第二のDrシュナイダーはいないのか
Dr エドウィン アーサー シュナイダー氏はアメリカ大統領ドナルド レーガン氏の
外交を取り仕切った人である。
レーガン氏とゴルバチョフ氏(ソ連大統領)、レーガン氏と鄧小平氏、レーガン氏と
中曽根康弘氏、これらの交渉は国務長官のシコルツ氏ではなくDrシュナイダー氏が
実質取り仕切ったのである。
ミネソタ大学の学長などを歴任した後、レーガン大統領の外交顧問として大役を果
した。
その間唯一イラン・コントラ事件はレーガン氏が、Drシュナイダー氏が不同意なの
を知り乍ら秘かに直接実行したのであるが、そのときDrシュナイダー氏はそれを不
満としてパームスプリングの自宅に帰ってしまったのである。
半年後結局大統領の方からパームスプリングを訪ね、侘びを入れて元に復した
事があるが、殆んど大統領の重大な外交案件は、Drシュナイダー氏が仕切ったの
である。
級の大統領であり、又アメリカ外交に偉大な成果をもたらしたが、そのすべてにDr
シュナイダー氏の働きが大きく寄与しているのである。
Drシュナイダー氏は高潔な人格で、会った人々全てに感銘を与え、尊敬と信頼を
もたらした。
している外交課題はレーガン時代より、より複雑で、より困難であるといえる今第二
のDrシュナイダーの出現が熱望されるのである。
山 路 信 義
新聞情報の危険
かつて読売新聞の囲み記事に、総理大臣を辞任した中曽根康弘氏のところに前ア
メリカ大統領ドナルド レーガン氏からの電話が入って「互いにシニアーステイツマン
として後輩の指導にあたろう」と語り合ったということを紹介していたが、既にロンヤス
関係は中曽根氏のチョンボで解消されていたレーガン氏が、電話する理由は全くない
筈であり記事に不信感を持った筆者はアメリカに確認を取ったところ、実は中曽根氏
からセンチュリーシティーのレーガン事務所に電話があったが、レーガン氏は外出中
だった。
事務所に戻ったレーガン氏が中曽根氏からの電話の件を聞き、中曽根氏に電話を
入れたものであり、コラムの内容とは微妙に違った話しになっていた。
アメリカの信用を失った中曽根氏はその後三度ブッシュ大統領(現在のブッシュ大
統領の父)との面会を模索したがその都度断られてしまった。
最後にカーター大統領がブッシュ前大統領に会うときそれについて行って一緒に面
会出来たのであるが、ことほど左様にアメリカから無視されていた。
これは中曽根首相として最後の訪米にさいし後藤田正晴氏が難癖を付け「太平洋
シーレーン問題」で中曽根氏の信用を失わしめたためである。
しかし報道に携わる人はいいかげんな記事を作ってはいけない、これはおそらく
辺恒氏が記者に書かせたのかも知れないが、読者に対してもっと責任をもってもらい
たい。
山 路 信 義
1 田中角栄氏 約100兆円を中国に渡した。
2 福田赳夫氏 約200兆円を中国に渡した。
鄧小平の誕生日には日帰りでお祝いに行っていた。
6年前に漏洩した秘密文書で中国に1000兆円を手交する
という密約をしていたことが判った。
3 竹下登氏 三重野康氏と組んで、発行済番号と同じ番号で一万円札を
印刷し中国に渡した。(現在日本で出回っている聖徳太子
の旧一万円札にもこの札が?)
4 後藤田正晴氏 三菱銀行のK氏と組んで日本円を現金でフィジカリーに運ん
だ。
5 橋本龍太郎氏 中国軍の首脳の娘を妾にし、子供をつくり、ニューヨークに
住まわせている。
日本の電波を中国共産党の機関紙新華社通信に与えた。
6 河野洋平氏 周知の如く中国の指しがねで歴代総理を呼びつけ小泉氏
の靖国神社参拝をやめさせようとした。
旧日本軍の兵器処理のために裏金を中国に渡し、後藤田
氏と組んで処理事業を請け負い荒稼ぎをした。
7 小沢一郎氏 すでに私のブログ読者諸兄姉ご承知の通り。
山 路 信 義
続中曽根康弘氏と竹下登氏の密約
秘密委員会(シークレット コミッティー)は正式に認知された委員会ではなく、お手
盛りのものであったが、日本国政府との間ではそれなりの存在ということになった。
後日リクルート事件が起きて中曽根氏が逮捕される恐れがでたとき、竹下氏は自ら
の内閣を投げ出して中曽根氏を救ったのであるが、さらに中曽根氏が逃げ切るため
に藤波孝正氏が生贄にされた。
この時中曽根氏は総辞職後の竹下氏に秘密委員会の委員長を譲ると約束してい
たのであるが、知らぬ顔の半兵衛をきめこみ、しばらく辞める気配も見せなかった。
結局竹下氏が委員長に就くのはしばらく後になってからであった。
この委員会は飽く迄お手盛りであっても、それなりの存在は認められたようで、委員
長になった竹下氏はこれを拠所にして数々の詐欺的暗躍をすることになった。
その詳報はまだ開示するのはここ当分控えることとしたいが、勿論追って詳しく開示
する積りである。
山 路 信 義
中曽根康弘氏と竹下登氏の密約
中曽根康弘氏が竹下登氏に政権を譲ったときの密約。
二人は共同謀議で秘密委員会(シークレット コミッティー)を創設し、日本に入ってく
るいわゆる特殊資金の管理分配の権限を握ろうと企図したのであるが、その委員会
の委員長に竹下氏が中曽根氏を押すということを密約した。
それが決め手となって中曽根氏は後継者に、竹下氏を指名したのである。しかしこ
のとき既に特殊資金は入らなくなっており、有名無実の存在となってしまった。
竹下内閣が出来ると中曽根氏は読売新聞の渡辺恒雄氏を使って百兆円の大事業
構想をぶちあげ、ゴビ砂漠の緑化事業と第二パナマ運河の建設を支援すると発表さ
せた。
また、中曽根内閣の外務大臣だった安倍晋太郎幹事長に、日米親善のための新し
い組織をつくり、それに30兆円の資金を支援すると新聞発表させ世界特にアメリカに
アピールした。
それと併行して中曽根氏と後藤田正晴氏は、平和戦略研究所構想を発表した。
これは財界、学会、の指導者を巻き込み現職の官僚を配下に組み込む大風呂敷で
あった。これを実質的に内閣の上におき日本の政治なかんずく外交政策を支配しよう
と企てた。
しかしこの企ては、アメリカからの横槍が入ってシュリンクしてしまった。すでにロン
ヤス関係は破綻しアメリカの信頼を失っていたのであるが、中曽根氏と後藤田氏の
日本国を実質支配しようとする野望はすざましいものだった。 (明日につづく)
山 路 信 義
康夫君早く総理を辞めなさい
内閣総理大臣福田康夫氏は早稲田大学を卒業して丸善石油に就職した。丸善石
油で課長までなった時にオイルショックが起きた。
彼は中近東から石油を持ってくると豪語し、タンカーをペルシャ湾に派遣したが空振
りに終わった。この企画で会社側に損害を与えた彼は、丸善石油に居ずらくなったの
か同社を退社して、弟の横手征夫氏に取って代って父親福田赳夫外務大臣秘書とな
り、その後総理大臣の秘書も勤めた。
苦労人の横手征夫氏は、「僕が代議士になっても偉大な父を超えられない、だから
終身父福田赳夫の秘書でいるつもりだ。」と言っていた。
それに比べノー天気の康夫氏は遅れて政治の道を志した。しかし石油をしくじった
男に総理大臣はドダイ荷が重過ぎる無理な話だ、よく自らの分を弁え速やかに総理
大臣を辞任することをお勧めしたい。
康夫氏が1日長くいればそれだけ日本は中国に侵食される。中国の走狗康夫氏の
速やかな退陣を切望するものである。
山 路 信 義
第20報 三木武吉と鳩山一郎
反戦、反東条、反大政翼賛会の政治家でありながら三木氏と鳩山氏は戦前は、
互いに相い容われない関係にあった。
偶々終戦前鳩山氏が関西に旅行することを聞いた岩淵辰雄氏が鳩山氏に、三木
武吉氏のところを訪ねたらよいと助言した。
鳩山氏は岩淵氏の助言通り三木氏を訪ねたのである。ともに不遇をかこっていた
二人の間に何があったのか、何が語り合われたのかは余人の与り知らぬところであ
るが、追放解除後の三木氏は鬼神のような活躍で吉田内閣を倒し鳩山内閣を作った
のである。人の出会いの妙である。また、先の先を読む岩淵辰雄氏の面目躍如たるも
のがある。
のがある。
三木武吉氏と我が国の原子力研究
いわゆる原子力三法を成立させ日本の原子力研究の扉を開けたのは鳩山内閣の
アメリカが日本での原子力研究にゴーサインを出したのに対し、共産党を中心とする
学者、研究者はこぞって反対を唱えた。日本学術会議も反対だった。これを、岩淵辰
雄氏の強力な進言を受けて特別国会において原子力関連三法、原子力基本法他を国
会に提出し通過させたのは三木武吉氏である。
学者、研究者はこぞって反対を唱えた。日本学術会議も反対だった。これを、岩淵辰
雄氏の強力な進言を受けて特別国会において原子力関連三法、原子力基本法他を国
会に提出し通過させたのは三木武吉氏である。
この時若手代議士として活躍したうちの一人が中曽根康弘氏である。追って科学
技術庁が発足するが、岩淵辰雄氏の発意で出来た役所であり岩淵氏はその後逝去
されるまで科学技術庁の顧問であった。中曽根氏は岸内閣で科学技術庁長官に任命
されている。
されている。
山 路 信 義
武藤敏郎氏の不敵な微笑が見える
今日の日本の金融の混乱、機能不能の源は竹下登氏による掠め取りにある。その
竹下氏に協力したのが三重野康元日銀総裁である。
竹下氏に協力したのが三重野康元日銀総裁である。
竹下氏が掠め取った金はあちこちに小口、といっても10億円オーダーの単位で隠さ
れている。その一部を貰った者のなかには、安倍晋太郎氏、青木幹雄氏、竹下亘氏
(竹下登氏の異母弟)、らがいる。この詳細を全て承知しているのが竹下登氏のフェイ
バリット武藤氏なのである。
れている。その一部を貰った者のなかには、安倍晋太郎氏、青木幹雄氏、竹下亘氏
(竹下登氏の異母弟)、らがいる。この詳細を全て承知しているのが竹下登氏のフェイ
バリット武藤氏なのである。
武藤氏は自らを副総裁にしてくれた小泉純一郎氏のためにも裏舞台で縦横の活躍を
したのである。小沢氏が民主党総裁に就任したのち竹下亘氏から相当の資金が流れ
ている。参議院選挙で小沢民主党が大勝したのもこの金が偉力を発揮した。
したのである。小沢氏が民主党総裁に就任したのち竹下亘氏から相当の資金が流れ
ている。参議院選挙で小沢民主党が大勝したのもこの金が偉力を発揮した。
ちなみに、いわゆる郵政選挙で小泉自民党が大勝したのも小泉氏のみ「資金が潤
沢」だったからであり、これは武藤氏に負うところが大きい。言うなれば武藤氏はこれら
の輩の弱味を全て握っているのである。しかも武藤氏の背後には山口組が控えてい
る、これが竹下登から引き継いだ負の遺産である。
沢」だったからであり、これは武藤氏に負うところが大きい。言うなれば武藤氏はこれら
の輩の弱味を全て握っているのである。しかも武藤氏の背後には山口組が控えてい
る、これが竹下登から引き継いだ負の遺産である。
かつて九州電力のW社長がM資金話の犠牲となって1千億円以上の手形を自ら決
済し自殺しているが、それも竹下氏の毒牙にかかったのである。その時竹下氏に協力
させられたのが住友銀行のI頭取と、第一勧銀のM頭取である。のちにこの二人とも非
業の死を遂げている。
済し自殺しているが、それも竹下氏の毒牙にかかったのである。その時竹下氏に協力
させられたのが住友銀行のI頭取と、第一勧銀のM頭取である。のちにこの二人とも非
業の死を遂げている。
福井氏も日銀理事、副総裁時代に竹下氏の裏仕事に協力させられその均霑に浴し
ている。ここで竹下的なものを一掃して日銀を立て直さないと、日銀はご臨終である。
福田氏の背中越しに小泉氏と小沢氏の顔が見える。
ている。ここで竹下的なものを一掃して日銀を立て直さないと、日銀はご臨終である。
福田氏の背中越しに小泉氏と小沢氏の顔が見える。
山 路 信 義
北方二島は絶対に還ってこない
吉田内閣を倒し新内閣を組織した鳩山一郎総理大臣は、日ソ国交の樹立をスロー
ガンとして外交活動を展開した。
そして鳩山総理大臣は重光葵外務大臣、河野一郎農林大臣、松本英一氏とともに
全権としてソ連に赴いた。
そこでフルシチョフソ連共産党書記長と河野一郎氏の単独会議を開き、河野氏が、
2島返還案であるソ連の要求をのんで秘密協定を交わした。この時点で日本は2島
を放棄してしまったのである。
河野氏はその交渉と引き換えに北洋漁業の権利を確保し、日露漁業,大洋漁業の
利権を取得した。
これら一連の河野氏の動きの一部始終を観察していたアメリカは鳩山内閣の外交
政策に重大な不安と不信感を持つに至った。
アメリカの不安、不満、不信を解消し、日米間の信頼関係の維持が喫緊の重大事と
なった。
手を打たねばならないという岩淵辰雄氏の進言を入れ三木武吉総務会長は急遽、
訪米した岸氏はその務めを十二分に果たし自らアメリカの信頼を得ると共に日米信
頼関係の維持に成功したのである。
山 路 信 義
by yamaji
真実告知板 世界に冠たる日本…