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世迷言

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☆★☆★2008年08月16日付

 本来なら一面にデカデカと取り上げられるはずの人物の姿がそこにはなかった。代わって最終の社会面に、敗者と化したかつての王者が畳の上にうずくまったまま動けない姿があった▼勝負とはつくづく非情と思う。毀誉褒貶(きよほうへん)が、勝敗の決したその瞬間たちどころに二分される。北京五輪で日本選手団の主将を務める柔道男子100キロ級の鈴木桂治が、一回戦でまさかの一本負けに続き、敗者復活戦でも一本で敗れるという番狂わせの後に本人を襲った呵責はどんなものだったか?▼本人が出場した二つの試合を見て、これはまさに重圧という悪魔がもたらした力学の結果と断じる他はなかった。本番で実力を発揮できなかったという例は、ありとあらゆる場面に登場するが、五輪のように国中の期待を一身に負った場合、平常の精神で臨めという方が無理というもので、国内では滅法強くても国際舞台では力量を発揮できないケースはまずそれだ▼体力的にいくらピークは過ぎていたとしても、普段の鈴木の実力なら対戦相手の二人とも問題外だったと思う。協会がそう判断したからこそ北京に送り込まれたわけで、実力と経験がもう一つの判断基準である「試合度胸」や「勝負強さ」より買われた▼柔道に限ると、鈴木同様重量級のホープが「まさか」の敗退を喫した例は少なからずある。これはメンタルの問題だと断言してよい。畳の上には悪魔が潜んでいる。この悪魔を退治するには、技と体以外に心を鍛える他はない。

☆★☆★2008年08月15日付

 やっと「原日本人」が現れた。といっても、縄文人や弥生人ではない。かつての武士のように、喜怒哀楽をそのままストレートに表すのではなく、内に秘めて包み隠す奥ゆかしさを備えた日本人のことである▼北京五輪の女子柔道70キロ級でアテネ五輪に続いて二連覇した上野雅恵がその「待望の人」なのだ。もっとも待望していたのはこちらだけかもしれない。当節感情を押し殺すなどというのは流行らず、うれしかったらうれしかったで「チョー気持ちいい」とか「メチャうれしい」とガッツポーズをするのが「ナウい」のだ▼しかし、何ごとにつけ「はしたない」行為は慎めと言われて育ってきた化石人間世代は、現代風のストレート表現が気にかかってならない。「古い」とお笑い下さるな。つい先年までそんな常識が長い間保たれてきたのである。勝った瞬間思わずほとばしる喜びをじっと噛みしめる―男だねぇーだった▼西洋のスポーツならそれでもいい。だが、武道でそれをしたら未熟とされた。目の前に負けた相手がいる。「我はたたえつかの防備」「かれは称えつわが武勇」、勝敗は時の運、戦いが済んだら互いにたたえ合う―それが武士だよね▼上野がまさにそれだった。拳を振り上げるでもなく、畳の上に跳ね上がるでもない。ただ笑みを浮かべるだけで実に淡々としたものだった。うんついに待望の武士を発見した。ただし女性の。不世出の柔道家・山下泰裕以来絶えていた伝統を再見してうれしかった。

☆★☆★2008年08月14日付

 すぐネタの割れる安手の芝居を見ているようで、腹立たしくなるというよりは情けなくなるのが、日本政府の拉致問題対処法だ。何度だまされたら気が済むのか、またもニンジンをぶら下げられてノコノコと付いていく算段とはあきれるばかり▼中国・瀋陽で行われた日朝実務者協議で、双方が合意したのは、今秋までに北朝鮮が拉致被害者の「再調査」を終え、それによって日本側は経済制裁の一部を解除するというもの。再調査とは聞こえがいいが、実際は「精査した結果、拉致などなかったことが確認された」という結果があらかじめ用意されているという意味だ▼そして、再調査をして答えを出したのだから今度はあんたが誠意を示す番だと要求されると、返答に窮すという次第。この?典型的?な外交術で日本がこれまでどんな煮え湯を飲まされてきたか、その実例をここで挙げるいとまはないが、こちらが誠意を見せれば相手も誠意で応えるだろうという大前提でテーブルについている国は日本ぐらいなものだろう▼拉致被害者家族会が「解除(制裁)は時期尚早、(再調査は)また口約束に終わるだろう」と疑問視するのは当然で、これほど筋書きが明らかなのにまた茶番劇を見に行く方の気がしれない▼なにせ、拉致被害者を取り戻したのに、一時帰国の約束だから返せという政治家がいる国。どこまでお人好しなのかと考えるこちらの方が「人を見たら泥棒と思え」式、狭い料簡の持ち主なのかもしれない。

☆★☆★2008年08月13日付

 クライバーと言えば、クラシック音楽界最高のカリスマと称された指揮者だが、亡くなって四年。そのあとを引き継いだ(?)のがゲルギエフ。近年急速に実力を上げ世界の音楽界の第一人者として高く評価され、人気も当代随一▼ロシアものを中心に、近代の管弦楽曲を振らせたら右に出るものはなく、一方でオペラ劇場芸術監督として充実ぶりも著しく、美人ソプラノ・ネトレプコを見い出したことでも有名。一九五三年モスクワ生まれだから、日本流に言えば「花のニッパチ」▼しかし、両親はオセット人なので厳密にはロシア人ではない。そのオセット人の国がカフカス(コーカサス)地方にあるオセチア。カフカス山脈を挟んで北にロシア領北オセチア共和国、南にはグルジア共和国の南オセチア自治州に分かれている▼そこで北京五輪開幕を待っていたかのように紛争が勃発。南オセチア自治州の分離独立を阻止したい西側指向のグルジアと、自陣営に引き込みたいロシアとが軍事衝突したという。カフカスは民族や宗教、言語が相互に入り組んでいて、島国育ちには理解しがたい複雑な事情を抱える▼旧ソ連時代は表面化しなかったが、ソ連崩壊を機に民族主義が一気に噴出し、少なからぬ犠牲を伴いながら中小共和国が次々と独立した。カフカスには他にも紛争の火種が存在し「世界の火薬庫」とも▼「世界の火薬庫」は第一次世界大戦前のバルカン半島の“代名詞”。そんな事態に拡大するのはご免こうむりたい。そういえば、大相撲の露鵬と白露山は北オセチアの出身。グルジアからは黒海、栃ノ心がいる。戦いはスポーツの世界だけにしてほしいものだ。

☆★☆★2008年08月12日付

 なんだかんだといってもやはりスポーツの祭典。ついテレビのスイッチを入れてしまう。特に金メダルの期待がかかる柔道はなおさらである。女子52キロ級に出場した十九歳の中村美里は惜しくも銅だったが、男子66キロ級でアテネ五輪の覇者・内柴正人が再び金メダルを手にした瞬間は小躍りしていた▼男子60キロ級の平岡拓晃が初戦敗退でいやな出だしのところへもって、「ママでも金」の谷亮子までが敗れ、この段階で「もう期待はすまい」と心に決めていたのだが、「もしや」となるところが当方のアンビバレント(相反的)なところ▼といっても、事前に競技日程を調べるわけでもなく、番組表を見るでもないという場当たり的観戦者だから、たまたまスイッチを入れたら「中村、内柴準決勝へ」とアナウンスがあって、俄然その気になっただけなのである。大体、中村など名前すら知らなかった。内柴に一縷の望みを託しただけなのだった▼前回の覇者とはいえ、内柴は三十二歳。体力勝負のこの世界ではとうにトウが立っている。おまけにアテネ五輪で頂点に立ったとはいうものの、以後は05年の世界選手権で二位に甘んじ、その後は勝てない時代が長く続いた。金メダルの名が泣く惨敗すらあった▼俗に「スランプに泣く」というが、一度最高位を手にしたことがあればこそ、その落差の激しさが彼をどれほど苦しめたか。そんな精神の戦いに打ち克って代表の座を手にし、そして二連覇という偉業は生きた物語であり、まさに千金に値するメダルだった。

☆★☆★2008年08月10日付

 北京五輪の開会式をテレビでちらりと見たが、予想通り「人海戦術」いやマスゲームの見事なこと。一糸乱れぬそのさまが、しかし北朝鮮のそれを彷彿とさせ、なぜか見る気がなえてしまった▼国家の威信をかけた演出をこれでもかこれでもかと繰り出してくることは想定内で、事実周囲何人かの感想は「すごかった」で一致していた。その「すごさ」だが、それは超豪華な「世紀の祭典」を指すのか、それとも内憂外患を抱え社会不安の漂う中で粛々と予定通り進められる「余裕」のことなのか▼開会式翌日の新聞各紙を眺めると、これが手放しで祝福するという趣ではなく、共通して「一抹の不安」を伝えていた。それは華やかさの陰に潜むものものしさ、つまり徹底した警備と警戒と監視が同国の現在置かれた立場を表徴する通り、これまでの五輪には見られなかった異質性を感じるからであろう▼東京五輪の誘致にも開催にも反対論はあった。しかしほとんど喜び一色にかき消された。だが北京五輪に対する内外の醒めた目はどうだろう。当方もまさにその醒めた目で開会式を眺めたのだが、それは式が華やかであればあるほど、その対極にあるひずみの部分がダブってくるからだ▼もっとも事あれかしと望んでいるわけではなく、無事開幕を迎えたことを同慶としたい。競技が中国の独壇場となり、国民が自信と誇りを抱くことに異を唱える積もりもない。ただ、陰の部分も大会と同時進行していることだけは見失ってなるまい。

☆★☆★2008年08月09日付

 イザヤベンダサン著「日本人とユダヤ人」の中で、「水と安全はただ」と日本人は考えているという記述が印象的だった。しかしそれも今やあやしくなってきた▼人間が一極集中すると、工業用水だけでなく当然のごとく飲料水も不足するようになる。このため主として川の水があてられるが、そのままでは飲用に不適だから滅菌のための処理が必要となる。大都会の水道水が「カルキ臭い」と敬遠されるのはやむを得ない。この点、地方の水は抵抗がない▼とはいえ、処理のために薬品が使われることでは都会も地方も同じ。そこでもっと安全で安心な処理法はないかと関係者が知恵を絞った結果登場したのが、「高度処理法」。さぞかし近代的、先進的方法だろうと思うとさにあらず、なんと活性炭を使って汚れを吸着させるという方法▼家庭用の浄水器と変わらぬ理屈だから、なぁんだ―ということになるが、長年試行錯誤した結果、たどり着いたのが単純明快な方法というところが面白かった。「真理はただ一つ」というわけである▼この方法はすでに四十カ所の浄水場で採用され、実用化されているが、難点は金がかかりすぎることだという。普及率が低いせいもあるが、設備投資が従来の百倍、ランニングコストも十倍かかるのが実情だとか。でも活性炭だから洗って何度も使えるし、人間にも環境にもやさしい理屈。これは推進すべきだろう。日本一の炭焼き県にそろそろ出番ですよーと声がかかりそうだ。

☆★☆★2008年08月08日付

 北京五輪が本日開幕する。その本番直前になってギョーザ中毒事件が当の中国でも起こっていたことが明らかになった。「国内での混入はあり得ない」とあれほど強硬に否定していたにもかかわらず、中国政府が翻意した狙いは?▼農薬メタミドホスが混入された天洋食品製ギョーザは、中国国内でも販売されていたが、日本での中毒が発覚後は国内でも回収された。しかし中国における「二の舞」は、日本での発覚から半年経った六月に起こっているという点、回収された製品が横流しされたとしか考えられない▼それはともかく、事件の存在を認めたということは普通ならとことん否定を続ける中国の流儀にもとる。威信低下につながるからだ。なぜ、しかも今頃になってという疑問が当然ながらわいてくる。それだけではなく、この事実が洞爺湖サミットを前に外交ルートを通じて日本政府に伝えられていたのに、政府が隠していたというのも不可解▼ここは素人なりに解釈すると、状況証拠からして中国国内で混入されたことは明らかであり、否定し続けることは今後の対日関係に溝を作る。それは今後日本から色々と協力を引き出す上で障害となる―という打算が働いたのだろう▼そして恥をしのんで方向転換をしたところ、対中国に関しては特に手厚い福田首相が「武士の情け」というか、惻隠の情を示したのだが「心なき」メディアに嗅ぎつけられてしまった。開会式へのおみやげを途中でこじあけられたというところか。

☆★☆★2008年08月07日付

 出生率の増加に続いて食料自給率も増加といううれしいニュース。農林水産省が発表した07年度の食料自給率はカロリー(供給熱量)べースで前年度より一ポイント上昇し、40%を回復した▼カロリーベースの食料自給率が前年度より上昇したのは実に十三年ぶりで、米の消費拡大や国産野菜の人気が高まったことが影響したものとみられるが、中国製ギョーザ中毒事件で安心、安全が求められるようになった結果も寄与しているだろう▼四十年前までは70%以上だった食料自給率が40%を切るようになったのは、生産が農業から工業にシフトし、作るより買う方が安いという構図が出来上がったためだが、しかしもっと根源的な原因は、いざというときには食料を自分でまかなうという国家戦略が欠けていたからだと断言せざるを得ない▼さいわいにして戦後、そのような事態を招くことはなかったから、食料とは金さえだせば買えるものという感覚がしみついてしまっているが、食料とは自然条件に左右されるものであるという大前提の他に、生産国の社会情勢という要素も流動原因として無視できない▼このため先進国といえども食料自給を決しておろそかにはしていない。日本のように40%を切るという自給率は、状況によってまさに喉元に匕首を突きつけられる形に変化する。その恐ろしさは「油断」の比ではない。国産品は高くても安心、安全、そしてなによりうまい。この認識が定着すれば自給率は一挙に50%台へ加速していく。

☆★☆★2008年08月06日付

 酸素というのは良い働きをするだけではないらしい。呼吸で体内に入った酸素の2%が変化してできるのが活性酸素だが、これには善玉と悪玉があるのだという▼善玉は、免疫機能などを持つが、悪玉は細胞を酸化させて老化や生活習慣病をもたらすというから、当方の体内には悪玉がより多く住み着いていることは間違いない。でなければ「お若いですね」と言われるはずだが、いまだかって歳より若く見られたことはないからだ▼その悪玉を退治する方法を日本医科大の太田成男教授が発明、若返りはともかく、老化防止に一役買いそうである。この画期的な発明には水素が使われている。ストレスが誘発する認知機能の低下を防止する役目を水素が果たすとかで、実際にその効能があれば、認知症など根絶しよう▼そこで水素をたっぷり含んだ「水素水」の研究が盛んになったが、いいとなればそこにつけこむ商法が登場するのは浮世の必然。そこいらの川から汲んだ水をミネラルウオーターとして売ってもわからないのだから、色もない味もない水素がゆえに「偽装」の餌食になることは火をみるより明らか▼そんないかさまを防ぐために、学術関係者が集まって「水素研究会」という組織が発足した。とりあえずは水素が人体に有効に働くことを証明するのが急務のようだが、海洋深層水が一段落した後はヒットが乏しいだけに「水素水」が雨後のタケノコのように登場してくるのは時間の問題であろうか。