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ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-08-03

gameover10012008-08-03

無明

09:22

人間の一生というものの最大のバカバカしさは結局われわれはみな死んでしまう、ということにある。人類の行く末を案じようが、幸せな家庭を築こうが、大金持ちになってやりたいことをやりつくそうが、みな呆気なく死んでしまう、という点では同じである。

立ち話をしながら、ちょっと姿勢を変えた人の靴裏で踏みにじられる蟻や、血を吸った後に逃げ損ねて平手でたたきつぶされる蚊と本質的になにも変わらない。


わっしは非常に美しい若い女のひとの解剖に立ち会ったことがある。光に反射する金色の柔らかな産毛がまだ生きている人のようであった。

メスがはいると、その下から薄い脂肪層や他の器官があらわれるのだが、特に乳房のあたりにメスがはいる頃には肉体が服かなにかであるかのように感じられたのが不思議であった。輝くように美しい肉体の下から、陳腐な筋肉や骨があらわれるのを見ていると、われわれの存在を超えた者が、われわれを哀れんでいる声が聞こえるような気がした。

実際、わっしは、そのとき遠い遙かなところで嗚咽するひとの声を感じたのだ。


わっしは、その頃から「魂」というものの存在を願うようになったのだと思う。

わっしは元々機械論者であって「人間の魂」というようなものは認めない。

「魂」というようなものを認めてしまうと、わっしが唯一堅牢な思想としてもっている「科学」を根底から否定しなければならないからである。

「科学」を思想として放擲するのは、わっしには耐え難い。

宗教のような人間の狂気や攻撃性におおきく依存した思想やあるいはレトリックに依存した哲学が、それほど堅固な思考の指針になるとも思えない。

まして「科学者は自分たちの知見以外の存在を認めない傲慢な姿勢を改めるべきだ」というような、ここまでの人間の知的努力を一挙にしかも軽々と否定してみせる、それこそ「傲慢」な 通俗的「超科学」論者に至っては、見るのも不愉快だと考えた。


兼好法師は「人間が死を先のことのように考えて、あれこれ将来の計画を巡らすのは笑止である。死というものは、誰彼の傍らに立っていていきなり斬りつけてくるものだ」と言う。まことに、その通り、としか言いようがない。

ラッセル卿は人間の自分の一生に「保障」を求めることの愚かしさを嗤う。

それもその通りである。論理的に矛盾した行為であって、しかも一生の保障を企画する人間などは人生をゴミ箱に捨てるのと同じである。


「よりよく生きよ」というが、しかし、それも結局死ぬためなのが、やはりバカバカしい。


こういうことを考えるわっしのような状態を日本語では「無明」という。

そこに「自己の死」というものがある限り、わっしの思考も感情もいっさいが価値をもてないではないか。人間の言語の普遍性は、人間の生命の有限性と明らかに矛盾する。

その矛盾を解決しようとして人間が発明した概念が「魂」である。

わっしはだから魂というものの存在を願うが、それもただ途方もなくムダに死ぬことがあらかじめ決定されているという自分の存在を慰めたいだけなのかも知れぬ。

人間の言葉というものが実は明らかに人間の存在自体をあざ笑っているからである。

2008-08-02

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人間が分別される日

16:50

「生態ピラミッド」のなかで最も個体数が少ないのは上位捕食者です。

あたりまえである。ライオンの大群が二三頭のシマウマを追っかけているような草原ではそもそも食物連鎖が成り立たぬ。

ライオンは空きっ腹のへろへろになって死ぬであろう。

五六匹の鰯を無数のマグロが追跡しているのでは、マグロがみなあらになってしまう。

地球の人口は現在66億9159万人である。

http://arkot.com/jinkou/

へんでしょう?

とってもへんです。

生態ピラミッドの頂点の本来なら一億くらいしか立っていられない面積に67億という個体数がのっかっておる。

こういう自然の法則に著しく反した状態を「不自然」という。


なぜ、こんな不自然が起きてしまったかというと、人間の前頭葉に「言葉」という影が射して、そのあげく「人間には人権というものがある」と考えるにいたったからです。

なかには、「ちょっとくだらんやつが多すぎるから、減らしちまうべ」と考えたひとはいた。ナチスの宣伝班が1939年に出した本によれば「一見そうは見えないが、虚心坦懐に見ると、疑いもなく金髪で碧眼の」ヒットラー同志などは、そのひとりである。

ドイツ人の心眼はすごい。

あれが金髪碧眼なら、ヒットラーにあこがれるあまり髪型がそっくりになった上智大学名誉教授の渡部昇一先生などはブロンディ、と呼ばれても良いのではないか。



1945年に「あんな猿並の知恵しかないくせに自分が利口だと信じたがる連中は、みんなぶち殺せばよい」と前任者の生ぬるさを批判して、本当に全部ぶっ殺しにかかったカーチス・ルメイという狂信者もおった。このひとが「消しちゃうべ」と考えた対象は日本人です。もう一年くらい戦争をやっておれば、ほんとうに根絶やしになったでしょう。

カーチス・ルメイというひとは狂信者らしくやることが周到であって、深川を爆撃したときは、まず対象地域の外側をナパームで攻撃しておいて住民がまんなかに向かって移動した頃を見計らって渦巻き状にまんなかへ向かってナパーム攻撃をした。

焼夷弾」などという言葉を使うから、ルメイ将軍の気違いぶりがわかりにくくなる。

あれは「ナパーム爆弾」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%BC%BE

といって、一千度以上の高熱で対象を一瞬で焼き尽くし標的周辺の酸素を奪って窒息死させるので現代でもその効果の残虐さで有名な兵器である。

カーチス・ルメイ、知っていますか?

この日本人をみな殺しにしようという計画を立てて、もう少しでその計画に成功しかけた将軍は、日本人を大量に虐殺した功績により 勲一等旭日大綬章を授与されて、満足して死んだ。どこの国の政府からかって?もちろん日本政府からです。

変わった政府もあるものです。

アメリカの無差別爆撃の不法を訴えて法廷闘争に論理上勝利し従容として死についた岡田資中将にはブリキの勲章もやらなかったが、ルメイには

感謝の勲章を与えた。深川の掘り割りを火のついた髪の毛を振り乱しながら死んだ6歳の女児や、赤ん坊を抱え込んで文字通り炭になった若い母親のような「極悪な自国民」をたくさん殺してもらったお礼なのだろうか。


閑話休題

67億、というような個体数になると、

人権を守る、というようなことは、もう無理だ、と考える人がだんだん増えてくるのは当たり前です。

人間の平等などというのは人口が少なかった時代のスウィート・ドリームにしか過ぎない。

これからは役に立たんやつは、要らん、ということになってゆくようである。

移民の受け入れ、というようなことになると、すでにそういう選別は当たり前で、前にも書いたとおり、ニュージーランドなどはデブはニュージーランド市民になれない。

BMI制限がある)

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080204/p1

永住ビザも取れません。

デブPという、わっしの友人は自分が老人になる頃には「社会にとって有益な人間にしか市民権の保持を許さない」ということになるのではないかとマジメにおそれておる。

あの怠け者がときどき狂ったようにマジメに働くのは、その恐怖感に因っているようだ、とデブPのやっぱり豊満なかーちゃんがゆっておった。

これを「人口が増えればデブが働く」という諺にしてもよい。

デブPは、たださえ不足すると言われている食べ物を4人分は消費するので、実際、市民の選別がはじまると危ないのではないか、とわっしも思います。


アメリカ人に生まれたからアメリカ人であって、日本人に生まれたから日本人である、ということが保証されるのはいつまで続くだろうか?

と、わっしは考えることがある。

大庭亀夫様、という政府からの葉書が来て、「あなたの生産性は国の決めたガイドラインを下回っておりますので、残念ながら来月末日までに出国していただくことになりました。下記期日までに成田空港にお越しください」っちゅうようなことになるのではなかろうか。


むかし中国高官が「近い将来、人口の過剰によって一定の人間が死なねばならないのは自明であって、われわれの役割は、死んでゆくのが中国人以外の国民であることを保証することである」と言ったことがありましたが、取りあえず、このひとが中国のひとよりも外国人であるわっしの死を願っていることの不気味さはおいておくと、政府の人間として「立派である」というべきかも知れません。

「国家の役割は国民を食べさせることである」というテーマが中国ほどはっきりしている国はない。

67億、というのはマルサスもびっくりのすさまじい数であって、このひとりひとりに「人間らしい環境を約束する」ということは今の時点でももう不可能です。

当然、哲学経済学宗教ですら、この過剰人口からの圧力で変容してゆくでしょうが、

とりあえず民主主義の終焉は避けられないのではないか、とわっしは暗い気持ちになることがある。

こういう変化は意外といろいろなところですでに起きていて、必ずしもアフリカ諸国のように貧困にあえいでいる国だけで起きているとは限らない。たとえば合衆国に住んでいる病人にとっては「金の切れ目が人生の終わり」なのは常識である。

(いつか朝日新聞にアメリカ在住の日本の女のひとの投稿が載っていて「アメリカ人の夫と日本に住もうと考えたが、保険制度がひどいので諦めた」と言う。

保険金をいちゃもんをつけまくって支払い拒否ばかりしているので有名なアメリカの保険会社の面々は、これを呼んだら泣いて喜ぶに違いない。

でも、これはフツーに考えてねつ造か、悪質な冗談である。

日本の保険制度のほうが途中で金をちょろまかすやつがおおすぎるにしてもアメリカよりは千倍もマシです。

いまだに、あの投稿はどういうことだったのか、ちょっともわからん。)


日本の場合は、やっぱり一級国民と二級国民とかに分類して切り抜けるのだろうか。

食料の自給率から考えて一級1割(なんでも食べてよし)二級3割(陸上動物由来タンパク質以外はなんでも食べてよし)残りは三級で一日2000カロリーのレーション、っちゅうふうでしょうか。


まーた、なにバカこいてんの、とゆわれそうですが、2025年とかになると、簡単に計算して「もう一個地球が必要」のように見えます。

2025年って、わっしもまだ確率的に予測して生きてるでねーか。

げえー、と思うわっしであります。

もっともニュージーランドカナダアルゼンチンと並んで2025年におけるただみっつの食料自給国という予想なので、いざとなったら、かーちゃんの家で作男でもやっか、と考えました。

(しかし、また今度はこれをネタに移民排斥が起きるに違いない...あー鬱陶しい)









日本人の肖像(4)早川徳次

Sharpホームページをひらくと、いきなり

「まねされる商品をつくれ」

という早川徳次の声が聞こえてびびります。

「ひとつの製品を開発して、商品として売り出すまでにはいろいろと苦労がある。ところが、それがいいとなると他社もまた同じようなものを売り出す。日本人はまねがうまいと言われ、商業道徳上からこれを非難する人もいる。しかし、私は会社の研究部あたりには「他社がまねするような商品をつくれ」と言うのである。他がまねてくれる商品は需要家が望む良い商品、つまり売れる商品なのである。だから、いつも他がまねてくれるような商品を出すよう心がけていれば、企業は安定して成長していく。まねが競争を生み、技術を上げ、社会の発展になっていく。ただ、先発メーカーは常にあとから追いかけられているわけだから、すぐ次を考えなければならないし、勉強を怠ってはならない。また、一つが良いからといって現状に満足してはならない。元祖だからといってじっと構えておれない。さらにより優れたものを研究することになるわけで、まねされることも、結局は自分のところの発展に役立つと考える。」

と書いてある。

まるで日本の将来を提言しているようで、こういうひとが常に歴史を辿り戻ってみると存在するところが日本のひとのラッキーなところである。

わっしが中国のひとと話すといつも感じることは、彼らには「いま自分たちがやっていることは本当にこれでいいのか。こういうやりかたで大丈夫なのか」と、いつも自信がないことであって、わっしが考えるに、これは結局、「先達」というものがいないからのようです。

寄る辺、というものがないから不安でたまらない。

上の早川徳次の言葉の「他社」を他国と言い換え、「会社」を「自国」と言い換えれば、日本が進むべき道をそのまま言っているように見えます。

第一、なんちゅうカッコイイじいさんでしょう。


現代の「シャープペンシル」の原型は「早川式繰り出し鉛筆」と言って、この早川徳次が発明したものでした。日本では「こんな金属製の鉛筆なんかおかしくて使えるか」というので全然売れなかったがヨーロッパでは大評判でしばらくして合衆国でもバカ売れした。

Yard-O-Ledはいまでも「クラシック」デザインを、「伝統ある当社の誇り」と言って販売しているが、なに、あれはですね、実は当時の早川徳次の「シャープペンシル」に控えめに言っても「そっくり」である。

http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2000/sharp/sharp.htm

わっしが大好きな日本の大発明「右からでも左からでも開けられる冷蔵庫」は、こーゆーひとの作った会社だから出来たのである。

あれで、もちっとまともなコンピュータを作ってくれるともっとよいのだが。

(わっしのAMDPCは購入当時から夏になるとノートブックなのに熱暴走します。

キーボードで火傷しそうになったこともあった。これを真似しようとする会社はないと思うぞ--->シャープのひと)




日本人の肖像(3)中村雅楽

14:11

雅楽はむろん現実の人ではない。戸板康一の推理小説シリーズの主人公の歌舞伎役者です。わっしはもともと歌舞伎があまり好きではない。

なんだか通俗に流れすぎていて、しまらないような気がする。

わっしは断然能楽のファンであって、日本にいたときはよくこそこそと観に行ったものであった。

でも雅楽を読むと、ああ歌舞伎っちゅうもんもいいものかもな、ちぇっ早とちりして嫌って損した、と思う。

そのくらい魅力のある世界に雅楽は生きています。


中村雅楽の世界には「間の良さ」「品の良さ」がうまく混交されていて、丁度偉大な小津安二郎の映画の世界に似て、「日本」という国がかつてもっていた優雅さと静謐がよくわかるように描かれている。

かつては存在した文化の残照がいろいろな事件や人物を、その文化の文脈で浮かび上がらせる、という点で戸板康一はカズオ・イシグロのようである。

探偵小説としても、古典的な推理小説の文法を守りながら、トリックは斬新であり、あるいはいくつかの古典的推理小説をうまくひねってニヤリとさせられたりで、わっしは、日本の推理小説の最高峰であると思ってます。


歌舞伎座の前を歩くと、雅楽老人がタクシーから降りてきそうな気がする。

はちまき岡田のいすに座っていても、雅楽と竹野がのれんをすっとかきわけて入ってきそうな気がします。

わっしは、念願の「中村雅楽探偵全集」(東京創元社)を手に入れたので、今度、まとめて読んで見た。歌舞伎評論家が本業である、ということが災いしてか、余技としてしか評価されなかった戸板康一の腕の冴え、というか、その完成した美しい世界に5巻の本を読んだ後、しばらく呆然としていしてしまいました。

「松風の記憶」お最後、死にゆく歌舞伎役者が「松風の音が聞える、いいなあ松風は」

というところがあって、わっしは不覚にも泣いてしもうた。

「松風」という言葉に重層的に反響する意味合いを思えば、この歌舞伎役者の、死にゆくもののはかなさ哀れさというものが胸に迫って、人間の死や生きることの意味合いを思わずにはいられないひと言です。

わっしはガイジンなので雅楽になれないが、是非、大庭亀夫には修行して、いつかは雅楽のような立っているだけで日本の文化が香るひとになってほしい、と思うのであります。








日本人の肖像(2)宮崎繁三郎

ブログを閉鎖しているあいだ、日本との関わりがまるでなかったかというと、そんなことはない。わっしは日本語の本を最低一日一冊は読むことを日課にしているので、日本語は常に頭の中で活動してます。

だいたいテーマを決めて読む。

日本語を学習することの良い点は、日本のひとは言語的にマイノリティであるにも関わらず読書家であって何についても大量の書籍がある。

これが楽しいのす。

「戸籍」なら戸籍について、日本の食肉産業なら食肉産業について、いろいろなひとがたくさん書いている。なかにはものすごく変な本もあって、「日本に来た外国人」について20冊くらい買いためた本を読んでいたとき

ルーシー事件の真実」(飛鳥新社)という分厚い本を読んだ。

これは基本的に犯人を擁護しようというかなり無理な試みをした本であって、小さな活字で796ページもある。

なんとかして殺された責任の一端はルーシー・ブラックマン本人にある、と言おうとするのにそれが自分で書いている端から論理が崩壊する、という不思議な本であった。

わっしのブログには閉鎖するたびに「どっかへいってしまった」コメントがたくさんある

が、ときどきそれが見つかる。バックアップソフトが圧縮してとておいてくれたからです。

そのうちのひとつに、こういうのがあった。


ある日本人 (121.113.224.228)

『先の大戦では、我々日本人はアメリカに負けたのであって、イギリスに負けたとは

誰も思ってないよ。ロイヤル・ネイビーはたいして強くなかったし、ホーカー・ハリケーンやスピット・ファイアーは、ゼロ・ファイターには歯が立たなかったもんね。

何故イギリス人は、あんなに偉そうにしているのかね?』




ふむふむ、とわっしは考えます。これも日本にいると非常によく聞く意見です。

わっしはヒコーキ気違いなので、前半部分は議論したいことがいろいろあるが、この性格がワルソーな「ある日本人」さんとでは嫌である。「イギリスに負けたとは思ってない」という部分については日本の人がそう思っていることは、わざわざイギリス人の集まりに招待されて「イギリスには戦争で勝ったと思っている」と言った某大手企業会長もいたりするくらいで、連合王国人はわりとよく知っている、と思います。

知っているから、日本の人が「前の戦争を悔やんでいる」 と言っても信用しないひとがたくさんいる。心の中では「強いアメリカさえいなきゃ、また同じことをやってやるさ」 と考えているに決まっているからです。

こーゆー絵に描いたような「醜い日本人」が現れると、わっしはまともな日本人を思い出そうと務める。精神の健康のためですね。

「ある日本人」さんが読んでいないに違いない歴史に「インパール作戦

http://www.kcnet.ne.jp/~kubota/

というのがある。「ある日本人」さん同様「イギリス人になんか負けるはずがない」と考えた牟田口廉也

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F

が、大将への出世を焦って英印連合軍に対して起こした作戦であって、「ある日本人」さん並の杜撰な頭でつくられた作戦を発起した結果は、 投入兵力72000人のうち6万人

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/innparu.htm

が戦死乃至戦病死したのす。

インパール作戦について知りたい人は、たとえば、高木俊郎の「インパール」「抗命」「全滅」「戦死」のような簡単なものでもよいから本を読んで見ればよいと思う。

顔がまるごと砲弾ではぎとられた兵隊が命からがら逃げてゆくところや、小便を垂れ流しながら力尽きて死んでゆく兵士たちの話は外国人ですら涙なしには読めないが、ここでは詳しくは触れません。

この作戦の殿軍を務めた宮崎繁三郎というひとは、わっしが尊敬する日本人のひとりです。

半藤一利という編集者下北沢の小さな店(わっしは日本にいたとき行ってみたが残念ながら場所がわからなかった。むかしの地図の「久松眼科」の近くではないのだろうか?) に訪ねていくと戦争の話をいっさいせず、自分がインパール作戦中常に肩のうえに乗せていた猿を連れて帰れなかったことだけを口にして悔いるところがある。

この宮崎というひとは戦史をよく読んで見ると、すさまじいばかりの戦さ上手であって、 全軍瓦解した戦線にあって、食料も弾薬もなく武器とも呼べないような19世紀的な武器を使いながら、他軍の落伍者までを収容しながら、誇張でも何でもない地獄の戦線を退却してゆきます。

西洋ではまったく知られていないように見えますが、 これほど不利な条件の退却戦を最後まで破綻なく戦った例は戦史を通じて空前絶後である、と言っても良い。

しかも、このひとは戦後、マスメディアからの勧誘や大企業からの顧問就任の懇請も断って、小さな商店の主として死んだといいます。

わっしは「豪傑」という日本語を見ると、いつもこのひとのことを思い出します。

「日本人」という言葉を使うときには、いつもこのひとの冴えない田舎のおっさん然としたカッチョワルイ風貌が頭のどこかにある。

このひとは軍人であって、その凄味は残念ながら軍事知識がないと理解できません。

軍事知識のようなものは、職業軍人か、わっしのようなオタクくらいしか興味を持たないものであって、したがってあんまりこーゆーところで云々できませんが、それでもわっしが自分が尊敬する日本の人について書くいちばんはじめに、このひとについて触れたかった。


わっしの「日本がこのままだめになってゆくわけではないはずだ」という議論の支えになっている冴えないおっちゃんなのであります。

0xFFFFFFFF0xFFFFFFFF 2008/08/02 22:04 大衆という「天然資源」からマネーという「エネルギー」を取り出し存分に利用してきたExxon創始者の子孫やCNN創始者のような人種がこれ用済みとばかりにその資源自体の削減を公言するのは面白いです。

まぁ、人口過剰は諸悪の根源なのは事実ですけどね。

減らせるだけ減らした後は「ヒトのように知能のある」大衆は保護すべきだ!なんて現在の捕鯨論争に似た現象が起きているのかもしれません。^^

gameover1001gameover1001 2008/08/03 08:27 0xFFFFFFFF さん、

わっしなどは、あちこちうろうろしているだけの「ぷー」なので、
真っ先に分別ゴミとして回収されるのではないでしょうか。


ヒトのように知能のある」大衆は保護すべきだ!という運動が(多分) グリーンピースのみなさんやシーシェパードのみなさんを中心にして澎湃としてわき起こっても、
「ガメちゃんは、アホだからお墓に入ろーね」ということになりそうな気がする。
うーむ。書いていても冗談に聞こえん。

0xFFFFFFFF0xFFFFFFFF 2008/08/03 12:06 リンク張り忘れてました。
http://uk.youtube.com/watch?v=DSlB1nW4S54
http://uk.youtube.com/watch?v=ClqUcScwnn8

> ヒトのように知能のある」大衆は保護すべきだ!という運動が(多分) グリーンピースのみなさんや
> シーシェパードのみなさんを中心にして澎湃としてわき起こっても、
> 「ガメちゃんは、アホだからお墓に入ろーね」ということになりそうな気がする。
> うーむ。書いていても冗談に聞こえん。

鯨油を取ってハイ終わり、ではなく鯨肉もゴミとして処分せずにキチンと食していた「もったいない」精神溢れる日本人に習って、人肉に次世代の動物性タンパク質を求めるのも良いかもしれません。

人肉の流通によって家畜(二つの意味で)を削減でき、尚且つその肥料にまわす穀物を人間にまわせるのだから一石二鳥です。^^

...というのも冗談に聞こえませんね。

gameover1001gameover1001 2008/08/03 17:36 0xFFFFFFFF さん、

http://uk.youtube.com/watch?v=DSlB1nW4S54
http://uk.youtube.com/watch?v=ClqUcScwnn8

面白いyoutubeを教えてくれてありがとうございます。
テッド・ターナーとかロックフェラーが言うと、いかにも邪悪な感じなのがおかしいですな。なんだかバットマンに出てくる悪役のようである。
しかし、これに噛みつきまくっている人権擁護家の言い分が正しいか、というと「正しいんだけど」と考え込んでしまう。
この問題の難しさは結局、人間の(特に西洋式のひとりひとりの人間に「フリーマン」としての人権を認める)これまでの価値観を守り通すと破滅に直截つながるしかない、というところが難しい。問題を人間に対する選別を許容しないで解決する方法をわれわれが持ち合わせない、というところが難しい。
ご存知の通り、もう食料の輸出を禁止する国が現にある。
中国のように人権を制限してコントロールする、というやりかたが他の国でも採用されいくかもしれません。資源を有効に使うには全体主義経済がもっとも効率がよいのはよく知られていることだと思います。日本でも、秋葉原の事件やそれに続く2chの反応などを見てipと戸籍を一致させる、という案を日本の友人が議論していたのを憶えています。
中国では実際にそうしているわけですが、これが現実になれば「自由の舟」であったインターネットが一挙に管理の道具として使えるわけです。
わっしのブログが酒の肴になっていたその席では、「あそこまでモラルが低いのでは、言論の自由もくそもなかろう。豚に真珠とも言うぞ」という冗談の一環として、実際にどうやってipと住所を一致させるかのテクニカルなレクチャをしているひともいました。

ソイレント・グリーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC/dp/B00009SF9T

は2002年が舞台でしたが、そうなったらわっしはどうするかなあ。
考えても簡単に答えが出ません。

2008-08-01

gameover10012008-08-01

日本人の肖像(1)コメントを付ける人たち

00:37

わっしはときどきブログを閉鎖する。

理由は簡単でコメントを見てうんざりすると閉鎖している。

わっしのブログを閉鎖させようとおもえばことは簡単で、わっしを侮辱することだけが目的のコメントをひとつでも書き込めばよい。わっしのブログはすぐに閉鎖になる。


前回は、

『ガメさんこんにちは。

コメントするのは初めてですが、時々読ませてもらっています。

>さかなやさん

>こういうことを言うひとは下品でみっともないです。

私も同じ意見です。

>ガメさん

戸籍というのは中国台湾朝鮮で古くから取られている制度です。国から見た民の1単位を「個人」にするか「家族」にするかの選択で、日本を含む東洋では「家族」を、西洋では「個」を選んだんですね。ガメさんがいみじくも言ったように「私たちは根本から違う」のです。

もちろん時代に合わない部分はその都度変えるべきだと思いますし今までそうしてきましたが、基本的に私たちは飛鳥時代からの長きに渡ってこの制度でうまくやってきたのです。

ガメさんに持って欲しいものはただ一つ。

「国によってそれぞれ異なる風土、歴史、宗教、文化があり、異なる考え方があり、それは最大限に尊重するべきだ」という認識です。これは国際社会の「常識」ではありませんか?(違っていたらご免なさいね)

これまでガメさんは日本の捕鯨食文化、会議などの卑近なことから戦争、国家、社会に至るまで一貫して「西洋(白人)キリスト教文化」という名の物差しで日本の全てを測り、これはおかしい、気持ち悪い、理解できない、怒りがわく、「西洋風に変えるべきだ」と言い続けていますよね。

「日本のここが駄目だから日本人は世界から忌み嫌われる」という手垢のついた脅し文句とともに。

貴方が属し、よしとする西洋文化を「世界にただひとつの正義や善の絶対基準」にして(それがどんなに自分にとって常識でそこから見れば野蛮にしか見えないとしても)、他国の選択に対して愚民奴隷だと断じること。

これはさかなやさん仰るところの「下品でみっともない」行為じゃないかと私は思いますが、ガメさんはどう思われますか?』

というコメントが原因であった。このひとは日本人の一典型であって、一見まともに礼儀を守って意見を言っているように見せながら、発言自体は傲慢・相手の言うことの強引な曲解・相手に対する侮辱だげを目的とするレトリックという世界中の人間がもっている「憎むべき日本人」を体現している珍しいひとであった。

わっしは面倒くさいし、この「とん平」というひとのコメントを見て憤慨して書き込みをしてくれた「仙人掌」さんや「Jodie」さんまで巻き込んで論議するのがいやだったので、ブログをやめてしまった。

やめて何をしていたかというと、他の国民とブログで遊んでおった。


正直に言うと、むかしは日本のひとが好きであった。

母国語(英語だす)のフォーラムでは本人は公平に論じているつもりでも「なぜ、あなたは日本人のカタをもつのか」と言われてばかりであった。

捕鯨の問題、その幼児ポルノとの関連が問題になる日本製アニメの問題、遠洋漁業の問題、戦時犯罪、そのいずれにおいても「日本のカタを持ちすぎる」 と言われた。

それがだんだん変わってきたのは、このブログの前身であるブログを始めてしばらくたった頃からで、「外人、死ね」「アングロサクソンめ、殺してやる」 というコメントやメールがくるようになってからです。

その頃のことは前にも鯨の踏み絵の話としてブログに書いた。

http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/%e8%b8%8f%e3%81%bf%e9%af%a8/

実際あの頃は、ほとんど何の根拠もなく毎日毎日罵詈雑言にさらされてうんざりであった。

わっしはただ日本が将来どの国も捕鯨をせざるをえなくなったときに日本だけが捕鯨が出来ない、という事態になりかねないことや、

官庁の一機構が予算を守りたいだけで行っている、というおよそ不真面目な動機の「調査捕鯨」のせいで、西側世界で最良の日本への理解者であったオーストラリアとのあいだに緊張が起きる、という事態を黙ってみていたくなかった、という気持ちで書いただけであった。

いま思えば「日本の人に対して親切心をもつと当の日本人から手痛い目にあう」という日本の友人たちの意見は正しかったのす。

2チャンネルからやってきたひとがほとんどな、こーゆーひとたちに、それでもわっしはひとりづつ、懸命に返信を書いておった。いかに日本人でも「議論」ということに興味くらいは持つだろうと思っていたからです。

しかし、その結果は惨憺たるものであって、わっしが学んだのは「日本のひとは議論ということをする能力がそもそも無い」のだということと、日本の人は文化的にもともとすさまじい傲慢さに取り憑かれたひとたちなのであって、自分たちを正しい、と認める人間以外はいっさい敵と見なすのだ、ということであった。

わっしは、めんどくさがりなのでバカが現れると、ブログを閉鎖する、ということを繰り返しておったが、モニが、「それでは日本のひとに対して十分に親切だとは言えないでしょう」と言う。

だから、ときどき、正面から相手をしてあげることにする。


上の「とん平」さん、で言うと、これは「戸籍」という記事

http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/%e6%88%b8%e7%b1%8d/

についてのコメントであった。

あらゆるこの手の日本のひとの論議と同じで一見まともそうに見えるが、

>戸籍というのは中国台湾朝鮮で古くから取られている制度です。

というところがすでに大嘘である。

「知らない」のであれば、まだ救いがある。

しかし、この「とん平」というひとは、明らかに知っていて、言っている。質が悪い。

バカガイジン相手ならばれないと考えたのでしょうが。

韓国人セーラー服姿の美しさ」についてあごが外れるような論評をした日本の政治家と同じである。

人間の心が本当にあるのか?


悪意だけで書き込みをするひとに真面目に説明するのは面倒なので、ヨーロッパ諸国に調査団を派遣したりして明治人がつくったこみ入った事情のある日本の戸籍制度について避けて、「とん平」さんのような頭に藁と悪意しかつまっていないひとでも分かりそうな台湾についてだけ言うと、言うまでもなく台湾の「戸籍制度」は日本の台湾植民地化と共に日本政府が台湾人に強制した制度であって、植民地支配の一環である。そういう歴史的事実を知りながら

「戸籍というのは中国台湾朝鮮で古くから取られている制度です。」

と平気で強弁するところがいかにも日本人であって、この「とん平」さんのコメントを知ったわっしの台湾人の友達は、怒りのあまり中華料理屋の小卓(主卓の脇のワゴンっすな)を蹴り倒して、わっしをびびらせた。わっしが、「とん平」さんのコメントにうんざりした、という話をした瞬間、まことにすさまじい形相で怒ったのであって、わっしは、このひとがこんな怒りの感情をもっているのだとは、知らなかったのですっかり驚いてしまった。

「ガメちゃん、日本人なんか、この世界にいるべきでない」と、このひとは言う。

「どんなことがあっても、こんなひとたちを許すべきでない。アメリカが、日本人を許したから、こうなった。あいつらも悪い。日本とアメリカはアジア人の共通の敵だよ」とマオツオートンのようなことを言う。

あまりの論理の飛躍にボーゼンとしてしまったが、しかし、怒りというものは論理を飛躍させるのです。仕方がない。

「とん平」さんのような恥知らずな発言を、どうして日本のひとはヘーゼンとするのだろうか。

わっしは、不思議に思う。

「とん平」さんのコメントの他の部分は、「とん平」さんのコメントに「えー?」と思ったひとのメールやコメントで、他の日本のひとの反応もわかっているからいいのす。

わざと誤読して、相手を侮辱することに専念しているだけである。

「とん平」のようなひとのレトリックというのは、ひとりの人間が、わっし程度であっても「日本語」を習得するには、どのくらいその文化に対する尊敬と執着がないと出来ないか、というごく簡単な事実を故意に無視することによってしか成り立たない。

じぶんが神かなにかだと妄想しないと出来ない立場にたって、わっしら「アホなガイジン」に教えを垂れるのであって、日本人らしい、というか、われわれが子供の時から教わった

「卑怯で傲慢で不愉快な日本人」そのままである。

もっとも、わっしのいまの日本語の力をつくった日本と日本文化への敬意そのものを「とん平」さんは見事に破壊してしまった。

現にわっしの関心は中国と日本と半々であったが、いまは中国のほうに大きく傾いている。

理由は簡単で「中国のひとは話が出来る」からです。

チベットにかんして、わっしが大声で批判しても、彼らはちゃんと聞くことが出来る。

「議論」が出来る。

日本のひとには逆立ちしても出来ない芸当が、中国のわかいひとは出来る。


わっしは、うんざりしながらそれでも「とん平」さんに、誠心誠意考えた返信を書いたつもりである。その答えは、


とん平 (210.153.84.106)

『ガメ・オベールさん

>キリスト教の本と言えば「不合理故に吾信ず」くらいしか感心して読んだ本がないわっしは、どうもわかりません。

文化圏のお話なのでガメさんが週に何回教会に行くかとか、キリスト教のどの本を読んだか等はあまり重要ではありません。私が言いたいのは、ある国の文化や、個人の形作る倫理、ものの考え方というものは宗教と無関係ではない(だからと言って全てでもありませんが)ということです。それは70%が自分は無宗教であると自己申告する日本でも同じこと。これ、肝心なところですが・・お分りになりますか。それから私は今ガメさん個人にお話しているので、フランスイギリス等々、西洋のお歴々にご登場戴かなくて結構ですのでどうぞお帰り頂いてください。ガイジンではなく個として扱って欲しいのでしょう?

>そうしているつもりなんですが。

そうですか?例を挙げよと言われればいくらでも出しますが、例えばこういうこと↓を放言する人が、「他国の文化を尊重している」と言えるのでしょうか。

---------------------

2007-12-27捕鯨」から引用ここから)

だって、わっしは日本のヒトはイメージとして少なくとも一週間に二回くらいは鯨をくっているのだと思っておった。正直言って「きーもちわりぃー」と思ってました(わっしは犬をたべるのより鯨のほうがきもちわりい、と思います.....ごめん)

(中略)

シャチョーは静岡にいたときイルカをよく食べていたそうで、「スーパーで切り身で売ってるもん、うまいんだぜ、あれ」 とかヘーゼンと言い放つので、わっしの頭の中ではいまだに「シャチョー=食人鬼 」のイメージがある。

(ここまで)

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さらに言えば、こういう意見は「どこかひとつの文化を正規の基準」に置かなければ出ないものなのです。

>「他人の国の悪口をいっさい言うな。失礼である」 というご主旨であるとすると

そういう主旨はありません。無自覚にせよ自覚的にせよ、善意にせよ悪意にせよ貴方の発言が違う立場の私に「どう見えるか」を書いた次第です。たまには御自身を違う角度から見るのも良いと思いますよ。See more glassってやつです。非常に難しいかもしれませんが。

>とん平さん、わっしのどーでもよいブログなんか読まなければいいのです。

このブログは、わっしが日本語を上達させるために書いて練習しているものを公開し

ているに過ぎません。

えーと、そう思われるなら誰でも見ることの出来るネットに公開などしなければ良いのでは? 非公開のフォーラムなり、チラシの裏にでも書いては如何でしょう。

ネットで公開する自由が保障されるという事は同時に読む自由も保障されるという事であり、真剣に書こうがふざけていようが公開した内容は批評の対象になるというのをお忘れなきよう。』


わっしは、ここに至って中国系の友人に言われた「日本人を自分たちと同じ人類であると思って付き合うと必ず後悔することになる」という言葉を思い出した。

ここに引用されたシャチョーや「さかなや」さんも呆れてはいたが(とん平さんというひとが、日本語をまったく誤読する名人だからです)、わっしはこの「とん平」さんというひとが「2chに巣くう例外」だとは、どうしても思えないのす。

結局、この「とん平」さん、というひとは日本人の姿を要約してみせてくれたのだと思います。傲慢で夜郎自大であって悪いことにしか頭が向かない傍迷惑なだけの国民なのではないか。

もし、そうでないなら、それにはどういう根拠があるのかわっしは切実に知りたいと思うことがあります。

日本のひと。

あちこちでこのブログを「反日サイト」だ「こいつを殺せ」と言って煽っているker0sukeさん、 「とん平」さん、「2チャンネルのracist」 さん。あなたがたは、こんなことばかりやっていて恥ずかしくないですか?

わっしの友人たちがやっていた日本語クラスの生徒たちは、あなたがたのせいで、みんな中国語クラスに鞍替えしてしまった。理由は簡単で、中国のひとは議論をする、ということが出来るからです。日本人だけが優れているのだ、と言う日本のひとたちとは土台ものが違う。

不愉快なこともずっと少ないのです。


あなたがたが日本という名前に与えたダメージは、あなたがたが考えるよりもずっと大きいと思う。

その点では、あなたがたは嬉しくて仕方がないのではないか。

なぜなら、このブログ(社会的なことがテーマの部分)は、わっしの友人が付けた英語の要約と共に、アジアに関心があるわっしの友人たちはずっと読んでいたからです。

外からはうまく見えない日本のひとの「本音」をわれわれはみな知りたかった。

結果は「やはり他のアジアの国の人が言うことのほうが正しそうだ」ということでした。

さんざん白人のサルマネをして、アジア人に対して「優越民族」として振る舞いながら、いざ白人たちが自分たちを「白人」として認めないとわかると、今度は「人種差別」だと言って喚き立てる。

いったい日本人としてのアイデンティティはどこにあるのか。

鈴木その子先生のように、顔を真っ白に塗りつぶしてみますか?

それとも薄汚い金髪を染め直してみるか。


あなた方の「夜郎自大」ぶりは、少なくも日本に関心がある何十人かの大学生たちには翻訳されて伝わっています。

あなたがたが面白がって与太をとばすたびに、その「与太」を深刻なことの兆候と受け取って日本という国を警戒すべき国であると理解する真面目な学生たちがいるのです。

わしらが何か機会があるたびに聞かされてきた「日本人を信用するな」「日本人を許すな」というアジア系学生たちの言葉が真実であることをブログをやっているあいだじゅう、何十人という日本のひとが証明しにやってきた。

それでも自分の国のなかではなんのインパクトも与えられなかったあなたがたにすれば

「バカなガイジン」たちに「日本人を相手に生産的な議論をしようとすることのムダ」をあまねく教えただけで、うれしくてしようがないのでしょうけれど。

そんなことばかりやっていると、やがて「あなたたちこそ、この世界には要らない人間なのだ」と言われるのではないか、と思わないのでしょうか。

windwalkerwindwalker 2008/08/02 13:06 中国には『憤青(糞青)』という頭の悪い愛国主義的若者がいて、日本にも2ちゃんねらーの中に頭が悪いのがいる、ということだけだよ。頭が悪い(というか、もっと明確に言えば『世間知らず』な)ヤツはどこにでもいて、日本にもそれはやっぱり存在する。実際、そんなに頭が悪いやつに会ったことがあるかい? あんまりないと思う。世間知らずは、世間に出てこないから世間を知らないんだからな。ためしに今度は『中国語で』中国批判を書いてみるといい。韓国語でもいい。ほどなく中国のBBSにURLが貼りだされ、憤青(糞青のほうが有名か)が大量に来ることになる。そこで、日本の荒らしと糞青の違いを考察してみると面白いと思う。たぶん今度は、『アジア人は議論が出来ない』と言い出すだろうな。ほんと凄いぞ、糞青は。一回やってみることをオススメするよ。

gameover1001gameover1001 2008/08/02 13:43 windwalkerさん、

「憤青」と呼んでいたかどうかはわかりませんが、中国人の友達からそーゆー話を聞いたことがあります。日本とは違って「現実の政治的脅威」だと言っていたのが印象に残ったのでおぼえている。

うーん。まっ、windwalkerさんの言う通りかも知れないですね。
でも実際にネット上では、(仰るとおり、偶々の巡り合わせかも知れませんが)中国のひとのほうが少なくとも話題を必死で勉強してから猛然と立ち向かってくるようなところがあってどうしても日本の場合と比較してしまいます。あっちのほうが憎たらしいけどマジメである。

しかし考えてみると、日本でも実際に顔を知っている友人は、(やや自分の国について無関心すぎるところはありますが)極めてまともで議論も出来るひとばかりではありますね。
彼らが日本の社会では「自他共に許す選良」なので、なんとなく「一般日本人とは別か」
と思っているだけなのでしょうか。

こーゆーことを言うと怒られるが『アジア人は議論が出来ない』というのは、正直に言って割とそう思うことがあります。感情的すぎて、何の議論か忘れてしまっているし、他人の言うことをまったく聞いていない。この点に関しては印象で言うと韓国系の学生たちがいちばんひどかった。次が中国の学生。日本のひとは現実世界の討議では、どの国の学生よりもヒドイ英語で文字通り扼腕しながら話すのですが、非常にシャープな意見が多かった(もっとも、いまこうやって書いているときに思い浮かべているひと(女性)は将来の教授間違いなしの超人なので、例として不適切かも知れませんが)

時々アジアのひとが「議論というものがわからない」のは。そもそも学校で「議論」の時間が無い、という単純な理由ではないか、と考えることがあります。
日本の学校でもたとえばwindwalkerさんに「韓国人の立場を代弁する」役をやってもらって、議論するような授業をやってみればいいのになあ、と思うことがあります。

日本は核のことでも領土問題でも他国民だったら絶対に黙っていないことを、黙っていて誤解されていることがたくさんあるとわっしは思う。
その一方ではwindwalkerさんが「頭が悪い」という2chのひとの多国民への思い上がった愚弄だけが紹介されていく。
外から見ていて、「日本人なんて、いらねーな」と思う土壌ができつつあるとわっしは感じます。

「鎖国したい」と言う日本のひともかなり多いように見受けられますが、鎖国してかつてのブータンのように決然と赤貧に甘んじる勇気がほんとうにあるかどうか。
やはり他の異質なひとびとと辛抱強く議論するしかないのではないか、と思います。

windwalkerwindwalker 2008/08/02 14:42 基本的に、誰かの発言が頭が悪く見えるのには2つの立場が推測される。
1.考える能力が無い
2.考える必要が無い
つまり、「頭が悪い」か「無責任」という立場にあるということです。本当に頭が悪いのはこの際置いておいて、無責任な場合はあまり考えずに発言するから底が浅いことを平気で言ってしまう。
たとえば、2ちゃんねる経由の炎上で群集心理丸出しでここに来た『責任感が全く無い人たち』を日本人の典型として論じるのは、これに関してなんら責任感を負う立場に無いから言えることです。
自分の発言に対する責任感の欠如を背景にした放言をする人間が、日本にも多いのは現実です。ゆとり教育を推進したヤツとか。でもそれは、どこでも一緒です。ドイツでもかつて、移民を受け入れようと言った奴がいましたが、そのツケを払っているのはドイツ国民だったりします。

ちなみに、もし本当に頭が悪い日本人に会ってみたいなら、地方都市のパチンコ屋に行って人間観察してみればいい。もちろんこの発言自体が、自分がパチンコ屋とパチンコファンに対して何ら責任感を負う立場に無いから言ってる底の浅い放言です。

gameover1001gameover1001 2008/08/02 14:56 windwalkerさん、

なんだかコメント欄が「windwalker」さんとの対話室みたいになってますね(^^;)
あなたはつくづく変わった人だ。


わっしは「2ちゃんねる」から来る人たちは比較的に日本人の平均像に近い、と思っています。日本人の友達と話しても、「あれが本音でしょうね」 と言う。

ストレスが多い国なので、他人にぶつける憎悪が桁違いに大きいのだろう、と理解しています。「怒り」よりも「憎しみ」が勝っているように見える。
「典型」というのが誤用ならば「一典型」くらいではあるのではないでしょうか。

>ドイツでもかつて、移民を受け入れようと言った奴がいましたが、そのツケを払っているのはドイツ国民だったりします。

というのはやや異論がありますが、(逃げるわけではないが) これからちょっと用があるので、あとにしたい。
悪いことだとばかりは言えませんが、windwalkerさんの議論は観念がやや勝ちすぎて辛いところがあるように感じます。ちょっとわかりにくい。
(わっしが頭が悪いだけだという可能性も十分あるわけですが)
時間があるときに、もう一回読み直してみることにします。