その後
母親の
実態

 特別老人施設
その実態

  母親は、平成19年9月に突然山形徳洲会病院から深夜私か帰った後に、後見人弁護士が妹夫婦に命じて、

       山形市内表東1番地
         地域密着型介護老人福祉施設(特別老人ホーム)
           やすらぎの里 金井

 に搬送され、入居させられた。
私は、翌日何時ものように病院へ行ったらベットには母親の姿が無かった。
 驚いて、看護師に聴くと弁護士からの手紙を渡された。
母親が「ケムシ」「マムシ」と妹を罵り痛い爪の剥された足の親指を業と触って虐待して帰っていた妹・・・その夫婦に、この搬送を深夜突然黙って後見人弁護士が搬送させていた。
 母親は、私に警護されて夕食を終えて安らかに寝ていた時の出来事でさぞ驚いたことだろう。
母親と妹の関係を私は、裁判所を通して報告していたのに・・・このような精神的な虐待行為を堂々と妹夫婦を使って搬送させていたのだった。
 母親は、この時のことを私に涙を流しながら語った。
   「真夜中に、突然来たので如何したかと思ったら、何にも言わずに抱かかえられ車椅子に載せられた。」
   「何処へ連れて行くのだ!!」と聴いても一言も言わずに運ばれて車に乗せられた。
   「このまま何処かに連れて行かれて殺されると本当に思った。」
   「着いたところが真っ暗で何処か判らないが、凄く恐ろしくて朝まで寝られなかった。」
   「朝が明けても、老人ホームと判って落ち着くまで恐怖で脅えていた。」
 と私に訴えた。 
広大な敷地に
建てられた
たった29名だけの
特別老人施設
有り余るスペースに
29名の入居者が
多くの介護士や看護婦が
登録されて交替で介護され
ている。
 しかし、実際の内容は
少数で賄い高額な入居費を
取られ国からの補助を
受けていた。
二箇所の入り口が有って、通常は正面の中央玄関から
特別老人施設に入る。
玄関に入ると正面に、事務所が有って事務員が必ず
対応し、誰に面会するのかを記載し署名する。
その後、母親の場合は、真っ直ぐに伸びた廊下を進むと
第一回目の施錠してある扉が有って、更に次の第二回目
の施錠してある扉に出会う。
そして、更に進むと第三回目の施錠してある扉に出会う。
何れも扉は、自動施錠装置で一連に施錠が開くように
なっている。
中からも外からも暗証番号を機器に入力しなければ
出入り出来ない状態になっている。
従って、勝手に入居者を出入りさせたり外部から
出入りは、一切出来ない状態であった。
各扉に向かう手前には、それぞれの施設への
廊下の通路になっていた。
母親の部屋は、約6畳の洋間で入り口の左手に
直ぐ、トイレが有り、突き当たりには窓が一つ
設置されていた。
その窓に添って母親がベットで寝せられていた。
先月から虐待していた娘の○○○が液晶テレビを買って
措いてあった。
私が補聴器や目薬などを措いて帰ったら必ず妹が
来た時には、業と枕元の洋タンスに隠されていた。
ラジオを母親に聴かそうとして帰ったら必ず
片付けられていた。
テレビが有っても母親は、自分で立ち上がれない
自由にテレビは観られない。
ただの飾りであった。
母親は、まだ確りしているが以前より
物忘れが多くなっていた。
妹は、出来るだけ孤立させて母親が
早くボケるのをただ待っているだけだ。
・・・・・・・
母親は、「札幌から土地売りに山形へ出掛けたのが
間違いだった。」と後悔していた。

(撮影月日  平成20年07月09日午後2時10分ころ )

 私が通うのにもより遠い山形市から寒河江へ向かう途中の金井と言う場所に特別老人施設は有った。
 まだ新しく新築されたばかりの施設で、たった29名の入居者に対して数十名の職員が交替で働いていた。
 母親も含めて全ての入居者は、カプセル型と称する個室に入居していた。
母親の部屋に入ると母親が、「亨か・・・来てくれて良かった。」と涙を流した。
 「○○○の野郎が勝手に真夜中来て病院から、ここに居れて連絡取れないと思った。」と怒って言った。
 「助けてくれと騒いでも誰も助けてくれなかった。」と話が止まらなかった。

 この老人施設では、病院と違って母親を食堂に運ぶのにも職員二名が来て運ぶので勝手にしないで下さいと初めから忠告された。
 二人での車椅子へ載せる作業は、両側から患者を掴むので逆に不安定になって負担を掛けていた。
 私の方法は、患者を前から抱かかえて患者の又に右足を差し込んで膝にお尻を乗せて車椅子まで移動し乗せる方法で一般的な方法である。
 すべての介護動作が私から観て矛盾していた。
 私は、この事からも暫くどんな扱いをしているのかと思って毎日通った。
食事は、病院の食事から観たら全般的にお金をあまり掛けていないことが判った。
魚などのミールも少なく母親は、「ただ生かされているだけの同じ食べ物だ。」と言った。
 介護の担当職員も年齢的に若く看護師らしき人だけが少し年齢を重ねていた。
食事以外は、母親に関しては他の入居者と異なり何時もベットに寝せられていた。
 やっぱり病院と同じで食事も係りの介護士は、手を貸すこともなくボロボロと零して食べていた。
ここでも人件費の節約で手が足りなかった。
 裕福なお金持ちの老人を相手利用して少数の人員で多額の営利を得ている企業としか思えない。
 ここも設備だけは、ご立派でも扱う人間に人の心が無かった。
母親は、「亨の扱いが一番柔らかい扱いで上手だけれども、荒い扱いは病院も ここも同じだよ。」と言った。
 ただ、この施設で安心なのは、妹夫婦が来ても必ず出入りの記載が必要で勝手に出入りが出来ないことであった。 
平成20年6月26日午後3時20分
 撮影

 母親は、6畳一間の洋間で
テレビやラジオが備えられても
操作できないことから、ただ一人
毎日食事以外寝させられている。

 娘の私の妹が一週間に二度
程度顔を出すが、「帰れ。」と言って
怒ると
「まだ死なないのか、生きているだけ
ありがたいと思え。」と
言って直ぐ帰って行くと話す。
 
 この日も刑務所に入れられているのと
変わりないと言い涙を流している。
 何か母親にあったらどんな細かい事でも連絡して欲しいし、母親からの伝言は必ず連絡して欲しいと私か何度頼んでも一切の連絡が無い。
 母親からの話では、私の電話連絡も一切伝えて貰っていないと話している。
そして、娘の○○○の意向で勝手に外出などは許可しているらしく母親の話から「何処か事務所のようなところへ連れて行かれたことがあったが、一円だってお前には遣らない。」と言って来たと言う。


孤独な個室の余生を過ごす母親

 母の後見人は、山形家裁から選任さけれ山形市内の弁護士になっているが「入れ歯」や「補聴器」などを母へ買って欲しいと私から手紙など出しても一切受け付けられなかった。
 止む無く私が、補聴器を買って母へ与えたが介護の担当者が面倒なのか一切使用させていない状態だった。
従って、耳が遠い母親は、テレビもラジオも聴く事ができない状態である。
 また、普段も食事の後など他の入居者と会話など一切させられていない状態で、食事後は直ぐ母親の自室へ連れられて寝せられている状態である。
 従って、母親の楽しみは唯一「今までの昔の出来事を思い出して、その夢を見させて下さい。」と頼んで楽しみに寝ている事だと言う。
 まだ徳洲会病院に居た時には、他の入院患者の家族が話しを掛けて来ていたりボランティアで何人かの若い人達が母親と会話をしに来ていた。
 しかし、この特別老人施設では全て事務的で、一切の会話などのケアーが無い。
意図的に「認知症」にさせるようにか誰も母親と会話もさせないような個室生活の毎日を送っている。   

  父親の遺言による遺産相続問題に関して
  弁護士協議会の回答内容のとおり

事件性や違法性がある・・・との見解!!

 <弁護士協議会への相談回答の内容一部抜粋>

 不明の3100万円の隠蔽事件に関して
 他の相続人にしてみれば自己の相続権を侵害されていることにな
るので、相続回復請求権の問題となりそうですが、相続人が相手方である
限り、相続回復請求権ではなく、相続権を侵害された相続人は、所有権に
基づく返還請求をすることになると思われます。
この場合でしたら、相続回復請求権と違い、消滅時効はありません。

また、遺産分割が遺言書のとおりに行なわれたようですが、これを覆すに
は、もう一度、遺産分割のやり直しということになります【遺産分割のやり直し】
最高裁でも「共同相続人は、既に成立している遺産分割協議につき、その
全部または一部を全員の合意により解除した上、改めて遺産分割協議を成
立させることができる。」との趣旨の判決があります。(平成2年9月27日)

 しかし、ここで問題なのが、今後なされた遺産分割にも税金がかかるとい
うことです。

当初の分割により、共同相続人に分属した財産を分割のやり直しとして再
分割した場合には、その再分割により取得した財産は遺産分割により取得
したものとはならない、となっているということです。

つまり、遺産分割のやり直しは、税務上では遺産分割ではなく、それ以外
の原因、つまり譲渡や交換や贈与として課税されるということになります。
今回のケースは、事件性にもなる可能性を含んでいますので、その点も含
めて、ご相談にのりたいと考えます。
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   回答結果から、近日中に裁判所へ提訴だ!!


父親を騙して乗っ取った実家建物の空家から
母親の所有物を盗み盗って行く武田○○○夫婦!!

  平成20年7月04日 午前9時撮影
   父親から騙し盗った実家建物から(母親と武田○○○の共同物件)
   母親の所有物を勝手に持ち出している武田夫婦と業者の画像。
    元、警察官で現在天下りの免許センターに勤めているはずの
     武田○○○の夫が、深く帽子を被りマスクをして現れた。   
     身長160センチしかない元、警察官・・・・夫婦揃ってメタボ。
    性格が現れてか、顔が歪んでいた。 

警視庁への通報済み


  ニャンコ先生は、「仕事もしていない。」とか「人殺しをした。」とか掲示板に書き込みしていたら
 、今まで騙され賛同してい多くの人達や誰も「K様と犬猫を語りあいましょう。」など継続して
立ち上げても、もうマトモナ人間は、相手にしません。
  又、武田夫婦も父親から3100万円を騙し盗ったことが発覚されしまっては、
ニャンコ先生から訴えられるのを待つだけで、これから妹夫婦が「金」を掛けて
 荻谷に頼んでも対処の方法が無いでしょう。
荻谷の掲示板を利用しての中傷誹謗も
警視庁 ハイテク犯罪対策総合センター 対策第二班
TEL 03-3581-4321(代表)

が、監視続けていたら今までのようなニャンコ先生へ対して「死ねば良いのに・・・」などの
書き込みも出来ないでしょう。

このサイトは、母親や妹夫婦の動向のサイトに致しました。
犬猫関連のサイトは、「ニャンコ先生の家」パート2へ


親戚関係者を抱き込む為に
親から盗んだ金で母親の名前を利用し
異常な贈り物を!!     

父親が他界して直ぐ、世話になったと
親戚関係者全員に、母親の名前と妹夫婦の名前で勝手に多額な贈り物をしていた。
 それは以前から、妹夫婦が父母の世話をしていることをアピールする為に、意図的に親戚関係者を抱き込む為に妹夫婦が行っていたことである。
 これらの費用は、すべて父親や母親から盗み取った金で贈り物をしている。
 
都合の悪い親戚関係者には母親の名前だけで贈り物をしている。

お盆正月に親戚関係者に贈り物を母親の名前と妹夫婦の名前で贈り物を
して、全ての住所を勝手に中桜田の妹夫婦の自宅に移動し、さも世話しているように工作していた。


ここ・・・すっかり痩せたきた母親・・・・?

一週間ぶりに母親に逢いに行ったら
驚きました。
 すっかり痩せて頬骨が尖がっていた。
母親に、聴いたら「栄養の少ない安い
同じ物ばかり食べさせられているので
・・・。」と答えた。
 きっと、物価の高騰から食事の経費も
切り詰めているのだろうと思った。
 
母親は、現在一切糖尿病の治療は
施していないのでカロリーを上げても
良いのに・・・。
 
 全く楽しみも無い生活で精神的にも
娘が来るだけで血圧が上がると言う。

 「何時、札幌で暮らせるのかなあ・・・。」と
聴いて来たので、
「今、裁判所へ訴えたから・・・もう少しだ。」と
答えて措いた。

楽しみの相撲

 母親は、札幌から売却に戻って捕まってから
相撲や野球を観て気を紛らしていた。
 その中でも相撲は、詳しいので私は驚くほどである。
大関の「魁皇」のフアンである。
 また相撲の名古屋場所が始まったので
白内障の一部の見えるところを探して
テレビを観ていると言う。

    母親が「死ぬ前に親戚皆に知らせて欲しい。」と・・・・。

  母親のところで、ゆっくり時間を過ごしていた時に・・・母親が言い出した。
      「亨、いつまで生きられるのか易を立てて欲しい。」
  と言うので、私は道具を持って来ていたので立て占った。
      「何歳って出た。」
  と母が聴いたので、
      「104歳まで大丈夫だ。」
  と答えた。
   その後、母にへ
      「姉の梅子が死んだのか判らないが、誰からも連絡が来なかったけれど・・・。」
 と私が言ったら、母が
      「あの悪魔が全部住所を変えてさせないようにしているのだ。」
 と言い。 更に、
      「亨、親戚皆に手紙を書いて出して欲しい。」
      「あいつらの今までの事を書いて知らせて欲しいし、婆ちゃんが死んでも死にきれない。」
      「そして、誰も呼ばないで欲しい・・・亨だけでいい。」
 と言い出したので、
      「そしたら、密葬で誰も呼ばないから。」
 と答えて措いた。
  そして、
      「勝手に、盗んだ金で作ったお墓になんて入れないでくれ。」
 と言うので私は、
      「何処へでも持って歩くから。」
 と答えて措いた。
 母は、
      「そうか、それが一番嬉しい。」
 と答え眼を押さえて泣き出した。 
   
    

母親と愛犬のココも私も・・・危なかった!!
妹に敷き殺されそうに・・突然、襲われた!!

 7月28日午前10時21分の出来事でした。
 ニャンコ先生は、ココと一緒に母親の特別老人施設へ
出掛けて、母親とココと逢わせる為に外へ出て散歩を
してました。
 そして母親がココと写真を撮って欲しいと言い出したので
写真を撮っていたのでした。
 今年も天気が良いので、きっと稲の発育が良く豊作かも・・・と母親が言うので・・・・少し措いて私が、大きな台風が来なければ良いねって言った。
 そして、稲の発育を背にして母親とココを撮影した。

 この後で、今度は母親の車椅子を反対にして施設をバックにして撮影しようとした。
 そして、母親の部屋の部分がバックに入る位置でココと母親を撮影しようとしていた。
 ところがそこへ突然右手から、誰か車両が走行して来ていた。
 私は、「危ない。」と叫び避けた。
見て驚いた。
 妹○○○が自家用車で私に対して向かって来ていた。
私が避けたので逃れたが、何を血迷ったのか母親の車椅子の間に割り込んで入って来たのた。
私を轢こうとして向かって来たのだった。
そして、失敗したので停止し開いていた窓越しに
   「また、勝手に親の写真をネットに乗せるのか!!」
と私に対し怒鳴った。
 始めから窓を開けスピードを上げて我々の向かう方向から近づいていたのだった。
 その時に、とっさに撮った画像である。

 朝から私とココと自転車で出掛けるのを尾行して来ていたのか・・・
全く気付かなかった。
 以前にも、私の自宅付近で張り込み尾行して来ていたのを確認していた。
 しかし、今日の場合には朝も早くアパートの家を出掛けたので驚いた。 
母親も突然の事から驚き、
  「亨、早く逃げて部屋へ戻ってくれ。」と言い、
私も、直ぐココと母親の車椅子へ駆け込み妹の車と逆の進行方向へ
     「誰か来て・・・車で敷き殺される。」
と大声を出しながら慌てて施設の正面玄関方向へと向って逃げた。
 私 川窪 亨を車で実妹が轢き殺そうとした。
その逃げる際に妹が車の右のウインドーの窓を閉めるところを
         7月28日、10時22分44秒
私が携帯のデジカメでシャッターを切って撮影し、慌てて車椅子を押して逃げた。


 この後、妹が約7メートル程度の前進してからバックして、車をUターウンさせようとしたのを確認した。
 しかし、既に私の車椅子が施設の正面玄関方向へと右折していたのと、また通路が狭く更に敷石が妨害していたので諦めて直進し私達が来た方向へと左折し行った。
 そして、私達の車椅子を向かい打つ形で妹が早く着き正面玄関の前の来客用の駐車場で待ち構えていた。
 母親とココを乗せていた車椅子を私は、別の通路を利用して、急いで特別老人施設へと駆け込み入れた。
 その際に、車が乗り入れられない通路を利用して入れた。
場所的に来客用の駐車場は、施設の事務局から見える場所なので、妹も芝生を跨ぐなどの無理はしなかった。 

 そして、玄関で事務員へ事情を話して母親を部屋へ置いた後で母親が、
    「ココに何するか判らないからココのところへ早く戻れ。」
と言うので、直ぐ玄関前の自転車のココの所へ戻った。

 妹は施設へ入ることもなく直ぐ、来客用の駐車場から車を発進させて私の自転車の前を車で塞いだ。

 私は、直ぐココと自転車で避けて抜け国道方向へと逃げた。
その後を直ぐ追い掛けて来た妹は、
   「何でもネットに出して・・・この泥棒、人殺し・・・。」
とか何か怒鳴っていた。
 まったく私が言いたいことを妹は、異常な形相で逆に叫び喚いていた。
 私とココは、車で敷き殺されると感じ一目散に逃げた。
国道に出てからも始めの交差点で妨害して来たので、その車両の後方から逃げて逆側対向車方向へと逃走した。
 以前にも二台の車両から追われて逃げた事があったので逃げ道に詳しくなり山形駅まで逃げて駅前交番へと辿り着いた。
  そして、後ほど事情をありのまま話した。
 
後日、状況の実況見分の見取り図を掲示致しますが、
妹が使用車両に関し次の画像の車である。
 トヨタカローラ    ナンバー    19-70 号車
      グレーに側面に白いライン入り
       

監禁場所の「離れ。」公開!!
事件3

山形警察署の対応に問題???

 「実妹から車で轢かれそうになった。」と山形警察署へ行ったところ・・・・・何と刑事二課の年配の刑事の言葉に驚いた。
   「何で、轢かれもしないのに届けたっ話にならない。」
   「轢かれてから来い。」
 との調子である。
  この山形警察署には、平成18年3月まで妹の夫 が警備係長として働いて居た。
 そして父親が平成17年12月に他界した時にも山形警察署の職員からの玉串料が多く来ていた。
 しかし、その玉串料を戴いた人数や金額は、妹の夫が全部盗り実態は不明で処理された。
   私も元北海道警察官だったので事情は、よく判るが一般的には義理の父親の死での場合には任意で個々に玉串料を渡していた。
 それで誰かが纏めて職場の当事者へ渡すので直接、喪主などへは渡らない。
つまり誤魔化すことは、簡単なのである。
 その「お返し」に関しても全部、勝手に妹夫婦が取り計らっていたので私には、全く判らなかった。
 従って、どれほどの警察関係者から玉串料を戴いていたか判らないが、はっきり言えるのは平成17年から現在までに、何度か妹夫婦との問題で警察署へ訴えに行っても全く事件としての対応していないのが実態でした。
 今回も山形警察署では問題にしないので山形県警察本部へ訴えた。
「遠くのご隠居」の問題から母親に対する虐待問題、そして父親の不自然な死と遺言内容と全く違う3100万円もの
不明預金など一切、県警本部へ報告している。
 妹の夫である 元山形警察署の警察官は以前から県内の大型某パチンコの経営者と親しくしていた事は私が道警時代から知っていた。
 何度か注意していた問題であったが、私の親戚関係者も現在、そのパチンコ店の景品交換所に妹の夫 元警察官の紹介で働いている。
 「遠くのご隠居」やパチンコ関係業者は、DOMONもだったが妹の夫と関係があるかも知れない。
ただの警察官の主婦である妹が水戸市の「遠くのご隠居」こと荻谷昭夫と係る訳が無いので、当然夫が職務上で関係している荻谷昭夫を利用したと考えるのが妥当である。
 各、県警それぞれ縄張り的なものは現在も変わらない。
元道警の警察官と地元の元警察官の妹の夫と比較して考えて、どちらに有利に取り扱うかと言ったら当然妹の夫の方へ荷担し優位に取り扱う。
 当時、平成18年に届出た母親の逮捕監禁事件も警察署の取り扱いが遅れて時効になってしまっていた。
 これがお役所・・・何処も同じ警察社会も同じで現在の変わらぬ形である。

父親の預金を騙し盗った後は、
さらに・・・この母親の土地を狙って

実家の母親の土地は、北海道帯広の農地を
売却しての代替地として、全部母親の所有地で
ある。
 ここも何箇所の農地を母親が買って措いたのが
宅地になったもので、300坪近くある。

 この土地を強欲な妹夫婦が狙った。
昭和51年に母親が札幌へ移住するのを妨害し、毎晩「札幌へ行っても亨君は、世話できないから行くな。」と責めてた。

そして平成元年移住寸前の平成2年明けて更に、毎晩責め立て母を睡眠不足にして糖尿を悪化させ倒れさせた。

 国道13号線と山形警察署286号線通りとの交差点から直ぐ側で、その国道286号線 に面し何か商売の可能な場所である。
右手に「千歳ハイツ」を母親は、私が「放射線を被爆して働けない身体なので生活費。」をと建てたアパートである。

 本来は、札幌の南区川沿中学校の側に土地を見つけたので、ここの土地を売却し購入するのだった。
現在、この「千歳ハイツ」は、母親の所有で後見人が法律上は管理している。
 そして「退去」を通告して来たが、私が裁判所へ事情を報告した事で入居を許可されている。

 後継ぎの長男が実家へ戻って実家に住めないなど
一般的社会的に考えても異常な事態である。

 平成5年に実家へ戻って来た時に妹夫婦が妨害しようと札幌へ引き揚げなければ、こんな問題は生じなかったが・・・・と後悔している。

 平成2年に糖尿病でも歩ける母親を無理やり財産を強奪し「離れ。」まで建てて監禁した事から考えて、結婚当時から計画的に夫婦で乗っ取りを考えていたものであった。
県庁方向に国道286号線が東に向かって左へ
カーブしている場所で、国道13号線との交差点から
約70メートル東右側に「千歳ハイツ」が位置する。

 この画像は、国道13号線と国道286号線の交差点
の陸橋下から東方向の千歳山を撮影したものである。
 中央の黄緑の建物が「千歳ハイツである。
画像の中央は、「松山公民館」の建物で
、その奥の黄緑の建物が「千歳ハイツ」である。
 国道286号線は、両側二車線になっている。
 「千歳ハイツ」の道路向前には、ゴミの収集場が
建てられている。

 この土地は、高台で水はけも良く、直ぐ警察署や大型スーパーもある便利な地域で、山形市内では高級住宅地になっている。

 従って、大型店の社長宅や資産家の自宅建物が多い場所である。
 


またまたK様・・・・サイトで見ない間に「遠くのご隠居」が騒ぎ出していたね・・
アダルトサイトへ勝手に登録した・・・とか???
アダルトとかヘルスって・・・・次元の違う事を吠えているけれど
荻谷昭夫の本業で収入源なのかな??
水戸市の荻谷の近くの方・・・・彼の仕事を誰か教えて下さいよ!!



またまた新事実発覚!!

  母親が平成3年2月17日に、妹夫婦の毎晩の責め立てによって糖尿病を
悪化させて倒れた事件の新証拠が出て来ました。
 それは、母親のノートの中に父親が書いたと思われる母親の倒れたのに
対しての「お見舞い。」を戴いた人達の記録と見舞えに対してのお返しの
記録のノートが発見されたのです。
 内容から北海道や東京などの親戚関係者に対しては、
5月から6月にかけて倒れたことを連絡した事から
日付が5月以降になっていた。
 そして妹夫婦の近隣や親戚、友人からは、
直ぐお見舞いが届けられていた。
  
妹の夫の兄
武田
寒河江市 2月20日
妹の家中桜田の隣り家
大沼
山形市 2月20日
妹の親友
長沢
山形市 2月20日
父の姉の親戚
金子

東京
5月15日
亀松閣
 笹原
不明 5月19日
佐藤キク 山形市 5月20日
石幸石材
松田
山形市 6月1日
村岡建設 山形市 6月3日
母の姉
柳川
北海道
恵庭市
6月3日
木下 北海道
本別
6月3日
父の兄弟
白石
神奈川 7月10日
母の姉
熊谷
北海道 7月5日
後藤ヒデ 不明 5月9日

この中に当然、私への連絡が無いのは判るが、帯広の姉 中山家の記載が無いのは直ぐ
姉とは、連絡して対策を考えたのだろう。
この事から妹と姉とは、共謀しての母親責め立て虐待かも???
札幌への移住に対し姉夫婦も当時から妨害していたのかも・・・・???

母が倒れたので親戚が突然立寄られたら困るので止む無く遅れながら
3ヶ月も経過してから倒れたことを話したものと思慮される。
その証が、この記録であった。
何故、直ぐ親戚関係者一同へ母親が倒れたことを連絡できなかったかは、
当日、全財産を強奪したことが母親から皆さんへ話されたら困るので
隠蔽する期間を謀ったものである。
そして、この間に母親を監禁する「離れ。」の建築を進めていたのであった。
それは、実家に母親が寝かせていると何時突然親戚関係者が
立寄るか判らない事から母から離れずの監視が必要であった。
一刻も早く母親を身近なところへ監禁する必要に迫られていたのであった。

私が姉から連絡を受けて母親と実家で逢ったのは、既に8月に近かった。
その時に母親の脇腹が青く抓られて腫れていたのを確認している。