺倒の外務省に新しい時代認識を植え込むとか、WTOへの提訴の準備を終えておくとか。自動車課(機械情報産業局)を超えて、全省が一丸になってことに当たらなければならないことは多いんです。けれども省内ではそのための態勢がまったく取れていない。
それどころか、去年の局長辞任の後遺症が今でも続いていて、省内派閥の対立が解消されていない。進取党の政権下で熊谷通産大臣が次期事務次官候補の内藤(正久)産業政策局長に辞職を求めたあの事件です。その報復に村山内閣の橋本通産相は進取党に近い熊野(英昭)事務次官を切りました。本人は"自主"辞任だといってますがね。
省内では進取党・大沢に近いグループを<四人組>または<反棚橋派>、民自党・梶山に近いグループを<棚橋派>というんですが、いまだに怪文書が出回っては、右往左往している始末。ついには相手陣営の局長の業者との癒着スキャンダルを検察に垂れこむ、という騒ぎまで起きています」
「その四人組にCIAの影はないのかな」
堀田が尋ねる。
「いや、ないとは言い切れません」
「とすると、こうした交渉の局面をにらんで送り込まれたエージェントとも考えられる」
「考えられますが、それはちょっと飛躍が大きすぎるように思います。ベースはやはり大沢・梶山(静六)の八‐六戦争ではないでしょうか。それに大沢流のアメリカ型政治論が結びついた結果だと思いますが」
「思い過ごしならばいいが。何派であるかどうかはともかく、通産にはCIAのエージェントが必ずもぐりこんでいる。用心するに越したことはないと思いますよ」
「はい、ぼくもそう思います」
四年後に行われる長野の冬季オリンピックで、世界五大陸をインターネットで結んだ大合唱が企画されているというので、その取材のため、磯崎は久々に通産省を訪れた。
通産省は以前から官庁街の食堂の中でも品質のよさではずば抜けた評判で、他省庁を訪れた者も、何かにつけて通産の地下食堂を利用したものである。その地下食堂も新館建設に伴って一変し、いまや一級のレストラン街である。クオリティーの高さはもちろんだが、明り取りの内庭が前面ガラス張りで望める通路があり、レストラン街にいるかぎり、ここがお役所の地下であることを忘れてしまう。
磯崎はいつものように中華レストランで昼食を済ませた。
通産には新館と旧館を結ぶ通路がある。その片隅に公衆電話が一台置いてあるのだが、その電話に向かって、背を丸めている男がいた。後姿なので自信はないが、どこかで会った男のような気がして、磯崎は記憶の人物ファイルを手繰った。
「通産、通産、通産・・・・」通産の人物ファイルはそう多くはない。すぐ水越亨という名前がヒットした。帝都大学水島研究室で会って以来、四カ月が過ぎている。
この間にもいろいろなことがあった。まず、世間を騒がせた地下鉄サリン事件を上げなければならない。地下鉄・霞ヶ関駅を通過する上下五本の電車内で毒ガス・サリンが撒かれ、6人が死亡、5500人以上が重軽傷を負った(三月二〇日)。以後、始まったオウム真理教の捜査の過程で、再び、内務省復活の声が上げられた。
破綻した東京協和・安全の二信組救済に都が乗り出すことへの不満が高まる中、東京協和の前理事長と東京税関長の癒着が明るみに出て、蔵相を含む七人が処分された(三月十三日)事件も注目される。
また、影の総理・石原信雄が民自・社文・さきぶれ・自連の与党各党および公正の推薦を受け、東京都知事選に立候補。自治省が満を持しての選挙戦であったのだが、青島幸男にあえなく敗れ去った(四月九日)。自治省が民自党と進めた「TOKYO(東京・大阪・京都・横浜・沖縄)制覇作戦」は挫折したのである。
そしていよいよ四月十二日、ワシントンのアメリカ商務省で、日米包括経済協議の焦点であった「自動車交渉」が始まった。そしてその二日後、『NO!といえる日本』の著者・石原慎太郎が、なぜか議員辞職を表明した。
電話に聞き耳を立てると思われてもいやなので、やや距離を開けて、終るのを待ってから声をかけた。
「お久しぶり。いまは忙しい最中じゃないんですか。自動車交渉、日本もけっこう突っ張ってるじゃありませんか」
「いやあ、それがどうも・・・・、ちょっとここでは・・・・。庁内からは電話もできないありさまで。ああ、ちょうどいい。退庁後、中川くんに会うんです。あのときの大蔵省の男ですよ。時間があったらあとで彼のところに寄って下さい。ええと、これが彼の名刺です」
大蔵省は霞ヶ関の中央通りをはさんで、通産省新館の向かいにある。明るいモダンな建物とは対照的な、アーチ状の入口を持つ時代がかった建物だ。完成したのは一九四三年なので、まさに戦時中の建造物だというわけだ。
大蔵省も通産省と同様、最近は受けが悪く、官庁の中の官庁という輝かしいイメージはない。バブル崩壊後の長引く不況に打つ手を持たず、内需拡大を求める海外からの信用をも失った。
そうした中で、二信組救済をめぐり、幹部の不正が発覚したのだ。とりわけ中島義男主計局次長は東京協和の売春接待(ノーパンしゃぶしゃぶ)をうけた上、公務員法に違反する副業を行い、不正蓄財・脱税をしながら、依願退職で済ませてしまったことに対する国民の怒りは大きかった。
大蔵分割論どころか大蔵解体論も現れ、「大蔵四〇年体制論」が出現するに至った。すなわち大蔵省の得意技である<護送船団方式>等は、戦時中の統制経済下でつくられたもので、建物同様、戦前の遺物。自由主義経済、市場原理に反する体制だ、というものである。これはまた、「日本型社会主義」という言葉によって問題化された。
サラリーマンから納税者意識を奪う源泉徴収制度もそのひとつで、磯崎にも、共感できる部分が少なくはなかった。しかし、である。「アメリカは強いところを叩く」と言った水越の言葉が気にかかる。これもまたアメリカの日本たたきの一環ではないだろうか、という疑問である。
大蔵省の入口はどう見ても地上一階だが、公式には地階。したがって、六階建てに見える建物も、五階建てである。アーチ状の正門の左の柱に「大蔵省」、右の柱に「国税庁」の看板が掲げられている。
左手に入るとすぐ受付があって、ここで面会の趣旨を告げる。これといってなかったが、ただ「取材」である旨を言って、主税局・中川伸一に連絡をとってもらった。
霞ヶ関の政府出版物センターで時間をつぶしたので、まもなく五時。「すぐ退けるので、食堂で待っていてください」というのだが、こちらのほうは通産と違い、ゆったりくつろぐという気にはなれない。
古い建物なので、天井もさぞや高かったことだろうが、いまやそのスペースにはがっちりと空調ダクトが埋め込まれている。しかもそれ自体がもう古いのである。今だったらもう少しましな改装をするだろう。よく見れば空調の鉄板が剥き出しのところさえある。
「ビール・セット」なるものを頼むと、小さなジョッキに、これまた小さな冷奴と枝豆がついてきた。どこをとってもおよそ贅沢とは縁のない庁舎構造で、とてもノーパンしゃぶしゃぶとは結び付けようがないのである。
が、磯崎は「これが曲者なのかもしれない」などと思ってみる。
「やあ、お元気ですか。水越は七時ころになるといってましたから、もう少しここで時間をつぶしましょう。ところでどうなりました、あの評論家先生は。たしか磯崎さんが追及しておられたんでしたよね」
ほどなく中川が現れ、おなじセットを注文した。
「いま、都財政を立て直すには行政のプロが必要だ、という論調で、盛んに石原信雄の応援をしていましたが、CIAとの関係は謎のままです。そういえば、宗像という岩槻鉄人の市長選挙とおなじ選挙参謀が石原陣営に加勢したという未確認情報もあります」
「そのうえ・・・・」と話を接ごうとして、磯崎は躊躇した。「そういえば、この話は前回の集まりでは出ていない」ことに気づいたからだ。岩槻の政策事務所の池島佳苗が石原選挙事務所に入ったという未確認情報もあったのだ。
その後、彼女は大沢の議員秘書として、議員会館に詰めている、という話もある。この確認は知り合いの議員秘書に問い合わせれば簡単に済むことだったのだが、なぜかまだやっていない。
「ところで磯崎さん、私もねえ、あれ以来考えてみたんですが、こんな結論に達したんです。アメリカは強いところを叩く、というあの水越の説ですよ。あの説が正しければ、アメリカのターゲットは大企業、民自党、通産省、大蔵省ということになる。これが日本経済を支えた四本柱です。
そしてまず、大企業がやられた。次に民自党がやられ、通産省がやられた。とすれば、次は大蔵省ということになる。というよりも、もうそのシナリオは始まっている。そう思えてならないんです」
「東京協和の接待汚職ですか」
「いや、あれは明らかに国内的な問題ですが、そういう直接的な問題ではなく、円高攻勢だとか、金融自由化、そしてビッグバン・・・・そうしたものが日本経済を弱体化させ、大蔵省の存在意義を奪っていくことになる、ということです」
「だからといって、護送船団方式を維持するのは問題でしょう。結局は天下りにつながる」
「それはおっしゃる通りかもしれません。しかし、たとえば企業の、あるいは銀行の営業力にはさまざまなファクターがある。アメリカが嫌う系列だってそのひとつでしょう。しかし、アメリカ的格付けの考え方の中には、こうした信用が持つ力は含まれない。その格付けに、いま日本の企業は振り回されようとしています」
「たしかに何かの意図をもって、勝手な格付けの見直しをされてはたまらないですよね。タイミングによってはいじめにもなる。でも、グローバルな基準で格付け評価をすること自体は必要だと思いますがね」
「気になるのはそのタイミングなんです。大和證券のニューヨーク支店の不正申告問題(九二年三月一日)もそうでした。たしかに違法には違いないが『飛ばし』は穴埋めの一時的代替策として日本ではふつうに行われていた。早く自主的に手当てするのを待つ。そのチャンスを与える。これが日本的風土の中の慣行、武士の情けというやつです。
それに対して、情けをかけるのは違法だと、バッサリくる。大和證券ばかりではなく、大蔵省も信用できないぞ、と、そういうイメージが定着するタイミングを見計らったようにやってくる」
「むしろあれは、最初から大蔵叩きが目的でしょう。大蔵省が大和の不正を隠すと予想して、隠すのを待っていた」
「そうしたことがこれからも増えるんじゃないかと心配しているんです」
「そうかもしれませんね。しかし、大蔵省ももっとガラス張りにならないと。こそこそやっていたら、そりゃあやられますよ」
七時ということだったが、多少は遅れるだろうとたかをくくって指定の店に行った。中川と水越がシマにしている赤坂の小さなクラブで、和服の似合うママが、手伝いの若い娘と二人で切り盛りしていた。
なんの飾り気もない急な階段を上がり、扉を押すと、ひばの樹のにおいのようなすがしい香りに包まれた。「いらっしゃいませ」というママの声は容姿に似合わず若やいだものだったが、すぐ後から「よう、きたか」という水越の野太い声が追ってきて、今日の集まりがなんの艶もないものであることをあらためて思い知らされる。
入口の左手がすぐカウンターバーで、その奥に白木造りの間仕切りで仕切られた三つばかりのボックス・シートがある。まだ客は誰もおらず、カウンターに座っていた水越とともに、奥のボックスのひとつを占領した。
「今日は驚いたでしょう。ぼくも驚いた。でも、あんなところから電話していたおかげで、こうして会うことができたわけです。いや、もう通産省は完全におかしい。どこで誰に話を聴かれるか知れたものじゃあない。どちらかの派に属して、仲間で周りを固めているものは別ですが、ぼくのような一匹狼は純粋な仕事以外で職場の電話を使うことができないんです」
「それであんなところから電話していたんですね」
「そうなんです。たかが中川に連絡していただけなんですけどね」
「おれへの電話がたかが、かね。おまえのガス抜きにとって、なくてはならない電話なんじゃないのかね」
「はは、そうかも知れませんね」
「ところでね・・・・」水越は足を組替えると、身を乗り出して話し始めた。
「やはりいるようです。通産の中にスパイがね。しかし、それと両グループの誹謗中傷合戦とが重なってしまって、なにを信じていいのやら、まったくわからない状態になっている。やつがスパイだ、という噂を流す者もありますからね」
「つまり、スパイが中傷合戦を隠れ蓑に、活動している、というわけですか」
「そういうことです」
「なにか、心当たりでも」
「まずは、いま大詰めを迎えようとしている自動車交渉について、順を追ってお話しましょう。
ご存知のように今回の自動車交渉は二年前に始まったものです。そして、昨年の二月、つまり一九九四年の二月十七日、細川=クリントン会談で、輸出削減量を具体的な数字で示せという数量規制の要求に対して、細川首相が初めてNOと言った。歴史的な<決裂>が起こったわけです。
日本のマスコミは最初、熱狂しました。しかし、数日するとその熱はすっかり冷め、アメリカの報復を恐れる論調に代わったものです。この隙を攻められ、モトローラの自動車・携帯電話への参入要求に屈する結果になる。これを演出したのがカンター通商代表と大沢八郎です。
このときもCIAは首相のNOを事前に察知し、待っていたのだと思います。が、本当の決裂ではなく、仕切りなおしだった。しかし、打開の道はなく、問題がWTOの場に持ち込まれる可能性が高かった。
WTOの場に持ち込まれればヨーロッパは完全に日本の味方。日本が勝利し、スーパー301条は二度と抜くことのできない宝刀になります。そのほうがスッキリしてよかったのかもしれません。
ぼくが前に『すくなくとも数量規制は絶対に阻止する点で、省内の意見は一致している。会談決裂をも辞さない』と言ったのは、その覚悟ができている、ということを含んでのことだった。
だから、今度のカンター通商代表と橋本通産相の会談でも、決裂含みで推移するはずでした。決裂は双方にとって重いツケを負うことになるので、舞台裏は緊張するはずです。ところが、日本側が密かに<自主プラン>なるオプションを策定すると、アメリカの態度は一変し、さまざまな揺さぶりをかけ始めたのです。
五月の四日にバンクーバーでのカンター・橋本会談が物別れに終るとすぐ、クリントンが「強硬措置」を示唆し、決裂後の六日には国家経済会議(NEC)が、日本への制裁リストを公表。日本のWTO提訴(五月十七日)に対しては日米航空交渉での対日制裁をぶつけるなど、日本の手の内を見透かした、余裕の反撃を繰り出してきた。
これはもう、オプションを知られているに違いない、漏らしたのは誰だ、スパイはどいつだ、という探りあいが始まるのも無理はありません。おかげで、この件に関する電話ができない、話ができない。庁内は探りあいの修羅場と化してしまったのです。
こうなればもう、ペースはアメリカのもの。<自主プラン>オプションをはさんだ攻防戦が始まり、やがて日本に白旗が上がるでしょう。大臣は今日、ジュネーブに飛び立ちましたが、これはもう明らかに手打ちの旅です。アメリカの報復が始まっても、それに対応できる省内事情にはないからです。
ぎりぎり突っ張った、という筋書きだけはしっかりと書いて、妥協です。<自主プラン>というのは何らかの数字です。規制ではないにしても、何らかの数字の書き込みを受け入れる。アメリカはこれを数量規制と解し、日本はこれを、あくまでもアメリカの自主的想定に過ぎないと解す。日本、お得意の玉虫色です。
でも、通用するのは国内でだけでしょう。世界に玉虫色はない。合意文書に書き込みを認めた日本の言い分は通じない。ただ、アメリカの解釈はWTOの方針には反している。この点が今後どうなるか、です」
結局、この水越の懸念は的中した。ジュネーブのアメリカ通商代表部で行われた橋本・カンター会談は三日目にようやく合意を見せ、NEC(国家経済会議)の対日制裁が発動される直前の歩み寄りとなった。双方の解釈がずれたまま、合意文書が発表され、対日制裁の解除と日本のWTO提訴取り下げがバーターされた(六月二十八日)。
クリントン大統領はこの数字を早くも「数値目標」として国の内外にアピール。アメリカ中部六州のいわゆる自動車州を中心に、翌年の大統領選再選にむけた票固めに走った。
また、このアメリカの外交的勝利の直後、カンター通商代表は、交渉の勝利に感謝して、CIAに真っ先に感謝状を手渡した。
この噂を伝え聞き、さすがの通産省も放っては置けなくなった。両派の対立に油を注いではまずいので、密かな調査ではあったが、いちおう局長クラスの執務室を中心に盗聴防止のスクリーニングをかけたのである。しかし、盗聴機に類するものは何も発見されなかった。
自動車メーカー各社でもおなじ結果だった。
ところが、一九九五年一〇月十五日の『ニューヨーク・タイムズ』が「日米自動車・同部品交渉のジュネーブでの最終局面で、CIA東京支部と、国家安全保障局(NSA)の電子盗聴装置を使って通産省首脳と自動車メーカー担当者などとの会話を盗聴して、カンター通商代表に報告していた」ことを報じた。
実はこのCIAによる盗聴記事はすでに『ロサンゼルス・タイムズ』が七月二三日付で報道していたのだが、これには日本のマスコミも気づかなかった、というお粗末もある。
またしばらくして、前年の細川・クリントン会談でも、根回し役であった木内特使のホテルから日本への電話が盗聴されていたことを、NBCテレビが報道している。
この、CIAのとんでもない所業に対して、一〇月二一日、四極通商閣僚会議の機会を捉え、橋本通産相はカンター通商代表に対して、「大変不愉快だ」との不快感を表明。それだけで、このCIA盗聴事件は収束を見せた。
おなじ日、沖縄では九月四日に起きた米兵による少女暴行事件に抗議し、日米地位協定の見直しを求める総決起大会が開かれ、五万八〇〇〇人が参加して騒然としていた。
何かが変わる、変えなければならない。そんな思いが人々の心の中に芽生え始めたとき、再び大沢が登場した。
「アメリカ海兵隊はなお必要だ」「地位協定には手をつけず、運用で解決すべきだ」
すなわち、アメリカの代弁であった。