Prologue

 ケイタイのアラームで目が覚める。
 柚葉が頻繁に口ずさむ最近流行の歌だ。
 朝、6時55分。
 もう少しボーッとしていようかとも考えたけれど、思いのほか寝覚めがよかったから景気づけに大きくあくびをかいてやった。
 洗面台の前に立つ。相変わらず酷い顔だ。
 頭から冷水をかぶる。ボサボサになった髪が水を吸って束感を帯びていく。ついでに顔も洗う。タオルで拭いて口をゆすぐ。歯を磨く。
 ぬれた髪も乾かさずベランダに出る。

 冷気が頬を掠める。
 今日は少し、風が強いみたいだ。
 11月、26日。
 そろそろ冬だな、と。そろそろ上半身を裸のままで寝てしまうの自粛したほうが良いかもしれない。
 水分を含んだ髪が滴を落とす。水滴は私の体を走り、やがてはスウェットに吸い取られた。風が当たって、余計寒かった。
 精一杯、背伸びをする。体が少し動きやすくなる。
「ふぅ・・・」 
 息を吐くと白かった。
 肌寒い風を体いっぱいに受けながら、肩にかけていたタオルに髪の水分を吸ってもらう。
 ゴシゴシ、と。
 きっと、もう少し丁寧に扱うべき私の長く老婆のような白い髪は、朝日を浴びて輝いていた。

服を着る。
 うちの高校は規則があまい。市内にただ1つの私服通学校であり、県内有数の進学校であり、金持ちの子供が溢れることに加え、生徒の頭髪はとても鮮やかだ。
 要するに、問題を起こさなければいいのだ。

 そう、――成績さえ良ければ。

 そういう高校なのだ。学校の成績を上げるために、校舎を広く高く清潔に保ち、また広く高く高潔な寄宿舎が用意されている。部活動だって大したモノだ。文化部においても運動部においても、より適した環境で活動できるように保たれている。一ヶ月の清掃、その他雑務における人件費が1千万を超えるのも頷ける。
 そのために、学費だって馬鹿にならない、成績を上げるために収集された文理特進クラスやスポーツ選抜入学でない生徒たちは、80%が財界人を親に持つ金持ちだ。

 私は特進クラスだから、その方面の心配はいらない。
 と言うが、別に下流な家柄なわけでもない。父は政界の人間であり、母は良家の箱入り娘だ。その おかげで、悠々自適な1人暮らしだ。親には寄宿舎暮らしを進められたが、それでは自由に夜遊びもできない。いくら放任主義な校則であっても、未成年の補導対象になる11時まで、生徒を自由にしていると社会に知られるのは、困る事態なのであろう。よって、寄宿舎の門限は10時なのだ。
 うん。これでは夜遊びができない。

服は柚葉に選んでもらったものだ。私自身、流行には鈍感なのだと承知している。
木曜。7時20分、少し前。
 鞄を持って鏡の前に立つ。よし、大丈夫。おかしくない。
 その瞬間、ケイタイの着信音が鳴り響く。軽快なガールズポップだ。
「――柚葉か?」 
「そーですよー。お迎えが遅くて、ちょっぴりブルーな柚葉ちゃんですよー。」
 靴を履き、家を出る。私の住むマンションは少し高台にあるから、今日のように空気の澄み切った晴れの日には、この国で最も高い山の頂が顔を出すのだった。
「もしかして、いま家を出たトコだったりするのかな?」
 がちゃんっと、ドアの閉まる音が聞こえたのか、柚葉がそんなことを聞いてくる。
「あぁ。もちろんだよ。」 
 軽快に答える。今日は少し気分がいいんだ。
「そんな良い声で答えられても困るよっ!いま何分か分かっているのかな!?」 
 耳からケイタイを離して、ディスプレイを見ると、光で肌の色がとんだ苦笑する私と馬鹿みたいに笑っている柚葉が写っていた。右上に時計が表示されている?22分だった。
「安心しな。まだ22分だ。」 
「そうですねっ!姫の家から2キロくらい離れた私の家に30分集合の7時22分ですねっ!」
「落ち着きなさい。学校の登校時間は8時30分までです。」
 下に降りるためのエレベーターは、私の階より5つ下の階にあった。
「あ、もしかして待ち合わせに遅れる気満々ですか?」
「柚葉、人間マイペースが一番だよ」
「こっ、コノヤロー・・・」 
 機械的な女性の声がエレベーターの到着を知らせてくれる。ドアが開きます。 
 乗り込む。閉まるボタンを押してから1階行きのボタンを押す。こうすると、先に1階行きのボタンを押すより3秒ほどの短縮になるのだ。
 ドアが閉まります。 
「わかったよ。急いでいくからもう切るよ?」
「あ、うん。いや、ゆっくりでいいや。転んだりしたら嫌だし。」 
「大丈夫だよ。私は柚葉みたいにトロくない。」
 やっぱり、柚葉はいい友達だ。
「絶対遅れたら許しませんっ!1分ごとにクレープを一本おごってもらいます!」 
「ハハッ、了解っ。じゃーね。」 
「うん。また後で。」
 電話を切ると、通話時間の右上には7:24と表示されていた。
 ちょっと、きついかも・・・。
 ドアがひら―
 全てを聞き終わる前に走り出た。外は心地よく晴れていた。
 燦々と降り注ぐ光がどうしようもなく私の気分を高揚させる。
―きます。ご注意ください。


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