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2008-08-14 21:44:36

在日朝鮮人の「国籍」について

テーマ:在日朝鮮人「問題」
 この話を先にしておかないと色々説明が面倒だと思いつつも、説明するのが面倒で書いてませんでした。けど「朝鮮」籍を=「朝鮮民主主義人民共和国」の国籍と勘違いしている人も多いし、未だにメディアで「北朝鮮籍」なる摩訶不思議な表現もたまに目にするので、少々説明をしておこうと思います。ちょっと長いけど根気強く付き合ってください。

 日本による植民地時代、朝鮮人は日本国籍を有していました。そして日本の敗戦による朝鮮の解放後も、日本にいた在日朝鮮人は日本国籍のままでした。しかし1947年に入り、在日朝鮮人の日本社会における処遇と関連して重要な転機が訪れました。

 天皇の最後の勅令として外国人登録令(1947年5月2日公布・施行勅令第207号)が発布されると、その第11条は「台湾人のうち法務総裁の定めるもの及び朝鮮人は、当分の間、これを外国人とみなす」と定めました。これにより旧植民地出身者は、日本国籍を有しているのに外国人と扱われ、一度日本国外に出ると「再入国」を禁止され、また外国人登録証明書の常時携帯を義務づけられるなど、日本政府にとって治安管理の対象として扱われたと言えます。

 外国人登録令の発布を受け、1947年の8月から9月にかけて全面的に実施された外国人登録において、在日朝鮮人の「国籍表示」はすべて「用語(記号)」としての「朝鮮」と表記されました。しかし1948年に南北両政府が成立すると、韓国政府及び民団(1946年10月3日結成)の強い要望のもと、第一回切り替え(期限3年)の1950年以降から、「朝鮮」から「韓国」に記載変更をする人が現れてきました。

 そして、法務府民事局長通達(1952年4月19日付民事甲第438号「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」)により、1952年4月28日午後10時30分、サンフランシスコ平和条約の発効とともに旧植民地出身者の日本国籍は一方的に失われる事となりました。この事実は、今日の在日朝鮮人の国籍問題を考える上でも重要であると思います。

 話をここで一旦整理すると、①在日朝鮮人は日本国籍を有したまま「朝鮮」という「記号」で「外国人登録」をされた②大韓民国樹立後、「韓国」籍に変える者もいた③サンフランシスコ講和条約の発効とともにその恣意的な解釈により在日朝鮮人の日本国籍は一方的に奪われた、という流れになります。

 つまり日本において法的に「朝鮮」籍と朝鮮民主主義人民共和国の間には、直接的になんら関係がありません。しかし「韓国」籍所有者はちょっと違います。

 1965年6月に日韓基本条約が締結されると、同時に「在日韓国人」の法的地位協定が締結され、正規の国籍となった「韓国」籍の所有者には「協定永住権」申請の資格が与えられました。「用語」における「朝鮮」籍保有者との処遇における大きな格差が生じ、そのため多くの者が「韓国」籍に切り替える事になったのです。永住権等を巡っては、今は「朝鮮」籍所有者にも「特別永住」の資格が与えられるようにはなりましたが、「朝鮮」籍はいまだ国籍では無く、「用語/記号」としての意味しか持っていないと言えます。

 ただこの「韓国」籍も、即ち「大韓民国」国籍かと言われれば留保が必要です。例えば川崎フロンターレに所属し、W杯予選でも朝鮮民主主義人民共和国の代表として活躍している鄭大世は「韓国」籍です。僕の「韓国」籍の後輩は、大韓民国のパスポートを所有していますが、朝鮮民主主義人民共和国のパスポートも所有できます。これは国際法上重要となってくる南北両政府の在外同胞に関する法律と関係しているはずです(すいません、もうちょっと調べてみます)。

 一方「朝鮮」籍の自分は、「韓国」籍に変更し大韓民国に在外国民登録をしなければ大韓民国のパスポートを所有できません。「朝鮮」籍は国籍ではないので、海外に行く時は日本政府が発行する再入国許可証を持って、韓国に行く時は俗に「臨パス」と言われる「旅行証明書」をその都度発効してもらって行きます。その手続きも、福岡の韓国領事館は比較的良心的と言われていますが、韓国への渡航理由書と向こうでの日程表などの提出を求められます。「ご相談」という名の面接もあり、以前は相当いやらしい思想点検が行われていたそうです(直接聞いたのは大阪や東京の話ですが)。この度自分も留学関係で、「ご相談」の為に呼び出されるかも知れないそうです。

 この在日朝鮮人の国籍について講演会などで同時に話させていただく事は、自分の預かり知らぬ所で自分の国籍が変わるという事です。日本の外国人登録証明書には「国籍など」として朝鮮、再入国許可書には「Nationality(国籍)」が「朝鮮」とされていますが、アメリカのVISAには「PRK」、つまり朝鮮民主主義人民共和国になっています。そして韓国の旅行証明書ですが、これがまた時期によって違って、ただ「KOREA」もあれば「REP.OF KOREA」つまり大韓民国になってるのもあります。在日朝鮮人にとって国籍は自分で決められないものなんですね。

 このように自分で書いてても複雑で、また勉強し直してもっとわかりやすく書かなければならないのですが、最後に自分がいくつか懸念している事を書かせてください。

 民主党が永住外国人への地方参政権を付与しようと言う法案を作っているみたいですが、岡田かつやのブログを見る限り、「北朝鮮の方」は国交もないし望んでもいないから排除するそうです。ここで言う「北朝鮮の方」はおそらく「朝鮮」籍の在日朝鮮人を指していると思いますが、「朝鮮」籍=朝鮮民主主義人民共和国なのでしょうか?(民主党の提言もありました。)

 確かに在日本朝鮮人総連合会は、朝鮮民主主義人民共和国の海外公民団体を自認していますが、総連には「韓国」籍も「日本」籍もいるし、総連と関わる人には様々な想いのグラデーションもあります(民団と「二股」をかけてる人も多数います)。それに「朝鮮」籍在日朝鮮人の中には、朝鮮民主主義人民共和国を積極的に支持する理由から「朝鮮」籍を保持し続けている人も入れば、そこに「一つの朝鮮」、統一への想いを込めている人もいるし、日韓条約に反対する立場から韓国籍を選択しない人もいます。このような多様な在日朝鮮人の想いを、乱暴に分類する事には大反対です

 一部では日朝国交正常化が行われると、「朝鮮」籍は朝鮮民主主義人民共和国の国籍へと自動的に移行するという話もあります。上記の理由からも自分は反対です。こういう事ばっかり言ってると、中にはこういう人もいます。「結局お前は北なのか南なのか、それとも日本国籍を取るのか」。僕はそのような問いの枠組み自体を突き返して行く事が大事だと思います。

 最後に日本国籍を取得した在日朝鮮人について、自分の不勉強もありあまり書く事が出来ませんでした。「帰化」と言う表現の意味も含めて、改めて書こうと思います。ダブルの子供の国籍についても書けたら書きます。また所々説明不足や自信が無い点もあるので、間違いや知ってる情報があれば是非コメント欄に寄せてください。共に学べればと思うので、よろしくお願いします。

コメント

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■朝鮮籍は朝鮮総督府籍です

 はじめまして。私は以前にSCSに在籍していた者で韓国籍の優れた方々(スポーツ情報学の専門、Oさん。キリスト教
専門のChさんなど)には今も敬服しています。

 その上で申し上げますが、「朝鮮籍」に関するktaesikさんの認識は少し事実と異なっています。朝鮮籍は北朝鮮
籍ではありません。「朝鮮総督府籍」です。

 朝鮮半島、台湾出身などの日本国籍保有者が日本国籍を失ったのは事実ですが、これは日本の敗戦直後に連合国
側が朝鮮半島や台湾などの人々に対して「君らは戦勝国でも無ければ敗戦国でも無い第三国人だ」と説明した経緯が
あるからです。(この時点で「第三国人」という用語に悪い意味はありませんでした。単に戦勝国でも敗戦国でも無いと
いう意味に過ぎなかったからです。その後、日本において「三国人」という表現が悪い意味を持つようになったのは、一部の
第三国人が「自分たちは戦勝国民だ」と言って非合法的活動を行ったためです。
 朝鮮籍から「韓国籍への変更」ができたのに「北朝鮮籍への変更」ができなかった一因には「北朝鮮は朝鮮半島の
一部でクーデターを起きている地区に過ぎず国家では無い」という前提が日本だけでなく韓国にもあったこともあります。
その前提で日韓の間で条約が結ばれ「経済協力」という名目で日本から韓国へ多額のお金が支払われていますが、
この時に韓国側が「北朝鮮はクーデターを起こしている地区に過ぎないから、北朝鮮地区に対する経済協力金も
韓国政府に支払え」と主張し日本はこれに応じています。
 さらに申し上げれば、現在日本に残っている在日の人々の多くは、日本が統治する以前に白丁と呼ばれる奴隷
階級であった人々や、「4.2事件」として知られる虐殺事件から命からがら逃げ出してきた人々が中心です。いわゆる
「強制連行」によって渡来した人々は戦後に百数十万人が帰国しており、このことは民団の青年部が出版した
「アボジ本当の歴史を教えて」という書籍にも記されています。

(併合を植民地化と読み替えていただいて構いません)

■台湾より…

ご無沙汰しております。以前、メールでやり取りさせてもらった冨永です。初めて知ったこともあり、興味深く読ませていただきました。その中で一点、気になった事があったので、教えて下さい。

1947年に公布された「外国人登録令」の第11条で、「台湾人のうち法務総裁の定めるもの及び朝鮮人は、当分の間、これを外国人とみなす」ということですが、気になるのは、「台湾人のうち法務総裁の定めるもの」という表現がイマイチ分からないのです。

「朝鮮人」であれば、法務総裁の意志に係わらず「外国人扱い」され、しかし「台湾人」の場合は、「総務総裁の定めるもの」のみ「外国人扱い」だった、ということになりますよね?そうすると、「戦後」の日本で、朝鮮人と台湾人の処遇は同じではなかったことになります。

これについて、何か知っていましたら、お教えいただきたいと思い、コメントした次第です。よろしくお願いいたします。

■とんさま

 初めまして。そしてコメントありがとうございます。

>朝鮮籍は北朝鮮籍ではありません。「朝鮮総督府籍」です。

 まず僕が「朝鮮」籍は「北朝鮮」籍では無いと書いている事を確認していただいた上で、「朝鮮総督府籍」という点についてもう少し教えていただけませんか?これは植民地期に作られた「朝鮮戸籍」に登載された者という意味でしょうか。

 また1945年11月3日にGHQは朝鮮人及び旧台湾省民を「出来る限り解放国民として処遇する」と声明を発表していますが、「第三国人」と言う表現を使ったのでしょうか?これは在日朝鮮人自身が最初に使った可能性もありますが、ご存知の用なので教えてください。

 日本で朝鮮民主主義人民共和国の国籍が無いのは、ご指摘の通り朝鮮(韓)半島の唯一の合法国家を自認する大韓民国と国交を結んだからです。しかしむしろ大韓民国の方が国家成立の正当性は疑わしく、なので単独選挙に対する反対も起き、済州43などの痛ましい事件が起きて日本に逃げて来た人もいるんだと思います。

 また現在の在日朝鮮人の出自についてですが、客観的な資料を用いていただかないと説得力を感じません。植民地以前にも朝鮮の多くの民衆の暮らしは決して楽ではなかったと思いますが、日本の植民地支配化で起きた土地調査事業や経済構造の作り替えの中で日本に渡航する朝鮮人が増加したとの視点が抜け落ちている印象を受け、結果「自由意志」で渡って来た人たちが残っていると言いたいのかなと疑ってしまいます。

 また植民地主義、所謂「強制連行」に関する僕の考えは、以前のエントリーに書いてあるので一度参照ください。http://ameblo.jp/ktaesik/entry-10114306048.html

 戦後の旧植民地出身者たちの「犯罪」については、一方で朝聯などは自発的に取締も行っています。戦後の民族団体の成立状況などについては、機会をみてまた記事を書ければと思いますが、多様な側面を見逃してしまうと、偏ったイメージが作られてしまうと思います。この偏ったイメージは、例えば嫌韓厨のみならず、在日朝鮮人運動自身も語って来た側面があると思います。もちろんそれぞれが語った言葉の歴史的局面と、おかれていた位置性を抜きに批判はできませんが。

 とりあえずのコメントにしておきます。

■冨永さま

 コメントありがとうございます。

 しかし申し訳ない事に不勉強から即答は出来そうにありません。ちょっと機会を見てまた調べてみます。

 今後ともよろしくお願いします。

■朝鮮総督府籍、三国人の呼称

 朝鮮籍が朝鮮総督府籍であるというのはその通りです。大韓帝国時代まで朝鮮半島
には戸籍制度そのものがありませんでした。三国人とは1つめが戦勝国、2つめが敗戦国、
そして3番目の国という意味でしか無かったので、使い始めた連合国側には蔑称の意味を
込めてはいなかったはずです。

次に「土地調査制度」については最近になって韓国の研究者が「総督府が行った調査
制度によって総督府のものとされた土地は朝鮮半島全体の3パーセントに過ぎず、その
理由も所有者不明であった物が大半であった。もともと土地は両班が所有しており、
被支配階級が所有を許された例は無かったのだから、人民から土地が収奪されたとい
う見方は間違っていた」という研究成果を発表し韓国国内でも受け入れられています。
次に、日本へ密入国した人々が多いのは単に日本での方が稼げたからです。当時の
日本の新聞を見れば「福岡の海岸で密入国者を発見、朝鮮に送還した」というような
記事が多数見つかります。こうした事は朝鮮半島と日本との間でだけ起きることではなく、
経済的に豊かな国に隣接する貧しい国から密入国する例は現在も多く見られる
ことです。もし「強制連行された」人ばかりなら、なぜ男性が渡日した後に家族を呼び寄
せた事例が多くあるのでしょうか?先のコメントで紹介した「アボジ本当の歴史を教えて」
という本は在日韓国人自身によって一世に対する聞き取り調査を行ったものなのでぜひ
ご参照下さい。併合後に朝鮮半島での農産物収穫高と人口は倍増していますが、
それでも貧しい農業国でしたし、併合前に白丁と呼ばれていた下層階級の人々に対する
差別が激しかったのも日本への密入国を増やした一因です。戦後にソ連が北半分を
抑えた当時では、北は鉱工業が盛んで豊かな地区だったのです。(農産物については
日本国政府は国内の農業を圧迫するという理由で朝鮮半島から米を輸入することを
禁じていましたから、「日本が半島の農産物を奪った」という見方も事実に反しています。
併合時の総督府の財政は今の日本以上に赤字続きで、現在の貨幣価値に換算す
ると総額で16兆円近くのお金を日本国政府が総督府に提供して維持していました)

■参政権に就いて

 参政権のことについて触れていらしたようなので私見を書き加えておきます。韓国に住んで
納税している日本人には韓国での参政権はありません。これは当然と思われますか?それで
は、日本に住んでいる在日韓国人に、韓国での参政権が無いことはご存知でしょうか?
これは正しい状態でしょうか?韓国籍の人に韓国における参政権が無いのですけど?
こうした問題をクリアーにした上でなければ、「日本に住んでいる外国人に参政権を与えよ。
特に旧植民地であった朝鮮半島、台湾の人々には優先的に与えよ」という議論はできない
と思います。そもそも、住んでいて納税していることが参政権を与える条件にはなりません。
逆の見方をすれば、日本国籍を持っており規定の年齢に達すれば納税しているか否か
に関わらず選挙権が与えられるのが「普通選挙」です。

 在日韓国人に限らず、日本で生れた二世以降の人に対する国籍が問題になるのは、
日本が「血統主義」と取っているからで多くの国で取られている「出生地主義」であれば
生れると同時日本国籍となっています。ですから「血統主義と出生地主義のいずれが
良いのか」という議論も同時に行う必要があるかと思います。
(補足すれば、韓国では在日に対する差別もひどく、日本生れの在日の人が韓国生れ
の韓国人との結婚を拒絶されるという事例は今も少なくありません)

■朝鮮半島における自民族に対する差別例:ハングル

 話が変わりますが、朝鮮半島における「自民族同士での差別」の事例としてハングルを
巡る問題を検討されてはいかがでしょうか?ハングルは世界的に見ても高度に洗練され
た素晴らしい言語・文字だと思います。15世紀に世宗王が「民に言葉を広めたい」という
目的で創ったものですが、朝鮮半島においては「馬鹿が使う言葉」とされハングルで書物
を出版すると投獄さにれた程です。この理由は、「文字(漢字)は両班だけのものであり、
一般市民が使う事は許さない」という施策があったからです。それを改めて「ハングルを
広めて識字率を高める」という施策を実行したのは併合後の朝鮮総督府です。併合以前
の朝鮮半島には学校教育そのものがありませんでしたが、総督府によって学校が整備され
東大、京大に続く帝国大学としてソウル大学の前身にあたる大学が、日本の地方に先
駆けて設置されている程です。学校教育のカリキュラムでは、日本語とハングルの授業
時間は半々であり、総督府による学校教育が始まって初めて文字を手にした朝鮮人が
過半数であったことは否定できない事実ですので「日本が朝鮮語を奪った」という見方は
正しくありません。第二次世界大戦が始まる直前に学校教育のカリキュラムからハングル
が外された後も併合中にハングルの使用が禁じられた事実もありません。一例を挙げれ
ば、日本が敗戦するまでハングルで電報が出せる体制が維持されていました。

■ドッジボール?

 とんさま。怒濤のコメントですね。ドッジボールじゃなくてキャッチボールをしたいのですが。。。

 一つの記事にあれもこれもと質問をぶつけられても答えるのにも疲れるし、話が拡散してしまいます。まぁ一々答える義務もないと思いますが。

 あと「韓国の研究者」がとただ書くのではなく、具体的な論文や著書を紹介していただき、その内容を吟味する時間を頂けないとなんとも言えません、

 「強制連行」という言葉についての自分の考えに関しても、耳を傾けてもらえてないみたいで残念です。

 とりあえず、落ち着いてください(笑)

■現在日本国内に住む在日コリアンの出自

補足です。「自由意志で日本に密入国などの形で入った朝鮮人の割合」を
示す資料は今すぐには探し出せんでしたので、見つかり次第お伝えします。
傍証としていくつかのことを書き添えておきます。
日本が敗戦した当時、日本には200万人の朝鮮半島出身者がいましたが
後述する「官斡旋」や「徴用」によって入国した人は敗戦後すぐに行われた帰国
政策(北朝鮮への帰国事業とは違います)でお土産金付きで帰国しています。
残った60万人の人も、その後現代に至るまでに帰化した人が多いので、現在
の在日韓国人の中には敗戦後に日本に移って来た人(朝鮮戦争時など)が
数十万人単位で存在します。(これは官公庁が出した資料で容易に確認できる
事ですのでお調べ下さい)
1938年まで、「日本の労働者の職を奪う」という理由で、朝鮮半島から日本に
労働目的で渡ることは禁じられていました。解除されたのが1940年代で、当初
は自由応募に対する競争率が7倍近くになっていました。日本の戦況が悪くなる
につれて、官斡旋を経て徴用という形になります。この時に留意しなくてならない
点は、1938年の時点で日本生れの日本国民は既に徴兵の対象となり戦地に
借り出されていた事です。そして徴用が始まった時点では、日本の少年少女も
徴用の対象となっていたことです。当時少年だった人々の回顧録として「鉱山で
朝鮮から来た大人の人たちと一緒に働いた」、「朝鮮から来たおじさんは親切だっ
た」と言うような記述が多く残っています。総動員されて苛酷な労働環境に置かれ
ていたのは朝鮮半島生れの人々も日本生れの少年少女も同じであったと言う
事です。
 そして繰り返しになりますが、帝国主義時代に他国を併合した事を現在の
基準だけで評価する事は適切ではないと思います。同時期にハワイを併合した
アメリカはハワイ王国に今から返還する必要があるのか?という視点を併せ持つ
必要があると思います。欧米の研究者の間では、「日本の植民地政策はもっ
とも穏健なものであった」という評価が定まっています。ただし、「植民地とする
こと自体が誤りである」というのが現代の共通認識であることは私も分かっています。

■答える義務うんぬんに対する返信です

複数のコメントに分かれたのは、一度の1000文字までしか書けないとい
う制限があったからで、別に興奮しているわけではありません。また、あな
たが「答える義務は無い」とおっしゃるのはその通りだと思いますが、ご自身
が公開した形で表明したご意見に対して、他者から賛否両論の評価を
受けるのは当然のことだと思います。

あなたの問いかけにお答えした部分もあるかと思いますので、お時間のある
時に、お好きな部分に対してだけでもコメントを返していただけるとお互いに
有益ではないでしょうか?

韓国の研究者の名前、現在日本に住む在日コリアンの出自(いつ、どの
ような形で日本に移住して来たかという点)に関する資料などは確認が取れ
次第お伝えしますが、あなたご自身の点でGoogleなどで調べ出すことも
できるのではありませんか?前述の土地調査に関する研究者のことは今年
になって新聞記事で見かけたことなので、適切なキーワードで検索すれば
元の記事を探し出すことができると思います。当時の報道では、韓国内で
「ようやく客観的な見方で歴史評価ができる時代になった」と評価されて
いるというものでした。

■事実ですか?

>後述する「官斡旋」や「徴用」によって入国した人は敗戦後すぐに行われた帰国政策(北朝鮮への帰国事業とは違います)でお土産金付きで帰国しています。

「お土産金付き」というのは初耳です。事実でしょうか?逆にお金の持ち出し制限がありましたが、それについて触れないのは何故でしょう?

 また計画輸送はそんなに順調に心暖まるものとして行われたのでしょうか?『博多引揚援護局史』によると、1945年の9月4日出向の特需丸を皮切りに福岡における計画輸送が行われていますが、とても順調なものではなかったと記されてます。故郷に帰る為に集まった朝鮮人に充てられたのは馬小屋です。その後市営倉庫に移動してます便所などの設備も整わず、極めて劣悪な環境に置かれていました。

 とんさんの一連のコメントは、事実もありながら極めて偏向している様に思えます。新たな論点を提示する前に、その韓国の先生の名前やらを先に教えてください。あと自分でググれって、乱暴じゃないですか?

 パブリックな場に文章を書いている以上ある程度の応答責任は果たしたいと思います。けど、寄せられる意見、議論の仕方にもよります。以後、キャッチボールが不可能と思った場合にはスルーするのでご了承ください。

■愼鏞廈(シン・ヨンハ)教授「土地調査事業の収奪性見直し」

取り急ぎ、確認できた部分だけ疑問点にお答えしておきます。以下引用
-------------------------
「総督府が40~50%の土地を収奪した」という説が国史教科書に記載され韓国の
国民的記憶となったのには、愼教授の土地調査事業に関する研究成果(『朝鮮土地
調査研究』(知識産業社)など)が元となっている。それによれば「総督府は権利を否定
された農民たちの抵抗を押えつけるために、武装調査団を結成した」とさえ書いていたが
1982年になって慶尚道金海郡で土地調査事業当時の土地申告書を含めた原資料が
大量に発見された。1985年からその資料を利用した新しい研究成果がペ・ヨンスンと
チョ・ソクコンによって発表さたが、チョ・ソクコンによれば「土地調査事業の当時に国有地
なのか民有地なのかをめぐる所有権紛争において、相当数の土地が民有地と判定され
たこと」を具体的な資料を通じて明らかにした。愼教授の主張のようにピストルを持っ
た武装調査団によって強制的に押え付けられたというような野蛮な状況ではなかった。
その後1992年、土地調査事業当時の総督府の官報を検討した結果、1911年3月、
すなわち 土地調査事業の初期に、総督府が国有地と判断した土地の中に民有地が
混入されたものを原所有者に返せと道長官に命じた事実も明らかとなった。これを手
がかりとして、1910年から1918年に追跡した結果、前述と同様に8年間にに9万9千余
町歩の国有地が調査された結果、9万1千余町歩がが民有地と判断されたことを見
つけた。愼教授の主張は基礎な演算作業さえ行わない中で提出された臆断に過ぎな
かった。

■キャッチボールの成立は望ましいと思います

スルーするのはご自由ですが、ご自分が問うたことに対して返答があった場合はご意見
を返していただいた方が、調べた方の甲斐もあるというものではありませんか?

私の意見が偏向しているとお書きになっていますが、見落としている点、知らなかった
点があることは認めます。たとえば、帰国政策に「持ち出し金の制限」があったこと
は知らなかったのです。そのことは素直に認めます。また、宿舎が馬小屋などであった
ことも知りませんでした。それも認めます。逆に、当座の手当として日本国政府が均一
にお金を渡していたのは事実です。

心暖まるものでなかったのも事実でしょう。そのことは外地から帰国しようと日本人が
帰国途上で受けた仕打ちから見ても容易に推測できることです。中国残留孤児の
問題は良く知られていますが、中国大陸ではまだ日本軍が解体されていなかったので
非戦闘員も比較的安全に帰国できていますが、軍が解体された朝鮮半島から帰国
しようとした人々は悲惨な目にあっています。福岡にいらっしゃるなら、朝鮮半島から
博多港経由で帰国した婦女子の中に帰国途上で現地の男性に強姦されて堕胎
した者が多かったことや、それらの女性を収容する専門の療養所が福岡市近郊に
あった事例をお調べになってみたらどうでしょうか?国立九州大学にも資料が集積
されています。

「ググってみては」と申し上げると同時に、確認が取れ次第お伝えするとも書いていまし
た。あなたの方が先に調べだす方法もあるのではないでしょうかという意味で書いただけ
であって、自分が持ち出した話の論拠を示さないで放置するつもりはありません。
そのことはご理解下さい。土地収奪論に関する研究者の名前と書籍名をお知らせ
したことでもお分かりいただけるはずです。そこには、土地収奪論を唱えた側と、それを
否定した側の双方の研究者名を書いていますので、「どちらの研究が正しいのか?」
ということをあなたご自身が検討することもできるはずです。その上で、「こちらの論文の
方が正しいと思う」という意見のキャッチボールをできたらよいのではありませんか?

■強制連行お呼び帰還に関する資料の提示

 国立公文書館アジア歴史資料センターのHPでかなりの原資料が閲覧できます。
「強制連行」問題について出典が確認できるものを挙げておきます。あなたの主張が
正しかったことを示す物も添えておきます。

(概要)
 在日朝鮮人はGHQ「在日朝鮮人帰国の計画輸送の指令(1946-11/01)
により、全員半島に帰るように命じられていた。1946年以降1952年までに日本に来た朝鮮
人は全員密航者であり、特に朝鮮戦争(1950年)以降、徴兵逃れを兼ねた出稼ぎ
目的での朝鮮人密入国者が急増し、そのまま不法滞在者となった。 日本政府は屈し
「朝鮮戦争の避難民」として彼らに特別在留許可を与え、これが現在の大量の在日
韓国朝鮮人の存在となっている。

1.「衆議院 - 法務委員会 - 23号 昭和30年06月18日」の国会答弁
小泉政府委員

日本側から密航した者を密航したという確証をあげて韓国に申し入れましても、
その送還を容易に受け付けない、日本は向うから出てきた者を受け入れっぱなし、
不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所にはますます人
員がふえていく、それをみな国費で、国民の血税で養っているわけです。

いろいろと実態に触れて研究をして参りますと、人道的、人情的には非常に忍びない
ものがございますけれどもそれがあまりにも数が多い。 最近においては、子供だけ30人
くらいの団体を連れて密航をして、大人だけは完全に逃げてしまっている。子供だけが
捕まっておるというような事実もありまして、この取扱いには非常に係の者も苦慮いたし
ておるようでございます。

2.明治学院大学 鄭栄桓氏の学士論文「朝鮮人共産主義者金斗鎔の半生」より

覚書では帰国に際して所持してもよい金額を1000円以内、荷物を250ポンドという
制限を課し、帰国費用はすべて日本政府が負担することを定めた。(中略)
解放前に徴用や強制連行などで日本にきた人々は26万5382人ほとんどが即時帰国
を希望し、その他の理由で日本に渡ってきた人々(「一般既住」朝鮮人)で194万1159
人中半数が帰国を、もう半数が定住を希望したという(後略)

■追加資料

一つ前のコメントで提示した鄭栄桓氏の学士論文はネット上で全文が読めます。
一部を略したのは1000文字までという制限に合わせるためで他意はありません。
あの論文には「持参金が1000円まで」と制限されていたと記されていたのと同時に、
100万人近くの「一般既住朝鮮人」が日本に留まることを望んだことが記されて
いる訳ですから、あなたの認識に沿わない部分もあるかもしれません。それでも
事実をひたすら見つめるしかないと思います。「持参金が1000円に制限されていた」
ということ1つを取り上げても、「当時なら一軒家が建てられる程のお金を得られた
のか?」という点に気づく必要があるのではないでしょうか?強制連行で奴隷扱い
されていたならそんな大金を持っているはずがありませんし、外地から引き揚げた
日本人の大半が私有財産の放棄させられて無一文で帰って来たのと比較した
上で「帰還のさせ方の良し悪し」を語るべきだと思います。以下、戦後に密航
してきた在日に関する資料です。私は「何で密航してまで来日するの?」という
素朴な疑問を感じているだけです。数十年前に日本に密航して来たパチンコ
業者マルハンの会長は「日本に渡った方が稼ぎが良かったから」と吐露してお
られます。


1.アジア歴史資料センター
 http://www.jacar.go.jp/リファレンスコード A05020306500
「昭和21年度密航朝鮮人取締に要する経費追加予算要求書」
P2:事由 最近朝鮮人にして密航し北九州及中国西部に上陸する
者漸次増加し本年四月中に於て其の総数約1000に達し益々
増加の傾向にある・・・

2.1950年6月28日 産経新聞朝刊
「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から
40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめて
いるといわれる」

3.「2008年1月16日統一日報」
1965年の日韓国交正常化を前に、日本政府が在日韓国人の
帰還について協議を持ちかけた時も、韓国政府は「彼らの措置は
日本が好きにやればいい」と答えており、「棄民政策」の象徴的な
ことと批判されている。

■無題

 口さがない言い方をさせていただきますが、あなたが仮に韓国なり
北朝鮮なりに移住したとしたら、現在、在日という立場で日本で
得られているような生活水準なり発言権は与えられないはずです。
韓国では蔑視の対象となり、北朝鮮では更に監視の対象となる
はずです。そうした現実を見つめた上で自論を展開なさるべきだと
思います。日本も数々の問題点を抱えた国ですが、極東におい
て黄色人種が暮らす場所としては最も快適な場所であると思い
ます。なんだったら、私が在日2世だとでも言えば話を聞いてもら
えますか?1世代分だけ苦労したことも多く見聞きした見聞も多い
と言えば、対応を改めていただけるのでしょうか?

■無題

横槍で失礼するのですが、

>また、あなたが「答える義務は無い」とおっしゃるのは
>その通りだと思いますが、ご自身が公開した形で表明した
>ご意見に対して、他者から賛否両論の評価を受けるのは当然
>のことだと思います。

ブログ主さまが困惑しているのは、とんさまのご意見には
エントリ自体をよくお読みになっていないと思われる発言も散見されますし、
そもそもエントリの文脈に沿っておらず、無関係である為だと思います。

このエントリのコメント欄は朝鮮について広く議論する場所ではなく、
該当エントリについて意見を交わす場所ではないでしょうか。

■個人の問題では?

はじめまして。

> 日本において法的に「朝鮮」籍と朝鮮民主主義人民共和国の間には、直接的になんら関係がありません。
問題にすべきは「朝鮮」籍とされる人が、どの国の構成員であるかです。
日本としては、仮に記号であったとしても「朝鮮」籍と記述した事で、
少なくとも日本国籍を有しないと言う立場であると考えます。

「過去日本人であった」と主張する場合は「現在も日本国籍だ!」と言う事になり、
「日本の植民地にされた」と主張するなら少なくとも「日本国籍ではない!」と
言う事になりますね。これは人によって解釈が違うのではないでしょうか?
この為、日本が勝手に在日の人の国籍を一方的に「日本」「北朝鮮」「韓国」と
決めるのは横暴と言えます。この意味において日本が「朝鮮」と言う『記号』を
導入したのは適切であったと考えます。

この様にこれは日本政府の問題ではなく「朝鮮」籍の人が判断すべき事です。
日本に自国民以外の国籍を決める権限などありません。

> そこに「一つの朝鮮」、統一への想いを込めている人もいるし、
> 日韓条約に反対する立場から韓国籍を選択しない人もいます。
現在の国家は、その構成員(国民)の利益を追求する存在であると考えます。
その為、どこか一つの国にコミットしなければなりません。
それをしない事によるデメリットは当然その様な選択をした人が負うべきであり、
日本国にその保障をする義務は存在しないと考えます。

日本での国籍欄など、大した意味はありません。
(所詮日本と言う国におけるの事務上の分類に過ぎませんから)
そうではなく「朝鮮」籍の人は自らのアイデンティティを表明すべきです。
本来国籍は個人と本国との関係です。日本なる第三国の分類に拘る事自体
ナンセンスではないでしょうか?

■とんさん

 ご指摘の論文の中で、特に植民地期における朝鮮への政策などは自分が興味があるので、実際にソウル大にもいくので、むこうで論文も読んで勉強することにします。その上でまた記事を書くかもしれません。

 その他に提示された論点も、同じく機会を改めさせてください。そのうち個別に記事を書くと思います。

しかし、

> 口さがない言い方をさせていただきますが、あなたが仮に韓国なり北朝鮮なりに移住したとしたら、現在、在日という立場で日本で得られているような生活水準なり発言権は与えられないはずです。韓国では蔑視の対象となり、北朝鮮では更に監視の対象となるはずです。そうした現実を見つめた上で自論を展開なさるべきだと思います。

 これは意味が分かりません。それだけはっきり申し上げて、とりあえずこの記事上でのやりとりは終わらせてください。

 あしからず。

■nac1339さん、とおりすがりさん

nac1339さん

コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、議論が拡散して、とまどっていました。今後ともよろしくお願いします。

とおりすがりさん

コメントありがとうございます。いくつか論点はあると思うのですが、まずは在日朝鮮人の日本国籍が一方的に剥奪された事実をどう考えるのか(これは即ち日本国籍を与えよという意味ではありません)であり、同時に日本なる第三者の「国籍」規定が、朝鮮半島の分断状況と日朝の国交が樹立されていない状況の中で、いやがおうにも生活レベルに影響を及ぼし、また自由な「選択」など出来ない点にあると思います。まとまりませんが、とりあえずの返答とさせていただきます。

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