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【主張】終戦の日と靖国 福田首相はなぜ参拝せぬ
終戦の日の8月15日、東京・九段の靖国神社には、今年も多くの国民が参拝に訪れた。だが、福田康夫首相の姿はなかった。予想されたこととはいえ、残念である。
福田首相は昨年9月の自民党総裁選時から、靖国参拝問題で「友達(中国、韓国など)が嫌がることはしない」と述べ、今年8月15日に向けても「私の過去の行動を見てほしい」と参拝しない意向を示した。
福田首相は中国製ギョーザ問題でも、中国で中毒事件が起きたことを洞爺湖サミット中に知らされながら、中国への配慮から、それを1カ月も隠していた。
隣国への配慮も結構だが、肝心の国民のことをどう考えているのか。国を代表するリーダーなら、まず、国民のことを考えて行動してもらわなければ困る。
靖国神社には、幕末以降の国に殉じた246万余柱の霊がまつられ、うち213万余柱は先の大戦の死者だ。それだけ終戦の日の参拝の意義は大きい。とりわけ、首相以下の閣僚による靖国参拝は、国を守るという観点からも、重要な意義を持っている。
この日、靖国神社に参拝した閣僚は保岡興治法相、太田誠一農水相、野田聖子消費者行政担当相の3人にとどまった。福田首相が率先して参拝していれば、以前のように、多くの閣僚がそろって参拝したであろう。
一方、日本武道館での全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長は「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる施設の設置について、真剣に検討を進めることが強く求められている」と述べ、無宗教の国立戦没者追悼施設の建設が望ましいとの考えを表明した。
この構想は、福田首相が小泉内閣の官房長官だったときに発足した懇談会で浮上し、多数意見として報告されたものだ。しかし、国民の間から「戦没者慰霊の中心施設である靖国神社を形骸(けいがい)化するものだ」といった強い反対意見が出され、棚上げされていた。
それをあえて、戦没者追悼の場で持ち出すべきことだろうか。衆院議長の見識を疑う。
この日の靖国神社は、戦没者遺族にまじって、親子連れや若い学生、カップルらの姿がさらに目立っていた。靖国参拝が、遺族から子や孫の世代へと確実に受け継がれていることをうかがわせた。この参拝風景を定着させたい。