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「裁判員法」を廃止せよ

裁判員法の廃止を求める会 
代表 小田村四郎 -------------2008.7/21神社新報

 五月二十六日付の本紙に、鎌田純一氏が裁判員制度に反対する神職としての危惧と対応策を論じてをられた。類似の問題は、仏教界やキリスト教界等の宗教人にもあるのではないかと思ふ。

 問題の「裁判員法」は、今春政府が施行政令を公布し、来年五月から実施されることとなってゐる。
 
 しかしこの制度ほど摩訶不思議なものはない。「司法への国民参加」を謳ってゐるが、国民の誰がそんなことを望んだのか、現在の裁判のどこが悪いのか、裁判員制によって何が改善されるのか、現行の憲法や刑事諸法と整合性はあるのか等々、重大な問題は何一つ議論されないまま、政府の司法制度改革審議会の最終段階で突如として浮上し、その意見書(平成十三年)に盛られたといふ、まったくの粗製濫造制度である。
 
 政府はこれを受けて法制化を急ぎ、与党と調整の上、平成十六年の国会に提出、同年五月に法律が成立公布された。この間の審議は僅かに衆議院で二週間、参議院で一週間に過ぎなかった。
       ◇
 私どもは事の重大性に驚き、平成十四年頃に中村信一郎氏の呼びかけにより、元東京高裁判事 大久保太郎氏、元札幌地検検事正 小林永和氏、弁護士 高池勝彦氏などを中心に「裁判員制度に反対する会」を結成し、新聞雑誌への寄稿等による輿論の啓発に努めたが、残念ながら影響力は小さく、法律は成立してしまった。
 
 そこで平成十八年、会の名称を「裁判員法の廃止を求める会」に変更し、集会、言論活動を継続するとともに、今回の施行政令公布に即応し、五月二日に司法記者会見をおこなって声明を公表した。
 
 しかしマスコミの一部にその報道はあったが、声明の内容を紹介した新聞はなかった(同様に反対活動を続けてゐる高山俊吉弁護士も同日記者会見をおこなったが、同じ扱ひであった)。
 
 しかし、政府、最高裁がこの制度の宣伝広報に力を入れれば入れるほど、やうやく国民に制度の内容が浸透しはじめ、却って国民の不安が昂まってきたのである。
 
 最高裁が今年一、二月に実施した国民の面接調査(約一万人)によると、(1)「参加したい」四・四%、(2)「参加してもよい」一一・一%、(3)「あまり参加したくないが、義務ならさんかせざるを得ない」四四・八%、(4)「義務でも参加したくない」三七・六%、(5)「わからない」二%、であったといふ。
 
 政府、最高裁は(1)(2)(3)を合計して、参加意志を持つ国民は約六割に達してをり、制度実施は可能だとして政令公布に踏み切ったといふ。
 
 しかしこれはこじつけに過ぎない。(3)は、裁判員参加は義務だと説明した上で(注:国民に違憲法律に従ふ義務はない)の「肯定」を期待した誘導質問であっって、回答者の本心は「嫌だ」といふ意志の表明である。従って実態は、国民の八割以上が参加に消極的だといふ証明である。
 
 事実、平成十八年十二月の内閣府の調査に比し、(1)が一・二ポイント、(2)が四・一ポイントづつ減少し、逆に(4)は四ポイント増加してゐる。国民は明らかにこの制度を忌避してゐるのである。
 
 裁判員法が定める円滑かつ適正に実施できる(附則二条)条件は充足されてゐない。(政令公布は違法であった)
       ◇ 
 これは当然であって、一般の国民は日夜忙しく或いは生業に従事し、或いは家事・育児に全力を注いでゐるのであって、時間をもて余してゐる遊民はごく一握りの少数に過ぎない。
 
 それが裁判員ともなれば自分とはまったく関係のない事件に捲き込まれ、朝から夕方まで法廷に引き出され、退屈な証人尋問を延々と聞かされ、まったく未知の人と議論して量刑の意見まで述べさせられ、しかもこの経験を死ぬまで話してはならない(話せば罰金か懲役)のだから、明らかに「意に反する苦役」(憲法十八条)であり、自由権(同十三条、十九条等)の侵害である。
 
 さらに補充裁判員の場合は、公判に立ち合いはされるだけで評議に加はることもない。また、法廷に拘束される時間(重大事件の平均は十日)の損失に対する補償はないから、財産権の保障(憲法二十九条)にも違反する。
 
 そもそも、憲法の想定する裁判所(三十二条)は、その規定する手続き(六条、七十九条、八十条)によって任命された「裁判官」によって構成されるものであって、それ以外の者が参加することは許されてゐない。
 
 また裁判官は「良心に従い独立して職権を行ふ」(憲法七十六条)とされてゐるが、多数決により裁判員の意見に従はざるを得ない場合、この「独立規定」にも反することとなる。
 
 帝国憲法では、「司法権ハ、天皇ノ名二於テ法律二拠リ裁判所之行フ」(五十七条)とされ、裁判は神聖厳粛なものであった。現憲法でも裁判の「公平」性が保障され(三十七条)、その精神は引き継がれてゐる。
 
 然るに裁判員制の導入により、審理期間の短縮が企画され、また裁判員欠員の場合の更新手続において証拠調べに立ち合はなかった新裁判員の交代を認めるとか、「部分判決」制度といふ珍無類のリレー裁判を導入するとか、従来の「精密司法」といはれた慎重な審理が「粗雑」化する危険性が多分に潜んでゐる。またそのこと自体、憲法の各条文に反するが紙数の関係で詳細は省略する。
       ◇ 
 このやうに、裁判員制度は「違憲のデパート」と呼ばれてをり、一刻も早く廃止されなければならないし、最低限、政府、国会はその施行を延期する法的措置を講ずるべきである。
 
 しかし万一、この悪法が実施され、裁判員候補者として呼出を受けた場合どうするか。違憲訴訟を提起するか、それが嫌ながら逃げ廻る方法もある。
 
 その具体的方法は西野喜一新潟大学教授の『裁判員制度の正体』(講談社現代新書、平成十九年)に指南されてゐるので、御一読されるとよいと思ふ。
 
 なほ注意すべきことは、この法律は自公民各党のみならず、共産党、社会党も賛成し、とくに共産党は積極的に推進してゐることである。その意図はよく分からないが警戒を要すると思ふ。
 
-------------2008.7/21神社新報

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