真実告知板  武藤氏の足を引っ張るどうしょうもない義弟

2008/03/12 19:42

 

     足を引っ張るどうしょうもない義弟

 
 武藤次官の義理の弟(奥さんの妹の夫)山内恒夫氏は、超悪徳M資金ブローカーで
 
ある。
 
 同氏は常に武藤氏の義弟であることを吹聴し、最近はM資金の仕切りは、<自分と
 
武藤>でやっていると大言壮語している。
 
 また、武藤氏は同氏に三千万円の資金を提供していると言われている。
 
 山内氏が大日本インキの社長をM資金話に巻き込んで自殺に追い込んだのは、
 
知る人ぞ知るである。
 
 これは、武藤氏の紹介で、10年に一度の大物次官ともてはやされ小沢一郎氏と
 
も近い関係と言われるMrS次官のラインで、その先輩で故竹下登氏の縁続きと言わ
 
れるMrN氏を紹介される。
 
 そしてMrN氏の旧制一高最後の同年次で、動力炉核燃料事業団のMrM.T氏を
 
通じて大日本インキの社長(旧制一高~東大~大蔵省OB)と接触したものである。
 
その後山内氏は、同社長を毒牙にかけ自殺に追い込んだと言われている。
 
 山内氏は最近、中国で農業経営を大規模に展開している(株)田村の、田村社長
 
を取り込み、偽株を第三者に25億円で売却しようとして詐欺容疑で警察沙汰になっ
 
ている。
           
                                 山 路 信 義

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真実の告知板  鰻ャ「重箱」での椿事

2008/03/11 23:19

 

   ャ 重箱での椿事
 
 田中角栄氏と福田赳夫氏が自民党総裁を激しく争っていたとき、中曽根康弘氏の
 
去就が焦点であった。中曽根派では長老格の野田武夫氏は福田氏支持であったが
 
直前に急逝した。
 
 中曽根派の後援者と言っても、河野一郎氏の後援者であった、北炭の荻原吉太郎
 
氏、大映の永田雅一氏らは福田氏支持に回っていた。
 
 その時中曽根氏は永田町の鰻ャ「重箱」で福田氏の金庫番有田喜一氏とひそかに
 
会談し、派内取りまとめのため<50人×1000万円=>5億円を要求した。ケチで優
 
柔不断な有田氏は、その場で即答をせず持ち帰った。
 
 これを聞いた田中角栄氏は、いち早く中曽根氏を呼びキャッシュで5億円を渡し、中
 
曽根派を取り込んだのである。これで戦いの帰趨を決したのである。
 
 組閣にあたり大蔵大臣への就任を要望した中曽根氏に対し田中氏は、「5億プラス
 
大蔵は欲張りすぎる」としてこれを退け、中曽根氏は通産大臣になったのである。
 
                                   山 路 信 義
 

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 石橋湛山氏の辞任の真相

2008/03/11 22:16

 

   石橋湛山氏の辞任の真相
 
 鳩山内閣の後、石橋湛山氏と岸信介氏の間で壮絶な総裁争いが行われた。池田
 
勇人氏、三木武夫氏らの協力を得て石橋氏が勝利したが、組閣後しばらくして石橋
 
氏は病に倒れてしまう。
 
 石橋氏は対立候補として争った岸信介氏を副総理兼外務大臣に任命していたので
 
病気療養中の間、岸氏が総理大臣臨時代理をつとめることになった。
 
 実は病に倒れた時石橋氏は親しい御婦人のところに居たのであった。この時これを
 
うまく内密に処理して、事なきを得たのは岸氏の采配であった。
 
 後日病癒えて総理復帰に意欲を燃やした石橋氏に、復帰を諦めさせたのは岸氏
 
のみぞ知る事情のディスクロージャーであった。政権に恋々としない石橋氏の美談と
 
して語られていることは表であって、裏は正にどろどろした権力闘争だったのである。
 
                                     山 路 信 義
 

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シリーズ真実告知板  碩学の嘘

2008/03/11 00:20

 

  碩学の嘘
 
 <平野力三氏追放時の策略>
 
 戦後公職適格審査委員会が設置され戦争中の言動を審査し、当時の指導者等を
 
追放していた。この委員会を使って時の官房長官西尾末広氏は、平野力三氏を罷免
 
させ追放しようとした。平野氏は戦前から農民運動の指導者で社会党内閣で農林大
 
臣を歴任した大物であった。
 
 時の委員長は刑法学者の牧野英一氏であったが、西尾氏からの強い要請を受け
 
た牧野氏は票読みの末、東京大学教授の大河内一男氏(後の東大総長)に声をか
 
け「君の一票が棄権になっても可否同数になり私が決めざるを得ない、何とか反対
 
票を入れてくれないか、そうすれば賛成多数で可決でき委員長裁定に持ち込まなくて
 
済む」と、懇請された。
 
 お人好しの大河内氏は、反対票を投じたためその結果可否同数となり委員長裁決
 
で平野氏の追放が決まった。
 
 牧野英一氏は、なかなかの策士であった。これで平野力三氏は政界を追放され、
 
その後不運の人生を歩んだのである。
 
 
 <河野一郎氏の一面その2>
 
 池田内閣で建設大臣になった河野一郎氏は先ず人事交流という大義名分を立て
 
警察官僚の山本幸雄氏を事務次官に、平井学氏を官房長官にして建設省の人事を
 
掌握し、南部哲也氏を関東地建局長から日本住宅公団の理事にとばした。更に地方
 
の視察には私設秘書のWI氏を連れ歩き「この土地を買え、あの土地を買え」と、あた
 
かも不動産屋の如く振舞った。(当時関東地建局長南部哲也氏「後の日本住宅公団
 
総裁」の話)
 
 河野氏の指示で土地を買い集めたWI氏は、河野氏の急死のためその土地が開発
 
されず、倒産してしまった。
 
 南部氏に言わせると、建設行政が金になるということは建設省の役人は、河野氏に
 
教えられるまで考えも及ばなかったという。
                                   山 路 信 義
 

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シリーズ真実告知板  吉田茂氏のサボタージュが押し付け憲法を与えた

2008/03/10 10:45

 

  吉田茂氏のサボタージュが押し付け憲法の口実を与えた
 
 占領軍の押し付け憲法の口実を作ったのは吉田茂氏である。終戦後の日本にとっ
憲法改正は最大のイシューの一つであった。          
 
 これを見越して逸早く憲法改正案の作成に着手したのは岩淵辰雄氏を中心にした
グループである。その中には高野岩三郎氏も加わっていたが、この案はかなり斬新
的なものであった。
 
 岩淵氏は、憲法問題は戦後の日本政府が占領軍との折衝において第一級の課題
と認識しており、吉田茂氏にその任を委ねようと考え、あまり乗り気ではなかった近衛
文麿公を口説き落して吉田茂氏を外務大臣に送り込んだ。全て憲法改正の為であっ
た。
 
 しかし吉田氏はサボタージュを決め込み結局、松本蒸治氏の作った旧憲法の焼き
直しのような政府案を占領軍に提示し、アメリカ側を失望させまた怒らせてしまった。
 
 吉田茂氏は、近衛公の天皇に対する上奏文案事件で、東条英機氏を怒らせその子
分の憲兵司令官によって逮捕されたが、その時、岩淵辰雄氏、殖田俊吉氏も共犯者
として逮捕され、三名は約50日間拘留された。
 
 これは、吉田茂氏が上奏文案を岳父の牧野伸顕氏に見せたいと言って、手書きの
写したものを大磯の自宅に持ち帰り書斎に置いたところ、書生として住み込んでいた
憲兵に持ち出されて司令官に届けられたのである。
 
 この上奏文案は、岩淵辰雄氏が書いたものに近衛文麿公が手を入れたものであった。
 
 ちなみに黒足袋をはく近衛公は、白足袋の吉田氏を軽蔑していたという。
 
 また東条英機氏は一度内閣総辞職をした後、この難局は自分以外は乗り切れな
い、なお昭和天皇の信任があると考え、再度の大命降下を心中ひそかに期待してい
たのである。
 
                                   山 路 信 義
 
 

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小澤一郎氏と竹下登氏の暗闘

2008/03/10 02:46

 

  小澤一郎氏と竹下登氏の暗闘
 
 ① 小澤氏は熊谷弘氏(元通産省の役人)を通産大臣にして内藤某局長の首をきら
  せた。熊谷氏はいわゆる四人組の協力を得てこれを断行した。
   これは竹下氏に対する挑戦であった。内藤氏は竹下氏の秘蔵っ子で、竹下氏の
  アメリカ政府高官らへの密使役を務めていた。この時竹下氏は小澤氏の意図を、
  いち速く察知し当時の総理大臣細川氏に「内藤をきると君も返り血を浴びるぞ」と
  警告してこの企みを止めようとしたが、もとより細川氏には小澤氏の傍若無人の
  横暴を抑える力など初めからなかった。内藤氏を失った竹下氏は細川氏に酬いる
  に、いわゆる佐川急便スキャンダルの暴露を以ってしたのである。京都の細川邸
  事件がそれである。
 
 ② 佐川急便事件に端を発したスキャンダルは遂に金丸氏にまで及んだが、小澤
  氏は金丸氏を生け贄にして、自分は金丸氏を見放し逃げ切った。
 
 ③ 日米貿易交渉で談合問題が起こった時も、その決着は小澤氏とアマコスト駐日
  米国大使の間で決着したのであるが、小澤氏はお金の大好きなアマコスト氏を金
  で籠絡した。アマコスト氏はブッシュ大統領が選挙で負けクリントン大統領に交代
  した時に、体よく辞任して身を引いた。そのときの公共事業投資を向こう10年間で
  600兆円とすることを決めたのは、土建屋から金をせしめる為に日米交渉の名を
  かりた小澤氏の暴挙である。
 
 ④ 小澤氏が自民党を離党する時、羽田孜氏の去就が最大の注目だったが、羽田
  氏は小澤氏の「君を総理大臣にする」という甘言に乗せられ、竹下氏の制止を振      
  り切って小澤氏と行動をともにした。しかし金金金の小澤氏は羽田氏との約束を
  果たさず、お金の臭いを嗅いで細川氏を総理大臣に擁立した。結局細川氏の後
  に羽田内閣は誕生したが、それも直ぐ小澤氏につぶされてしまったのである。
   もし竹下氏の忠告を聞いて羽田氏が自民党に踏みとどまっていれば、橋本氏
  より先に総理大臣になっていたと、惜しんでも余りある。(勿論それほどの才覚の
  ある男ではないが)
 
 ⑤ 小澤氏の本質を見抜き小澤氏から離れた熊谷氏も結局野垂れ死にをした。
  金丸氏、細川氏、羽田氏、熊谷氏らは小澤氏に利用され、捨てられた犠牲者達で    
  ある。

 ⑥ 小澤氏は中曽根氏に、自分が尊敬する日本の三大政治家の一人であると心
  にもないことを口にして籠絡しようとしたことがある。その三人とは、聖徳太子、大
  久保利通、中曽根康弘氏と言うのだ、ここまで言うと出任せの妄言といわざるを
  得ない。
   小澤氏とは誠実さのかけらもない典型的なオポチュニストで、小池百合子氏の
  言う理念など微塵もない男だ。
 
                                山 路 信 義                        
 

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武藤敏郎氏が日銀総裁になると日本はつぶれる

2008/03/08 23:41

 

武藤敏郎氏が日銀総裁になると日本はつぶれる。

 武藤氏の国際的評価は、ゼロ以下である。特にアメリカの評価はマイナスである。

したがって、もし武藤氏が日銀総裁になると在任中は、特殊資金が一文も入ってこな

くなり日本国はバンクラプシーの坂を転げ落ちることになる。

 その他の理由を列挙すると、

そのⅠ  そもそも武藤氏は竹下登氏の庇護を受け、出世街道を突っ走ってきた。

 あのノーパンしゃぶしゃぶ事件の時も、一階級降格されたがその時すでに事務次官

のポストを約束されていたという。

そのⅡ  能力、手腕が全く未知数であり、旧大蔵官僚の日銀支配が再来する。

そのⅢ  竹下登氏の庇護を受けすぎたため、故竹下氏の負の遺産を背負わされて

 おり、そのため暴力団とのつながりが深い。また義理の弟(奥さんの妹の夫)山内

 恒夫氏は、知る人ぞ知る悪徳M資金ブローカーである。

 最近(昨年)M資金にからみ、武藤氏の名前で呼び出された、某超大手の鉄鋼メー

 カーの社長が暴力団山口組系の組長と、北朝鮮のヒットマンに軟禁され、念書の様

 なものを書かされて解放されている。これは武藤氏の義弟の山内氏が絡んでいる。

  また、武藤氏が広域暴力団幹部のいわゆる装甲車(防弾ガラス付き自動車)で、

 護送されているのが目撃されている。

日銀総裁に武藤氏を陰で推しているのは、小泉純一郎氏と言われている。小沢一郎

氏は、斉藤元次官の意向を汲んで、民主党内の反対派を押さえ込もうと必死である。

                                    山 路 信 義

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シリーズ真実告知板

2008/03/08 23:16

 

<シリーズ真実告知板> 

 ① 渡辺恒雄氏は民主主義の敵、ファッショだ
 
 大連立構想は民主主義の否定である。憲法の規定を骨抜きにするファッショ思想
である。
 
 現行憲法下の二院制は衆議院参議院のそれぞれの役割を明記してある。衆議院
で可決された法案を参議院が否決した場合、予算案と総理大臣の指名、条約の批准
等を除き、衆議員の3分の2以上の再可決により決着がつくようになっている。
 
 したがって、その規則通りに運営すればよいのであり、これが民主主義というもので
ある。
 
 民主主義の本質はその手続(手段)である。目的のために手続(手段)を無視し手
続そのものを骨抜きにする便宜主義に堕することは、絶対にしてはならない。
 
 今回の大連立を主導する渡辺恒雄氏は民主主義の否定者で、ファッショである。若
い時代に共産主義者であった渡辺氏は、その共産主義が骨まで染み付いているとし
か言いようがない全体主義者であり、学生時代から一つも変わっていない。恐るべき
ファッショであり、戦前の大政翼賛会思想に通じるものである。まさに民主主義の敵で
ある。
 
 
② 自民党は何故武藤敏郎氏にこだわるのか
 
 武藤敏郎氏は竹下登氏の申し子である。竹下氏が生前裏で日本を支配しようとし
数々の悪事を働いた、その後始末がついていない。それを隠密裏に後始末するととも
に温存させるために武藤氏が必要なのである。
 
 そして、竹下氏の悪の部分を未だ引き継いでいる小澤一郎氏にとっても、武藤氏が
必要なのだ。
 
 民主党の良識の士よ、小澤氏が引きずっている竹下氏的なものを断ち切るために
も、武藤氏案をつぶすべきである。武藤(日銀)~(竹下的)~ヤクザの連合は、断じ
てつぶさなければ日本は闇だ。  
 
                                 山 路 信 義

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真実告知板  誰も語らなかった真実

2008/03/07 21:24

 

  誰も語れなかった真実
 
① 河野一郎氏の一面(強権的)
 
 河野一郎氏は河野洋平氏の父であるが、農林大臣に就任すると、農地転用の届出
申請を5000坪以上は大臣決裁に改めた。折から高度成長で設備拡張競争をしてい
る企業の工場建設ラッシュで、農地転用の申請は多発していた。
 
 このとき河野氏は、農地の転用に関する行政事務に直接関与し、当時の金で五千
万円の政治献金を持参しない企業の申請書類は大臣の机の上に山積して放置した。
当時経済界を牛耳っていた池田勇人に対抗しての資金集め策であった。
 
 かつて、吉田内閣打倒で共に戦った三木武吉氏の遺言は、「河野だけは総理の座
に就けてはいけない」ということだった。
 
 三木武吉氏はこの遺言を子分の宇田耕一氏(元科学技術庁長官)に託している。
 
 
② 田中角栄氏の一面(悪知恵)
 
 国鉄総裁は戦後、下山定則氏以下、加賀山之雄氏、長崎惣之助氏と不運続きで
あったが、元満鉄総裁、鉄道大臣まで務めた大物の、十河信二氏に白羽の矢が立
てられた。十河氏は新幹線の建設を進めた人物である。当時労働問題と赤字タレ
しが国鉄を危機的状態にしていた。
 
 十河氏は就任受諾の条件として代議士の新線建設の陳情は一切断るということで
就任した。
 
 知恵者の田中角栄氏は早速、鉄道建設公団法を議員立法で成立させ、そこに新線
を創らせその運営を国鉄に押し付けた。そのため国鉄の赤字は膨らむ一方であった。
 
 国鉄の赤字を増大させ破滅に追い込んだ張本人は田中角栄氏である。
しかも、当時の大蔵大臣水田三喜男氏にいわせると予算単価が、国鉄100に対し
鉄道建設公団は110だと憤慨していたが、10%分はどこにいったのだろうか?
 
 国鉄の労働組合対策を破綻に追い込んだのは、保利茂氏である。沖縄返還の条
約批准案を国会通過させるため当時の社会党と取引して、労組に対する正常化を目
指した攻撃的労務対策を全て中止させることを交換条件にしたのである。保利氏の圧
力に磯崎叡国鉄総裁は泣く泣く屈服した。
 
 田中氏と保利氏の二人のために国鉄は奈落の底に落ち込んだともいえる。
 
 
③ 竹下登氏の一面(詐欺的)
 
 竹下氏は当時の三井グループに、5兆円を用意すれば30兆円を運用させてやると
岡田頭取を騙し5兆円を用意させ、それを全額使い込んでしまった。
 
 この件は、結局中山素平氏が小山五郎氏の依頼を受け穴埋めしてことなきを得た。
しかしその後遺症は今でも残っている。三井住友、特に岡田元頭取はいまだ5千億
円の個人的債務をかかえている筈である。
 
                                  山 路 信 義
 
 

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 小澤一郎氏の政治行動は全て金の一字で貫かれている。

2008/03/06 23:47

 

  小澤一郎氏の政治行動は全て金の一字で貫かれている。
 
 竹下登氏と金丸信氏の仲を裂いたのは小澤一郎氏だ、竹下登氏の弟竹下亘氏と
 
小澤一郎氏の両婦人は姉妹である。また、竹下登氏の娘は、金丸信氏の息子の嫁
 
であり竹下、金丸、小澤、三氏は親戚同士である。
 
 竹下登氏はリクルート事件中曽根康弘氏を救うために、内閣を投げ出したのだ
 
が、既に竹下氏が総理大臣の頃から金丸氏との間には隙間風が吹いていた。
 
 竹下氏が総辞職したあと宇野内閣を造った頃から、金丸氏の竹下氏に対する不満
 
と不信感が大きくなっていた。
 
  海部内閣で幹事長になっていた小澤氏は、宮沢内閣を造るとき総理大臣に手を挙
 
げていた宮沢氏ら三人を面接したことは良く知られている。
 
 その頃から小澤氏は竹下氏と金丸氏の間に更に楔を打ち込み、一方で竹下氏の
 
資金源を潰し自分が取って代わりそれを独占しようと、竹下氏に攻勢をかけた。そこ
 
で竹下氏と小澤氏の真正面からの暗闘が始まったのである。
 
 結局不信任案を可決させ宮沢内閣を解散に追い込み自民党を野党に追い込んだ
 
のである。これも全て金のためである。
 
 金丸氏が元社会党のT氏と北朝鮮を訪問し金の延棒を貰ってくると、直ちに小澤氏
 
は、土井たか子氏を誘って訪朝し銭を貰いに行った。
 
 後日小澤氏は細川内閣で土井たか子氏を衆議院議長に祭り上げたが、これはそ
 
の時の悪事が露見するのを恐れた口封じであった。
 
 因みに小泉純一郎氏が訪朝する前に北朝鮮に行った日本の歴代代議士は党派
 
を問わず皆、なにかしかの現ナマを貰ってきている。あの伊東正義氏ですら最後に
 
は断りきれずに受け取っている。
 
 それほど北朝鮮は巧妙で強引な手口で金を受け取らせたのである。だから拉致と
 
いわれる誘拐事件を、訪朝した国会議員は一人も口にしなかったのである。
 
 これら国会議員が受け取った現金はもともと日本から北朝鮮に送金されたもので
 
ある。
 
                                    山 路 信 義
 

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