長靴を履き懐中電灯を持って、古墳のような山のすそからトンネルに入った。幅三〜五メートル。雨上がりのようなぬかるみ、湿気とカビ臭さが鼻をつく。外の明かりが見える個所があり、ここから人が出入りしたのか、宴会の跡があった。
二年前、倉敷市水島地区にある岡山県内最大の戦争遺跡・亀島山の地下工場跡の見学会に参加して驚いた。ここからほんのわずか南にあった三菱重工業水島航空機製作所(現三菱自動車工業水島製作所)の空襲を避けるための疎開工場で、軍用機の部品を作ったというが、とてもお粗末な施設だった。こんなにまでして戦争を継続する意味があったのか。疑問はぬぐえなかった。
現在の倉敷は全国に誇る文化・観光都市だが、戦時中はこの航空機製作所にほど近い松江地区に、戦闘機の乗員を養成する倉敷海軍航空隊が開設されるなど、軍事拠点だった。
トンネルが掘られてから六十五年。山の所有者が県、倉敷市、個人と極めて複雑なため、戦後そのまま放置されてきたが、ほぼ当時のまま現存している。昨年度、倉敷市が実態調査のための予算三百万円をやっと計上した。今年に入り、市民グループ「亀島山地下工場を語りつぐ会」が活動を再開。初めての正確な平面図を完成させ、トンネルの総延長が一・七キロであることを突き止めた。
この戦争遺跡、暗い歴史の負の遺産ではあるが、後世への警鐘として保存、公開が待たれる。関心の高まった今が運動盛り上げの好機であろう。
きょうの六十三回目の終戦記念日に思う。
(読者室・佐藤豊行)