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○米軍、沖縄本島に上陸
日本が無条件降伏するまで攻撃すると決めていた連合軍は、日本本土上陸作戦の前進基地として沖縄を攻略した。沖縄本島に上陸したのは米軍だったが、イギリス海軍も空母4隻、戦艦3隻などからなる機動部隊を宮古島・八重山諸島(石垣島、西表島(いりおもてじま)、与那国島(よなぐにじま)等々)近海に派遣して、同諸島の日本軍陣地を空爆したのである。
沖縄本島への上陸は昭和20年(1945)4月1日だった。日本軍守備隊は牛島満(うしじまみつる)中将の第32軍の約8万6000名、それに中学生以上の沖縄県民で編成した防衛隊や義勇(ぎゆう)隊などが、後方支援(弾薬や食糧運び、伝令などの使い走り)にあたった。女学生も衛生班として戦場に投入された。
沖縄の戦いには最初から前線と銃後(※)という区別がなかった。米軍は読谷(よみたん)、嘉手納(かでな)の両飛行場正面の海岸に上陸したが、そこは村民の暮らしていたところだった。
第32軍は上陸米軍に対して最初はまったく攻撃しなかった。海岸にたどりついた米兵たちは、少しも攻撃されないので、大いに面食らい、やがてこの日がエープリルフールであることに気づき、リラックスした。読谷、嘉手納両飛行場はほとんど戦闘なしで米軍の手に落ちた。
逃げ遅れた付近の県民は捕虜(ほりょ)となり、収容された。米軍はそういう場合に備えて、最初から保護しなければならない住民用食糧30万人分を用意していた。
※銃後=戦線の後方。直接、戦争に参加してない一般国民や国内
○「鉄の暴風」に抗する手段なし
米軍は自分たちができるだけ死傷しないように、上陸する前に大規模な空爆を繰り返した。沖縄本島周辺には空母20隻など大小の艦艇1300隻ほどが集結した。上陸前3日間に空母から発進した飛行機は延べ3095機、1日8時間として30分に60〜70機が爆弾を落とした勘定だ。それに艦砲射撃が加わった。上陸3時間前には最後の艦砲射撃が行われた。約2時間かけて戦艦10隻、巡洋艦9隻、駆逐艦23隻など177隻の軍艦が、9万発の砲弾を撃ちこんだ。“鉄の雨”“鉄の暴風”などと言われたのも無理もない。
用意周到な上陸米軍に対して、日本軍には対抗すべき戦力はなかった。小部隊で洞窟陣地から出撃し、米軍の進撃を遅らせる戦法に徹しようとした。戦車には爆薬を抱えての体当たりで抵抗した。
日本軍の司令部は上陸地点から約15キロ南の首里城地下に構築された地下壕にあった。2回ほど(4月12日、5月4日)、総攻撃と称して、全部隊に壕内陣地からいっせいに出撃せよと命令したが、損害が大きすぎてすぐ中止された。第32軍はできるだけ長く戦い、本土決戦を準備する時間を稼ぐ任務もあったので、全軍が簡単に玉砕するわけにはいかなかったのである。
5月20日を過ぎると、首里のすぐ近くまでに米軍が押し寄せた。玉砕か、撤退かの選択を迫られた。玉砕(ぎょくさい)を希望した師団長もいた。しかし、牛島満軍司令官は島尻地区へ後退して抗戦続行を決断した。
実際に経験された方やそのご家族の方、ぜひ貴重なお話をお聞かせください。戦争の悲劇を繰り返さないために語り継いでいきましょう。
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艦艇
隻
備考
空母
20
飛行機
3095機
大小艦艇
1300
艦艇
隻
備考
戦艦
10
その他の軍艦
と合わせて
177機
巡洋艦
9
駆逐艦
23
壕内から救出された母子。このとき、11名が救出された。
長勇
(ちょういさむ)(?〜1945)橋本欣五郎を中心とした国家改造団体「桜会」の発起人。「桜会」は、1931年3月と10月に国家改造をめざして武力クーデターを計画するが失敗。牛島満軍司令長官とともに摩文仁で自刃。
牛島満
(うしじまみつる)(1887〜1945)鹿児島県生まれ。1944年8月、第32軍司令官。米軍の沖縄上陸以降、首里、のちに摩文仁で作戦指揮をとった。1945年6月23日摩文仁洞窟で参謀長・長勇中将とともに自決した。
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太平洋戦争 ロード・トゥ・トーキョー 沖縄上陸
日本本土攻略のため1945年3月26日から始まった「アイスバーグ作戦」は、民間人を巻き込んだ日本国内で最大の地上戦となった。日米最後の組織的戦闘、沖縄戦を克明に記録。
※「太平洋戦争 ロード・トゥ・トーキョー」は、全13話で構成されています。その第13話をお送りします。
太平洋戦争〜沖縄上陸〜
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貴重な写真と記事で「沖縄戦」をふりかえる
1945(昭和20)年4月1日、米軍は陸軍4個師団、海兵隊3個師団など約20万人の兵力をもって沖縄本島への上陸を開始した。日本は陸軍約8万6000人、海軍約1万人で迎え撃ったが、そのほかに中学生以上の沖縄県民2万−2万5000人が兵士として戦場に投入された。また、高等女学校の生徒ら...
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沖縄本島南部海岸で、日本兵が潜むと思われる洞くつに火炎放射を浴びせる米軍戦車。撮影日時不明【時事】
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