2008-08-14
■[創作]言葉掛けによる指導力
(馬鹿は嫌いだ と言った フーコーに捧ぐ)
当たり前のことだが、私は人の生き方や考え方をコントロールできるとか自分の理想とする方向にシフトできるとか思っていない。
自らのそういうチカラを信じて疑わないのは、カルトな新興宗教のカリスマ教祖か 、人気作家か、とにかく「人気者立場」の自分を自認できている人ぐらいだろう。
けれどもひとさまを指導させていただく立場にある場合、一応、自分の経験上と勉強して来た理念のもとに相談されれば「わたしはこうしたほうがよいと感じている」ということは真摯にお伝えしたいと思っている。
とはいっても相手の焼け石に水状態が予測される場合、伝える為に言葉と表現と方便を選ぶセンスも必要になってくる。
たとえば先日のエントリに書いたように私はなにかよほどの事情がないかぎりは女性が産んですぐ外で働きだすのは母体にも赤ちゃんにも周囲にも負担だし、母子ともに心身の健全のためによくないと認識している。
それは母性愛神話を信仰しているからだとか、かようにイデオロギッシュに浅薄に色づけされて判断される類いやレベルのものでなく(以下は先日のエントリを参照してくださいだが)、自分の経験からして、女性の身体性からみて、よしと思うことをお伝えしたいと思っているだけだ。
けれど子どもを産んでも自己実現にとらわれていて、早く職場復帰したい、早く仕事で自分の夢を叶えたいと焦っている人に「今は焦らずにまずしばらくは育児に専念しては...」と言っても全く反発されるだけのこともよく知っている。
人間は自分の思いを全うせずにいられない生き物なんだと認識しているつもりだ。
だから出来るだけ反発しやすいように「そんなに焦ってなんになる?そんなに急ぐ必要のあることか?」という表現をとる。
すると相手は益々「あんたのいいなりにはならない!?」と職場復帰に、自己実現に急ぐ(笑)。
しめしめ、これでよし。
それがその人のしたいことなんだから、それでいいじゃない?と思っている。
私は常々ブログで書いているように女性の生き方に多様性があって当たり前だと思っているし、各女性がそうすればよいと思っている。
だから、しめしめこれでよし、私の思い通りなのである。
人間は自分の思ったとおりにしたい生き物なのだ。
そして人も自分も我が子も思い通りにはならないことを思い知ることで霊的成長をとげる道のりを与えられた宿業の生き物なのだ(たぶん^^)。
人はとことん懲りないとわからないし、自分でやるだけやって全うしないと理解できない。
だから「こっちの道は辛いよ、イバラの道だよ(今は若いから無理が出来ても、その無理のツケは40代以降、更年期の時にキツイ結果が出るよ)、覚悟ないと続かないよ。」とわかっていても、本人がそっちの道に進みたいなら、邁進したいようにすればいいと思ってる、人は自分の想いを全うしないと元気に生きられないし、だから天邪鬼には天邪鬼向けの言葉が必要なのだ。
それで結果的に本人が望んだ「成功」とやらをたった一時的にでも手にできるのだったら、それでいいのだ。(その後のシンドさは本人が選んだ本人持ちなんだから。自己責任ってやつね。)
素直に言葉通りに人の話を聞く人は、素直というよりは実はもともと「自分の中にそうしたい」という潜在欲求があったわけで、その状態で私の言葉を聞くのでスポッとハマる反応をしているだけで、決して私の指導力や言葉掛けの力の賜物でもなんでもない。その人が本来持つ生命力の素直さゆえんなのだ。
人は相手の言葉から自分の中の希望を見いだしたり、自分の中の仮想敵を勝手にこちらの言葉や文脈を捏造して誤解を膨らませては日常の鬱憤と思い通りにならない不満と余剰エネルギーをこちらに投影して逆恨みしてくる。
強い人は前者、弱い人、ヘタレな人ほど後者的傾向と対応をしてみせてくれる。
同様に成功している(自己実現できる)人は前者、向上心はあるものの現実にはなかなか結果や思うような行程を辿れない人は後者的傾向が強い。
前者は困難に遭遇しても前向きにとらえるように力を使う。
失敗しても次の成功の糧にするし、自分の失敗や現状がうまくゆかないことをいちいち周囲の人の理解や環境のせいにしない。
まわりの人が協力してくれなくても、協力してもらえるような環境づくり、信頼関係を築く長い時間のかかる地道な努力の行程をいとわず、その中で自分の精神面を鍛え、はなから人に依存したり甘えたりしていない。(そういう人だからこそいざという時に助けてくれる人が現れる人間関係を築けるのだ)
自立とは誰の助けも借りずに一人で孤高に生きて行くことではない。
迷惑をかけたりかけられたりしながら「信用と信頼」を相手と自分にプレゼントできる人、困った時に誰かに「助けて」と言え、助けたり助けられたりできる人間関係を築き上げられる人こそが「自立している人」なのだ。(間違っても一方的に助けてもらい甘える人ではないからな、読み違えるなよ、トホホの人へ)
依存心の高い人ほど、自分と違った言説の人を見つけてはモグラたたきのように愚痴不平不満不足文句を展開することにだけエネルギーを使い、自分育てには力を入れないので、状況も変わらず、そういう人には「人のおかげさまをいただいて今の自分が在る」という発想がそもそもないので、いっこうに協力者も現れない。成功(自己実現)などほど遠いし、そもそもそういう人は、(価値ある)「失敗」や「負け」にさえ縁がないのだ。(だって本当のはじめの一歩なんて踏み出しもしないで、愚痴不平不満不足文句を周囲にまき散らすことしかエネルギー使ってないんだもん。止まっているだけのトホホの人だよ)
そういう人には「こういう道もあるよ」と優しく(忍耐だよ、じっさい)呈示しても逆恨みされるのがオチなので(あなたはたまたま運がよかったからそんなことがいえるんだ!とか思っているみたい。はーぁ。)、「おらおら自分の行きたいそのいばらの道を行けよ、全うせよ」と背を押してやるかのように「そんなに自己実現急ぐ必要あるのかね?」と反対語を言ってみせる。
するとこちらの予想通りに反応して反発する。
だいたい人の言説を聞き流したりできないのって、そもそも依存心と甘えが強い証拠。
あぁ自分と違うこと考えて生きてきているんだな、こういう考え方の人もいるのだなって、距離をもってスルーしたり、相手と自分を客観視できない時点で非常に幼い。同業者友がいうには、真摯に表現していても、言い方が優しくないとか言葉の奥に棘があって不快だとかいう奴もいるそうだが、阿呆じゃないかと思う。どんだけヌルい甘やかされた人生おくってるねんと。相手に愛があろうがなかろうが、自分にとって必要な言葉を言ってくれているかどうかを見極められない阿呆は(自分の弱さを認め、今のこの痛さを受け止め、きちんと乗り越えないと掴めない世界が在るのに)、放っておけばいいと思う。そういうひとはしょせん「そこまで」の人なんだから「そこまで」の世界で生きてリャいいだけの話なんだけど、そういうヤツに限って「そこまでの世界」には安住できないらしく、つまり非常にあつかましいのよね。高いのはプライドと焦る向上心だけで、実際的な行動には結びついていないという....。
自分の目先に見えている義務と責任は果たしたくない割りに、それに見合わぬ「(身の丈以上の)権利と権限」だけは振り回したいらしい。(それがその阿呆レベルにとっての自己実現とやらなんだろうな〜....汗)そういう馬鹿がいるらしい。あの〜そういうのって「成功(自己実現)」っていわないですけど。
単なる我がの儘、我儘ですけど....。
そういうバカに限って、ちりとての最終回が「ちりとての最終回の問題は、母親になったら母親業に専念するのが当然だと放映していることが問題なんだ!」とネットのすみっこで吠えているらしい(笑)。ちりとては「そうすることが当然」という形では全然表現していない。(そういう視聴者からのツッコミを予測してか?^^;)その証拠に四草は自分の子どもかどうかも分らないのに(四草が抱きそうにもないイケテない)女に「あなたの子どもなんだから!」と四歳くらいの見ず知らずの子どもの養育を押し付けられて、無抵抗に無条件に受け入れていたではないか。たまたま主人公きよみは「みんなのおかあちゃんになる」道を選んだという演出と脚本であったにも関わらず「公然とそれが当然だと(イデオロギッシュに)放映した!」と「そのように勝手に曲解して何か(=自分が作った仮想敵)に向って吠えている自分」には微塵の疑問を抱かない幼児性を垣間見せているらしい。(ハハハ....あーあ 汗;)
自分を疑うことを知らないのは幼稚だ。
自分を疑うことを知るは知性と知識の始まりだと思う。
まぁ自分のやりたいようにやって(それができないから外に向ってやつあたりしているのだろうが)
閉塞感を打破すべく自分のやりたいことがどのようにすればできるようになるか、自分の道を全うしてください。
自分の周囲や環境は自分を甘やかせてくれて当たり前、自分の自己実現に協力してくれて当たり前、いつも自分にとって耳触りのよい言葉や表現で自分を導いてくれて当たり前、自分がしたいように周囲は応援協力してくれて当たり前、相手や周りにばかり理想と好都合を要求して、自分が相手や周りに今できる精一杯の義務・責任を果たすことには目を閉じ、逃避して、権利・権限だけを請求要求する。
死ぬほどあつかましい。
自分に対する厳しい提言もまともにまっすぐに受け止められない人間の何が自己実現だ成功だ!?と思うよ。
そんなに依存心が強くて自分に甘い人間に誰が協力するよ。
世間で成功するわけねーだろ!と思う。(バカの逆恨みは、やっかいなので直接には言わないけどね)
そういう阿呆な自分に手をつけずに相手や周りにばかりに問題があるとしているから、いっこうに自分の抱えている問題が解決しないことに、自分の力で気づくまで「やりたいように」こけまくって痛い思いして、自分の今の思いをきちんと全うしてくださいな、と心底思う。
(だけど実際には何も一歩を踏み出さず止まっているヤツに限って、なにもかも、うまくいかないのを人のせいにして周囲に毒を吐き散らしている傾向にあるようですが。)
地雷は踏む人が悪いのではない。
地雷を埋めている人が悪いのよ。
だけど、ことネットや人とのコミュニケーションでは、
地雷を踏む人がどうやら悪いそうね。
どこまでも救われないドッグヴィルな住人たち
は〜〜 御愁傷様でございます。
合掌