心に千羽鶴を・・・
August 15 [Sun], 2010, 4:09
皆さん、今日は何の日だか知っていますか
まさか知らない人なんていないですよね
でも今は、それをしらずに、人を苛めたりとか、平気でして居る人がいる。
忘れちゃいけない日なんですよ
今日は63回目の、終戦記念日です。
私はある曲をピアノで弾きながら、涙が止まらなかった。
あんなに涙が止まらない曲はないだろう。
私の祖父も、戦争に行っていたそうです。
その頃の写真を、見た事があります。
でも、祖父は戦火
を逃れ無事に帰ってきてくれたお蔭で
今の自分がいるのだと思いました。
でも、当時の日本からしたら、
それは日本の為にはならないのだといいます。
でも、確かにそれはそうです。
日本の為に命を落とすという事が、どれだけ尊いのか。
それは、私もよく分かる。
結局昔は、自分の為と言うよりも、人の為に、国の為に生きるのが当たり前だった。
それって尊重すべきなんじゃないんでしょうか。
その方が、自分より人を守れるようになるし。
自己中心的な考えがなくなるんじゃないんでしょうか。
そうじゃなかったら、日本に何時までたっても、
本当の心の平和は訪れないんじゃないかと。
助け合いを忘れてしまった今の日本社会に
もう一度戦火は必要なのかもしれません。
戦火から、何か学ぶ事は必要なんだと思いました。
そして、その涙した曲・・・
私がこの曲を知ったのは、今を遡る事16年・・・
小学校6年生の時でした。
水曜日か木曜日に、音楽朝会っていうのが毎週あって、1ヶ月に一曲の割合で、課題曲を練習していました。
その時練習した中に、この曲がありました。
まずは紹介させてください。
折鶴
作詞・作曲 梅原司平
生きていてよかった それを感じたくて
ヒロシマの町から 私は歩いてきた
苦しみを言葉に 悲しみを怒りに
傷ついた体で ここまで歩いてきた
この耳をふさいでも 聞える声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
はばたけ折り鶴 私からあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ
生きていてよかった それを見つけたくて
ナガサキの町から 私は歩いてきた
この胸の痛みを 歌声に託して
焼けあとの下から ここまで歩いてきた
この耳をふさいでも 聞える声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
はばたけ折り鶴 私からあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ
もう、何か、歌詞見た途端こみ上げるものがあって大変でした。
今の自分にも言えるんじゃないかなって・・・
凄くこみ上げて仕方なかったです。
苛められたから、って理由に引き篭もってしまう自分がいた。
「引き篭もってしまってはダメだ」って力強く呼びかけてくれる人達が居る。
私は手探りで、その糸を追いかけてきた。
私はいつなくなるかもしれないその糸を今だ追っかけてる。
でも追っかけてるだけじゃダメなような気がして。
今の自分が嫌いになったりしています。
まぁ嫌いになろうがどうしようが私の勝手なんですけど・・・
そんなの誰にも責められないしね?
でもやっぱり、そのままじゃいけないって思う。
どんな戦火に飛び込んでも負けない気持ちって必要。
だからやっぱりもう一度戦渦に飛び込んだほうがいいっておもう。
その方が人間生きてる甲斐があるよ・・・
ね、未来の自分へ。
どうか、未来の自分が戦渦に飛び込んでも、笑っていられますように。
今日は、そんな願いをこめて
折り鶴
を紹介させて頂きました。
いつか私の心に、そして私が愛してやまない人達に、本当の平和、そして愛が芽生えて、そして育っていつしかそれが野に咲いているお花みたいに・・・
素晴らしい人生になりますように・・・
私は、今苦しんでいる人の力になりたい。
一緒に喜びを分かち合える人生を歩みたいんだ。
そう願っています。
少しでもこの気持ちを誰かに伝えられたらいいなあ。
まさか知らない人なんていないですよね
でも今は、それをしらずに、人を苛めたりとか、平気でして居る人がいる。
忘れちゃいけない日なんですよ
今日は63回目の、終戦記念日です。
私はある曲をピアノで弾きながら、涙が止まらなかった。
あんなに涙が止まらない曲はないだろう。
私の祖父も、戦争に行っていたそうです。
その頃の写真を、見た事があります。
でも、祖父は戦火
今の自分がいるのだと思いました。
でも、当時の日本からしたら、
それは日本の為にはならないのだといいます。
でも、確かにそれはそうです。
日本の為に命を落とすという事が、どれだけ尊いのか。
それは、私もよく分かる。
結局昔は、自分の為と言うよりも、人の為に、国の為に生きるのが当たり前だった。
それって尊重すべきなんじゃないんでしょうか。
その方が、自分より人を守れるようになるし。
自己中心的な考えがなくなるんじゃないんでしょうか。
そうじゃなかったら、日本に何時までたっても、
本当の心の平和は訪れないんじゃないかと。
助け合いを忘れてしまった今の日本社会に
もう一度戦火は必要なのかもしれません。
戦火から、何か学ぶ事は必要なんだと思いました。
そして、その涙した曲・・・
私がこの曲を知ったのは、今を遡る事16年・・・
小学校6年生の時でした。
水曜日か木曜日に、音楽朝会っていうのが毎週あって、1ヶ月に一曲の割合で、課題曲を練習していました。
その時練習した中に、この曲がありました。
まずは紹介させてください。
作詞・作曲 梅原司平
生きていてよかった それを感じたくて
ヒロシマの町から 私は歩いてきた
苦しみを言葉に 悲しみを怒りに
傷ついた体で ここまで歩いてきた
この耳をふさいでも 聞える声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
はばたけ折り鶴 私からあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ
生きていてよかった それを見つけたくて
ナガサキの町から 私は歩いてきた
この胸の痛みを 歌声に託して
焼けあとの下から ここまで歩いてきた
この耳をふさいでも 聞える声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
はばたけ折り鶴 私からあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ
もう、何か、歌詞見た途端こみ上げるものがあって大変でした。
今の自分にも言えるんじゃないかなって・・・
凄くこみ上げて仕方なかったです。
苛められたから、って理由に引き篭もってしまう自分がいた。
「引き篭もってしまってはダメだ」って力強く呼びかけてくれる人達が居る。
私は手探りで、その糸を追いかけてきた。
私はいつなくなるかもしれないその糸を今だ追っかけてる。
でも追っかけてるだけじゃダメなような気がして。
今の自分が嫌いになったりしています。
まぁ嫌いになろうがどうしようが私の勝手なんですけど・・・
そんなの誰にも責められないしね?
でもやっぱり、そのままじゃいけないって思う。
どんな戦火に飛び込んでも負けない気持ちって必要。
だからやっぱりもう一度戦渦に飛び込んだほうがいいっておもう。
その方が人間生きてる甲斐があるよ・・・
ね、未来の自分へ。
どうか、未来の自分が戦渦に飛び込んでも、笑っていられますように。
今日は、そんな願いをこめて
いつか私の心に、そして私が愛してやまない人達に、本当の平和、そして愛が芽生えて、そして育っていつしかそれが野に咲いているお花みたいに・・・
素晴らしい人生になりますように・・・
私は、今苦しんでいる人の力になりたい。
一緒に喜びを分かち合える人生を歩みたいんだ。
そう願っています。
少しでもこの気持ちを誰かに伝えられたらいいなあ。